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家庭科室の少女達

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家庭科室の少女達

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【一 開戦前/鉄人組】
 蒼空学園は溜池キャンパス内の第二学舎群。
 その中央に位置するB303号棟は、内部に巨大な吹き抜けを擁するロの字型の学舎であった。吹き抜けに面する各階の廊下は幅広で、ダンプカーが一台、余裕を持ってゆっくり通れる程の広さを誇る。
 そして第二家庭科室はといえば、このB303号棟の五階、副教科用の教室が集まる階層の西側に位置していた。
 前面の吹き抜けに接する廊下よりも、更に奥行きのある大きな室である。単純に家庭科室と呼ぶには不自然な程に広いといっても良いのだが、そこはそれ、学生数の多い蒼空学園である。
 これでも家庭科の時間や午後の部活の際には、大勢の生徒達でごった返す日々なのだ。
 現在、そんな第二家庭科室を牛耳っているのが、料理研究部『鉄人組』であった。
 組長馬場 正子(ばんば しょうこ)を筆頭とする猛者の集団である鉄人組は、B303号棟五階の制空権を、事実上握っているといっても過言ではない。
 何しろこの第二家庭科室は、吹き抜けに面する廊下に沿うような形で扇形に広がり、五階の約三分の一に近い容積を占めているのである。
 第二家庭科室を制する者はB303の五階を制するとさえいわれていた。
 同じ五階には他に、第二美術室や第三音楽室、副放送室といった部屋に加えて、幾つかの倉庫が並んでいる。そのいずれもが、第二家庭科室と比べれば遥かに狭く、窮屈な息苦しささえ感じる室ばかりである。
 事実上、大人数を収容してまともな授業を執り行えるのは、この五階では第二家庭科室のみであった。

 そしてもちろん、部室としての機能も豊富であるといって良い。
 家庭科室である以上、家事全般に必要な器材や電化製品が当たり前のように揃っており、一部小あがりとなっている畳敷きのスペースでは、昼寝を楽しむことも可能であった。
 大型冷蔵庫や巨大な作業台を併設する調理場では、大人数分の食事を一気に調理することが出来る。現在の覇者たる鉄人組にとっては、まさに天国のような環境なのであるが、直前までこの部屋を部室として使っていた服飾研究部『羽衣会(はごろもかい)』にとっても、この室は極楽浄土ともいうべき存在だった。
 ミシンやアイロンの類は当然ながら、更に着付けスペースや試着室を兼ねた服飾研究コーナーなども設置されており、服飾に携わる者にとってはこれ以上は無いぐらい、恵まれた室だったのである。
 羽衣会が総力を挙げて、鉄人組からの奪回を目論むのは至極当然の話であると考えて良い。
 鉄人組は、組長正子を筆頭に、羽衣会の挑戦を今や遅しと待ち構えている。大半が女子生徒であり、組長正子の手足となって戦う勇猛な戦士達であるが、皮肉にも、組長たる正子を除いては、そのほとんどが整った容姿の娘ばかりであった。
 そんな訳だから、正子のゴッド姐さんの如き威風堂々たる風格に満ちた体躯は、あまりにも奇異に過ぎた。

     * * *

 だが、奇異を通り越して無謀とさえいえる挑戦を果たそうとする者が居た。
 その果敢なる挑戦者裏椿 理王(うらつばき・りおう)が第二家庭科室の扉を開け放ち、一歩踏み込んだ途端、恐ろしい程のプレッシャーを全身に浴びた。
 彼は鉄人組が羽衣会との和平交渉に臨むことを願うひとりだったが、その動機がいささか変わっている。信じられない話だが、理王は正子の中の『女』の部分を引き出そうと画策していたのだ。
 パートナーの桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)とともに第二家庭科室を訪問し、正子と面会したい旨を伝えてみると、思いのほか、すんなりと中へ通された。
 武装を施した少女達の殺気立った視線が、全身に突き刺さる。ただ部長、いや、この場合は組長と呼ぶべきだが、とにかくひとつの単なるクラブの長に過ぎない人物と面会するだけなのに、何故これ程敵意剥き出しの感情をぶつけられなければならないのか。
 納得のいかない話である。
 それでも理王は、己の純粋なる目的の為には、全てに耐える覚悟で臨んでいた。
(馬場正子殿……相手にとって不足無し……)
 胸中、ほくそえむ余裕すら抱きながら、理王は屍鬼乃を従えて、組長正子の前に立った。
 正子はといえば、畳敷きのスペースにどっかと腰を下ろし、腕を組んでふたりを出迎えた。その異様なまでの迫力に理王と屍鬼乃は一瞬たじろいだが、ここまで来て今更引き返す訳にはいかない。
 熊をも射殺すかと思われる強烈な眼光を真正面から浴びながら、理王は引きつった笑みを浮かべて挨拶の口上を述べた。
「ど、どうも……こんちわ」
「何用だ?」
 まるで隙というものがない、有無をいわさぬ程のストレートな反応であった。
 理王は思わず、ごくりと息を呑んだ。自分は今、とんでもない過ちを犯そうとしているのかも知れない。だが既に賽は投げられた。最早覚悟を決めて挑むしかなかろう。
「率直にいう……馬場正子殿、あんたをお姫様抱っこしたいんだ!」
 そのつもりはなかったが、理王はつい、声高に叫んだ。叫ばなければやっていられない程の、精神的な圧迫感を感じていたのである。

 組長正子がすっと立ち上がると、途方も無い圧迫感が理王と屍鬼乃を押し包んだ。
「へぇ……蒼学もイコンを装備していたんだ。強そうだなぁ」
 思わず屍鬼乃が、誰に語りかけるともなく呟いた。
 だが確かに、そう錯覚してしまう程の質量が目の前にあることは、誰にも否定出来ない。
「お姫様抱っこか。だがしかし、わしがその程度で満足するとでも思うたか」
「え、いや」
 理王が答える間もなく、組長正子の巨体が宙を舞った。と思った次の瞬間には、理王の全身に百キロを超える荷重がのしかかった。
 とりわけ、両肩にかかる圧力は言語に絶する。組長正子は、その巨躯を理王の肩に預けたのである。即ち、肩車だ。
 この思いがけない行動に、理王は考えるゆとりすら与えられない。筋肉が束ねられた丸太のように太い二本の太ももが、理王の頭部を左右から押しつぶそうとしているのだ。
 組長正子は、理王の頭上で腕を組み、満足そうに低い笑みを漏らした。
「ふっふふふ……良い馬が出来たわ」
(理王……君が命をかけて集めたデータは、必ず守るよ)
 最早、屍鬼乃の頭の中では、理王は故人と扱われているのだろうか。いや、そう思われても仕方が無い程に、組長正子の殺人的な重量と顔面へのプレスは、あまりに強烈だった。
 早くも理王の足元がぐらつき始めている。凄惨というべきであろう。

     * * *

 そこへ、側近の三沢 美晴(みさわ みはる)が長い黒髪を揺らしながら、新たな訪問者を連れて第二家庭科室内へと入ってきた。
「組長、またお客人です」
 案内されてきたのは、泉 椿(いずみ・つばき)ミナ・エロマ(みな・えろま)のふたりだった。
 入ってくるなり、ふたりは思わずぎょっとした表情になった。理王が半分潰れそうになりながらも、必死に肩車で組長正子を持ち上げており、その傍らでは、手持ちのノートパソコンに無心にデータを打ち込み続けている屍鬼乃の姿もある。
 ここは本当に家庭科室なのか。そして料理研究を主題とする部活なのか。
 椿やミナでなくとも、そう疑って当然の光景が、そこで展開されていたのである。だが、ここでひるんでいる場合ではない。
 椿とミナの目的は理王の如き哀れな人馬犠牲者を救う為ではなく、第二家庭科室を我が手にしたいという願望を叶えることにある。いや、正確にいえばミナが欲しているだけなのだが、椿とてパートナーの願いを疎かにする訳にはいかない。
 結局こうして、ふたりで第二家庭科室に乗り込んでくることにしたのである。
「ほう、良い面構えをしておる」
 ミナの意図を一瞬で察したのか、組長正子は馬・理王の肩の上でひときわ凄惨な笑みを浮かべた。これに負けじと、ミナも元気に声を張り上げて対抗する。
「羽衣会と鉄人組の方々には、お引取り頂きます。それにもし良かったら、パラ実家庭科室に混ぜてあげても良いですわよ?」
 鉄人組の面々はミナのいわんとしている内容が理解出来ないのか、互いに顔を見合わせて首を傾げている。組長正子も例外ではなく、彼女より遥かに体格で劣るミナが、一体何をいっているのか、よく分からないといった表情を、そのいかつい容貌の上に張りつけていた。
 さすがにこのままでは話がまとまらないと思ったのか、椿が横合いから助け舟を出してきた。
「実はさ、山葉校長に掛け合ってきたんだ。あたしらパラ実の生徒が、蒼空の第二家庭科室を使っても良いかってな」
「ほう、そうか。しかし恐らく奴のことだ、許可を出したのであろう」
「ありゃ……正解。よく分かったね」
 何となく肩透かしを食ったような気分になった椿だが、この後更に、彼女の調子を狂わせるような展開が待っていた。
「戦いなら家庭科室でなく表でやろうぜ。その方が何かと良いんじゃねぇか?」
「決着が着くまで、第二家庭科室はパラ実が預からせて頂きますわ」
 椿とミナが立て続けにいい放つ。半分は駄目もとでいってみたふたりだったが、組長正子の返答は、ふたりの予想を上回る内容だった。
「良かろう。近々、我らは打って出る。うぬらはここの留守番でも何でもしておるが良い。使いたいものがあれば、好きにせい」
 山脈の如き体躯からは想像も出来ぬ程に、随分とあっさりした返答だった。椿とミナは、むしろ虚を衝かれたかのように、半ば呆然と互いの顔を見合わせた。
 こんなに簡単に事が運ぶなど、予想だにしていなかったのである。
 そして何より不可解だったのは、組長正子以下、鉄人組の全員が、完全な部外者である椿とミナのふたりが第二家庭科室内を我が物顔で歩き回るのを、さほど気にした素振りも見せずに放置しているのである。
 聞いた話では、この第二家庭科室を巡って、羽衣会と壮絶な抗争を繰り広げているという情報だったのだが、この無頓着さは一体どういう訳であろう。