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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

リアクション

「ゴメンね、待ったよね?」
 無意識に定番の台詞を言うジゼルは、身長差から当然上目遣いになっている。歌菜と羽純、加夜が頭を悩ませて最終的に選んだ水着は、ジゼルの唇と同じコーラルピンクカラーで、少女らしく可愛らしい色だ。
 しかし少しの動きでも首の後ろと背中で結ばれた紐は取れてしまいそうな程細く、そしてボトムの生地が落ちないよう支える大事な部分が一部リングパーツになっているのを見ると、形だけはセクシーなタイプとも言える。可愛さとエロス、どちらも捨てきれずに四人が欲張りで選んだそれに身を包んだジゼルは、見た目だけなら暴力的な攻撃力を誇っている。
 かつてドイツの科学者達が美しい女性の美しい部分を選び取り作った遺伝子の配列は、セイレーンという兵器を完璧な女性に仕立て上げた。そしてジゼルが冠する名は、唯一の完全成功体、最高傑作を意味するパルテノペーなのだ。科学的な理論に基づいて言えば「可愛く無い訳が無い」だった。
(これはイケル!!)
 プラヴダと、彼等と手を組む契約者たちは拳を握る。ジゼルがプールサイドを小走りでやってきた瞬間、そして水着という薄布に包まれた柔らかい胸が上下に揺れるのを見た瞬間に、彼等は戦の勝利を確信したのだ。
 しかし、アレクはまだスパ施設の館内着を着ている。ここでコレという事は、脱ぐ気がないのかもしれない。
[水着じゃない!? まさか保護者に徹する気っスか?]
 ――これはマズい。距離を置いて様子を見ていた歌菜と羽純が顔を見合わせる。
「アレクは服を着たままだ……! このまま脱がずにプールサイドに居ては作戦が失敗する」
「うう、どうしよう羽純くん、これじゃ『今日の私は癒し系☆あなたのお背中流します♪作戦』が上手くいかないよ」
[歌菜ちゃん、羽純くん、ここは暫く様子を見るっスよ。こっちは『カップル風呂で二人っきり!?トキメキ☆ドキドキハート作戦』を前倒しするつもりで練りなおすから、現場は暫くそっちに任せるっス]
「了解です!」
 キアラとの通信を終えて歌菜が視線を再びジゼルたちへと戻すと、一行が最初に行く場所が決まったようだ。露天ゾーンへ向けて既に歩き始めている。
 ワンテンポ遅れているジゼルの背中まで追いついて、羽純は視線は前のまま、声のトーンを極力落とし周りに聞き取られないように注意を払いつつジゼルに助言した。
ガンガン押せ! とりあえず隣行って手を繋げ!
 店員の服を着ている羽純は、そのまま人の波の中へ消えて行く。ジゼルは小さく頷いて覚悟を決め、言われるがままにアレクの横へついた。
 ついさっき柚にも恋人繋ぎというヤツを薦められた。だがその時もそれより前も――、アレクの手はあのイルミンスールの日からミリツァのものになっている。幾ら反対隣が空いているからってそこへ入って両腕を振り回すような真似は出来ない。ジゼルはおばかさんだが、本物のバカじゃなかった。
 手を繋ぐとか、そういう事だけには留まらない話しだ。アレクが居なくなって暫く、始めのうちは泣き出すくらいに混乱していたが、友人達の支えを借りて冷静に物事を見てみれば、今このような状況になっているのは当然の結果だった。
 死んでいた筈の妹が突然現れる。衝撃的過ぎる事態をアレクは何も飲み込めていない様子だったのに、彼を気遣う事無く先に取り乱してしまったのはジゼルだ。ジゼルは嫌われたと思い込んでしまったが、考えてみれば気を遣われていたのだろう。
 傍にあったものが急に無くなる事に寂しさは募っていくが遠慮するしか無い、そうやって一月以上我慢してきたのだ。しかし今、ミリツァはどういう訳か不在だ。羽純の言う通り今がチャンスなのだろう。
 しかし……、手はどうやって繋げばいいんだろうか。
 改めて意識すると分からなくなってしまって、ジゼルは今にも触れ合いそうな距離で手を前にやったり後ろにやったりする事しか出来ない。
「ジゼルちゃん頑張れ!」
「くっ、なんつー……もどかしい……」
 人工の岩陰で歌菜と羽純がヤキモキしながら応援する。と、そんな二人の心が伝わったのか、アレクの方がジゼルの怪しい動きに気がついた。所在無さげな手を取って、何も言わずに歩き続ける。ジゼルは緊張した顔をほにゃりと緩ませた。考えてみれば兄妹として過ごしていた一月前まではこれで普通だったのだと、指から伝う暖かさから思い出したからだ。
「ずっとこうしたかったの……」
 珊瑚の唇から漏れた心の底から嬉しそうな声が通信を通して聞こえるのに、ある者はテーブルを叩き、ある者はバッタンバッタンと音をたてて地面をのたうち転げ回った。

* * *

「ふふっ。今なら自分達の世界にはまり込んでて私達の存在に気づかないんじゃないかしら」
 セレンフィリティはそう笑うが、一応隠密行動は解いていないセレアナとターニャは一緒に首を横に振る。
「見てみなさいよセレン、『世界はまり込んでる』のはジゼルの方だけよ」
 セレアナの指摘通り、一人顔を俯かせたり上げたりと落ち着き無くしているのはジゼルだけで、アレクの方はそうでもない。むしろ濡れたプールサイドを走り回る翠が転ばないかとか、アリスが迷子にならないかとかそういう方に気を取られて、何時もより注意深くなっているのが視線で良く分かった。
「ミリツァが居なくなってもご一行様なのに変わりは無いですからね」
[そこはこっちに任せて下さいっス。
 それより今リースちゃん達から舞花ちゃんリストの連中がそっちに向かったって連絡がきてて――]
 キアラの連絡に、ターニャは顔を上げた。
「あれですね」
[見つけたっスか?
 取り敢えず足止め優先で、派手な行動は避けるっスよ]
「Da」
 キアラとの連絡を切り上げて、通信を行っていなかったセレンフィリティ達にターニャは状況を説明する。
「――そうね、一般人の多い場所でトラブルになるような事だけは避けたいところだわ」
 唯でさえセレアナらは軍人なのだ。規律正しく生活を送らねばならないのに、『パラミアンで暴れていました』なんて評判が立ってしまってはコトだ。
「ふむふむ、おっけー任せて」
 徐に歩き出したセレンフィリティ。ターニャはその行動の大胆さに驚くが、セレアナが大丈夫だと唇に人差し指を当てて見せる。
 セレンフィリティはリストの人物である二人組に近付くと、すれ違いざまに彼等へ向かってサッと何かを撒き掛けた。
「あれ、しびれ粉ですね」
 ターニャの問いにセレアナが頷く。そうしたやり取りの間にセレンフィリティは、動きの遅くなっている二人組に向かって背中から手を伸ばした。
「タイムコントロールか!」
 セレンフィリティのスキルによって老化させられた二人組は元々20代というところだ。30になろうと若い事には変わりは無いが、突然の痺れと急激な肉体の変化に戸惑い身体を上手く動かせないようだ。
「さてと……これで上手くいかなかったら、精神攻撃ね。
 まあ本来はターニャの仲間だし、そこまではしたくないって所だけど」
 帰ってきたセレンフィリティがそう言うのに、ターニャは「ありがとうございます」と微笑んで答えた。
 その様子を斜向いの軽食コーナーで確認しながら、キアラはデータを纏めている。
(入り口は舞香ちゃんが、ここはターニャとお友達がカバーしてる。
 ミリツァが居ない上にロア君の情報撹乱で奴等は暫くはこっちに寄って来れない。まさに今がチャンス!
 見ててお姉様……、これが今の、キアラの全力っス!)
 思わずジゼルに向かって視線を向け、キアラはこれが最後だという気持ちで通信をするのだった。
[ジゼルちゃん、今から言う台詞をそのまま言うっスよ。
 『おにいちゃん、あのね』]
「――のね、ジゼル、二人っきりになれる所にいきたいの」 
 ジゼルの声を聞きながら、キアラは勝利の予感にほくそ笑んだ。
[こりゃあ勝確っスわ]と。

* * *

 露天風呂と内風呂、座敷が用意された個室の貸し切り風呂は、歌菜の手配によって既に準備万端の状態だった。見るからにそれなりの金額と予約が必要そうな場所に疑問を覚えない訳が無いが、今日のアレクはもう深い部分を考えるのを放棄している。
 だから「いらっしゃいませ」と部屋に入ってきた二名の店員の顔が、明らかに見知ったものでも敢えて無視をした。
「サービスドリンクです」
 羽純がテーブルに置いた大きめのグラスは一つ、ささるストローは二つだ。
「仲良くお召し上がり下さいね♪」
 そそくさと部屋を出た歌菜に続いて、羽純も会釈し踵をかえす。
 と、思われた瞬間だった。
 羽純の肩と腕が、ジゼルの背中を押したのだ。この『故意のハプニング』によりジゼルはアレクの方へ倒れ込んだ。羽純の狙い通り抱き合う事になった二人を横目でそれを確認して羽純は扉をそっと締める。
「……さて。ベタだが、ジゼルは水着姿だし、男ならぐっとこない訳はなかろう」
「きゃーっ! ドキドキするね、羽純くんっ♪」
 部屋の外でやり取りする二人に被せて、キアラの通信からだだもれの独り言が飛ぶ。
[こりゃあ勝確っスわ]
 そんな周囲の気持ちは、今のジゼルには伝わらない。口から飛び出しそうになった心臓は今、うるさいくらいになり続けて止まらない。
 大体シチュエーションに拘るのは女性の方であり、その女性である歌菜が作り出した『非日常の密室に二人っきり』に飲まれているのは矢張り女性のジゼルの方だったのである。
 一方男なら悪い気はしないだろうをと仕掛けられたアレクの方だったが、裸に近い姿の女の子が突然腕の中に落ちてくる素敵な事件が起ころうとも、このパラミアンではかつてそれを遥かに上回る事件が起こったのだ。
 あの時は異常な状況と本気を出せる戦いにテンションが振り切っていて気づかなかったが、冷静になってみるとぱんつを被って死ぬかも知れなかったというのは強烈だったなあ、と。そんな風にどうしてもそちらに持って行かれてしまうらしい。
(羽純のばかばかっ! こんなきゅんきゅんするシチュエーションどきどきが止まらないよおっ!)などと一昔も二昔も前の少女漫画の主人公の如き台詞を頭の中で吐き出ながら頬を染めて見上げた顔は、思考も視線も完全に明後日の方に向いていた為、ジゼルは少なからずショックを受けた。
(おおっとこれは……何にも反応無しですか……)
 だがノルマはある。ここで諦めて負ける訳にはいかないのだ。
「お兄ちゃん、お風呂入ろ」というジゼルの提案に、アレクが明後日の方向を向いたまま上着を脱ぐ。その身体に無数の傷があるのを目に入れた瞬間、ジゼルの頭は一気に冷えた。
 ついさっき、「なんでおにーちゃんはおふろ入らないの?」と聞く翠たちに「事務所えぬじーだから」と訳の分からない答えで返していたアレクだったが、思えば服の下の傷跡を子供達から隠す必要があったのだろう。戦いが日常のパラミタにそういうものを持つ人間は少なく無いが、アレクの場合原因が原因なのだ。アリスや玲亜のような幼い子供の前で、そういうものを好き好んで晒す訳が無い。
 全てに気づいた――というか思い出したジゼルは自分のバカさ加減を自覚し、段々と真っ赤に染まっていく。
(私、超バカだわ……。なんでプール行こうなんて言っちゃったの!? イヤに決まってるじゃない!)
 頭を抱えるジゼルに、やっぱり何も考えて無い顔でアレクが声をかける。
「どうした、自分で言ったくせに入らないのか?」
 この次にくる言葉は大体分かっている。「じゃあ帰ろう」だ。それだけは言わせない。 
「入ります!!」勢い湯船に飛び込んで、アレクに頭からお湯を被せた事は無かった事にして、ジゼルは黙ったままこそこそと間合いを詰め出した。
「おおおおおにいちゃん」
「おーーにーちゃん?」
「じじじじぜるがまままままっさーじしししてあげるね!」
「お前ホント大丈夫か今日」
 頭の上に突っ込む声が飛んできているが、止まったら死ぬ。今の自分は回遊魚だと割り切って、ジゼルはアレクの前に陣取った。
「……マッサージでそこ行くの?」
「そういう! マッサージなの! なの! だからいいの!!」
 肩をバンバンと叩いて何も言わないでくれとアピールするジゼルの大声に、アレクも黙った。
 そう、前である事に意味があるのだ。
(そうじゃないと胸の谷間が見えないじゃない!!
 とんでもない事を考えているジゼルは、歌菜のマッサージ作戦と共に舞香に教わった知識も総動員し一気にターゲットをやっつけようとしているのだ。 
(でも……マッサージってなに!? どうしよう、歌菜に聞いて来なかったわ!)
 頭の中をグルグル巡らせて、ジゼルの中で思い出せるのは立ち仕事に疲れて帰ってきたジゼルの棒のような脚を、兄が癒してくれた事だった。
(そう、あれ! あれがマッサージよ!! 指でふにふに押して……)
 しかしだった、ジゼルの記憶はそこで途切れる。何故ならマッサージが開始されて数分もしないうちにジゼルは毎度「うぇーへへへへへ」と快感に笑いながら寝てしまっていたのだ! 
(どうしよう……、とりあえず脚持てばいいのかな!?)
 ガバッとお湯の中に入った手に唐突に太腿を掴まれて、アレクの口から「は!?」と声が上がる。
(え!? 私間違った!?)
「いや、お前がやりたいよーにしなよ……」
 吐息と共に吐き出された言葉は完全に呆れたを含んだものだったが、ジゼルは取り敢えず持てる知識で対抗するしかない。
(まっさーじ! まっさーじ! まっさーじ! まっさーじ! まっさーじ! まっさーじ!!)
 怨念のように念じるジゼルは知らないのだ。下の階のカフェで、別の仲間に場を託して戻ってきた舞香とキアラが、優雅にジュースを啜りながら笑っている事を。
「ふふっ、ねぇキアラ、ジゼルどこまでやるかしら?」
「まあ勝確状態っスから? 別にね、どこまででもいいっスけどね。ふひっ」
「「うふふふふ」」
 と、まあこんな風にネタにされているとは知らず、ジゼルはマッサージと呼べないような弱さでアレクの太腿をくにくに脚を押し続けていた。
 余りの必死感に当初黙っていようと思っていたアレクだったが、細い指が動くたび酷くこそばゆく笑い声を抑えられない。それが完全な音になって降ってきた所で、遂にジゼルは自分の失敗に気づいてしまった。
(どうしよう、私また失敗しちゃった!)
 涙目になりながらなんとか巻き返そうと考えを巡らせ、最後に思い出したのは舞香の言葉だ。
『いいジゼル。男を誘惑するなんて簡単よ?
 ちょっと胸元の広く開いたドレスを着て、さりげなく谷間ちらつかせながら、
 髪からシャンプーの香りを漂わせてクラクラにして、
 耳元で「おにいちゃん、だ・い・す・き☆」って甘く囁いてやればイチコロよ★』
 舞香に聞いたこのくノ一誘惑術――。今着ているのはドレスでは無いが、谷間という点に置いては似たようなものの筈だ。
 右腕と左腕で寄せて上げながら、ジゼルはぱっぱっと髪をはらって、アレクににじり寄る。ジゼルは必死だったが、アレクの方は吹かない様にもっと必死になっていた。
 ――因に寄せてあげる必要も無ければ、兵器として蠱惑の香りを生まれ持つジゼルは懸命にシャンプーの香りを撒く必要も無かったのだが。
「おにいちゃん」
「…………」
「おにいちゃん」
「…………はい」
「おにいちゃん」
「…………なに?」
「おにいちゃん」
「……何回言うんだよ」
「おにいちゃん」
「いい加減続きを言え!」
 言葉はハッキリ伝えろと。別に怒られている訳ではないが、アレクの反応はたまに尋問めいていて人を萎縮させる事があった。ジゼルは舞香に言われていた『耳元に寄る』事すら忘れて、目に一杯の涙を浮かべて口を開くが、舌がもつれて上手くいかない。
「だ、だ、だ」
「何?」
「だい……」
「だい?」
「だ い す……」
 最後の一文字がジゼルの唇から落ちる事は遂に無かった。
 この直後、沸騰しそうなまで体温を上げていたジゼルは完全に逆上せ、パラミアンの温泉水の中に沈んでいったのだ。