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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

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第3章 南へ奔る

 シャンバラの大荒野に、幾筋もの風が奔る。
 空京方向に向かって南下する一群。それは、杠 鷹勢を搬送するダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の『小型飛空艇アルバトロス』と、それを外敵の襲撃から守るために並走する飛空艇などの一団である。
「巨大翼竜の影が、近づいている……」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は、その言葉とともに、『宮殿用飛行翼』を使って飛び立った。風を捕えて滑空する影が大きく、草のないシャンバラ大荒野の茶けた大地に黒く落ちる。北都は【超感覚】によって、一団の背後から追うように迫ってくるそれが、肉眼で確認できるよりも早くその存在を察知していた。
『何頭くらいいる? 一頭だけ?』
 HCでその情報を受け取った、アルバトロスを操縦するルカルカからの返事に、
「一頭だけみたいだね。他に上空には怪しい影はないから、戦いながらできるだけ予定ルートから東に逸れるよう誘導するよ。万が一飛空艇の上に落っこちてこられたら敵わないしね」
『ありがとう。お願いするけど、気を付けて!』
「大丈夫、ありがとう」
 予断を許さないパートナーロストの怪我人を搬送する飛行艇のスピードが緩められないよう、露払いを完璧にこなす覚悟で、風の強くなる情景の風景を見やる。
「うーん、思ったより強風だな、煽られそう……悪天候の兆しは、今のところないけどね、幸い」
「【風術】で風を変えましょうか?」
 パートナーの守護天使・クナイ・アヤシ(くない・あやし)が、北都に寄り添うように飛翔しながら訊いた。
「そうだね。翼竜は風に乗ってくるから、こっちへ向かってくる風を乱して、軌道を変えて飛行艇のルートから逸らせるかな?」
「やってみましょう。少なくとも、向こうの気を散じる助けにはなるでしょう」
 風の唸りが、耳にごうごうと強くなる。それに恐竜の咆哮が混じっていることに気付く頃、こちらに向けて巨大な翼を広げて接近する翼竜の影がはっきり見えた。
「行きますよ!」
 クナイの風術が、翼竜を運んでくる強風と激突し、やがて新たな気流を生んでいく。巨大な影と二つの人影が、荒波のように狂い乱れる気流の一つを掴んで、飛空艇の行くルートから外れて空中戦を展開する。
「とどめを刺す必要はない。戦闘不能にできれば」
 戦意を削ぐように、大空に帆かけるその翼を破るよう放たれる北都の【サイドワインダー】に、翼竜は怒りのような苦悶のような声を、大きな口から吐き出す。それは荒野の地平に響きながら落ちていく。

 アルバトロス内では、操縦席にルカルカが座り、後部席に寝かされた鷹勢の容態をダリルと蓮見 朱里(はすみ・しゅり)が診ていた。
「安定して……きたか。取り敢えずは」
 医師でもあるダリルの手で、鷹勢が戦闘で負った外傷には、施せるだけの処置が施されていた。毛布で体温低下を防ぎ、携帯型の酸素吸入器で呼吸を補助もしている。
「意識が回復してくれれば……」
 朱里は、生気のない鷹勢の顔を見下ろして、労しげに呟いた。意識の回復は、異世界に迷い込んだ精神の解放にかかっている。そちらに当たっている契約者たちの仕事を信じるしかなかった。
(……でも、意識が戻れば、違う苦しみも待ってるんだよね)
 パートナーロストのダメージは心身に及ぶ。
 近しい人間が亡くなるという経験は、契約者であろうとなかろうと、とても辛い、悲しいものだ。それに、契約者が追う宿命としてのロストのダメージが追い打ちをかけるとは、どれほど辛いことだろう。心と体は繋がっている。両方から打ちのめされて、消えない悲しみも抱えてしまって、その回復の道のりはどんなに困難だろうと、思うと胸が痛くなる。
 それでも、と、朱里は思う。
 生きてさえいれば、きっと希望は蘇ると。絶望的な苦しみ哀しみを、乗り越えた先にはきっと明るい日も来ると。負けないで、彼にはそこに辿りついてほしい。
(だから、必ず助ける……!)
 飛空艇が切る風の音を艇内から聞きながら、朱里は決意を新たにするのだった。
 一方、ルカルカは積載通信機を使って、大荒野の外で待機しているという緊急救助隊と連絡を取っていた。
「今のところ、南の方で悪天候は確認されてないって。どこで患者を引き取ればいいかって訊いてきたけど」
「向こうがどんな輸送設備を準備しているのかは知らんが、今の患者の状態では乗り換えに費やす時間と手間が大きなロスになる。このまま病院に直行する方がいい」
 ダリルが断言し、ルカルカはそれを通信機で伝え、返ってきた言葉をまたダリルに伝える。
「了解してくれたよ。今度は、何か必要な医療機器はあるか、って訊いてきてる」
 ダリルは鷹勢の様子に素早く目を走らせ、必要な言葉を淡々と口にする。
 ルカルカと朱里の熱意、ダリルの冷静さ。それらが満ちた同じ空間で、生死の境をさまよう鷹勢。
 それらを内包し、飛行艇は救いの方向へと空をひた走っていく。同じ思いの仲間たちに守られつつ。


 一刻も早い空間開放が望まれる地下書庫だが、エリザベートや契約者たちの言葉にも、まだ魔道書からの返事はない。
「何が不満なんですかぁっ! 魔道書ども出てくるですぅぅぅぅ!! こっちは結構な礼を尽くしてますぅぅぅっ!!」
 いい加減しびれを切らして、エリザベートが喚きだす。
「……まぁ、それはこっちの言い分でしかないんだろうけどな」
 彼女の暴れようを横目で見つつ、御宮 裕樹(おみや・ゆうき)は些か困ったような表情で頭を掻く。
「説得……か」
 しかし、人嫌いの魔道書たちの気持ちも、察しがつかぬわけではない。
「ここに流れ着くまでに、いろんな目に遭ったんだろ。それで行き着いた場所が、こんな忘れ去られた地下で」
 迫害、虐待。そんな歴史を辿った末に人間を憎むようになった魔道書たちの気持ちを無視して、人を恨むな、こっちの言うことを聞け、だなどと高飛車に言いつける気には、裕樹はどうしてもなれなかった。
「……それでも、俺らはあんたらに、結界を解いてもらいたいと思っている。まぁ、あのロストしたヤツの精神を保護したいっていう、こっちの要望があるのは否定しないけど」
 相手のことを思いやると、こっちに都合のいいだけの言葉も、取ってつけたような同情の言葉も出てこない。だから、裕樹は考えて、嘘のない言葉を朴訥に紡ぐ。
「はっきり言ってしまえば、今お前らがやってる事は、ただの先延ばしにしかならんだろ。相手は十何人もの魔導師だ。他のヤツらも言ってるけど、そいつらが力づくで異空間の結界を破ってきちまえば、犧牲になるのはお前らだ。
 俺は、それは納得が行かない。
 お前らが空間を開放すれば、ここにいる奴らも皆で、お前らんとこに土足で踏み入る石のなんちゃらを潰してやれる、と思う。お前らが不当に傷つけられる前に」
 そうして祐樹は、答えのない中空を見る。
「信じろとは言わんよ、そこまで傲慢じゃない。後は、お前らの意思で決めてくれ」
 打算も虚言も口にしてまで、説得は出来ない。だから、それ以上は言うことがなかった。


「パラミタハイエナの群れが接近していますね」
 エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)は、鷹勢を搬送する飛行艇と、【死骸翼「シャンタク」】で距離を置いて並走しながら呟いた。隣ではパートナーの重量型の機晶姫・アーマード レッド(あーまーど・れっど)も同じく疾走している。飛空艇から少し遅れる形で走っているのは速力で劣るからではなく、後方遠距離からの魔獣やモンスターの襲撃により早く対応するためである。
 冷えた視線の先には遠ざかっていく地平線、その向こうから上がる砂煙が微かに見えた。相当数の獣たちがこちらに向かって押し寄せてくる徴だった。
「やれやれ。ハイエナだけで済めばいいんですけどね」
 そう呟きながら、大して大仕事だとは思っていない様子が、声に現れていた。異形化している自己の体を保持することに比べれば、大量の猛獣の駆逐など難問とも感じなくなっているのかもしれない。
「あまり量が多いなら【クライオクラズム】ですかね。【カタストロフィ】を使うまでもないでしょう」
 あたかも、食材を前にどう調理するかを考えているかのような口ぶりで、エッツェルは緩やかに空中で体を反転させ、後ろから追撃してくる魔獣の群れに向かって宙を疾走していった。
 程なく、地平線に見えていたよりもっと大規模な砂煙と獣たちの断末魔の声とが、荒野に弾けて広がることになる。