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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

リアクション

 この日、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、空京のあるレストランにヘルプとして入っていた。
 期間限定で色の因んだメニューを提供していたレストランで、本日提供されていたのは『黒』のメニューだ。
「味は一級品に仕上げるけど、食事のあと歯が黒くなって気まずい思いとかするかなぁ。まぁ、それも良いきっかけだね」
 そんな風に思っていた弥十郎だったが、実際デートのカップルはメニューを見るだけで軒並み避けて通った。
 弟の弥十郎がヘルプで入る店では大体共に働いている佐々木 八雲(ささき・やくも)は、入り口で呼び込みを続ける。
 と、そこへアレクら一行が通りがかった。
 見た事のある顔に「あれ?」と思ったが、そこはプロとして仕事に徹し、彼等をメニュー表の前に誘導する。
 『本日のカラーは黒』の文字が書かれた黒板を見ただけで、ミリツァとジゼルの口から「有り得ないわ」の言葉がハモる。敵対を続けていた二人だが、この一瞬だけは気が合ってしまった。大事なデートで大好きな彼を前にお歯黒になる食べ物を口にするなんて、『有り得ない』と彼女たちは言っているのだ。それは恋する乙女達にとっては拷問のような所業なのだろう。
「料理の最後に歯ブラシのプレゼントがございます、この機会に是非ご賞味下さい」
 そう薦める八雲にミリツァが塵を見る目で「そういう問題じゃないわよ」と斬って捨てている。その横でアレクは押し付けられたメニュー表を見ながら首を捻った。
『My Dear:ピータン、黒豆、木耳、ヒジキのサラダ 黒酢玉ねぎドレッシング
 Hot Through:竹墨を練りこんだワンタンと黒大根、黒パプリカのコンソメスープ
 Zoo Too Eat Tie:ホロホロ鳥のブラックワイン煮 イチジクのピュレ
 Go Clack:イカ墨のリゾット、黒トリュフ添え
 Kong Ya I Tell?:黒ゴマのムース、ブラックチェリー、ブラックベリーのコンポートと供に』
 アレクは元々の出自と仕事の関係でヨーロッパの主要言語なら大体覚えいる。それに基礎となるラテン語も学んだのに、メニュー表に書かれた横文字は全くわけが分からない。日本人の多いパラミタにきて、意味不明な看板や目を覆いたくなる内容がファンシーな文字で書かれたTシャツを何度も見かけたが、これもその類いなのだろうか。
「……何語?」
「さぁ。今日僕はブラックですので、存じ上げません。英語でしょうか」
 答えた八雲にメニュー表をつっ返してアレクは先程のメニュー名を口に出した。
「My Dear,Hot Through,Go Clack,Kong Ya I Tell?」
 ネイティブの発音とスピードにジゼルは完全に引っかかり「My Dearなのに英語じゃないの?」とアレクを見上げるが、先に回答に辿り着いたアレクは首を振る。
「『ほっとする』に『極楽』に『今夜空いてる?』だってさ。オッサンのセンシビリティー」
 嗤うアレクに、ジゼルはまだ「どういう意味?」と、小首を傾げている。どうもジゼルは「今夜空いてる」の意味すら分かっていないらしい。
 一瞬の逡巡の後、「あんたとセ×クスしてえって意味だよ」と言ったアレクの真顔を 後ろから走ってきた高柳 陣(たかやなぎ・じん)のスリッパがひっ叩いていた。

* * *

 夕方を過ぎて一行に合流した陣と彼のパートナーユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)ティエン・シア(てぃえん・しあ)
「と、言う訳で。
 俺のバカな妹がご迷惑お掛けしております。俺だけではどうにもならん。どうか力を貸してくれないだろうか」
 平身低頭の台詞を真顔でふんぞり返ったまま言われるのは初めてだが、気持ちだけは受け取った。陣ははアレクの肩に手を置く。
「妹とか、女って面倒くさいな本当に。アレク、今回ばかりはお前に心底(変態性癖以外)同情して協力するわ」
 どうしても許せない部分はカッコの中に隠してパートナーたちと連れ立ち、アレクが立てなおした作戦を実行する為、陣は一行とカラオケ店へやってきていた。
「「いらっしゃいませー」」
 の声の時点で、ミリツァは唇を引き攣らせたが、カウンターに立つ唯斗は調子のいい笑顔だ。
「あなたたちまた――」
「実は今さー、葦原明倫館の生徒が社会勉強の為のアルバイト研修やってんだよ!」
「ウン。アルバイトッテチョータノシイネユイト。アーア、トゥリンモハヤクオトナニナリタイナー」
「ちょっとその子……、完全に目が死んでるけど大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと目が死んでる系属性のロリータが魅力だから」
「反対じゃなくて!!?」
「あ、そんなことやり『さっき』部屋が埋まっちゃったんだ。『さっき』」
「そうそう、『偶然』団体客がどがーっと押し寄せたんだよな! 『偶然』!」
「今6人部屋しかないんだけどいいかなってゆーかイイヨネ
「……え、それは困……」
「021号室でーす! ご案内しまーす!」
 ミリツァに有無を言わせずに、唯斗は彼女の背中を奥へグイグイ押し進めて行く。それを見てアレクと陣とユピリアは同時に瞬きで合図しあった。カラオケ店の部屋の数と、そこに入れる人数は限られている。それを最大限利用する為の条件はクリアーだ。誘導役の唯斗とトゥリンを配置する為に、いつも通り店ごと買収する事で強引に解決した。お金って便利だね。
「さーてとっ、まずは私の愛の歌で陣も……きゃはっ★」
 早々にマイクを掴んで舌をペロリンと出したユピリアに、陣とアレクの目が漫画のようにギンッと睨みつける。
(分かってるわよ! どうせ歌ならジゼルとティエンの方が圧倒的に上なんだもの!)
「はーい、じゃあ飲みもの注文するわねー、食べたいの有る人はそれも言ってねー」
「あ、ユピリアお姉ちゃん、僕はもっちもちイチゴミルクハニートーストね!
 ミリツァお姉ちゃんは?」
「……え?」
「ここのハニートースト、美味しいよ。何かたのも」
「…………じゃあ……、キャラメルプリンハニートースト……」
「はいはーい。ジゼルはー? 何かいるー?」
「えーとねー……生クリームたっぷりベリーベリーチーズケーキハニートースト!」
「あー、ジゼルはそれかー。じゃあ被っても分けるのに微妙だし私はシロップだくだくチョコレートケーキハニートーストにしようかなー」
Yuck!!
「アレクなんか言ったー?」
「何でも無ーい」
 インターフォンに手をかけるユピリアは、確かにお姉さん的な性格も持っている。しかしカラオケにきて、飲みもの食べ物の注文やマイクを甲斐甲斐しく渡したりするあの謎の係を請け負う程控えめな性格でも無い。だがその違和感に、ユピリアと初対面であるミリツァは気づかない。
 そんな事よりミリツァが気になっているのは、先程からこちらをちらりちらりと見上げてくる小さな存在だ。
「あなた、言いたい事があるならはっきりおっしゃい」
「ミリツァお姉ちゃん」
 ティエンの呼びかけにミリツァの眉がみっちり真ん中に寄る。日本語の『ちゃん』づけは主に子供や目下、同等のものに使われると聞いた。だからそんな風に馴れ馴れしくしてくる輩は今迄この掌で制裁してきたのだ。しかし『お姉ちゃん』。これはどう対処すべきだろうか。
「僕と目の色同じだし、ちょっと嬉しい。
 ミリツァお姉ちゃん今日は一日アレクお兄ちゃんといたけど、ホントはずっとね、僕とも仲良くしてくれるかな……って思ってたんだ……」
 パーカーのポケットの上でモジモジ指を突つき合わせるティエンに、ミリツァは「うっ」と声を詰まらせる。一瞬可愛いと思ってしまったのだ。この黄色いひよこのような物体は、アレクをお兄ちゃんと呼ぶ不届きものだというのに。
「……はあ? バカじゃないの? さっきの壮太といい……
 なんで私があなた達のような人間と仲良くしなければならないのかしら」
「そっか。でも僕人間じゃなくて精霊だから、仲良くして貰えるね」
 めげない前向きな言葉に、ミリツァは舌打ちする。この辺の反応はアレクで何度か経験しているし(ティエンの場合は見ていただが)、女性であるミリツァだからそれ程怖くも無い。そもそもミリツァとは初対面なのだ。ジゼルのように初対面で誰とでもフレンドリーな関係を築ける人間なんて早々居ない。初めから仲良く出来るなんて思っていなかった。
(急に仲良くなんてなれないもん。
 だから僕のほうからいっぱい心を開いていかなくちゃ!)
「これから仲良くなれるようになりたいんだ。だからいっぱいお話しようよ」
「下らないわ。私にはお兄ちゃんがいるの。アレクが居れば世界には他に誰もいらないのだわ……」
 冷たい言葉を吐くミリツァはしかし、すっかりティエンのペースに巻き込まれている。そんな様子を盗み見て陣とユピリアとアレクは勝利の予感に目配せする。ミリツァを『友達』から引き離し、逃げ場の無いソファ席に座らせたのは成功である。と。

 ――カラオケ店に行く少し前の事だ。
「今回のミッションは、ティエン……あなたにかかっているのよ」
「ふぇ?」
 両肩に手を置いて説得するように言うユピリアの目はギラギラと、目的達成の為の野心に輝いている。その肩越しに、アレクと陣がユピリアに説明させるのはやや不本意という表情でこちらを見ていた。
「あなたは最強の妹属性。そう、ジゼル達より強力な!
 確かにいい子すぎて灰汁もなければ癖もないわ。妹属性を除けば陰が薄い雑魚キャラレベルよ。
 しかし! 誰構わず(という訳でもないけど)お兄ちゃんお姉ちゃんと言って懐いた瞬間、あなたは全ての人の妹属性になるのよ!」
「……けなされてるの? 誉められてるの?」
「褒められている。クッキー、お前の妹属性は凄い。誇って良い。履歴書の属性欄に赤字で記入すべきだ」
「日本の履歴書にそんな欄は無ぇよアメリカ人」
「まあでもお前は俺の妹だからな! ミリツァの妹になれば更に俺の妹レベルが上がると言う訳だ。やはりティエンの第一お兄ちゃんはアレクお兄ちゃん! 例え……東カナンに行っても…………そこを忘れないでいてくれると俺は嬉しい……!!」
 言いながらしょんぼりした顔で下を向くアレクに、陣は辟易しつつも肩を叩く。ティエンの兄という同じ立場(?)として寂しい気持ちだけは理解できたからだ。『寂しい気持ち』だけだが。
(いや待てよ……?)
 陣は頭の中を整理していて、一つの違和感と行き合った。何故アレクがティエンの交友関係や、将来の目標を知っているのだろうか。大国の陸軍大尉の職権乱用による謎の情報収集力に背中に冷たいものを感じて、陣は肩に置いた手を引っ込めた。
「さぁ、ティエン。あなたの役目は妹属性を自負する者を姉属性にしてしまうことよ!
 そんな風に嗾けられて、ティエンはミリツァの横に配置されたのだ。
 ただしティエンは元々ぐうの音も出ない天使でもあったから、作戦など関係無くミリツァと親しくなりたいのだろう。現にユピリアの説得のあとの反応も『分かっているかどうか』怪しいものだった。
 それに洗脳状態の人間がいるだとか事件の詳しい部分も教えてはいない。陣曰く、「下手に知らせると素直だから、逆に色々ツッコンでいきかねないからな」という理由で。
 そんな彼等の苦労も知らずに、ジゼルは一人端末の画面のスクロールバーを指先で上にしたり下にしたりしている。適当に選んだ曲のイントロが流れる中、悶々と彼女を送り出してくれた加夜の言葉が思い出されていた。
「カラオケもいいですよね。ジゼルちゃんからアレクさんに歌のプレゼントはいかがでしょうか? 二人でデュエットも良いですよね。
 歌は気持ちを込めやすいので想いを伝えるのにいいと思うんです。
 ミリツァちゃんにも綺麗な歌声を聴いてもらいたいですね。聞き惚れちゃうかもしれないですよ」
(なぁんてそんなね。聞き惚れちゃうとか、ないわよ。もう……加夜ったらもう……もう……)
ジゼル、うッたいまーーーッすッッ!!
 マイクがハウリングするような声でセイレーンは歌い出した。
 スマイリーフェイスも目じゃない位の笑顔で歌うのは、「会いたくて」って連呼しときゃいいんだろとでも言うような歌詞のラブソングというか流行歌だ。彼女は知らないがこの歌は部屋の集音マイクを通して、ミリツァを待つ白の教団が集まるロビーに流されている。
 ジゼルの歌で彼等の洗脳の解除を狙うのが、作戦の目的なのだ。
 白の教団の連中の様子を店員の振りをしている唯斗とトゥリンや、ロビーに残った者が確認し、作戦指揮のキアラへと報告が飛び、それはまた現場のアレクたちへという流れだった。
[この歌じゃ駄目みたいっス!]
 キアラからの通信に、ユピリアがテーブルの上の端末に伸びていたティエンの手からそれを奪い取るように手に入れると、信じられないスピードで次の曲を入れる。件のラブソングを歌い終えた終わったジゼルは、ユピリアがまた「歌え」と合図するので首を傾げた。
 ジゼルが歌う間、むすっとしながらもティエンの話をきちんと聞いているミリツァに、ティエンは言っていた。
「ミリツァお姉ちゃん歌は好き? カラオケにきたことはある?」
「ないわ。興味無かったし、こんな遊び子供っぽくて滑稽よ。でも人が歌うのを聞くのは……嫌いじゃないわ」
「じゃあ僕いーっぱい歌う。流行の歌も童謡も、何でも歌っちゃうよ。歌って大好きだもん」
 だからジゼルはティエンが次にマイクを握ると思っていたのだ。
「あれ……ティエンに……」
 皆迄言わせないとばかりに光速で近付いて、ユピリアは耳元で言う。
「ジゼル、思う存分歌いなさいよ。
 そしてアレクのハートをぐしゃっと鷲掴みにしてやるのよ!」
 親指から順に小指まで折って拳を『ぐしゃっ』と握りしめる。如何に耳元で言おうと、ジゼルにはマイクがついていて、それがキアラやアレクに直接飛ぶようになっているのだ。
 陣から「それ潰れてるだろ」と、的確すぎるツッコミが小声で飛んだ。
「分かったわ! ぐしゃっ! ね。任せて!!」
 ジゼルがユピリアの真似をして手を握りしめた瞬間、非力な筈の指の間からドゥクシッと音がした。
 そうしてジゼルが歌い出すのを、ある意味真剣に見ていた陣はふと異変に気がついた。肩にアレクの体重を感じたのだ。――まさかこの大事な作戦中に寝てんじゃねぇだろうな?
「おい」
 押し返そうとして隣を見ると、アレクの無表情に脂汗が浮かんでいるのが見える。陣は顔色を一気に青くして、ミリツァに気づかれないよう隣のアレクにコソコソと声をかけた。
どうした?
心臓痛い
は!? どんなだよ? ズキズキとかチクチクとか……そういうのは?
何て言えばいいんだこれ? 手で思いきり掴まれたみたいな……つまり……ぐしゃっ……という感じの…………
 陣の顔色は更に青くなる。
 ユピリアの『ぐしゃっ』、の言葉によってジゼルの歌にアレクの心臓を鷲掴みにする物理的効果が上乗せされているのは間違い無いだろう。勿論今止めれば間に合う、アレクの心臓は解放される。だがもし、この歌がロビーの白の教団のメンバーに効果があるとしたら……? それが分からない今、ジゼルの歌を止める事は出来ないのだ。
「ユピリア!」
「何よ陣」
「この曲、あと何分くらいあるんだ?」
「え? んー……6分か7分くらいだから……5、6分?」
「長ッ!!」
わざと選んだのよ。長い曲の方が効果が期待出来るかもしれないでしょ
 ウィンクを飛ばしてくるユピリアに、陣は固まってしまう。7分も心臓を潰されていたらアレクが確実に死んでしまう。肩に凭れていたアレクの身体がズルズルと落ちてくるのを感じて、陣は横目で彼の姿を見た。最早脂汗どころではなく、顔が紙のように白い。
陣俺、もう……持たない。触手とか……ぐしゃとか……今日辛い…………
 アレクの口から初めて泣き言を聞きながら、陣は背中をさすってやるしかなかった。こんな風に犠牲を払いながら作戦は続いてゆく。