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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

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第2章 森の中の思惑

 霧深い森の中は、不気味な静けさに満ちていた。
 幻影の人影は、肉身の人間ではないからだろうか、全く音を纏わずに動く。だから、白い闇の中からそれは全く出し抜けに、ぬっと現れるのだ。冴弥 永夜(さえわたり・とおや)は、この幻想空間の森に入ってからそんな影の出現に何度も遭遇してきた。
「不意討ちって言葉がぴったりだな。心臓に悪いぜこれは」
 敵は大して強くないが、気配もなくどこかから突然出てくるので、視界の悪い霧の森の中で、常に周囲を警戒していなくてはならないというのは結構神経を使う。
「これじゃ、鷹勢ってやつが無事かどうか、ますます心配だな」
 こんな神経を張り詰めなくてはならない状況で、パートナーロストのダメージを受けた杠 鷹勢の精神がいつまで彷徨っていられるか、敵襲を受けて無事でいられるものかどうか、大いに心配される。パートナーロストではないが、大切な人を失う痛みは分かっている永夜だけに、彼の心情を思いながらその行方を探す、その心のうちには切実な感情があった。
「おるぞ、そこに」
 後ろを歩くパートナーのクライファー・ネル・アログリエ(くらいふぁーねる・あろぐりえ)の低い声に、ハッと我に返る永夜の目の前に、幻影の人影がふらりと湧き出る。さっと身構えたが、人影は二人には注意を払わず、道を急ぐという感じですれ違ってどこかへ去っていった。
「……。あいつ、金色の枝を持ってなかったな」
 霧に同化するように消えていくその後ろ姿を見ながら、永夜は呟いた。今までやりあった幻影は、そういえば消え失せるまでずっと、金色の木の枝を持っていたと思い返しながら。


 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、【行動予測】を使い、森を行き交う幻影を観察していた。
 向こうは、こちらを見つけると襲撃してくる。だが、襲撃してこないものもある。襲撃してくる人影は皆、金色の枝のようなものを身に着けている。
(あれが何か重要なものなのかもしれない)
 弥十郎は思い切って、それを手に入れてみようと思い立った。こちらに気付かず、白い霧の向こうへ過ぎていこうとした幻影の一人を背後から襲撃し、『ザッピングスター』を使用して、その金色の枝を奪い取った。
 すると幻影は音もなく、灰塵となって散った。
(やっぱりこれは、何か意味があるんだな)
――そのしばらく後、書庫入口にいた弥十郎の兄でパートナーの佐々木 八雲(ささき・やくも)は、【精神感応】による弥十郎からの連絡を受けた。
「――なるほど、それを持つと、奴らは襲ってこなくなったのか」
『うん。そういえば金色の枝を持ってる影同士が戦ったりはしてないなぁと思って、ためしに持って歩いてみたら』
「自分たちと同じ仲間って認識になるのか? ……うーん……」
 八雲は少し首をひねって考える。
「金色の木の枝……確かに意味があるんだろうな。それが何かを象徴してるなら……」
『何か気になることが?』
「まだはっきりしないが、それが何か秘儀的なものを意味しているとして、万が一その意味を侵入者たちが知っているとしたら危険な可能性があるな。幻想空間とそれを守る結界を、破る助けになってしまうかもしれん」
『それはまずいね』
「そのことを訴えれば、結界解除に心を動かしてくれるかもしれん。取り敢えずこっちでも相談してみよう」
『こっちはなるべく早く、彼の精神を見つけるために頑張るよ。空間開放の方は、よろしく』
「分かった」
 精神感応はそこで途切れた。
 さてと、と、八雲は、契約者たちが集まっている前方を改めて見やった。
 魔道書達はこちらの言葉に耳を貸しているのかいないのか、説得は進んでいない。しかし、空間開放には一人の人間の生死がかかっている。その倒れた彼は、同胞である強化人間が命を懸けて守ったと聞いている。何としても成功させなくてはならないと、意気込む八雲だった。

 同じ頃、永夜も金の枝の効力に気付いていた。
 現れた、枝を持った幻影を、クライファーが【空捕えのツタ】で拘束し、永夜の【サイドワインダー】で攻撃、その時に一瞬影の手から枝が離れたのを見逃さず、すかさず奪い取る。枝を奪された影は霧消した。それを持ったまま歩いていると、金の枝を持つ影が、持たない影同様に、自分たちを無視して通り過ぎていくことが分かったのだ。
「これを持つと戦闘を避けられるんなら、きっと鷹勢の助けになるな」
 永夜は金の枝を眺めて呟いた。
「そのためにはまず当人を探さねばのう」
 クライファーに言われて、永夜は頷き、霧深い森の奥へと歩みを進めていった。


 霧の森の中にいるのは、契約者と幻影だけではない。企みを抱える魔導師集団『石の学派』のメンバーもまた、出口を求めて彷徨っている。
 彼らにとって、自分たちの悪行を白日の下に晒し出すであろう契約者たちは邪魔者でしかない。
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)の足元には、黒いフードを着た二人の男が転がっていた。どこかふらりとした足取りで一人、霧の中の細い径を行く彼が、さほど強いようにも見えなかったのだろうか。しかし、【ディテクトエビル】【大帝の目】で警戒していたグラキエスの死角を突くことは出来なかった。非契約者ゆえ攻撃魔法を用いて二人がかりでも力の差を覆すことはできず、あっという間もなく【クライオクラズム】で打ちのめされて意識を失して地に伏した。
 グラキエスの心を苛む恐れは、敵への恐怖ではない。恐れは己に向いている。身に宿す狂った魔力を抑えるため、そのヒントとなるやもしれぬ知識を収めた書物が――その存在も噂でしかないが――この忘れられた書庫に存在するかもしれないと考え、その捜索のためにもこの件を片付ける手助けをしようと、この幻想の森に入ったのだ。
 だが。
(思ったより魔力が混在している。影響が出る前に、事を済ませなければ)
 企みとそれが招く諍いが霧の中に満ちていき、空気の中に不穏なものが混じっていく。力量の差はあれ、敵は魔法を操るプロたる魔導師だ。戦い続け、様々な種類の魔力に晒され続ければ、己を蝕む魔力に弱った体に悪影響が出る。支えきれなくなった己が最悪暴走すれば、どうなるか分からない。
(キース)
 書庫入口で別れたパートナーのキース――ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)を思い出す。自分一人で行かせることに、ひどく心配そうな表情をしていた。しかし、誰かが外部にいて、必ずこの出口のない空間を開放しなくてはならないのだから、同行を諦めてその代り、必ず魔道書達を説得すると彼は決意したのだ。
 『石の学派』の魔導師たちを倒す。そうすることで魔道書達の不安の種を除く、そのことを材料に、魔道書を説得してくれと、別れ際彼に頼んだ。
 今、彼は、そのために頑張ってくれているはずだ。だから自分も進まねばならない。グラキエスは倒れた魔導師達を残し、霧の中へと歩き出す。


 地下書庫入口。
 未だ姿も反応も見せぬ魔道書たちを相手に、説得役はたびたび交代する。
 パートナーの身を案じるロアも、その一端を担った。グラキエスが閉ざされた幻想空間で魔力暴走により破滅へと向かうという最悪の結末を見たくないという強い思いで、懸命に説得したが、未だ魔道書からの応えはない。
「……説得?」
 だが、禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)は、フンと冷たく鼻を鳴らす。
「私は中の書庫で本を読みたいだけだなのでな、彼らの意志をどうこうしようというつもりはないわ。
あぁだが、必要なら“人間の排除”を協力してやるぞ? 空間を開放すれば、ここに入ろうとする人間どもを、長く苦しめながら殺してやろう。
どうした? 貴様等が憎んでいる人間を嬲り殺してやるのだぞ? 不満か?
それとも自分達の手で、積年の恨みを晴らしたいか? ならば魔力を貸してやっても構わんが」

「……まぁ、こんなことになるような気はしてたがな」
 佐野 和輝(さの・かずき)は、背後から他の契約者が自分のパートナーに注ぐ視線を感じながら、ぼそりと呟いた。
 そもそもダンタリオンは、人命救助に協力するような柄ではないことは分かっている。それでも珍しく自主的に動いた彼女に付き添う形でここまで来て、彼女に説得を任せたのは、「人間嫌い」の魔道書の説得役は、その人間よりは少なくとも同じ魔道書の方がいいと思ったからだ。
「……ねえ和輝、大丈夫なのかな、この空気」
 契約者たちが多いせいか、持ち前の人見知りが出て和輝の後ろに隠れるように引っ込んでいたアニス・パラス(あにす・ぱらす)が、おずおずと尋ねる。
「大丈夫だろ。多少切り口は物騒だが」
「他の人にリオンの邪魔させないように、【殺気看破】しといたほうがいいよね?」
「あぁ、そっちの心配か」
「念のために【稲妻の札】も用意するね?」
 ぼそぼそ喋る二人をよそに、ダンタリオンは、いきなりくわっと大声を上げた。
「はあぁあ、この青二才め! 人間というたかが一種族に不当に扱われたくらいで、見苦しく捻くれおって……憎むのに疲れた奴は、私の所へ来い! 面倒をみてやるわ!!」

(「えええ、引き取っちゃうの……?」)
(「あいつ、うちの書庫勝手に使う気か? まぁ別にいいけど……」)
 徐々に説得に(相変わらず上からの物言いだが)熱を帯びていったパートナーの姿と、それでも応えのない魔道書達の潜む虚空を見ながら、さてこの先どうなるのやらと、和輝は黙って考える。