空京

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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者

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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者
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●龍の逝く穴(02):Dragon Attack

 暗く深い洞窟に降りていく。
 カナンの龍のほぼ九割がここで暮らしており、とりわけ、衰えて死につつあるものは必ずこの洞窟に戻ってくるといわれている。
「ドラゴンが住み、最期の日々を過ごす場所……つまりここは、彼らにとって安息の地なんだな」冷たい鍾乳石に和原 樹(なぎはら・いつき)は触れた。ひやりとする質感があった。
 そのようだ、と応じてフォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)が言った。「死につつある龍の数はこれまでになく多いと聞いた。やはり異常事態ではあるようだ」
「訊いてみたいな。その事情を……。やっぱりそれも、世界樹や女神が力を失ってる影響なのか? って」
「女神に? それともウヌグの領主に?」
「いや」むしろ俺は死につつあるドラゴンに会いたい、と樹は述べた。「当事者がどう思ってるのか知りたいし」
 フォルクスは賛成した。そして二人は、龍を求めさらに奥部へと歩みを進めたのだった。
 洞窟が住まいといっても、それはドラゴンにとっての話だ。人間にとってこの場所はあまりに広大すぎ、険路すぎる場所だった。膝まで、ときには腰まであるような冷たい地下水をかきわけ、剣を並べたような岩に手足を傷つけつつも、各人はバラバラになってそれぞれの目的を果たすべく歩を進めるのである。
「あっ……」一時間前後この場をさまよって、真口 悠希(まぐち・ゆき)は龍に出くわした。
 その巨大生物は、平らになった岩場に寝そべっていた。くすんだ灰色の鱗に、刃物で抉ったような深い皺の数々、薄目を続けている瞼からのぞく眼球は、色素が薄れ斑状になっていた。洩らす呼吸も、ぜいぜいと苦しく、途切れがちだった。
「ドラゴンさん、近づくことを許して下さい。ボクは、決して敵ではありません」
 老龍は答えなかった。悠希は緊張に身を震わせながら近づき、その肌に触れた。岩のような触感だ。しばし悠希は、触れた手を動かさなかった。温かな力が悠希の手から流れ出し、龍の肌に染みこんだ。
「ナーシングを行いました。少しは、体が楽になったかもしれません」
「……僅かに、な。だが死に征く運命は変えられんよ」途切れ途切れの息に交えて、龍が静かに返答した。
「ねえ、龍のおじいちゃん。話せるようになったんなら、役立つ情報、教えてくれない?」悠希が話した。いや、正しくは悠希ではなくそのマント、魔鎧形態のカレイジャス アフェクシャナト(かれいじゃす・あふぇくしゃなと)が話したのだ。
 悠希は焦った。これではまるで……「情報目当てに治療したみたいですよね。ごめんなさい。それに……あまり力になれてないかもですがっ」悠希は素直に頭を下げた。そしてカレイジャスに、黙っていてと釘を刺したのだった。
「でも……」悠希は、慌てて取り繕う自分をもまた恥じていた。たしかに、老龍を癒したのは純粋な好意だ。しかし100%好意のみであったかと問われると自信がなかった。なので正直に真情を吐露した。「力がないからこそ、知りたいことがあるのも事実です。それは認めます。ここに眠るというイコン『アンズー』の力があれば、多くの人の力になれるかもしれないから……ボクはそれを見つけたいんです……」
 続けて「何かご存知でしたら」と言いかけた悠希を、龍は一瞥だけで黙らせた。
「わしは、疲れている……。末期くらい、静かに過ごさせてほしい……」
 そして口を閉ざし、それ以上語るをやめたのだった。
 悠希は再度、深々と頭を下げた。(「確かに、ボクらがドラゴンさんの安息を妨げる権利はないよね」)これは感謝の気持ちの表れだった。老龍が自分を排除しようとせず、口を利いてくれたことに対して。
 音もなく去ろうとした悠希の背に、龍が言葉を伝えた。
「待て。教えぬとは言っておらぬ。思い出そうとしていただけだ。その『力』はたしかにこの洞窟の深層階にあるはずだ。だがそれを得るには、雷(いかずち)の試練を受けねばならぬだろう……」
 わしが言えるのはそれだけだ、と龍は口を閉じ、同時に瞼も下ろしてしまった。
「なんだ、やっぱりいい人だったんじゃない。あのおじいちゃん……あ、人じゃなくて龍か」と、再び口を開いたカレイジャスに、
「しっ、寝てらっしゃるんだから。静かにしましょう」小声で告げつつ、笑顔でもう一度ドラゴンにお辞儀して悠希は先を急いだ。『雷の試練』という言葉に一抹の不安を感じながら。

 別の場所では、また一人の探索者が賢人然とした龍との邂逅を果たしていた。
「オレは地球人、合衆国(ステイツ)はマサチューセッツ州アーカムで育った瓜生 コウ(うりゅう・こう)という者」
 闇の向こうを見据えながら、コウは堂々と名乗りを行った。しばし待つも闇は応えない。しかし、黒く塗りつぶされたような空間の中央に緑色した光が、二度またたくのが見えた。光は、巨大な眼の形をしていた。
「そこにおられるは古龍とお見受けした。教えを請いたい」
 マリザ・システルース(まりざ・しすてるーす)も名乗って「私からもお願いしたい」と口添えた。
 このときようやく、「是なり。我は古龍、名はラグスク。そなたらの求めを言え」と返事があった。石臼を挽くような、重く、低い声であった。
 コウとマリザがここに至ったのはまったくの偶然だった。二人は探索を続け、途上、襲ってきたジャイアントリザードを追い払ったところで異様な気配に出くわした。それと察するや、すぐさまコウは姿勢を正し、気配の主に呼びかけたのである。
「伝承に言う、龍は財宝をため込むものである、と。しかし、古龍に金銀がどれほどの価値があるだろう。古龍がもつ宝とは、その知識ではないか……オレはこう考える。願わくば、その叡智を語ってはくれまいか。無論、こちらも対価は払う。対価はこのオレの有する知識だ。魔女として、学究の徒としての知識を捧げたい」
 すると緑色の目が再度灯った。大きな目だ。おそらく龍は、二人を一呑みにできるサイズだろう。
「……笑止。我らにとっては、最も賢い人間と、最も賢いハツカネズミに差はない。ハツカネズミの知恵を、いかでか龍がありがたがろう」
「ならば藝術は?」マリザが主張した。「私がミンネゼンガー(歌唱騎士)として藝術を捧げよう。龍が知らぬであろう、あるいは、忘れているであろう驚きと、幸せを呼び覚ます歌を歌い、踊ろう」
「重ねて笑止、齢五千になんなんとする我は、左様なものは聞き飽きたし見飽きたわ」
「しかし」コウは食い下がった。
「ならば、人の知がハツカネズミのそれに勝ることを証明せよ」龍は言ったのである。「我が問いに答えられれば考えぬでもない」
「その問いとは?」
「述べよ。『人生、宇宙、すべての答え』とは?」 
「えっ……?」
「諧謔を解せぬ者よ。答は『42』である」
「よんじゅう……に……?」あっけにとられたコウだが、このとき龍の目が笑っているのに気づいた。担がれたのだ。
 やはり龍、一筋縄ではいかない相手のようだ。これは少々、本腰を入れて交渉をしなければなるまい。

「アンズーってのは深い階層にあるって聞いたが、最下層って訳じゃあねぇよな?」
 じゃぶじゃぶと足元の冷水をかきわけつつ、ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は女神イナンナに問うた。
「ええ。あたしもはっきりとは判らないのけど……最深部ではないはずよ。できるだけ早く発見して帰還できればいいと……」
「待って」鮭延 美苗(さけのべ・みなえ)が声を上げた。「何か、聞こえない?」
 足音だった。それも、酷く重々しい足音だった。ずしっ、ずしっ、と足元が揺れていた。
「どうやら、この地の住人が顔を出したようだぜぃ」へっ、と歯を見せて秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)が笑った。「歓迎してくれるといいんだがな」とは言いつつも彼は、丸太のような腕の筋肉を手で揉んで戦闘に備えたのだった。目に見えるほどの濃い殺気が漂ってきている。
 彼が言った通り、龍は『歓迎』してくれた。しかしそれは好意的な意味ではなかった。
「危ない!」緋桜ケイがイナンナを引いて下がらせた。その眼前に火炎放射が行われたからだ。急激に洞窟内の温度が上昇したように思う。叫び声のような音を立てて水が蒸発した。
「ドラゴンか! しかも」ラルクは籠手を握り直して告げた。「二匹もいやがるとはな」
 龍である。苔色のドラゴンが二頭、目を怒らせていた。比較的小柄だが、それでも見上げるほどの大きさだった。
「ここにいるのは女神イナンナよ! 見えないの!」美苗が叫ぶも二頭の龍は無視して向かってきた。怒りで正常な判断などできないらしい。
 こういった場合の手筈は、ラルクと美苗の間で既に定まっていた。
「私たちは奥だよ!」美苗はそのパートナースコルティス・マルダー(すこるてぃす・まるだー)と共に洞窟奥部へ駆け出した。龍の脇をすり抜け、一頭を振り向かせる。しかも「トカゲの化け物! 鬼ごっこの時間だー!!」と挑発気味の捨て台詞を残して。
「俺たちは奴を止める!」ラルクは、パン、と両の拳を合わせ怒鳴った。「マルドゥーク、イナンナ! さっきの分岐点に戻るんだ! ここは俺に任せて先に行け! すぐ追いかけるからよ」
「さあ、女神イナンナ!」マルドゥークも心得ている。ためらうイナンナを守りつつ、ケイらと共に駆けていった。
 イナンナを追おうとするドラゴンの横面を、ラルクの拳が張り飛ばした。「さて、俺の格闘術がドラゴンにどれぐらい通用するのか試してやるぜ!」
「まったく、ラルクは本当に命知らずってぇか……パートナーとしては見捨ててはおけねぇ。加勢するぜぃ!」
 ラルクも闘神の書も、龍と殺し合いを演じる気はなかった。ある程度戦って撤退させるのが目的だ。上手く行くかどうかは、まさしく彼らの拳にかかっているだろう。
 一方、
「有酸素運動しないと、メタボになるわよぉ〜!」
 スコルティスは銃を天井に向け発砲し、ドラゴンを振り返り振り返りしながら逃れる。なんとなくクネクネ走っているのは、彼がオネエ体質のせいか、それとも挑発なのか。期待違わず龍の一頭が追ってきた。天井の低い地点なのが幸いし、敵は飛ぶことができない……といってもかなりの速度なのだが。「私たち、ちゃんと逃げ切れるかしら」というスコルティスに、
「さぁ? どうだかね? 少なくとも、日本のお巡りさんよりかは甘くない事は事実ね、オカマ野郎のおかげで日本では警察、ここではドラゴンに追われるんだから。まったくもって、いい商売だこと!」強烈な厭味をいう美苗である。
「ま、憎たらしい子! 警察に関しては指名手配になってない分だけマシでしょ! それに今回の仕事は、このリスクに見合うほどの成果はあるわ」
「だといいんだけど。ただ、警察に追われるリスクは逮捕でムショ送りだけど、ドラゴンの場合は、ご飯にされた挙句、明日の朝一のトイレコースと三途の川への最高なトラベルになっちゃうけどね!」
「ヤなこと言わないでよぉ〜」
 会話はここまでだった。地形が厳しくなってきたのだ。二人は走る。走る。ヤモリの住処を派手に荒らし、小川を跳び越え鍾乳石を蹴飛ばし走る。かと思いきや水たまりを踏んで水飛沫を浴びつつ、峡谷を迂回して走る走る走る。
 彼らが逃げ切るまでにはそこから、さらに数十分の逃走劇を要した。