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リアクション
23
毎年、この木に話を刻もう。
幸せな、ふたりの話を。
どんな絶望に陥ろうと、最後には幸せが待っている。
オレがそう、足掻いたように。
彼女がそう、口にしたように。
これを見た人がそう、信じられるように。
言葉にしよう。
形にしよう。
だから今日のこの夜も、この丘で彼女を待つ。
感謝と愛の言葉を伝えるまで、あと何秒?
ふとリィナ・レイス(りぃな・れいす)が気付くと、ウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)の姿が見えなかった。
さっきまでみんなと笑って話をしていたのに、パーティが終わる兆しを見せた時にはもういない。やれやれ、と小さく息を吐いて、リィナはコートを羽織った。キッチンでココアを淹れて、家を出る。
雪は上がっていたが、ひどく冷え込んでいた。こんなに寒いのに、たぶんきっとあの人は身軽にひらりと行ってしまった。
飲み物なんかは、私が持ってくることを想定しているのだろう。そう思うと、なんだか手中で踊っているようでなんとも言えぬ気持ちになった。唇を尖らせてみたが、すぐに、まあいいか、という気分になる。まあ、いいのだ。彼がそうやってずるいのは、ずっと前から変わらないことだから。それを言えばきっと、「お互い様だろ」と笑われるのだろうけど。
ふたりの思い出の木の場所に着くと、やはりウルスはそこにいた。白い息を吐いて、木を見上げている。
「ウルスくん」
呼びかけると、振り返って笑った。無邪気な笑みに、リィナも笑みを浮かべた。
「おかえり」
と言われたので、「ただいま」と返した。少し前のことを思い出して、照れ笑いがこぼれる。
「寒かったでしょ」
「寒いって思うほど待ってないからなー。リィナ、オレが出て行ったのに気付くの早すぎ」
「そりゃ気付くよ。いつもウルスくんのこと見てるからね」
「その返答、ずるすぎ」
「お互い様」
あれ、なんかこのやり取りさっき想定したなあ。そんなことを思い浮かべながら、持ってきたココアを渡す。ウルスは受け取ってすぐ木の根元に座り、おいでおいでと手招きしている。足の間に座り、背後から抱きしめてもらうような形になると、驚くほど暖かかった。
「な? 寒くないだろ」
図ったようなタイミングで言われた言葉に、そうだねえ、と平淡に答える。本当は、少しどきどきしていたけれど、それを表に出すのはなんだか気恥ずかしかった。
「年が明けたら、いよいよだね」
話を変えようと思って結婚式のことを話題に挙げた。だな、とどこか満足げなウルスの声が返ってくる。
「思い残すことはないか?」
「その言い方だと、なんか、今わの際みたい」
「不吉なこと言うなよな」
「あはは、ごめんごめん」
謝りながら、思い残すことがないか、考える。
リンスは、どうだろう。
最初は、心配で心配でたまらなかった。だから、未練がましくずっと見ていた。
ずっと見ていたはずなのに、いつの間にかちゃんとした子になっていた。
「生活力以外、だけど」
「え? 何?」
「ううん、こっちの話」
だからきっと、あの子は大丈夫だろう。周りの人にも恵まれている。いつまでも私が保護者でいる必要は、既にないのだ。
「うん。大丈夫だよ。思い残すこと、ないよ」
「そっか」
「それに、人の心配するより前に、色々と準備しなくっちゃ」
新居となる工房の手続きやら何やらで、現状、ふたりの財政は逼迫している。お金がないのは別に構わないけれど、せっかく挙げる式はしっかりやりたい。
「お金がない分手間をかける必要があるから、やることいっぱいだよ?」
「うへ……」
情けない声を出したので、振り返ってみる。ウルスは、耳をぺたんと垂れさせて、辛そうな顔をしていた。
「そんな顔しないの。がんばろ?」
「だってさあ〜……」
「ほら、耳当てあげるから。ね?」
膝立ちになり、用意していたプレゼントをつけてあげた。するとウルスはくすぐったそうに笑った。とても愛おしく思えて、リィナはぎゅっと抱きしめる。
「リィナ?」
「しあわせ」
幸せで幸せで、胸がはちきれそうだ。幸せすぎて不安だなんて、自分も難儀な性格をしている。
ウルスはリィナの背に手を回し、ぽんぽん、と優しく撫でてくれた。わかっているなあ、わかられてるなあ、と思い、抱きしめる腕に力を込める。
「好きだよ、リィナ」
「うん」
「愛してる」
「私も」
「ずっと一緒だ」
「うん」
言葉を重ねてもらうことで、だんだんと不安が解けていくのがわかった。こんなことができるのは、たぶん、この人だけだ。
「ありがと」
そう囁く頃にはもう不安はなくなっていたが、もう少しこのままでいようと思った。