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chapter.9 式部とデート(3) 


 式部がバーでパラサと飲んでいる頃、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)はパートナーの伊東 武明(いとう・たけあき)と空京の街を歩きながら話をしていた。
 その話の内容は、式部についてだった。
「さっき、Can閣寺で苦愛さんから話を聞いたんだけど、式部さんが今色々高級な場所でデートしてるんだって」
「ほう……やはり、女性としてはそういうのは、嬉しいものなのですかな?」
 歩の切り出した話題に、武明は質問する。
「うーん、嬉しいとは思うけど、それってたぶん、高級な場所がってことじゃなくて、普段行かないようなところに連れてってくれるっていう特別な感じが嬉しいんだと思うよ」
 彼の問いかけに答えながら、歩は心の中でふと思った。
 ――でも、それで人の気持ちを計るのって、どうなんだろう、と。
 確かに、好きな人のためには、お金を使うのは惜しくないって人もいる。その気持ちも、悪いことじゃないとは思う。
 ただ、使えるお金って人によって違うんじゃないかな。そんなことを考えた。
「どうかされましたかな」
「あっ、ううん」
 武明の声で我に帰った歩は、ぷるぷると首を振った。
「たぶん、あたしの考えが子供なだけかも」
 そう、式部さんは普通に美人さんだと思うし、苦愛さんのアドバイス通りにやってもうまくいきそうな気もする。ただ歩はそう思う一方で、それがちゃんと今後のためになるのか、後悔とかはしないかと心配にもなっていた。
「あ」
 と、歩が唐突に声を発した。何かを思いついたのだろうか。
「そういえば、式部さんって、どんなことが好きなんだろう?」
 そうだ、何かモヤモヤがあったのが分かった。苦愛さんのやり方は、「とりあえず相手に好きになってもらおう」というのが先に来ているのだ。
 歩は、そうではなく、趣味とか、そういう感覚の合う人と付き合ってほしいなと思っていた。それが、彼女にとって一番楽しい恋であると思えたからだ。
「私には分かりかねますが、史実の印象からすればやはり文筆家ですから、読書などでは?」
「だよね? あたしもそう思う。そこで……武明くん?」
「?」
「ごめん、ちょっと式部さんの相手をしてきてもらえる?」
「私が? 女性の相手を……」
「うん、武明くんなら色々本読んでるし、歌とかも出来たよね」
「ううむ……正直向いている気はしませんが」
 そう言いつつも、武明は歩から聞いていた。式部という女性が、光源氏になりきろうと生きていることを。
「まあ、自身を偽り生きるのは辛いという点は理解できますな」
 それは、承諾の言葉であった。歩が彼の言葉を聞いて安堵する。
 そうして話がまとまったふたりの前に、ちょうどバーから出てパラサと別れた式部が通りかかったのである。
「武明くん、ほら、今式部さん、ちょうどひとりみたいだよ?」
 歩に促され、武明はどう声をかけようか悩みつつ式部に近づいた。悩みに悩んで、彼が放った第一声は、思いの外ロマンチックなものだった。
「こんばんは、今日は月が良くみえそうですな」
 陽が沈み、うっすら暗くなりかけている空を見ながら言った武明に、式部は笑って答えた。
「そうですね」
 既に多少お酒が入っていたからか、式部も特にその挨拶に気恥ずかしさは感じなかったようだった。その後、武明は軽く自己紹介を済ませ、式部も同じように名を名乗った。
「有名な文筆家である貴女と会えて光栄ですな。ぜひ少しの間、話をさせてもらいたいですな」
「ええと……はい、構いませんよ」
 式部がそれに応じると、ふたりはそのまま並んで空京の街を歩き出す。
「本などは、よく読まれるのですかな?」
 式部に問いかける武明。式部が首を縦に振ると、彼は「私も本が手放せなくて」と同調し、そこからふたりは本の話題に移っていった。
「そういえば、この時代の本などもお読みに?」
「そう……ですね、空京大学にはちょくちょく行くので、書物には今のところ困らずに済んでいて。今の本も、読みますよ」
「私も、情勢などは現代の本で知ったものです」
「新聞……とか?」
「それもですな。あれに載っている漫画というものも、読んでみると意外と面白いものでして」
「四コマですよね、私の時代にも、ああいうのがあったら良かったのに……」
 どうやら、式部と武明の話は途切れることもなく、心地良い空間となっているようだった。それを遠目で眺めていた歩は、「よかった」と胸を撫で下ろしながら小さく呟いた。
「物語の光源氏みたいになりたいっていう気持ちも分からなくはないけど、きっと、式部さん本人にも魅力はいっぱいあるもんね」
 夜が、優しく近づいていた。



 その後式部は武明と別れ、ひとり空京を歩いていた。時刻は夜の七時を回ったあたりだ。
 夏とは言え、この時間帯の風は良い具合に涼しく、式部の酔いをすっかり覚ましていた。となれば、途端にいつものおどおどしている式部が顔を出す。
「お洒落なバーは行ったけど、まだレストランで食事も出来てないし、アクセサリーのお店も行ってない……」
 苦愛から渡されたメモを見ながら、式部が呟いた。これまで何人かに「焦らなくて良い」というようなことは言われ、式部もそれは少しずつ分かってはきたのだが、性分として、最初に提示してもらったコースを完走したいという気持ちもあるのだろう。
 と、そんな式部に声をかけたのは、シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)だった。
「チャオ、随分探したよ」
「え、探したって……私を?」
 軽い調子で声をかけたシルヴィオに、式部が聞く。もちろん彼が式部を探していた目的は、デートだった。シルヴィオはちらりと時計を見ると「まだギリギリ大丈夫かな」と呟いて式部を誘った。
「少し話しがてら、買い物に付き合ってくれるかい?」
 買い物。となればアクセサリーのお店に行けるかもしれない。式部はそう思ったが、彼が連れていこうとしたところはそれとは少し違うところだった。
 ふたりが着いた場所、そこは高級そうな洋服店であった。
「服……屋?」
 少し驚いた風の式部。それを見て、シルヴィオは告げた。
「アクセサリーを見ようかとも思ったんだけどね、まずは服から揃えたいなと思ったんだ」
「そ、そんな揃えるなんて……」
 そんなにたくさん買うのかな、と驚きつつも、すぐに彼女は正気に戻った。
「あ、でも雑誌で見たことあるけど、ここかなり値段が……」
 しかし、言いかけたところでシルヴィオが式部を連れて店へと入ってしまった。
「お金のことは心配しなくていいよ」
「でも、そんな、悪いから……」
 言いながら、式部はちらりと近くにあった服の値札を見る。うわ、と思わず声が漏れた。普段自分が買っている服の、三倍以上はする値段だった。
「あの、や、やっぱり私ここは……」
 シルヴィオに呼びかけ、店を出ようとする式部。が、彼はなんと、既に何点かを店員に渡してしまっていた。慌てる式部に、彼は告げた。
「俺の祖母は日本人でね、お陰で、黒髪をした奥ゆかしい雰囲気の女性には弱いんだ」
 その綺麗な黒髪を近くで見れたお礼だよ、と言ってシルヴィオは微笑んでみせた。そして、彼女に一着の洋服を渡す。
「これなんか、その黒髪にとても似合うと思うよ」
 言って、式部が受け取ったのは落ち着いた薄紫色のワンピースだった。体に合わせてみると、それまでカジュアルだった式部の雰囲気が一気に高貴なものになった。
「なんだか、私じゃないみたい……」
「やっぱり似合うね。紫は、至高の色なんだ」
 その後もシルヴィオは店内を歩いては、式部に合いそうな服を見繕っていた。もちろんその間も、お喋りを止めることはしなかった。
「日本には、昔から独特の様式美があるよね。奥ゆかしさっていうかなんていうか」
「う……うん」
「たぶん、そういう部分が好きなヤツも沢山いるはずだよ。もし君にネガティブな面があるとしても、それって慎重なんだって考え方もあると思わないかい?」
「わ、私はそんなこと、今まで考えたことなかったけど……いつか、そう思えるかな」
 もちろんさ、と答えながら、シルヴィオは「でもさ」と続きを話す。
「俺は、そのままの君でも充分魅力的だと思うんだよ。背伸びなんてしなくても、いつも通りでいれば、ありのままの君に惹かれる人はいるはずだから」
 そして最後に彼は「まぁ、焦ることはないよ。英霊の時間なんて長いんだしさ」と冗談交じりに言った。式部は思う。
 やっぱり、あまり恋だモテだと騒ぐのは良くないんだな、と。
 今日、何人にも言われた助言だった。もちろん指摘を受けたからといって、すぐにそれを直すのは難しい。けれど式部の気持ちは、今日話した多くの者たちのお陰で、確実に変化していた。
「もう少し、ゆっくり恋を知っていけたらいいな。英霊だし。英霊っていうか、源氏だし」
「ふふ、そうだね」
 式部もおどけて返すと、シルヴィオは笑った。そしてふたりは、ショップの袋を抱えながら店を出たのだった。
 だが、この時、実はシルヴィオのパートナー、アイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)だけは、店内へと残っていた。それも、毛皮を加工したものをまとい、ディスプレイに紛れるように、店員に気づかれないように。
 一体なぜ彼女――アイシスは、このような行動に出たのだろうか?
 それは、アイシスがここに何かきな臭いにおいを感じていたからであった。否、正確に言うならばここではなくCan閣寺であり、感じていたのはアイシスだけではなくシルヴィオもであった。

 そもそも、シルヴィオが式部をここに連れてきたのは気まぐれでも雑誌に載っていたからでもない。
 日中、彼はCan閣寺に電話をいれていた。その内容は「式部とアクセサリーショップに行くデートがしたいけれど、彼女の服はシンプルで質素なものが多い。そこで、アクセサリーに合わせて可愛い服や靴も揃えたい」というものだった。
 それを電話口で聞いた苦愛は、喜んでおすすめのお店を彼に教えた。そのことにより、シルヴィオはますますある疑いを強めたのだ。
 ――これはもしかして、紹介先の店と寺が繋がっていて、男に金を使わせるよう仕組まれているのでは?
 式部が指示されたデートコース、そして今すすめられた服屋。それらが、どうも引っかかって仕方ない。さらに、以前空京に出現した切り裂き魔の一件も、彼は思い出していた。
 仮に、あの犯人の男の元カノもCan閣寺にハマっていたのだとしたら。疑いだせば、キリがなかった。
「シルヴィオ」
 やがて、店から出てきたアイシスがシルヴィオに声をかける。彼女は、店の中で、店員同士の会話を漏らさず聞いていた。そこで手に入れた情報は、彼の疑念をより固めるものだった。
「先程ふたりの店員が、『今月は売上がすごかった』というような話をしていました」
「なるほどね……」
 今月。それは服屋のセール時期からは微妙にずれている。ではなぜ、売上が多かったのか。そう、ここ最近あったことといえば、Can閣寺の体験学習だ。
「それと、ここのお店ですが、式部さんが言われたデートコースにあったアクセサリー店と同系列のお店だそうです」
「やっぱり、繋がってるのかねぇ……」
 もちろん、同じ人物がすすめたのだから、アクセサリーも洋服も、同じ系列になったということもあるだろう。しかし、数々の出来事が、シルヴィオに危機感を抱かせていたのは確かだった。
 しかし、仮にシルヴィオの予想が的中していたとして、Can閣寺の目的が何なのかは分からない。単に金を使わせることなのか、男に恨みでもあるのか、もしくはそれ以外の何かか。
 ふたりは顔を見合わせ、より深く探ることにした。あるのならば、Can閣寺の裏の顔というものを。

 そして、奇しくもシルヴィオと似た考えを持っていた者がいた。シルヴィオからショップの袋を受け取り、その場で別れた式部に近づくその人物の名は、黒崎 天音(くろさき・あまね)
 彼は式部に近づきながら、彼女の外見に変化が起きていることに気付いた。髪には綺麗な花飾り、そして服は大人っぽい薄紫のワンピース。その様は、彼の記憶にある式部よりも大分華やかであった。
 おそらく既に何人かに誘われ、こうなったのだろうと思った天音は式部にこう声をかけた。
「今度は、僕に付き合ってくれるかな?」
 式部は一瞬驚くが、天音がご飯を食べに行きたいのだと告げると、それに彼女は同意した。バーで食べたのは軽いつまみだけだったため、お腹もそこそこ空いていた。そして、あのメモの中で、レストランでの食事だけがまだ達成していなかったはずと思い起こしたのだ。
 一応確認のため、式部がこっそりとメモを背中で隠して見る。幸い、この時間でもここに書かれているお店はやっているようだ。場所もそう遠くない。
 と、天音が後ろから、それをのぞきこむ。
「わっ」
 小さく声を上げる式部だったが、天音は構わず彼女の持っていたメモをひょいと摘む。
「ふぅん……」
「あ、ちょっ、それは」
 慌ててメモを取り戻そうとする式部だったが、天音はそれを優しく制し、式部に提案した。
「このコースも悪くないけれど、折角だから僕が知ってるお店に行ってみない? 定番だけじゃ君もつまらないでしょ。羽目を外すのも、恋愛の醍醐味だと思うな」
 そう言った天音は、静かな笑みを見せる。そんな彼が式部に紹介したのは、幻想的な庭園が望める隠れ家的な和風料理の店だった。
「ここのデザートが、おすすめなんだよね」
 お店に入り、廊下を歩きながら天音が言う。そしてふたりは、そのまま個室へと通された。素人目にも分かる、お洒落な佇まい。個室ということもあってか、式部の雰囲気は若干固さが見て取れた。それを敏感に察した天音は、ちょいちょいと自分の手元を指差す。
「?」
 不思議そうな目で式部がそこに視線を落とすと、天音はストローの袋を手に持ち、それを芋虫のような形にした。そこに、一滴、水を垂らす。すると、ストローの袋はうねうねと本当の虫のような動きを見せた。
「え、えっ……!?」
 初めてそれを見た式部は、目を丸くして驚いた。さらに天音は、箸袋を使って器用に鶴を折ってみせた。
「わあ……」
「次は、別なものをつくってみようか?」
 言って、天音が次に箸袋でつくったのは扇子だった。その後も花を折ったりと、天音は繊細な手つきで箸袋の展示会を開いてみせた。
 そうこうしているうちに、メニューがふたりのところへ運ばれてくる。
「なんだか、落ち着く晩ご飯……」
 式部が、それを見て小さく呟いた。
 ふたりの前に並べられたのは、鰯のつみれ汁の香りが食欲をそそる、シンプルな和食の数々だった。やはり昔ながらのものが、馴染みがある分落ち着くのだろう。式部の箸はとてもよく進んだ。
 コースを完食すると、店の者が食後のデザートを持ってきた。それを見た式部は再び、感嘆の声を上げる。
「そう、これをぜひ食べてもらいたかったんだ」
 天音が言う。そこには、シャンバラ山羊のミルクからつくられたアイスと、凍ったフルーツの盛り合わせがあった。早速式部がスプーンで一口食すと、甘さと冷たさが同時に体へ染み渡った。
「おいしい……!」
 思わず頬を緩ませる式部に、天音は優しい眼差しを向けていた。

「ここまでで良いのかい?」
 店を出た後、式部を送っていた天音は足を止めた彼女にそう尋ねた。式部が首を縦に振る。
「あの……あ、ありがとう。とっても、おいしかった」
「喜んでもらえて、良かったよ」
「そ、それと……お金、出させてしまってごめんなさい」
 何度もお金を払おうとした式部だったが、天音がそれを許さなかったのだ。式部のその言葉に、天音は「気にしないで」とフォローしつつ、ごそごそと懐から何かを取り出した。出てきたのは、一枚の封筒だった。
「……?」
 式部が首を傾げていると、天音は、それを彼女に手渡す。
「さすがの僕も、君にこういう物を渡すのは気恥ずかしいのだけれど。帰ってからでも……」
 言って、式部を見送る。式部は不思議そうにその封筒を見つめながらも、頭を下げ、お礼をして天音と別れた。
 ひとりになった彼女が封筒を開けると、そこには一枚の便箋が入っていた。ぺらと広げると、何か文字が書いてある。
 どうやら天音は、あらかじめ買っていた便箋に、いつの間にか手紙をしたためていたらしい。式部はそれを目で追った。
 
 俯きがちの君は、まるで雲に隠れる月のようだ
 ふと見せてくれる微笑みは、雲間からこぼれる涼しげな光をもう少し見ていたい気持ちにさせてしまうから
 月に魅了されてしまった僕に、これからもどうかつれなくしないで欲しいな

 今日はとても楽しかった、また一緒に過ごせたら嬉しいよ。

「こ……これって、ラブレター?」
 読み終えた式部は、自分の顔が赤くなっていくのを感じた。自分の物語に幾度と無く登場させたことはあれど、実際に自分がもらったことはそんなにないものだ。式部は、何かの間違いではないかと、もう一度最初から文章を読み返すのであった。

 式部を見送った天音は、そういえばとシャツのポケットを探る。式部から取り上げていたメモが、そこに入れっぱなしだったのだ。天音は改めてそれをじっと見る。
「……これは?」
 小さく呟き、眉をひそめる。あの時は一瞬見ただけだったので気にも留めなかったが、書かれているレストランとバーは、たしか同じ系列のお店だ。
 たまたまか、それとも。天音が考えていると、パートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が話しかけてきた。
「デートは、うまくいったのか?」
「うん、だと思いたいけれどね。それにしても……」
 何か、偶然では済まされないものを感じ、天音は考えを巡らせようとする。
「どうにも、臭うね」
「む? 昼に食べたニンニク料理の後は、ブレスケアしたつもりだが」
「ブルーズのことじゃないよ」
 が、ブルーズの天然なセリフに笑いがこぼれ、うまくまとまらないまま思考はバラけてしまった。ただ、その引っかかり自体は忘れることなく、天音の心に微かなしこりを残すのであった。