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魔の山へ飛べ

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   九

 ザザザザ――。
 風音と共に走り抜けていたそれは、不意に立ち止まった。
「今、なんか聞こえたか……?」
 柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)は小声で尋ねたが、無論、「影に潜むもの」たちは答えない。
 恭也は一人で行動していた。「神さま」の話を聞いたとき、真っ先に浮かんだのがミシャグジとの関わりだ。願いを叶える「神」など、胡散臭いことこの上ない。だが、考えてみればミシャグジも神と言えないこともない。この二つに関わりがあるかどうか――。
「ま、捕まえてみれば分かることだよな」
 そう、恭也は「神さま」を捕獲するつもりだったのだ。
 ちなみに今聞こえたのは、ろくろ首に襲われた平太の叫び声だったのだが、そんなこととは露知らず。――そもそも恭也は、平太が「神さま」に会うため登山していることすら、全然知らなかったりする。
「よし、行くか」
 恭也は再び、千里走りの術で駆け出した。が、数分後、足元が急に崩れた。
「なっ――!?」
 咄嗟にワイヤークローを伸ばした。どこかに引っ掛かったのが分かったが、宙吊りだ。恭也はほっと息をついて、下を見た。サラサラという音が聞こえた。
【ホークアイ】で視力は良くなるが、夜目が利くわけではない。だから、進行方向が流砂になっていることに、気づかなかった。
「妖怪か……?」
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
「え!?」
 突然、恭也の体がぐんっ、と持ち上がった。恭也は義眼【アドラステア】で、頭上を睨み、相手を捉えた。
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
「――ん? って、あれ? どっかで見たっけ?」
 アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)のパートナー、ぬりかべ お父さん(ぬりかべ・おとうさん)が、ワイヤークローを引っ張り上げていた。
 愛する妻や娘に別れを告げ、出稼ぎに出てから幾年月……。ぬりかべ お父さんは、妖怪たちとの戦いでは心を痛めたものの、その後はどうにか関係が良好と聞き、安堵していた。
 ところがゴールデンウィークを利用して里帰りをしてみれば、再び妖怪たちと人間が争っているではないか。この流砂も、ある妖怪が人間を捕え、食うための罠だった。それを先回りして水をぶっかけ、使えなくしたのだ。
 同じ妖怪である自分が同行すれば、他の連中も手出ししにくくなるだろう。一緒に行こう、とお父さんは目で訴えた。
 しかし。
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
「何言ってるか分からねえよ!!」
 意思の疎通を図るのに、そこから三時間を要したという……。


 戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)は、実は平太たち一行の後をこっそりつけていた。
 彼らが歩けば歩き、走れば走り、休むときも同じタイミングで休んだ。
 おかげでろくろ首に平太たちが襲われたときも一緒に逃げ惑い、結果、一人だけ迷子になった。
「しまったああ!!」
 周囲を見回すが、誰一人として見つけられない。どうやら完全にはぐれたようだ。平太たちは小次郎の存在を知らないから、無論、探してくれるはずもない。
「落ち着け落ち着け。あいつらは上に行ったんだからして……」
 一人であろうが、することは変わらない。小次郎はとにかく上を目指すことにした。「神さま」に会って、「世界の美女のおっぱいが揉めますように」と願うために。
 周囲はまだ暗く、視界は狭い。小次郎は一歩一歩を踏み締めがら、ひたすら歩いた。汗を掻き、それが首筋や背中に流れた。風が吹くと、凍りつくように寒かった。
「初夏とはいえ、山はまだ寒いんだな……」
と小次郎は一人呟き、はて、と首を傾げた。
 つい先程まで、暑いぐらいだった。歩いて体温も上がった。そこに涼しい風が吹けば、寒いのも当然だ。だが、いくら夜だからといって急激に下がり過ぎだ。目の前で吹く風には白い物すら混ざっている。
「――え?」
 雪? いや、まさか。花だろう。小さな花――それとも虫か?
 小次郎はあらゆる可能性を考え、それが自分の頬に張り付いたところで確信した。
 雪である。風は次第に強くなり、小次郎は目を開けていられなくなった。
「そんな、馬鹿な」
 小次郎は地面に手を突き、薄目を開けて前方を注意した。白い影が近づいてくる。
 長い髪、白い着物――漁火かと思ったが、違った。彼女とはまた違ったタイプの美女である。
「苦労しているわね」
 女は音もなく小次郎の前までやってくると、彼の顎を持ち上げた。掴まれた部分が、凍りそうなほどに冷たい。
「……もしや、雪女さん、ですか?」
「ええ」
 小次郎の記憶が確かならば、雪女は人間とは敵対していないはずだった。とはいえ、雪女にも種類がいるだろうから、油断は出来ない。そこで小次郎は、敵か味方かを判断するためにこう切り出した。
「あなたが敵でないのなら、私に胸を揉ませて下さい」
「……敵なら?」
「実力で揉みます!」
 雪女はしばし呆気に取られていたが、やがてケラケラと笑いだした。
「面白い人間ね。いいわ、揉みなさい」
「本当ですか!?」
 小次郎は吹雪にもめげず、雪女の前まで進むと、彼女の胸に手を当てた。
 むに。
 小ぶりであるが、まあ揉み心地は悪くない。着物の上からなのではっきりとは言えないが、形も悪くないだろう。
「揉ませてあげたんだから、私の願いも聞いてもらえるかしら?」
「何でしょう?」
「そこで凍りついていてちょうだい」
 小次郎の目の前が真っ白になった。――かと思うと、彼の体は頭を除き、完全に凍りついてしまった。
「願いを叶えてあげた上、殺さないんだから感謝しなさい。運が良ければ、仲間が助けてくれるでしょう」
「う、運が悪ければ……?」
 ガタガタ震えながら、小次郎は尋ねた。
「――喰われるかもしれないわね」
 雪女は笑みを残し、小次郎の前から消えた。小次郎は幸せなのか不幸なのか分からぬまま四時間後、恭也とぬりかべ お父さんに助け出されたという。そして彼は、こう証言した。
「確かに願いは叶いました。ほんのちょっとですけど!」
と。