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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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第10章 クリスタルと銀の魔女

「え? けがですか?」
 思わず訊き返してしまったマルティナ・エイスハンマー(まるてぃな・えいすはんまー)に、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)はうなずいた。
「はい。昨日襲撃を受けた際に、足をけがしてしまったんだそうです」
「普通に歩けていたようですが…」
 レイチェルの言葉を疑っているのではなく、気づけなかった自分の失態と思っているのだろう。表情からそれと読み取って、レイチェルは説明を続ける。
「今朝までずっと隠していたんです。私たちもさっき聞いたばかりで…。泰輔さん本人が言うには、そんなたいそうなものと思わなかったそうです」
「でも、そうではなかったんですね」
 往々にしてよくあることだ。けがを負った本人は、けがを侮って過小評価する。そして時間が経ち、アドレナリン分泌が収まったあとで事の重大さを知ることになるのだ。
「それで、今日は大事をとって出立まで部屋で休ませていただこうと……皆さんがクリスタル引き上げのことで大変なのは知っているのですが…」
 恐縮しているレイチェルにうなずいて見せ、マルティナは理解を示した。
「どうぞお気になさらず、ゆっくり養生してください。皆さんが残られるのは宿の主人に伝えておきますから。食事を部屋まで運んでもらえるようにしますね」
「いえ、大丈夫です」レイチェルはあわて気味に手を振ってマルティナを止めた。「そこまでしていただいては、宿の方にも心苦しいですから。私が食堂まで取りにお伺いします」
「そうですか」
「はい」
 マルティナと分かれて部屋のドアを閉めたレイチェルは、ふうと息をついてドアに背をつけた。
 後ろめたい気持ちと、無事やり遂げることができたかどうかの不安感がないまぜになって、そわそわと落ち着かない。
 そんな彼女の心中を見抜いたように大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)
「すまんなぁ。恩に着るわ、レイチェル」
 と声をかけた。
「でも、思いとどまる気はないんでしょう?」
 体半分窓の向こうに乗り出している泰輔を見て苦笑する。
 泰輔を見つめるレイチェルを見て、讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)が静かに告げた。
「心配はいらぬ。我がともにあるゆえ、泰輔の身は安泰よ」
「……ええ。そうですね」
「じゃあ行ってくる」
 手を振って、泰輔は窓の向こうへ消えた。そのすぐあとを追うように、顕仁もまた。2人が着地する、ザッという擦れた音がわずかに聞こえる。
 2人がいなくなって、部屋にはレイチェル1人だけが残された。
 泰輔の寝台へ歩み寄り、枕元に腰を下ろすと、そっとシーツの上に指を滑らせる。ぬくもりはとうに消えていて、彼がそこにいたと分かる痕跡は、枕についたわずかなへこみくらいだ。
 彼が何を考えてこんな偽装を行っているのか、見当もつかない。昨夜は何か2人で話し合っていたようだけど…。でも泰輔がすることだから、きっと必要なことなのだろう。
 もう一度ため息をこぼす。
「早く治ってくださいね」
 空の寝台に向かってつぶやくと、日よけのカーテンを閉めるために立ち上がった。


※               ※               ※


 早朝。太陽は東の地平を離れたが、まだ空は本来の色を取り戻せていないころ。
 ドラゴン・ウォッチング・ツアー最終日、しかも地方領主アタシュルク家からの口利きで増便ということで夜明け前からあわただしく準備に追われている村をあとにして、コントラクターの一団は流されたクリスタルを再発見したアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)たちを先頭に山を登っていた。
「ペトラ、足元によく注意して」
 岩がゴロゴロしている横の斜面を、ぴょんぴょん飛び跳ねるようにして前を行く完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)に、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)が声をかける。
「はーいっ」
 ペトラは元気よく返事をしたが、岩から岩へ飛び移るのが楽しいらしく、成功するたびにより遠くの岩を目測してぴょんと跳ねる。「よっ、と」
 着地にふらつきながらもきれいにバランスをとって、また飛び移れる次のでっぱりを探すペトラに、シルフィアはため息をついた。
「ちゃんとした道があるのに。どうして歩かないのかしら」
「そうねえ。それがあの子の持ち味でもあるし、いいところかもね」
 ただ歩くという行為にも楽しみを見出すことのできるペトラに感心しつつ、エメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)がつぶやく。
「まあ、単に落ち着きがないだけかもしれないけど」
 そのとき、くるっとペトラが振り返った。
「こっちだよー、早く早く!」
 とがった岩の先で器用に片足バランスをとりながら声をかける。黒ネコ型フードの下から覗き上げるように見ているのは、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)だった。
「ちょ、ちょっと待――うお!?」
 アキラはペトラより数メートル遅れて、やはり同じように小さな岩の上に立っている。地面に足をつけないようにしているが、向かい風にあおられてふらふら揺れて、こちらも結構危なっかしい。
「にゃっはー。もう降参?」
 ニヤニヤ。挑発するように笑っているペトラに、アキラは奮起した。
「だれが降参だ、だれがっ!」
 腕を突き上げて回す。もちろん展開を面白くするスパイス、ただのフリだ。
 大げさな彼のジェスチャーにペトラは楽しげに「きゃははっ」と笑って、またぴょんっと先の岩に飛び移った。ここまでおいで、とちらちら振り返っている。
「ぐぬぬ…」
「よし、行け、アキラ」
 歯噛みする彼の横で、ツアーコンダクターであり東カナン12騎士のオズトゥルク・イスキアが手を振り切る。
「今こそその身に施した封印を解くことを許可する! やつを完膚無きまでに打ち負かし、わが隊に勝利をもたらせ! それができれば夕食では好きな物をたらふく食わせてやる!」
「イエッサー! 隊長!」
 アキラもかなりノリがいい。打てば響くとはこのこととばかりに即応する。
「うおおおおおっ!! 隊長のご命令により、我が魂に施されし封印を今こそ解き放つ!
 アキラ・セイルーン、いっきまーーーーす!!」
 ぱぴゅんっとばかりに飛び出し岩を飛び移って行くアキラを見て、オズトゥルクはにっこにっこ笑顔であごをさすった。
「いや、面白いやつだなぁ。ノリいいしタフだし、本気でオレんとこで騎士見習いにでもしたいくらいだ」
 見守る彼らの前、アキラはペトラに追いついて、またも岩飛びを再開した。ペトラの楽しげな笑い声がこだまする。それを聞いて、ついにこらえきれなくなったのか、クコ・赤嶺(くこ・あかみね)の肩に乗っていた黒狐の赤嶺 深優(あかみね・みゆ)がぴょんっと飛び出してあとを追った。
「待ちなさい、深優!」
 クコはあわてるが、深優は振り向きもせず、ふさふさつやつやの黒シッポをピンっと立てて、ポーンポーンと岩から岩へ飛び移って行く。身軽な獣人の子どもらしく、のびのびとした動きで着実に距離を詰め、あっという間にペトラやアキラに追いついた。最後にポーンと大きな楕円を描いて、ペトラの背中に張りつく。
「んんっ?」
 ペトラは何か軽い物が背中に当たったように感じた。それが何かまでは分からず振り返ったものの、それらしい物が足元に落ちている様子もなく、きょとんとした顔つきになる。後ろ手に回した手で背中をさするが、何も触れない。
「にゃー?」
「まったくもう、あの子ったら」
 器用にペトラの手を避けている深優の姿にクコは腰に手をあてた。
 となりを歩いていた赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が、やんちゃな娘と妻の姿に、つい、くすりと笑いを漏らしてしまう。
「霜月?」
「まあまあ。機嫌が直ってよかったじゃないですか」
 昨夜もたれた話し合いの場の会話でセテカがこちらへ来ていることを知ってから、深優はお気に入りの彼に会いたがった。
『セテカに会いたい。連れてって、お父さん、お母さん』
 かわいい娘のおねだりだ、きいてあげられるものならきいてあげたいが、こればかりはそういうわけにもいかない。幼すぎて現状を理解できない深優は、泣きわめいて暴れこそしなかったもののむくれきって、あの手この手でいくら機嫌をとろうとしても口をきこうとしなくなっていた。
「ええ、それはそうだけど…」
 せっかく和やかな雰囲気でここまで来たのだ。それを壊しかねないことを口にしていいものか、ためらって口ごもる。その様子から、クコが何を心配しているかが伝わってきて、霜月は安心させるようにうなずいた。
「大丈夫、みんなそのことは分かっています」
 村を出て以来要所要所でティテクトエビルやイナンナの加護等探知系魔法が、1人ならずたびたび使用されていることに霜月は気づいていた。
「ペトラさんやアキラさん、それにおそらく深優も直感的に気づいているはずです。歳のわりに、ああ見えてとても賢い子ですから。ただ、自分たちも十分気をつけていきましょう」
「……ええ。そうね」
 霜月の目を見てうなずき返したあと「でも」とクコは小さくささやいた。
「親ばかね?」
 からかうような、愛情の響きのこもったひと言に、霜月がやわらかな笑みを浮かべて彼女を見返す。
 そのそばで、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)とつないだ手を引っ張った。
「駄目だよ、ノーン」
「えー? まだ何も言ってないよ?」
「でも行こうとしてたでしょ?」
 ノーンについてよく知っている陽太は、ペトラやアキラたちの楽しそうな姿を見て、自分も混ざりたいとさっきからうずうずしていることに気づいていた。ノーンも正直で無邪気な性質から「そんなことないもん」とごまかすことも思いつかず、ぷくっと片ほおをふくらませて不満を見せる。
「だってー」
「ノーンには危険だよ」
「そうですわ」
 野生の勘や殺気看破等探知系魔法を駆使して、山のモンスターによる襲撃がないかどうか警戒にあたっていたエリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)が、やや遅れて同意を示した。
「岩を踏み外して転げ落ちて、けがをするに決まってます」
「わたし、そんなにそそっかしくないよー」
 ノーンは憤慨気味に主張したが、姉や兄と慕う2人から口を揃えて止められたのを押し切ってまで行こうとはしなかった。ただちょっと、まだ思いきれないでいるふうにちらちら見ていたが。
(村へ戻ったら、埋め合わせを兼ねて何か、お土産を買ってあげようかな)
 なんとはなし、露店に並んでいた土産物の数々を思い出していると、妻に似合いそうだなと思って通りすぎた首飾りがあったのを思い出した。考えてみれば、もう3日も会っていない。帰路となる明日を含めれば4日だ。こんなにも長期間離れていたのはいつ以来だろうか?
 考え出すと止まらない。
(会いたいなあ…)
 ぼんやりとそんなことを考えて、胸に残るいくつもの妻の姿を思い起こしていると、不意にオズトゥルクと目が合った。
 読まれているはずはないのに、一瞬赤面してしまう。
「どうかしたのか?」
「い、いえ。なんでもないです。そのう……留守番している家族に買うお土産は、何がいいかと思って…」
 間違ってはいない、間違っては。
 心のなかで弁明しつつ、平常心を取り戻そうとしている陽太に、オズトゥルクはにかっと笑った。
「そうか! 今は時期柄イルルヤンカシュ関連の物が多いが、この辺りはもともと木彫りの名産が多い。特に細かな細工に定評がある。宝石としての価値はそんなに高くはないが、エリドゥ山脈の名前をとってエリドライトという青紫色の鋼玉も産出していて、これをはめ込んだ装飾品が女性には人気があるそうだ」
「そうですか。ではそれを買うことにします」
「うむ。エリドライトを用いた装具は求愛に使用されることもあるが、聞いたところによるとおまえは妻がいるそうだから、安心だな!」
 え? とあせって何か言おうとした陽太だったが、続くオズトゥルクからの背中バーーンによろめいている間に、言葉が全部吹っ飛んでしまった。肺に息が詰まって、ごほごほ咳き込む。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫ですか? 陽太」
 あわててノーンとエリシアの気遣いの手が伸びる。
「だ、だい、じょうぶ…」
「イルルヤンカシュといえば、アキラから昨日のことは聞いた。そっちも大変だったようじゃないか。おまえら、本当にツアーへ行かなくてよかったのか? この2日間、ろくに見えてないだろ?」
「あ、ええ、まあ…」
「大丈夫だよ!」ノーンが元気よく答えた。「昨日の竜さんにはびっくりしちゃったけど、あのあと落ち着いた竜さんの姿も、少しだけど見えたし。それに、もしかしたらもう1度会えるかもしれないもんっ。ねっ、おねーちゃん!」
「そうですわね」
 いい子いい子と髪をなでながらエリシアが同意する。
「これだけの人数で作業をするんですから、きっと皆さんの力を合わせればすぐに片付いてしまいますわ」
 クリスタルの運び出しに賛同して集まったコントラクターは、実に20人を超えていた。たしかにこれだけの人員がいれば、巨大なクリスタルも運び出すことができるだろう、と周囲の者たちを見回してオズトゥルクもうなずく。
「そうか。なにしろ数百年に1度の竜だからな。これが姿を見る最後の機会だからと、心配していたんだ。特におまえ」と、振り返ってアルクラントを見る。「餌付けするんだと張り切ってただろ」
 ニヤッと笑ったのは、それを聞いたとき、あまりに面白すぎる案だと思ったのを思い出したからだろう。
「昨日できたか?」
 興味津々顔での問いかけに、アルクラントは苦笑した。
「いや。昨日は私たちもクリスタルの探索に加わっていたんだ」
 地下を行った大多数の者たちとは違って彼らは地上ルートで独自に探索していたため、そのことをオズトゥルクが知らなくても当然だった。
「む? ならおまえこそツアーの方に行くべきだったんじゃないのか? それとも、あきらめたか」
「あきらめてはいません。ただ、方法を変えたんです」
「方法?」
「というか、手段というべきでしょうか。生き物を手なずける方法は、食べ物を与えるだけではありませんからね。特にあの竜のような、何を主食としているのか不明な生き物を相手にするのであれば、こちらも少しばかり工夫が必要でしょう」
 一体何を言いたいのか?
 分からない、と首をかしげるオズトゥルクと違って、シルフィアはやれやれというように笑顔でため息をついた。
「また始まった、アルくんの根拠のない自信たっぷり発言。これって結局、直感だけでしゃべってるのと同じよね。全然論理的じゃないんだから」
 ちら、とエメリアーヌに視線を向ける。アルクラントがそれでいいと思い込んでいる原因のひとつは彼女にあると言いたげに。
「なに? 私は間違ったことは口にしちゃいないわよ?」
 まあちょっとばかり、なーんでこんなのの書いた日記から私が生まれたんだか、なんてひそかに思ったりすることもあるんだけどね。それは内緒。
「考えるのはアルクの仕事。
 それに、直感っていうのは大体の場合が無意識下でつなぎ合わされた複数の情報に基づいて導き出された結論なのよ。ヘタに理詰めで考えるより、直感に従って行動すれば良い結果が生まれるというのは、往々にしてよくあることよ。特にアルクの場合はね、これまでの経験則からすると、頭で考えるより直感で動いた方がずっと良い結果に結びついている場合が多いわ」
「……えーと。それって結局アルくんに考えるなって言ってるのと同じじゃ――」
「とにかく。私たちはアルクの直感が導き出した答えによって行動する方が、一番正解に近付ける可能性が高いってこと」
 すまし顔で結論を出すエメリアーヌには、アルクラントも失笑を禁じ得なかった。
 彼女が「考える」と言っていたのは、つまりそういうことかと。
 まあ、いい。自分でもそう思っていたことだ。我ながら考えるのは不得意で、いつまでもうだうだしているくらいならさっさと直感で頭に浮かんだ方に動く方がいい。
それが今回クリスタルの運び出しになったわけだが。
(きっとこれでいい。間違ってはいない)
 一陣の向かい風に目を細め、ベレー帽を取って髪をなびかせる。
 青くさい空気を胸いっぱい吸い込んで――アルクラントは確信に近い直感で、そう思っていた。