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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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 地下深くを流れる激流の川岸に打ち上げられたクリスタルの元には、ぬりかべ お父さん(ぬりかべ・おとうさん)リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)がいた。
 彼らがなぜここにいるのかというと、昨日のクリスタル探索の際、なぞの敵の襲撃を受けて見失ったことに端を発していた。その後運よくここで再発見することができたのだが、時間的にも体力的にもそれ以上作業を続けることは困難だったため、断念して地上への引き上げは翌日へ持ち越すことが決まった。それで彼らがここに見張り役として残って、ひと晩クリスタルとともに過ごすことになったのだった。
 一時も止むことのない激しい水音も、耳が慣れてしまえばどうということもなかった。地下である上、凍りつきそうな冷たい水流のそばということで初夏とは思えない寒さが襲ってきたが、それも耐えられないというほどでもない。
 もう少し岩壁の方へ場所を移し、いくつかある窪みの1つにでも身を落ち着ければ寒さはやわらぐだろうが、そうするわけにはいかなかった。
 何者かの気配がする、と河馬吸虎が伝えてきたのだ。彼女のイナンナの加護には何の反応もなかっただけに驚いて、
「それどこ!?」
 ぴしゃりと言ってしまったあと、しまったと思った。
 チョコレート色をした肌の黒目がちな美少女の形態をとった河馬吸虎は、本来の総石造りな魔導書のときと正反対で、人見知り・ひっこみじあん・不甲斐ない、と3Hがそろっている。
 いきなりリカインに大声を出されて、まるでライトを浴びたウサギちゃんのようにぷるぷる震えている河馬吸虎をなんとかとりなし、静めてようやく聞き出したところによると、ちらちらとそれらしいものがディテクトエビルに引っかかるということだった。この洞窟にもともと棲んでいる小動物の類いではないらしい。
 河馬吸虎は、何もない物影にすらおびえるほど神経質だが、よく言えばそれだけ神経がこまやかで高感度だ。大抵の人だったら気づかない、ちょっとしたことにも気づきやすいセンシティブな感性の持ち主。リカインに気づけないあるかなきかの違和感でも気づくことができたというのは十分納得がいく。とはいえ、自分たちにはっきりとした敵意を向けているわけではなく、あくまで邪念を発しているらしいという程度のようで、はっきりとは掴めないということだった。
 しかし邪念を発する者――あるいは者たち――が、同じ洞窟内にいるのはほぼ間違いない。
 また盗まれては事だと、リカインはクリスタルのそばに陣取った。クリスタルを中心に、トリップ・ザ・ワールドを展開する。
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
 ぶるっと思わず身を震わせたリカインに気づいて、ぬりかべお父さんが川から上がってくる冷気の盾となるようにリカインの傍らに座ってくれた。
「ありがとう」
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
 ぬりかべお父さんはそのひと言しかしゃべれないが、バリエーションは豊かだった。なんてことない、という響きに、リカインは再度感謝の笑みを向ける。河馬吸虎は彼の巨体にびくついて怖がっていたけれど、さりとて岩壁の暗闇へ1人で逃げ込む勇気も持てず、リカインの服の端を握って耐えることにしたらしい。
 ほのぼのとした彼らの様子を、狐樹廊は離れた場所から見ていた。
 暗がりに半ばまぎれるようにして、岩に腰かけている。つかず離れずといった、微妙な距離だ。その距離が彼らと彼の心情的な距離を物語っていた。
 狐樹廊は自らの積極的意思でここにいるわけではなかった。アガデを離れたときのまま、この件にかかわることに対して消極的というか、どちらかといえば傍観者でいたいという思いが強く、今からでも立ち去ってしまいたいと思っている。リカインがあんなにもクリスタルに入れ込んでいなければ、実際そうしていただろう。それは方々から情報を得たことでさらに増すことはあっても、転換することはなかった。
 事件の中央にいるのはこのクリスタルのなかにいる銀の魔女、エルヴィラーダ・アタシュルクで、これは間違いなく東カナン領主家のお家騒動だ。そこに他国者である自分がかかわることに、どうしても間違っているという思いをぬぐえずにいる。それが彼のなかで葛藤を生み出していた。いわく、サイコメトリをすることによって事件を早期解決に結びつけることができるのではないか、という思いと、できるだけ第三者、傍観者でいたいという思いだ。早く解決すればそれだけこの件を終わりにすることができる、しかしそれでは自分が深くかかわることを避けられない。
(狐樹廊…)
 リカインは狐樹廊を見た。岩に腰かけ、無言で暗い水面に見入っている。
 アガデを離れてここへ来ると言ったときも、ここで寝ずの番をすると言ったときも、彼女の判断にひと言も文句を言わずにこうしてつきあってくれているが、彼が内心どんな軋轢を抱えているかリカインもうすうす感じ取っていた。
 彼がここにいるのは偏にリカインの意思を尊重し、彼女の身を案じてのことだ。河馬吸虎もそうだろう。おびえながらも、一切の文句を言わず、黙って耐えている。それはありがたいと思うし、申し訳ないと思う。だけどどうしても……クリスタルから離れたくなかった。
 銀の魔女は5000年も昔の人間。知っているはずがないのに、知っている気がした。
(どうして……私は彼女を「スウィップくん」と呼んだんだろう?)
 知り合いと似ていた? でもスウィップなんて名前の知り合いはいないはず。見覚えだってない。
 なのに、彼女を見ているだけで、胸のなかでチリチリと小さな鈴の音のような振動が起きる。何かふたのようなものがかぶさっていて、押し込めているような…。
「光を発しているのは彼女じゃないな」
 リカインがいる位置からクリスタルを挟んでちょうど反対側の岩壁側から観察していた玖純 飛都(くすみ・ひさと)が、ようやく重い口を開き、独り言をつぶやいた。
 宿へ戻った者たちと入れ替わりでやってきた彼は、それ以来ずっとクリスタルを観察している。
「光?」
「ああ。気づかなかったのか? クリスタルはほのかに光っている。でなかったらこの暗い地下で、細部まで見えるはずがない」
 飛都はその証拠のように、河馬吸虎が打ち上げている光術の玉とは反対側へ回り込むと、魔女の背中のラインをなぞるように指を動かした。
「本当」
 重なって光が届かない部位まで肉眼でラインを読み取ることができる。
「ほんのかすかで、光の下では分からない程度だ。
 はじめ、オレはこの女性が光っているのかと思ったんだ。しかしそれなら服を透かして彼女の肌のラインが見えるはずだ。光っているのは魔女を包むクリスタル自身だな」
 そして多分、光の大元はこの大剣だ。
 魔女を守るように立つ大剣を見る。柄近くの刀身に何か文字のようなものが刻まれているのが分かったが、知らない文字だった。おそらく古語だろう。防御の呪文か何かが刻まれているに違いない。
「アガデにいた者からの報告によると、向こうで盗難にあった領主家始祖の書には、銀の魔女は始祖から女神イナンナの剣を譲り受けていることが書かれていたそうだ。この大剣で間違いないだろう」
「そうね」
「そして魔女は眠りについた。おそらく自身の力とこの大剣のイナンナの力で。イルルヤンカシュがそばにつき、5000年の間目覚めることなく。
 なぜ彼女は眠らなくてはならなかった?」
「セルマくんの話だと、魔女は始祖の愛人で、始祖の子どもを連れていたらしいわ」
「始祖にはすでに後継者がいた。彼女は身を引いた。だがそれなら、なぜそもそも現れた? 始祖に子どもがいたことを知らないはずはない。相手は領主だ」
「それは…」
「別れて数年後、子どもを連れて現れた、その目的は何だ? 世間一般的に見るなら「次の後継者は先に生まれたこの子だ」と主張することだろう。そのことが公になれば、内乱にもなり得ることだ。そんな不和の種を抱えた女性に、始祖はなぜ感謝し、彼女が再び現れたならその願いをかなえよと子孫に残した?
 意味が分からない」
「……身を引いてくれたからだと思っていたけど…」
 口にしつつも、リカインもたしかにおかしな話だと思わずにいられなかった。そうなるのは分かりきっていたはずだ。なのになぜ彼女は城へ現れたのか?
「魔女は眠りについた。始祖もそのことを知っていた。それは間違いない。魔女は、なぜ眠らなくてはならなかったんだろう? ただ姿を隠すだけでも十分だったんじゃないのか?
 それに、これが一番の疑問なんだが。魔女と始祖の間に生まれたという子どもは、どこに消えた?
 彼の疑問に、リカインは答えられなかった。
 魔女にばかり夢中になって、子どもの存在をロストしていた。だが飛都の言うとおりだ。
 飛都は目をこらし、じっとクリスタルのなかの魔女を見つめる。
「まったくつながらない事だらけだ」
 なぞだらけのこのクリスタルのすべてを解明したかった。
 文献を調べたり、ひとから話を聞いただけではどうにも分からない事や矛盾した事が多すぎる。
「時間がほしいな。これを解析する時間が」
 アタシュルクへ願い出れば、あるいはさせてもらえるだろうか? それとも東カナン領主か?
「彼女を目覚めさせることができたらいいのにね。そうしたら、彼女から直接話が聞けるわ」
 切望のうかがえるリカインの言葉に、飛都もうなずく。
「ああ。きっとこのなぞの真実を知るにはそれしかないだろう。なにしろ5000年前の出来事を知る人物なんて、もうどこにも――」
 一瞬脳裏を走り抜けた、雷のようなひらめきが飛都の言葉を止めた。

 始祖とともに、東カナンを襲撃した黒矢の魔物率いる大軍勢を退けた銀の魔女。悪の竜イルルヤンカシュ。そこには、もう1人いたんじゃないのか?

 しかしその疑問を口にする前に、飛都の注意は別へとそれた。
 うす暗がりに慣れた彼の目を、いくつもの光術によるまぶしい光がくらませる。
 川に沿って下流から現れたのは、クリスタルを引き上げにやってきた仲間のコントラクターたちだった。