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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

リアクション

 植物を愛する優雅な青年、そんな印象を周囲に振りまいているエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は今、皆が彼に抱いているイメージからかけ離れた格好で、そこに潜んでいる。
 迷彩状態で木陰に潜み、ジゼルを守ろうと武器を構えた状態だ。『万が一の派手なドンパチ』と彼が予想し備えていた事態が今起ころうとしている。
(彼女の邪魔はさせない!)
 そう思うエースは一見フェミニストと思われているが、実際女性であろうと『常識的に逸脱している人は諌めるべき』であると思っていた。
 だから彼の中で『常識的に逸脱している』と判定したミリツァは、彼が『諌める』。それが彼の信じる正義だった。
「ミリツァって偏執症っぽいけれど、兄の事が好きって訳じゃなくて、実体は「兄にも愛される私の事が大好き」というただの偏狭性自己愛の塊なだけなんじゃないかと。
 自分以外(相手)の事何も考えていないよね」
 そう言って捨てるエースに、ターニャは答えない。
 彼女が子供の頃父の口から殆ど出て来なかった母の話と違って、ミリツァのエピソードは何度も聞いた事があった。その幾つかは確かにエキセントリックだったが、果たしてそれだけの情報で彼女をただの自己愛の塊と判断して良いのだろうか。
 父の話は何時だって『詳しい部分』は上手にはぐらかされていたが、そういうものは大人になれば『大体分かる』。
 本来なら一つぐらい聞いていてもいいだろう祖父と祖母の話が全く出て来ないこと、その変わりに妹の思い出ばかり出てくる理由は恐らく、父にとってたった一人の妹が世界の全てであったのだろうという事だ。
 最愛の人との出会いによって妹の死を乗り越えていたターニャの父は、娘に妹との思い出を宝物のように語っていたのだ。
(パーパがあれ程大切に思っていたんだから、パーパはミリツァに愛されてたって自覚があるんだろ。
 自己愛の塊? 多分違うな……何なんだろあの人、ジゼルをメンドクサイ状況にしてんのは腹立つんだけど正直よくわかんねぇや。
 まあ……一つ分かるのはミリツァが居ないとパーパが居なくて、つーことは私も此処に居ないって事だよ。なんだこりゃ、功労者として握手でも求めるべきか? 否、大体あの人私の親戚なんだよな。それも初めてっつーか唯一の。その時点でハグでもしとくべきだった? 「初めましてオバサン」とか――、言ったらぶん殴られそうだな、はは、はは)
「聞いてるかい?」
「え、はいはい。えーっとなんでしたっけ?」
「兎も角それを指摘して治る訳でもないから、その偏執性を理解してジゼルに被害が及ばない様にを優先に考えて行動するよ」
(本当ならミリツァは小さい頃から、ちゃんと叱って育てるべきだったと思うけれど。
 他人の子育ての失敗の尻拭いをするほどサービス精神に溢れていないので、遠慮願いたい)
「あー……はあ。そうで、すね」
 曖昧な返事をしていたターニャは本当にぼんやりしていた為、後ろを取られている事に気がつかなかった。
「ッ――――!!」
 身体を抑え込んでくる腕の上に瞬時にナイフを突き立てようとして、ターニャは後ろにいるのがセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)、そしてセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)だと気付き刃を下ろす。
「なんだ。セレンさんにセレアナさん……、ビビらせないで下さいよ」
「ビビったのはこっち、今のチェマビャーなんとかって……何?」
「ああ……、何のようですかって意味です」
 反射的に母国語が出る程に、ターニャは焦っていたらしい。頭を掻きながら微妙な表情でポーチへナイフを納めている。 
「随分怪しいねぇ、何してるのよ?」
 ターニャが二人に会うのは以前蒼空学園で学食メニュー制覇の勝負をして以来だろうか。空京でデートをしていたという二人にかくかくしかじかと説明すれば、セレンフィリティは俄然乗り気になった。
「よっし、その白の教団とやらを排除するわよ!」
 一年の殆どを『女の戦闘服』と豪語する水着で過ごすセレンフィリティが折角カジュアルな服装できめているというのに、今日のデートはこれで中断らしい。
 伸びをするセレンフィリティに、セレアナは溜め息をつくだけで結局ついていくのだ。
「いいんですか? デート」
「いいのよ、何時もの事」
 驚きか呆れか良く分からないが丸い目でこちらを見てくるターニャに困った笑顔で返して、セレアナは早速準備へ入った。
 精神を集中し、空間の認識能力を高めながら、不審者がジゼルに迫ってくるのを監視する。
「取り敢えず今の話に出た連中は追いかけてはきていないみたいね。
 どうする?」
「うん、パラミアンに行きましょう。
 向こうは多分、任せておいて大丈夫です」
 ターニャの確信めいた表情に、セレンフィリティとセレアナは頷いて歩き出した。

* * *

「ミリツァ様は家族と一緒にいたいんです。
 俺もその気持ちわかるから、絶対ミリツァ様を守ります!
 それにミリツァ様を守りきれたら、かつみさんも俺のこと認めてくれますよね……」
 ゆらりと風に揺れる木の葉のように動いたナオから、強力な念力の嵐が荒れ狂う。その後ろには数名の白の教団のものたちが居る。それに相対しているのはかつみを含む複数の契約者達だ。乱戦になりつつあったが、縁らによって予めナオがくると予想出来た為キアラの誘導が入り一般人を巻き込まない場所へ戦いを持ち込む事が出来た。
「ナオ! 帰ってくるんだ!」
「イヤです。だってかつみさん、戦いになると一人で行っちゃいますよね、
 俺の力は必要ないって事ですよね……!!」
「……っ……なんだこれ、何時ものナオと比べ物にならない!」
 両足を踏ん張りながらナオの放つ衝撃を受け止め、耐えるかつみ。
 彼が疑問に思っている通り、精神の不安定さから普段その力の全てを発揮しきれていないナオが、今完全に解放されようとしている。
『――あなたの寂しい気持ち、よく分かるわ』
 ミリツァはナオにそう言ってくれた。
『大切に思っている人に、信じて貰えない。それはとても辛い事……』
 人を操る為の方便では無い。兄から疑いの眼差しを向けられていると分かっているミリツァだからこその真に迫る言葉だ。
 兄に嘘をつくミリツァ、洗脳されかつみを裏切ることになってしまったナオ、二つの『罪悪感』が感応するように混じり合う。
『全ては私が起こした事。だからナオ、あなたは気にしなくて良い。あなたに罪悪感は要らない。
 あなたの痛み、このミリツァが受け止めましょう。
 悲しい気持ちは捨てなさい、思いは全て私に預けなさい。
 私の駒になって解放されたまま、苦悩と闘うのよ』
 ミリツァの言葉の一つひとつを思い出す度にナオの瞳からは涙が溢れてくる。これは自分のものなのか、彼女のものなのかナオには分からない。
 感情は滅茶苦茶だ。だがただもうひたすらに闘わなければならない。ミリツァがそれを望み、ナオもそれを望んだのだ。
 かつみに気持ちをぶつけたい、分かって貰いたい、手を取ってくれたミリツァのようにこの気持ちを分かち合いたいのに――!
 吹き荒れる炎がナオの気持ちを現すかのように、かつみ達を包んで行く。
「……熱い……!」
「琴乃!」
 妻を庇おうと反射的に飛び出そうとした託の手を、琴乃が掴んだ。
「いけない託。今は私達が出る時じゃないよ」
 琴乃に制されて、託は息を吐き出す。
「……そうだね、今は彼が頑張らなきゃならない、か」
 託と琴乃はかつみを信じ、手を繋ぎ見守ると決める。
「かつみ! このままだと元に戻った時のショックが心配だ……少々力づくでも元に戻さないと!」
 他人を傷つけるのを嫌うナオの心を慮って、エドゥアルトがかつみに叫ぶ。
「分かってる、でも――!!」
 返しながらエドゥアルトたちの前に立つかつみに、ノーンの叱咤が飛んだ。
「大ばかもの! かばうものが雨とかなら、まだ風邪の心配ぐらいですむが……
 『攻撃』までかばおうとすると身体がいくつあっても足りないぞ!
 何よりみんなが、ナオがお前を心配している事に早く気がつけ!!」
「…………ナオが……!?」
 ノーンの言葉は、混乱の中でかつみの中にストンと落ちてきた。そしてかつみは正面を見据える。
「ミリツァ様! 俺は――俺はッ!!」
 手を差し伸べた理解者へ助けを求めるように叫ぶナオ。
 彼の本当の気持ちを自分は理解していなかったのではないかと、かつみの今冷静に自分の間違えに気がついたような気がする。
 ナオを、皆をちゃんと守らなければならないと思っていた。自分が犠牲になっても。
 いや、自分を犠牲にして守らなければならないと、かつみは思っていたのだ。
「ナオ……そうか、おまえは俺の事心配して…………」
 かつみがそう口に出した瞬間、ナオの双眸からポロポロと涙が溢れていく。
『……闘って、あなたの思いを受け止めて貰うのよ』
 そう言ったミリツァの、真意は何処に有るのだろうか。
 彼女はジゼルを狙えと言ったが、目的は本当にそれだったのだろうか。
 壮太の放ったダガーによって真に解放されたナオは、自ら犯した惨状と溢れ出す感情に悲鳴を上げて泣き続けるのだった。