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【カナン再生記】迷宮のキリングフィールド

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【カナン再生記】迷宮のキリングフィールド

リアクション


■第13章 セテカ

 教会前、救護テント前にて。
「だーかーら、ごめんってー」
 頭の中でぎゃいぎゃい言っているルカルカに、エースはこめかみを押さえながら謝った。
 もう何度目になるか知れない。
 でもとにかく謝る。
 ひたすら謝る。それしかない。部屋に入って早々に負けて放り出されてしまったのだから。
『もうっ! いいかげん、その悪癖をなんとかしなさいよねッ! 女の子に弱いにしても、ちゃんと相手を選びなさいッ』
 これも何度か聞いた。多分、話がループしてる。
「とにかく、こっちはそういう状況。で、そっちはどうなわけ?」
 このままでは疲れるばかりだ。
 少しも進展しない会話をなんとかしようと、エースは切り出した。


「まったくもう。だらしないんだからっ」
 ぶつぶつぶつ。
 まだ文句たらたらでルカルカはテレパシーを打ち切った。
「どうした?」
 脇で座っていたダリルがベッドのセテカから顔を上げる。
「エースってば負けちゃったんですって。でもカードは取れたみたい。教会から出てきたクマラたちが、バァルさんに渡してきたって言ってたって」
「そうか」
 ダリルは時計を見た。昼を回って、現在3室目が終わったところか、あるいは4室目の最中。残り2室と思えば、順当な時間配分かもしれない。
「それで、こちらからの連絡はとれそうなのか?」
 ダリルからの質問に、ルカルカは首を振った。
「無理みたい。あの教会、外からの情報は完全シャットアウトらしくて。全然バァルさんたちから応答がないの」
「まぁ、できたとしても、こちらとしても伝えることはあまりないからな」
「そうね」
 ほうっとため息をつき、ベッドの上のセテカを見た。
 考えつく、ありとあらゆる方法をとってきたが、セテカはまるで暗い井戸のようにその全てを飲み込み、無反応だった。
 底なしの闇の井戸。はたして効いているのかも分からない。
 もしやサイコメトリで何か分からないかと――もしかしたら敵と遭遇したときの情景でも見えて、そこからヒントが得られるのではないかとも考えたが、何も見えてはこなかった。
 サイコメトリは物に作用する。もしかしたらセテカが寝かせられていたという岩でやれば得られたかもしれなかったが、思いつくのが遅かった。それをするにはもう時間がない。
 だが、だからといって、何もしないではいられなかった。
 ほんの1分でもいい、このそそぎこむ力が彼の延命につながると信じて…。
「代わりましょうか」
 ダリルやカルキノスに驚きの歌を聞かせたあと、獅子農場の特産品・夜明けのルビーをかじっていたら、キィ……と扉が開いて、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が入ってきた。
「2人とも疲れたでしょう? 交代するから休んできて」
 そのとき、ルカルカの頭にピコーーンと豆電球がついた。
「いや、まだ大丈――」
「そうね! ちょっと疲れちゃったっ」
 勘の悪いカルキノスの返答を、心持ち大きめの声でふさいで立ち上がる。
 ――よけいなこと言わないのッ。
 ――ルカ?
 ――いいから、ほら、立ってっ。
 こしょこしょ、声にならない声で強引に立たせ、部屋から引っ立てていく。
「あっ、そーだ。女神官たちとアルツールも休憩に入ってるからっ。多分、あと1時間ぐらいかな? だれも来ないの。だからセテカさんのこと、よろしくねっ♪」
 パチッとウインクを飛ばしつつ、ルカルカはパタンと扉を閉めた。
「……いやね。そんなにバレバレかしら」
 そう思うと、ちょっと恥ずかしいかも。
「でも、肝心のセテカ君は、全然みたいなのよね…」
 リカインは椅子を引き寄せ、セテカの枕元に膝を寄せた。
 馬追いの間中、できるだけそばにくっついて過ごした。彼と同じものを見て、彼と話し、一緒に笑った。
 こんなに賢い人が、あれだけモーション受けてて気づかないなんてこと、ある?
 今までだって、結構女の子にもててそうよね、彼の場合。
「まぁ、どんなに勘がよくても恋愛関係には鈍い人って、いくらもいるし」
 こればかりは考えても仕方がない。
 リカインはため息をつき、思い切るように首を振ると、そっとシーツの上に出ている彼の手を取った。
「あの気軽なキャンプが、まさかこんなことになるなんて…。
 あれさえいなかったら……よけいなことをしなかったら。ちゃんとそばにいて、私がきっと守ったのに…」
 この場合の「あれ」とはもちろん、禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)である。
 彼は前回の『東カナンへ行こう!』で、リカインをアシッドミストで裸にし、セテカのそばから追いやってしまったのだ。直後、セテカは敵の襲撃を受け、呪矢を受けてしまった。
 セテカがこんなふうになってしまったのはそのせいだとリカインの怒りを買い、お仕置きとして、彼は今、この部屋の壁ではりつけの刑に処されている。
「そこで今のセテカ君の姿を見ながら、海よりも深く反省していなさいッ!」
 と、いうことらしい。
 いつからかといえば、実は最初の最初からだったりする。
(――くそッ。もう半日もここでこうしているというのに、だれも助けてくれんとは…)
 アルツールも、ルカルカも、ダリルも完全無視。あの優しそうな女神官や召使いたちすら、こちらを振り向いてもくれなかった。バァルなんか、すぐ隣でもたれていたっていうのに。
 まるで、壁に止まったハエかチョウ扱いだ。
 当然ながらそれはリカインからお達しが出ていたからだが、この要らぬ騒ぎばかり起こす騒々しい石本のことは知れ渡っていたため、というのもある。だれだってこれ以上面倒事はたくさんだろう。
 この状態では満足にスキルも使えない。使おうと思えば壁が燃えて、自分を縫いつけている杭どころか真っ先に自分が黒こげになるのは目に見えていた。――石本だから燃えたってなんぼのもんかとツッコミを入れる者もいるかもしれないが、それは違う。全然不快だ。
(仕方ない。ここは哀れを誘うしかないか)
「なぁリカイン、もうそろそろこれをはずしてくれないか? もう俺様もトシかもしれん。腰が痛いんだが」
「あなたのどこに腰があるっていうのよ」
 大体、石本に痛覚があるなんて、ちゃんちゃらおかしいわよ。
(くっそ。ありゃ全然怒りが冷めてないぞ。このままだと俺様、一生ここではりつけの刑か!?)
 事の成り行きによってはそれも十分あり得る。
 こうなりゃいっそ、一生東カナンで壁飾りとして生きていく覚悟を決めた方が楽かも。
(まぁ、俺様石だしな。虫干しされなくてもページは腐らんし、傷むことも――――って、覚悟なんぞできるかっ! アホかーい!)
「リカイン……俺様はただ、その男との仲をとりもってやろうとしてだなぁ」
「あーあーあー。何も聞こえませーん」
 つーーーん。
 そしてリカインは、歌い始めた。『サンドフラッグ!』で校長にKOされたときのことを思い出して恐れの歌、『謎の隕石?』でパートナーの命を奪われかけたり、その人たちと衝突することになったときの悲しみや怒りの歌、『奪われた古典劇のどたばた再生記』な驚きの歌。
(……リカイン……それ、地味に復讐してないか…?)
 耳をふさぎたくてもふさげない、巻き込まれ河馬吸虎は、ぐっと耐える。
「――どう? 私の歌。滞在中に、聞かせてほしいって言ってたわよね。ちゃんと届いたかな…。でも、舞台で歌う私の歌は、こんなものじゃないわよ。それに、今回の東カナンのお話が幸せの歌になるか嫌悪の歌になるかは、セテカ君次第だしね…。
 ああそれと、ちゃんと目が覚めたら、言いたいことがあるの。ううん、訊きたいこと、かな。
 バァル君が結婚を決めたそうだけど……バァル君だけじゃなくて、セテカ君も結婚するべきじゃないかしら? 領主じゃなくたって重要な地位なのは確かなんだし……それこそそういう話の1つや2つはあるんでしょ?
 それに……身軽な独身ならともかく、家庭ある人を歌劇団のゲストとして呼ぶのはさすがにためらうわよ…」
 ほうっと息を吐き、リカインはセテカの手の甲をなでた。
 寝ている彼にならこうやって、何だって言えるのに…。
 彼の目を見て、今と同じことが言えるだろうか?
「分からない……分からないけど、だからってこのままは嫌」
 あっさりスルーされるのか、真剣に悩まれるのか……どんな答えであれ、セテカ君の口から、聞かせてほしい。
「だからセテカ君、お願い。「あなた」が目覚めて…」
 ぽつん。うつむいたリカインの下のシーツに、小さな丸いしみができた…。



 そのころ、リカインのパートナー空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)は。
 勝手知ったるなんとやらで、奥宮を歩き回っていた。
(先日お訪ねしましたから、大体位置関係は把握していますしね)
 細かな部屋割りまでは分からないが、こういう場所というのはどこも似たり寄ったりだ。南向きが居室に適しているとか、見晴らしがいいほど高位な人の居室だとか。
 ひょい、と中を覗いては、首を振って扉を閉める。
 やがて、狐樹廊は目当ての人物がいる部屋をつきとめ、中に入った。
「お邪魔いたします。少し手前とお話でもどうでしょうか。多少気がまぎれるかもしれませんよ」
 カーテンを握り締め、うなだれて立っている、それは東カナン12騎士の騎士長であり、セテカの父でもある、ネイト・タイフォンだった。


「わたしも行けたらよかったのですが……今のこの状態では、領主様の足手まといにしかならないですから」
 ネイトは狐樹廊のために茶を運ばせると、テーブルに向かい合わせに腰掛けた。
「ふがいない父です。息子のために剣をとることもできないとは…」
 かすかに震える右手を、じっと見つめる。
「いえいえ。こんなときです、動揺しない方がおかしいでしょう。それに、敵と戦うよりも、今は息子さんの元にいらっしゃる方が大切かと思います」
「……ありがとうございます。
 それで、わたしに御用というのは? どのような赴きでしょうか」
「実は、セテカ様のお母様について、何かお話を聞かせていただけたらと」
「セテカの母について知りたい?」
 狐樹廊の質問がよほど意外だったらしく、ネイトはカップを口元に運んでいた手を止めた。
「はい。できればセテカ様と、どのようなご関係であったのかも…」
 なぜそんなことを知りたがるのか? 探るような視線でネイトは狐樹廊を見る。
 しかし隠すようなこともとりたててないとして、ネイトは話し始めた。
「あれは、名をコランと言いまして、この城付きのメイドでした。前領主様がご成婚された際、この奥宮で領母様付きとなったのです。とても気の優しい、こまやかな女性でした」
「外国の方ではないのですか?」
「どうしてそんなことを?」
 不思議そうに首を傾げる。
「セテカ様が今回外からお花をお取り寄せになられたと伺いましたので、それでもしや他国の方かと」
「ああ。あれは、私が彼女に結婚を申込む際に贈ったんですよ。あのころはまだこの東カナンも平和で、普通に城下で売られていた花です。わたしはどうも、そういうことが苦手で…。
 それでも、あれはあの花が好きだと言ってくれました。わたしが初めて贈った花だからと言って…」
 当時を懐かしむような笑みが、うっすらとネイトの口元に浮かんだ。
「セテカはね、あれにそっくりなんですよ。今はもう、ちゃんとした青年だが、子どものころは本当に女の子のようにかわいくて。こう言うとあの子は怒ってすぐむくれたりしたんですが…。そうそう、当時の姿絵がここにありますよ」
 と、くすくす笑いながらネイトは自分の荷物の中から5センチほどの小さな肖像画を取り出して狐樹廊に見せた。
「あれには内緒です。持ち歩いているのが知れたら、割られてしまうでしょうから」
 そこに描かれていたのは7〜8歳前後の少年で、甘やかな面と少しクセのついた茶色の髪が、まるで天使のようだった。ちょっとふてくされたような表情のためか、女の子っぽいというより中性的な感じだが、ドレスを着せたら十分少女で通りそうでもある。
「このころからもうじっとしているのが苦手で、いつも領主様と城中を走り回っていました。冒険だ、と棒を振り回して。朝着ていた服が夕方にはもう二度と着れなくなるというのはしょっちゅうでした」
「ご苦労されたでしょう」
「いえいえ。わたしはこのとおり城仕えの身ですから、あまりあの子にかまってやれず、セテカの面倒はほとんどあれ任せで。ですから、あの2人の仲が深まるのは当然だったのです」
 そしてそんな中、あの事故が起きた。
 両親を失ったバァルは18歳だったが、母を失ったセテカもまた、18歳だったのだ。
 東カナン領主夫妻がともに死亡した、この国難とも言うべき大事の前では、セテカの母の死はただの影でしかなかった。
(……そしてセテカ様は、叔父にまで裏切られたバァル様を支えられるために臣下の誓約を行い、側近になられたと。
 なーんか、できすぎのような気もしますねぇ)
 リカインのいる部屋へ戻る途中、回廊をぽてぽて歩きながら狐樹廊はそんなふうに考えた。
(まぁ、エリヤ様の件でのセテカ様のあの忠誠心を思えば、そういうこともなくはないでしょうが…)
 それに、まだ解けない疑問がある。
『なぜ今さらセテカ様のお命が狙われたのでしょう? バァル様への報復でしょうか?』
 狐樹廊の質問に、ネイトはふむと考え込んだ。
『――本当に命を狙ったのか…。単純に命が目的であれば、あんな手段を使ったりはしないだろう』
『それはモレクがそういう性質の魔女だったからでは?』
『ではなぜそんなことをする魔女を、敵は送り込んできたのだ?』
(――まったくです。バァル様への報復なら、単純に殺すだけのはず。敵はなぜこんなことをしたのでしょうか)
 あれから小一時間、ネイトとこの件について話し合ったが、ぴったりのピースは見つからなかった。
「手前などが悩んでも仕方ありません。こういうことは、そういうことを考えるのがお好きな人にしていただきましょう」
 扇の影でふっと息をつき、頭を切り替えると、狐樹廊は扉をノックした。
 そっと懐に手を入れ、取り出す。今はただ、これを見たときのリカインの驚く顔が楽しみだった。


「まぁ。これ、セテカ君?」
 ネイトから預かってきた絵姿に、リカインはパッと表情を明るくした。
「女の子みたいでしょう?」
 という狐樹廊の言葉を聞いて、くすくす笑っている。
(ふっふっふ…。気を抜いたな、リカイン)
 壁の河馬吸虎が、不敵な笑いを胸の内でこっそりする。
(今こそ俺様がどれだけリカインのことを本気で思いやっているか、示すチャーンス!)
 こんなこともあろうかと、はりつけにされる前にしっかり武装にまぎれこませてあったエステ用ローション。
 この「すっごい滑る」と評判のローションを(念動で)リカインが場を離れた隙に撒いておいた。
(さあリカインよ、早くセテカの元へ戻ってくるのだ!)
 河馬吸虎の念が通じたか、狐樹廊と分かれたリカインは上機嫌でベットの脇に戻ってくる。
 そして思ったとおり、ローションですべってセテカの寝ているベッドにダイブした。
「リカイン、見たか! 俺様は本当におまえたちの仲をとりもとうとしていたのだ! これがその証拠だ!!
 愛する男と同じベッドに入ったとなれば、もはやすることは1つ! 悦びのデュエットを思う存分響かせるがいいわ!!」
 ふははははははーーーーーーっ!!


 その後、痛む腰にヒロイックアサルト疾風突きの連発をくらった河馬吸虎のあげる悦びのソロが、長い間部屋から聞こえてきていたらしい。
 のちに伝わる東カナンの(うさんくさい)伝承のひとつである。