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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

リアクション

 手にした黒曜石の剣が、ひゅっと短い音たてて振り下ろされた。
 一刀両断に切り伏せられた幽鬼が霧散し、だが、また新たにその形をとろうとする。つくづく、厄介だ。
「闇の気配が濃くなったな」
 それはつまり、レモのいるホールへと近づきつつあるということかもしれない。
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は、再び剣を構えつつ、周囲を見据えた。すすり泣く幽鬼の声は、フルートの音色と混じり合い、普通の人間ならば恐怖にすくんでしまうことだろう。だが、ヴァルの前では、そのようなものは、森の木々たちの葉擦れのざわめき程度でしかない。
 とはいえ、これほどの魔力だ。
「レモの魔力が、逆にフルートに吸い尽くされてしまわなければいいがな」
 ヴァルの口にした懸念に、「え……」とマーカス・スタイネム(まーかす・すたいねむ)が不安げに眉根を寄せた。
「吸い尽くされる……」
 アーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)がそれだけを呟くと、なんというか、薔薇的なのは何故だろう。嫌な予感に、ばっとマーカスはアーヴィンを見やった。が、時すでに遅い。
(フルート、いや、ここはあえて黒レモと擬人化であろう。闇の力に操られているということはおそらく心の中で少年は戦っているに違いない。それはすなわち黒レモ少年が白レモ少年の主導権を握ろうと今まさに白レモ少年を押し倒して全てを吸い尽くし……)
「……アーヴィン」
 はっと、さすがにアーヴィンが正気に戻る。
「なんでもないぞ。俺様とて、少年のために本気なのだから」
(その本気が逆に不安なのは、アーヴィンくらいだよ……)
 ヴァルもいる手前、マーカスはさすがに内心でぼやくにとどめた。第一、そうのんびりと会話を楽しんでいる場合でもない。
 ヴァルの傍らで、時に口元から八重歯をのぞかせながら、正確に銃弾を放っていたシグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)が、ふとその動きを止めた。
「これが、噂のアレッスね」
 ぺろりと唇を舐め、シグノーは『それ』と対峙する。その後ろで、マーカスもまた、目を見開いた。
 そこにいたのは、一匹の獣だった。凶暴な、血に飢えた息を吐き、ぎらぎらとその瞳だけが輝いている。
「…………」
 『時として、自分自身が敵として現れる』
 そうは聞いていたものの、マーカスには何故、このような獣が現れたのかがわからなかった。ただ、全身が総毛立ち、心臓は早鐘のようだ。
 そんなマーカスに、ふっとシグノーは笑った。
「まだまだッスね」
 シグノーは、すでに知っている。これが、自らのかつての姿であり、……そして同時に、マーカスの姿でもある、と。
 知るだけでなく、すでに、シグノーは受け入れたのだ。よって、それはもう、恐怖の対象ではない。
「大丈夫か」
「そんな心配は、既に一周遅れなのさ。…ッスよ!」
 そう言い切るなり、シグノーは迷いなく魔弾を獣にぶち込んだ。
 獣が激しく咆哮し、その大きさからは想像ができないほどの俊敏さで、襲いかかる。
「はぁっ!!」
 ヴァルの剣が、袈裟懸けに振り下ろされた。だが、獣は、手負いになることなどかまわないかのように、ひたすらな突進をしかけてくる。
「マーカス?」
 フラワシを呼び出しつつ、アーヴィンはマーカスの様子をうかがった。
 マーカスは、顔面を蒼白にして、両腕で自らを抱くようにしたまま、呆然としている。
「マーカス、しっかりしろ! 黒マーカスに負けるな!」
「……アーヴィン……。って、え、黒マーカスってなに!?」
 思わずマーカスの目が正気に戻る。だが、アーヴィンがどうやら真剣に自分を思ってくれていることはわかり、「……うん!」とマーカスは頷いた。
 真剣に思っていることが、マーカスの安全なのか、同一人物での黒人格×白人格がアーヴィンのなかで流行ったということなのかは、……その、アーヴィンのみぞ知ることである。
「さぁ、ゆくぞ!」
 ヴァルの激励が、さらにマーカスの心をしゃんとさせる。その姿に、シグノーはにやりと八重歯をのぞかせて笑いかけた。
「まだまだ、行くッスよ!」



 オペラハウス、――地下。
 空調やその他の機械設備は、多くのコンサートホールの定石通りに、地下に作られている。
 事前に調査を済ませていた呀 雷號(が・らいごう)は、鬼院 尋人(きいん・ひろと)とわかれ、地下へとまっすぐに向かった。
 目的は、館内の放送設備を使い、この笛の音の妨害となるような音楽を流すためだ。
 地下に対しては、レモの影響は少ないようで、コントロールルームにたどり着くことはできた。ピッキングを試みようとドアに手をかけた雷號は、そこで、先客の気配に気づく。
(……?)
 敵かもしれない。厳しい瞳で、雷號は内部の様子をうかがった。
「師匠〜。これで完璧だにゃ−!」
「まぁな。きっと、レモ君の記憶も戻るってものだ!」
「……?」
 聞き間違えるはずもない。薔薇学きってのお騒がせコンビ、変熊 仮面(へんくま・かめん)にゃんくま 仮面(にゃんくま・かめん)の声だ。
「なにをしているんですか」
 日頃、滅多に他者と会話はしない雷號だが、さすがにそう問わずにはいられない。
 見れば、何故か変熊は急須を手に、よくわからないものを入れている。薄茶色の液体は、毒というわけでもなさそうだが……。
「見ればわかるだろう。コーヒーを淹れているのだ!!」
「そうにゃん!」
「…………」
 見てもとてもそれがコーヒーと思えない上に、そもそもなんでこんなところで、こんな時に、コーヒーなのか。
「そうか」
 とはいえ、雷號の目的は別だ。ここで不毛としか思えない突っ込みをするタチでもない。それきり無言のまま、雷號はつかつかと機械に歩み寄ると、館内放送用の機器を探した。
 その背後では、変熊がいつものスタイル(つまりマント以外全裸)で仁王立ちのまま、『変熊仮面のカレイなる作戦』を語っていた。つまりそれは、こうだ。
「『プルースト効果』というものがある。五感の中でも特に原始的で本能的な感覚『嗅覚』。嗅覚だけは嗅神経を通して直接、記憶・感情を呼び覚まし“情動脳”に働きかける。さらに嗅覚は睡眠中でも休むことはない! 音に打ち勝つにはこれだ! ……というわけで、レモ君にあってウゲンにはない記憶、タシガンコーヒーの香りを空調に流すことで、呪縛を解こうというわけだ!!」
「師匠、さすがにゃ〜」
 にゃんくまはそうあいの手を入れるが、なんとなく真心からには聞こえない。もっとも、変熊は気にしていないようなので、問題はない。
「どうだ、このタシガンコーヒーの香り!」
「……あんましないにゃ?」
「そうか? やっぱ、急須で豆をそのまんま淹れるのは、違う? けど、うちじゃいつもこうだしー」
 ……目の付け所は良かったろうが、いかんせん、それはコーヒーと呼べる代物ではない。というよりも、どのみち。
「停止か……」
 雷號が呟いた。ここにある機器は、全て機能が止まり、現在は使うことができなかった。
「え、動いてないの!?」
 さすがに変熊もショックそうだ。その後ろで、にゃんくまは「師匠、残念にゃ〜」と、ちっとも残念そうではない笑顔を浮かべている。
「しょうがない。こうなったら、俺様直々にこのコーヒー(……?)をレモのところに配達してやろう!」
 立ち直るのも早く、変熊は意気揚々とコントロールルームのドアを開いた……途端。
「きゃっ!」
 驚きの声をあげて、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が立ち止まった。と、同時に。
「あっちぃぃぃ!」
 バランスを崩し、手にしたカップから、コーヒーもどきを思い切り変熊はかぶってしまう。全裸なわけだから、いわゆるその、ピーだったりピーーーーーにまで、ざっぷりと。
「あ、っち! あっち! あっち!」
「見事なダンスだにゃー!」
 喜ぶにゃんくま。しばし呆然としていたリカインは、雷號の「失礼」という言葉で我に返った。
「あ、あの。薔薇学の男の子、見ませんでしたか? まだ小さな子なんですけど……」
「…………薔薇学の?」
 何故、女子生徒が薔薇学の生徒を探しているのか。訝しげに立ち止まった雷號に、リカインはいきさつをざっと語った。

 リカインは、以前からこのオペラハウスに興味があった。とはいえ、ここは基本的に女子禁制の薔薇の学舎。望んだところで、そう簡単に見学はできまい。
 そこに、ふってわいたこの騒動だ。
 といっても、さすがに、騒ぎに乗じて見てまわろうというつもりではなかった。どうせなら速やかに、かつ被害を出さずに解決をして、その後に少しでも見学、勉強をさせてもらえればと思ったのだ。
 薔薇の学舎生徒たちとともに突入をしたものの、ついつい先走ってしまうタチもあり、気づけばリカインは一人はぐれてしまっていた。そこで出会ったのが、件の薔薇の学舎の少年、というわけだ。
「すごくレモくんのことを心配していて、一生懸命進もうとしていたんだけど……急に笛の音が大きくなったら、ふらふらとどこかに行ってしまって」
 その様子は、それまで、レモのことをしきりに話す姿とはうってかわって、まるで魂をぬかれた人形のようだった。
 リカインはその声で少年を正気に戻そうとしたが、変幻する空間に阻まれ、見失ってしまったという。
「名前は、なんていうにゃ?」
南天 葛(なんてん・かずら)くんよ。一体どこに行ったのか……」
 事件解決はもちろん先決だが、突然豹変した少年を捨て置く気にはなれなかった。それから単身、リカインはこのオペラハウスの内部を探索し続けて、偶然ここにたどり着いたというわけだった。
「……見ては、いません。おそらくは、笛の音に操られたのでしょう」
 静かに雷號が言う。
 音の力、それをリカインはよくよく知っている。だがそれも、使い方次第では、こんなにも恐ろしいものになってしまうということだろうか。
「ありがとう。もう少し探してみるわ」
 リカインはそう告げると、さっそく走り出した。考えるより先に行動する彼女の足取りは、いかにも軽く、ひばりのように素早かった。



 笛の音の魔力に蝕まれたのは葛だけではなかった。
(……何だ、これは……意識、が……。駄目だ……抑制が……。ゴルガイス……キースも、近くに……)
 オペラハウスの中。狂った空間に響き渡る音色に、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)の瞳から徐々に光が失われていく。
「エンド?!」
 ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)が、低いうなり声をあげるグラキエスを名を叫んだ。しかし。
「う……っ!」
 返事のかわりに、襲いかかったのは、魔力の嵐だった。ほの暗い闇の力を秘めた氷の粒がグラキエスを中心に巻き起こり、オペラハウスに飾られていた壺や絵画といった装飾品を巻き込んで、破壊していく。ガラスが割れ、はじけ飛んだ破片は、氷とともに風に舞った。だが、窓の外は薔薇園ではなく、ただ虚無的な空間が広がるばかりだ。
 破壊されつつあるのは、なにも、周囲の物だけではない。三人を取り囲もうとしていた幽鬼たちも、皆吹き飛ばされる。そして、なにより……グラキエス自身の肌をも傷つけていた。
 グラキエスの白い肌に赤く血が流れる。だがそれも、彼は意に介さない。ただ、ただ、暴走する力だけがそこにあった。
「何と言う事か! ここまで影響が強いとは……!」
 ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)が、嘆きの声をあげる。
 グラキエスは、体格こそは青年のそれだが、精神的にはまだか弱く幼いままだ。フルートの魔力に絡め取られてしまうには、容易すぎる。
「私では近付く事すら……。アラバンディット、お願いです、エンドを止めてください!」
 笛の音が、あざ笑うように反響する。グラキエスの狂った魔力も、それに応えるかのように、苛烈さを増した。このままでは、グラキエス自身が、この歪んだ空間ごと自滅してしまうだろう。
「ああ。すまぬグラキエス、我の見立てが甘かった。……だが案ずるな。お前を苦しめる狂った魔力に、お前の命はやらぬ!」
 長大な剣を手に、ゴルガイスは襲いかかる嵐をものともせず、意識を集中させる。
「エンド……!」
 己の不甲斐なさに唇をかみつつ、ロアはせめてゴルガイスの援護として、その身体をフォースフィールドで包み込んだ。
「ゆくぞ……」
 ゴルガイスが、剣を構えた。気迫がその鱗から立ち上る。
 手加減は、しない。
 少しでも力を緩めれば、グラキエスの魔力の前に、ともに倒れることになる。そのことを、この竜人はよく理解していた。
 なによりも、この暴走を確実に止めねば、後で傷つくのはなによりもグラキエスだ。ならばなおのこと。
「我が前に立ち塞がるもの、ことごとくを粉砕する!!」
 その剣に、雷が宿り、ばちばちと音をたてて放電する。雷と氷嵐が激突し、刹那、目も開けていられぬほどの閃光が走った。
 そして、轟音。
 うなり声のような風と、なにかが破裂し、砕け散る音。笛の音とそれらが混じり合い、天地を揺るがす。
「エンド!! アラバンディット!!」
 光をやり過ごし、目を開けたロアは、埃と水蒸気の靄のむこうに、必死に二人の姿を探した。
 そこには、膝をつくゴルガイスと、血を流し、ぐったりと倒れたグラキエスがいた。慌てて駆け寄ったロアは、グラキエスの身体を抱き寄せ、その息を確認する。意識はないが、息はある。ただ、重傷には違いなかった。
 だが、ロアが驚いたのは、それだけではない。

 過剰な魔力同士のぶつかりあいに、閉鎖空間が保ちきれず、破られたのか。
 あるいは、さすがにレモの体力が、突きつつあるのか。
 歪んだ廊下は姿を消し、そして、彼らは知った。
 
 ――すでにほとんどの人間が、オペラハウスのメインホールに、足を踏み入れていたことを。だた、互いにその存在を気づけず、閉鎖空間をさまよわされていたのだ。
「予定が狂ったけど、まあいいや。……ようこそ、僕のステージに」
 そして、そのホールのステージの上。
 スポットライトを浴び、立っていたのは……赤い瞳の、レモ・タシガン(れも・たしがん)その人だった。