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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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第六章 画家の肖像・2


「首無しの男の絵ですか? 生前の作品や素描にも、特段そういうものは発見されてませんけどね?」
「えーと、絵の片隅や背景に描かれていた、という事もないですか?」
「……いや、なかったと思いますよ?」
 綺人の問いに、学芸員は首を横に振った。
 展示資料である生前の書簡、あるいは日記や新聞記事。それらを直接調べて良い、という許可が得られたのは良かったが、正直綺人には手に余るものとなった。
 日記も書簡も、全て仏語や英語で書かれたものだ。そして綺人は、決して語学に堪能な人間ではない。結局それらの資料についての調査の為に、学芸員につきあってもらわなければならなかった。
 生前の書簡等をざっと洗ってみた所、ビュルーレは身近な人間ならばともかく、広い意味での「人間」――「人類」と言い換えてもいいだろう――をあまり信じていなかった様だ。
 ――アルベール・ビュルーレは、十九世紀末に裕福な貿易商の家に生まれた。
 もともと絵の才能はあったようだが、十八歳で本格的に画家を志す旨を宣言し、実家から追い出された。その後は自活独学で活動し、当時来仏していたロデリック氏(現在来館中のコルバン氏の曾祖父にあたる)に目を止められ、以後、支援を受けるようになったという。
 彼の支援もあり、次第に世間からの評価も受けるようになった矢先に第一次大戦が勃発し、その終戦まで活動は停止。五体無事で生還したビュルーレではあるが、戦場での体験はその心に深い傷を残した。これ以降、ロデリック家と交わされた手紙には、人類への嘆きや皮肉、絶望を示す文言が見られるようになる。
(確かに……以後の作品は、少し病的な感じが出てくるようになりますけどね)
 いや、もともと「シュールレアリズム」に属する絵画は、どこか狂気じみている部分もあるとは思うが。
 が、会議室で先ほど瀬織が言っていたように、展示作品には「首なしの男」の絵はどこにもないし、今し方の学芸員の答えからも、そんな事物が作品内に描かれたという事もなかった。
 遺作であり異変が起きている「死にゆくものの眼差し」を観察しても、そういった事物は見当たらなかった。
「すみません。こちら、手に取らせてもらっていいですか?」
 許可を取ってから、手袋を着けて画家のスケッチブックを手に取った。慎重な手つきでページをめくる。描かれているモチーフの数々に、綺人は次第に気持ち悪くなってきた。
 綴じの終わりに差し掛かった辺りで、綺人の手が止まった。
 男の上半身の素描があった。体中に描き込まれたタッチは、陰影のそれではない。傷であり、そこから流れ出た血だった。
 それは、被害者らが一斉に描き出したモチーフに酷似していた。違いは頭部、首から上が存在すること。
 もっとも。その頭部には、顔がない。
 前後のページには、人間の様々な表情が描かれていた。簡素ながら、怒り、驚愕、悲嘆、苦悶などの激しい感情がしっかり描き出されている為、見ていると胸焼けがしてきた。
 ある頁で、綺人の視線が止まった。
 いくつもの、鉛筆で丹念に塗りつぶされた箇所があった。凝視してみると、塗りつぶされた下に顔の絵が見えた。
 その表情は、笑顔。
(この執念は何なんだ――)
 スケッチブックを持つ手が、震え出した。
 描いては消し、描いては消していったのだ。何度も何度も。
(――そこまでするのか、あなたは)
 綺人は内心で、画家に向けて呼びかけた。
(そこまであなたは絶望したのか――笑わせる事さえ認めたくなかったのか)
 怒りとも悲しみともつかない――きっと、こういう気持ちを「悲憤」というのだろう。

「……こんなもんかな? ちょっと読んでみてくれ」
 エースは、ノートPCの画面をクレアに向けた。
「ふむ、大作だな」
「これでも短くしようと頑張ったんだ、努力は認めてくれよ」
「まぁ、要約対象が人ひとり分の人生だからな。仕方ないと言えば仕方ない」
 エースとクレアは、学芸員をつかまえて色々聞き出し、各作品の制作背景を洗い出し、展示の説明書きや目録作成時に作った資料等を借りて読み倒した。さらに調査に当たった他のメンバーからも話を聞いた。
 そうして得られた情報を可能な限り整理し、まとめてみたのだ。
 ――見えてきたのは、ロマンチストの葛藤の精神史だ。
 大戦以前は、風景画や群衆画、都会の風景のあちこちに中世の騎士や兵士、あるいは日本の「サムライ」の姿やイメージを紛れ込ませ、「シュールレアリズム」と言うよりは手の込んだ諷刺画あるいは幻想画を描いていた。
 これ故に、同時代には「現代人の生活は、息苦しくて窮屈な軍隊生活に通じるものがある。どんな人間も何らかの形で『戦い』の中に身を置かねばならない。それを『騎士』『サムライ』というある種陳腐なイメージで強調している」という評価がされてきた。
 もっとも、画家本人はこれを「諷刺」だけではなく、日々の生活に何らかの自負や誇りを持って生きる人に敬意を払っているつもりだったらしい。
 そして第一次大戦後は死や破壊、時折は狂気のイメージが絵の中に入るようになる。
 第二次大戦後はこういう毒や死のイメージがさらに画面に横溢するようになる。注文を受けて明るい画風の絵を描く時もあるが、書簡などで「こんな嘘っぱちの絵は描きたくない」と悲鳴を上げている事が分かる。が、厭世観に満ちているかと思うと、身内や友人に幸せな事(結婚、出産等)があった時にはそれを喜び、簡素ではあるが祝福するような絵を描いて寄贈したりしている――
「『この画家は、騎士道や武士道などのロマンチックなものに憧れていた』」
 クレアは、エースのまとめた文書の結びの段落を音読した。
「『が、戦争を契機にしてその憧れは木っ端微塵に砕かれた。戦争への怒りや憎しみは高じて現世や人類への絶望へと変化、ただし、絶望しきる事もできず、生涯葛藤し続けていたのがアルベール・ビュルーレという画家のおおざっぱな精神史である』
 ……妥当なものだと私は思う。美術のレポートだったら、いい点数がもらえるぞ」
「そいつは嬉しいね。事件が終わったら、ウチの美術担任に読んでもらうか」
 言いながら、エースは文書のアップロードの準備を始めた。
 掲示板の「ビュルーレ絵画事件@空京美術館」スレッドでは、とにかく「続報よこせ」の声がうるさかった。「くれてやるから読んでみやがれ」という気持ちがあるのは否定できない。アップした後「長い 三行でまとめろ」とかいうレスが出て来たら心の底から嘲ってやる。
「……血まみれの男、というのは多分ビュルーレ自身の象徴だろうな」
「どうかね? 戦争やってばっかのバカな人類、って見方もあるぜ?」
「あるいはその両方――いずれにせよ、画家本人のコアの部分が凝縮されたシンボル、と言うのは間違いないな」
「『ボクちゃんこんなに傷ついてるよ、とってもかわいそう』ってか? そういうのを他人様に晒すのは、ちょっとイタイタしくないかねぇ?」
「そういうイタさがあるからこそ、ビュルーレという男は芸術家たりえたのかも知れん」
「んで残ったのは、人生の大半を誰かに援助され続けてきたくせに、人類不信を喚き散らし続けたダメ人間の生涯、か。大したもんだ」
「辛辣だな」
「客観的な評価のつもりだぜ? 同情はするけど、ダメ人間ならダメ人間なりに、もうちょい楽に生きていけよ、って思うぜ。酒にも麻薬にも手出さずに、九〇歳ちょいでくたばるまで、悩むだけの人生送ったなんてバカ過ぎる。
 お前はそうは思わないか?」
「コメントは控える。死人をけなすのは、好きじゃない」
 そうせざるを得ないほどに、画家は傷ついたのだろう?
 そんな答えは、クレアは心の中だけに留めておいた。本当はエースにも分かっていると思ったからだ。
「そいつは失礼――真面目過ぎだぜ、アルベール・ビュルーレさんは
 ……なぁ、死人の後を追いかけるってのは気が滅入るもんだな。知らなかったぜ」