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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

リアクション

第7章 牙むく大荒野

 すでにアトラスの傷跡ははるか後方に飛び去った。
 シャンバラ大荒野の上に、もはや青空はない。地平の果てから沸き起こる不穏な色の雲、そしてそれすらも慌ただしく吹き飛ばす強風で、慌ただしく色が変わる。
「獣たちの数が減りましたね」
 エッツェル・アザトースは、地平の果てを見ながら呟いた。
「……雑魚が消え、大物が登場する予兆でしょうかね……」

「ドラゴンの影!」
 鷹勢を搬送する小型飛空艇アルバトロスの隣を伴走していた【小型飛行艇ヘリファルテ】を操縦するアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が殺気看破によってその影を感知し、HCで他の伴走する契約者たちに伝えた。
 横腹を煽るように吹きつける強風で、飛空艇は操縦にも非常な注意が必要な状態になっている。
「ウィンディドラゴンだな。風に乗ってくる奴だ。体がデカい割に軽いから、動きは意外に素早い。まともにやり合うとちと厄介かもな」
 飛空艇から身を乗り出したカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が、風の唸る空を見上げて呟く。カルキノスと夏侯 淵(かこう・えん)の乗るアルバトロスは、やはり鷹勢の乗せられた飛空艇と伴走していて、アインのヘリファルテとはこの飛空艇を挟んで逆側にある。つまりこの二艇で、怪我人搬送のアルバトロスの両脇をガードしている形だ。
 強風はヘリファルテの在る側から吹きつけていて、ウィンディドラゴンが飛んでくるのもそちら側からのようだ。
「あたしたちが行くわ!」
 風を切って高い声がして、見ると一艇の小型飛空艇が風に抗うように高度を上げていく。セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が乗る小型飛空艇だ。
「僕も援護します。相手はドラゴン、引きつけ役も必要でしょうから」
 アインがそう言い、速力で通常の小型飛空艇に勝るヘリファルテの速度を上げ、セレンフィリティ達を追って搬送の一団から離れた。
「状況次第で、俺も出るか。相手がドラゴンとあっちゃあな」
 空を見上げながら、カルキノスが呟く。

 風吹きすさぶ空が戦場となる。負けた者は落ちるバトルフィールドだ。
「近づきすぎたら危ないわ、翼に掠るだけでも立て直せなくなるかもしれない」
 セレアナが操縦し、セレンフィリティが銃撃する。
「近づかなくてもいいから、アルバトロスからできるだけ引き離したいわね。負傷者の搬送を遅らせたくないもの」
 普段通りのビキニにロングコートという出で立ちではあるが、二挺の『マシンピストル』を構え、【血と鉄】で集中しているセレンフィリティの様子は真剣そのものだった。
「翼を狙うわ。飛行不能に持ち込む!」
 頭部は、今の位置からでは狙いにくく、まだ硬い頸部の鱗に阻まれる。飛翔力をもぐべく、翼の付け根を狙った。最悪逸れても、翼に穴が開けば、風を捕えて自在に飛ぶことが不自由になる。
 セレンフィリティの狙いを乗せて巨体に吸い込まれていった二発の銃弾は、ウィンディドラゴンの苦悶の咆哮を誘った。長い首がのけぞる。そこをさらに追撃。だが、負傷の痛みからかその巨体が空中で大きくもがきだし、無規律な暴風が生まれる。飛空艇は危うく煽られかけた。
「離れるわよ!」
 間一髪、セレアナは飛空艇をドラゴンから遠ざけ、何とか空の上でひっくり返らずに済んだ。だが、ドラゴンは飛空艇に気付き、長い爪を持つ腕を振り上げる。
「!」
 セレアナの【光術】で、一瞬ドラゴンの目が眩み、爪は徒に宙を斬った。そこに、アインの飛空艇が急接近し、素早く離脱する。それを繰り返して、ドラゴンの意識をそちらに奪った。
「やっぱり、頭を狙うしかないか……」
 セレンフィリティは呟いて、間違いのない必中の一撃を狙うべく再び集中する。――今の目的は緊急搬送であり、ドラゴンを仕留めることではない。だが、中途半端に怪我を負わせても追い払えないのなら、戦い続けるしかなくなる。飛空艇の飛行を危うくするような風を起こすドラゴンを、搬送の一団に近付けてはならない。
 【封印解凍】で己の能力を開放し、【スナイプ】で、セレンフィリティはアインの飛空艇を追おうとするドラゴンの側頭部を銃撃した。吹きすさぶ風の音を、銃声が一瞬、割った。
 ドラゴンの翼が一瞬、動きを止める。次の瞬間、がくんと急激に高度を落とした。広げた翼に掠らないよう、慌てて飛空艇を翻したのがきわどいところで間に合った。
 ドラゴンはだいぶ、低いところまで落ちたが、呻きのような声を漏らしながらそれでもまだ、翼を広げて風を掴もうとしていた。セレンフィリティが封印解凍の反動で息を切らしながら、もう一度銃を構えようとした時、
「もう十分だ、これ以上は奴は来ない」
 声がした。見ると、飛空艇より少し高いところに、自前の翼で飛ぶカルキノスの姿があった。戦況を見に来たらしかった。
「もうこの高さまで上がってはこられんだろう。片翼の先を負傷していたようだからな」
「負傷?」
「ここに来るより前の傷だった。片翼と、ちらりと見えただけだが左の目の下も。戦ってできた傷だな」
 それはセレンフィリティの負わせた傷ではない。カルキノスはそれを心得ていて、続けた。
「鷹勢にはドラゴンの爪痕のような傷があった。あいつが鷹勢と――彼のパートナーを襲ったのかもしれん」
 ハッと、セレンフィリティは、飛空艇よりはるかに低いところにあるドラゴンの背を見たカルキノスの言葉通り、ウィンディドラゴンはもうこちらに向かって来ようとはせず、低空をまるで節足動物のようなていで蠢きながら、這う這うの体でどこかへ遠ざかっていこうとしていた。
 撃退に成功したのだ。
「――戻って、合流しましょう」
 じっと、ドラゴンの背に視線を据えて唇を固くしているセレンフィリティに声をかけ、セレアナは返答を待たず、搬送団の方に向かって飛空艇を反転させる。セレンフィリティが何を想っているのかは分かっていた。鷹勢の運命――パートナーロストは、契約者であれば誰もが背中合わせの運命。他人事ではない。それが恋人同士である自分たちにとっては、尚更のことだ、と。
「一刻も早く彼を搬送しましょう。これ以上死なせないために」
「……そうね」

「空が……嵐が、来そうですね」
 アルバトロスと共に荒野を走る飛空艇の一艇に、ロレンツォ・バルトーリ(ろれんつぉ・ばるとーり)アリアンナ・コッソット(ありあんな・こっそっと)の搭乗するものがあった。不穏な空を見上げ、ロレンツォが呟く。
「ということは、まだ小型結界装置は働いていないんですね」
「そうね」
 アルバトロスの中で寝かされている鷹勢の元には、ルカルカ達が用意した小型結界装置が用意され、まだ有効になっていない今も作動していることは、ロレンツォ達も聞いている。すでに作動させているのは、有効になったその瞬間から働くようにさせるためだと。一刻一瞬を惜しまねばならないほど、鷹勢の容態は予断を許さないのだ。
「魔道書の誰かが彼と契約してくれれば……パラミタ大陸が彼の敵になる、という事態は解消するはずなんだけど……」
 アリアンナがため息とともに呟く。この状況下で、大陸の異物排除的反応の標的から鷹勢を外すには、再び「契約者」になること、つまり新たなパートナーを得ることが、一番手っ取り早い解決法ではあるのだ。そしてそのパートナーに、人間に対して心を閉ざし、外部に絆を見いだせない魔道書の誰かがなるのだったら、それは双方にとって良いことではないかと、彼女は思うのだった。
 そのために地下書庫にいる仲間たちが働いていることは分かっているが、魔道書がほぼだんまりなためにその交渉が現在見込み薄であることまでは知る由もない。それでも仲間を信じ、そして彼のために自分たちのできることを精いっぱいやるしかないのだと、彼女も、そしてロレンツォも固く心に決めている。
「大陸が敵になる……本当に、そうですね……恐ろしいことです」
 存在することを世界に認められない、というのが具体的な形を取ると、ここまでの苦難になるのかと、ロレンツォはその事実を重々しく再確認する。しかし、決して自分たちは諦めてはいけない。彼の、落命したパートナーのことを思う。彼女の心は、今も彼を見守っているだろうと。
「彼女に代わり、私たちは彼を守らなければね」
 ロレンツォの言葉に、アリアンナも頷いた。

「竜巻だ!」
 地平線の向こうから、黒い柱がゆらゆらと揺らぎながら、こちらに向かって少しずつ近づいてくる。茶色い地表の岩や土を高く巻き上げながら。
 自然現象でありながら、確実にこちらに向かってくるそれは、大陸にとって存在を許されないものを断固排除しようという世界の意志を宿しているようにも見える。
「近づく前に、周辺大気ごと吹き飛ばしましょう。……一応、強風には備えておいてください」
 飛空艇近くを飛行していたエッツェルはそう言って、アーマード レッドに、ミサイルの斉射を指示した。
「任務了解……」
 アーマード レッドは、強力なブースターを全開で、竜巻を射程圏内に捕えるまで猛ダッシュで接近する。近づくにつれ、暴雨風と吹き上げられる砂煙が彼を襲うが、【パスファインダー】でものともしない。
「標的確認……斉射シマス」
 狂暴に渦巻く風の柱にに向け、装備した全ミサイルをもって斉射した。
 ドオオオン、と、大気と大地が揺れる。空間が歪んだのではないかという衝撃が起こる。
 数瞬遅れて、強風が飛空艇の一群を襲う。それぞれの操縦士たちが巧みに操り、なんとかやり過ごした。
 アーマード レッドが戻ってくる。その向こうに、渦巻く柱はもうなかった。

 しかし、空の色はますます荒れていく。大陸の異物を庇う者たちに憤怒するように。

 広がってきた黒雲の中に、閃光が走った。
「雷……?」
 アルバトロスを操縦しながら、それを確認したルカルカはぎょっとして呟く。落雷。それに飛行艇が襲われればひとたまりもない。
 だいぶ荒野を南下してきた。出発前に聞いたエリザベートの推測では、シャンバラ大荒野を出れば、魔道書達が作る結界の力場の作用の影響も相当減じるだろうから、小型結界装置も正常に作動できるのではないかということだった。あと少しなのに。だが、無理に今のままの高度で進み、さらに速度を上げようとしても、雷を受ければ元も子もない。
『俺が【雲海従術】で消してみよう』
 もう一艇のアルバトロスに搭乗する夏侯 淵が、通信機越しにルカルカに提案してきた。
「頼むね、淵!」
『任せろ。だが念のため、注意だけはしておいてくれ』
 言葉では一応そう注意を促しながらも、決して雷の直撃を飛空艇に受けさせまいと心を固め、淵は、闘気で不穏な黒雲の操作を始めた。――
 見えない力で戦い、抗いながら、雲と気との闘争はしばらく続いた。

 やがて黒雲は去り、飛行艇の一団は、大荒野の最南部を突っ切っていった。