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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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序章


 鳴り止まない笛の音。
 冷たい、赤い瞳。

(くそ……やめろ、やめるんだ……!)
「カール!」
 カールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)は、病室で目を覚ました。
 全身に、冷や汗をびっしょりとかいている。そんなカールハインツを、上社 唯識(かみやしろ・ゆしき)が不安げに見下ろしていた。
「大丈夫ですか?」
 唯識の隣で、戒 緋布斗(かい・ひふと)もまた、不安げな表情だ。
「ああ……悪いな……」
 そうだ。ここは、病室だ。自分はレモ・タシガン(れも・たしがん)の乱心をルドルフに伝え、力尽きて倒れてしまったのだ。
「ざまぁねぇな」
 自嘲するカールハインツに、唯識は首を横に振る。まさか、レモが攻撃してくるとは思わないだろう。不意を突かれたとしても、仕方が無いことだ。
「今は、どうなってる?」
 尋ねつつ、カールハインツは上半身を起こし、唯識と緋布斗を見やる。
「……レモは、オペラハウスを占領しています。エネルギー装置の周辺にも、異変が起きてるそうです」
 躊躇いつつも、唯識は現在の状況をカールハインツに伝えた。
 レモがナラカから呼び出したアンデットを使役し、オペラハウスを占拠していること。
 それを止めるために、薔薇の学舎だけでなく、他校生徒にもルドルフが招集をかけたこと。
 エネルギー装置のほうには、ジェイダスとラドゥが向かい、防衛しているということ。
 話が進むにつれ、カールハインツの表情は苦渋に満ちて歪んでいった。
「そうか、レモが……」
「……どうしてなんでしょう。あの人は『自分には何もない、だからみんなで協力しあうんだ』、って笑っていたのに……」
 緋布斗がうつむく。綺麗に切りそろえたおかっぱの髪が、さらりと斜めに流れた。
 以前、薔薇の学舎の喫茶室のリニューアルをしたとき、緋布斗を励ましてくれたのはレモだった。おとなしく優しかった彼が、こんな恐ろしいことをするなんて、とても信じられない。
「あれを、レモと思わないほうがいい。もっと……危険なものだぜ」
「まだそんなこと言ってんのかよ!」
 否定したのは、ちょうど部屋を訪れたデイビッド・カンター(でいびっど・かんたー)だった。その後ろで、「ごめんね。具合はどうかな?」とハルディア・弥津波(はるでぃあ・やつなみ)がフォローするように非礼を詫びる。だが、ディビットの勢いは止まらない。
「レモがウゲンと同じになる訳ないだろ…!? あんたがそんなんで、どうするんだよ!」
 大股でベッドに歩み寄ると、カールハインツの背中を勢いよく叩く。
「い……っ!」
 顔をしかめるカールハインツに、ディビットはさらに「これ位で音を上げるようじゃ足手纏いになるだけだぞ」と言い放った。
 それはつまり、いつまでこんなところでぐずぐずしているのかという叱咤でもある。
「カール、大丈夫ですか?」
 思わず唯識がカールハインツの背をさする。だが、カールハインツの表情は硬かった。
「僕からも、頼むよ」
「ハルディアさんは、どうするんですか?」
「僕らは、理事長のところに行くつもりだよ。だから、レモ君のことを、頼みに来たんだ。……助けて、あげるよね?」
「…………」
「カールだってレモと仲良いだろ? 大事な友達、今度こそ守ってやれよ……」
「……今度こそ……」
 ディビットの言葉に、ぴくりとカールハインツの肩が動く。
 カールハインツにとって、かつて守られなかった存在は、大きなトラウマだ。自分には所詮、なにもできないのではないか。そんな不安が、常に彼にはつきまとっている。
 一度深手を負ったこともなお、カールハインツの足枷となっていた。
「じゃあ、僕たちは、エネルギー装置のほうに向かうよ。……信じてるからね」
 ハルディアが微笑み、ディビットはもう一度、強くカールハインツの肩を叩くと、病室を出て行った。
「……話では、明日、オペラハウスにルドルフ校長が向かうそうです」
「……」
 唯識は、カールハインツが逡巡する気持ちも、少し、わかる。
 彼はパラミタに来て、まだ日が浅い。学友として和やかに過ごしていた人間が、当然のように武器を手にとり、戦闘に向かう姿は、少なからず衝撃的だった。
 もちろん、契約者として、その力はあるのだろう。だが、とうてい自分が戦闘に向いているとは思えない。それに。
 戦うことが、怖くない人間なんて、いるのだろうか?
「カール……」
 でも。ここでカールハインツがあきらめてしまって、良いのだろうか?
 そして、レモを見捨てて、自分は後悔しないのだろうか。
 そう己に自問自答する唯識の隣で、緋布斗が思い切ったように口を開いた。
「お願いです、カールさん、レモを止めて。レモを助けてあげてください。カールさんの声なら、レモに届くかもしれない。……僕も、一緒に行きます!」
 日頃おとなしい緋布斗が、不意に見せた強気な表情に、カールハインツは顔をあげた。
「……助けられるか? 俺に」
「できます、きっと」
 緋布斗は、カールハインツの手をとると、力強く答える。
「レモが言ってました。力が足りないから、協力するんだって。だから、大丈夫です!」
「そうか……そうだな」
 カールハインツが、弱々しいながらも、微笑んだ。
「ほかの生徒も、手を貸してくれると思いますし。……怖くて足が震えるけど、僕も薔薇の学舎の一員です。みんなで、助けましょう」
 唯識もまた、同じように手をとると、暖かな笑みを浮かべる。
「……ありがとう」
 カールハインツは低く答え、静かに、頭をさげた。
 レモじゃないと思うことで、心のどこかで、この凶事を認めまいとしていた。そんな自分を、カールハインツは恥じつつ、今度こそ呟く。
「俺は……レモを、助ける。あいつを、救いたいんだ。そのために……手伝ってくれ」
「もちろんです」
 唯識と緋布斗は、しっかりと頷いた。


 その頃。
 現在はラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)の管理下にある、タシガン屋敷。その一部屋で、ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)は、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)を伴い、とある人物たちと対面していた。
「お時間をいただけて、感謝します」
「いや。かまわないよ。こういった時間は必要だからね。……こちらこそ、場所も時間も、こちらの都合にあわせてもらって、助かったよ」
「いえ、緊急時ですし。当然のことです」
 シャンバラ教導団所属の、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は、丁寧にルドルフの校長就任に祝辞を述べ、頭を下げた。
「ありがとう。まぁ、立ち話もなんだし、座ってくれよ」
 ルドルフに席を勧められ、再び一礼をすると、ルカルカたちはルドルフと対面するようにソファに腰掛けた。
 ヴィナは、あくまで慎重な、静かな表情で、ルドルフの傍らに控えている。
「一年前の件では意思疎通が不完全で衝突になってしまいました。申し訳なく思ってます」
 単刀直入に、ルカルカはそう謝辞を示した。
「たしかに、不幸なことだったね。二度とは、繰り返したくないと思うよ」
「ええ。そう願います。その上で……あのエネルギー装置の防衛を、協力させていただけないかと。あの装置は、シャンバラにとっても、必要なものですから」
「……今回については、かまわないよ。ジェイダス様も、お喜びになるだろうからね」
 ルドルフは頷き、そして、続けた。
「僕は、美しいだけでなく、強い優しさを大事にしたいんだ。それが、今後のシャンバラにとって、必要なものだと思うからね」
「同意だ」
 ダリルが短く頷いた。
「シャンバラのために。装置とレモを守る為に」
「よろしく、頼んだよ。そうそう、そちらは、黒崎 天音(くろさき・あまね)マリー・ランカスター(まりー・らんかすたー)が主に指揮をとっているとのことだ。彼らの指示に従ってくれ」
「わかりました」
 ルドルフは彼らと握手を交わすと、辞去する二人を見送った。

「さて、向かいましょうか」
「そうだな」
 タシガン屋敷を退出すると、ルカルカは顔をあげ、深く息を吸った。
 この場所で、自分をよく思わない人物がいるだろうことも、彼女は知っている。
 けれども、自分の真意は、これからの行動によって、いつか伝わればいいと思う。
 とりあえずは、ただ。
(ま、戦力として敵にぶつけてもらえばいいわ)
 エネルギー装置を守り、レモを助ける。ひいては、シャンバラのために。
 頼もしい相棒とともに目的地に向かう彼女の足取りには、迷いはなかった。



 タシガンの夜に、妖しい笛の音が、微かに響く。
 その音に誘われるようにして、美しい三姉妹もまた、この地に足を踏み入れていた。
 彼女たちは、レモの異変と、そこに関わるフルートの存在を知り、ここにやってきたのだ。
「ようやく見つけましたわ……ストラトス・フルート……」



 さまざまな思惑をはらみ、夜はそして、更けていく。