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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

リアクション

 少し前の事。
 イルミンスールの森に迷い込んだ綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は少々『不調』になった。パートナーで恋人のアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)はそんな彼女をとても心配していたが、その後さゆみは何事も無かったかのうように、学生として、アイドルデュオとして変わる事無く平穏無事に日常を過ごしていた。
 そんな彼女が『目覚めた』のは今朝の事だ。
「行かなくちゃ。私は、ミリツァの『友達』だから……」
 一人呟いてベッドから出ると、さゆみはクローゼットから服を出す。
 キャスケットにストリートパーカー、ショートパンツにサンダルという『どこにでもいる』服装を選ぶと、それに身を包んで空京へと向かう。人通りの激しいこの街で、そんなさゆみの存在は埋没していた。さゆみはプロのコスプレイヤーだ。アイドルとして輝くように存在を目立たせる事も、通行人Aとなる事も、自分の印象を操作するのは思いの侭だった。
 そうして周囲に紛れたさゆみは、カラオケ店から出てきたジゼル達の背中にぴったりと貼り付いている。
(ジゼル……私がきっちり、あなたを追い込んであげるわ……)
 ジゼルと友人として過ごした日々は、今彼女の中には無い。さゆみは唇を開き、歌を紡ぎ出す。
 サポートデパイスを通じたさゆみの歌声は指向性マイクのように、ジゼルの耳にだけに届いていた。

(なんだろう……これ……)
 ユピリア達と冗談を飛ばし合っていた直前までに無かった重さを、唐突に心の奥に感じ、ジゼルは違和感に眉を顰める。急激に押し寄せる津波のように、それは彼女の頭を上から包み奥深くへ押し込んでいく。それらは酷く不快で、辛い感情だが、ジゼルが感受し易い歌の形を伴っているから、中に入ってくるのを止める事が出来ない。
[アレクにとって一番大切なのはミリツァだけ……。でもあなたは他の娘と同じ『妹』]
 何かに導かれる様に周囲を見てみれば、アレクがミリツァと手を繋いで歩くのが、ティエンと親しげに話す様子が見えてしまう。
[そうよジゼル。アレクはあなた以外にも沢山妹がいる。今は特別かもしれないけど、彼女達がもっと増えたら? あなたは特別を守れる?]
(特別じゃなくなったら? そしたらどうなるの?)
[あなたから離れていってしまう。もっと遠くへ行ってしまうわ]
(そんなのイヤ!!)
[でもそれは仕方の無い事だわ……。あなた自身分かってるんでしょ?]
 さゆみの声に、ジゼルの青い瞳が不安げに泳ぎ出す。しかしキアラの指示が飛んで来なくなった今、一行はグダグダと歩き喋り続けているだけなので、ジゼルの異変に気づくものはいない。さゆみは密かに唇を歪め、次の段階へと歌を進める。
[可哀想なジゼル。そんな悲しい思いをさせて、『酷いお兄ちゃん』ね]
(酷くない! だってお兄ちゃんは……私と一緒に居てくれるって言ったの。私と契約して、一緒に住んで、それから――)
[そう、二人は約束したのに。
 傍にいるって言ってくれたその約束は、今守られてる?]
(だって……今はミリツァがいるから……)
[本物の妹が現れたら、あなたはお払い箱なの? そんなの酷いわ。あなたは彼をあんなに信頼してたのに、残酷で……最低よね]
 不安や疑惑は怒りと失望に変わり、ジゼルの瞳を涙に潤ませる。それに初めに気づいたのは上空から監視を続けていた姫星だ。
(ジゼルさん? 様子が――)
 異変には気づいたが、今出て行って事を荒立ててしまってはと姫星は拳を握りしめる。
(ジゼルさんの事は皆さんが守ってくれる筈ですし……。私は手を出しません……ええ、出しませんよ)
 そうして耐えている間に、遂にジゼルの瞳から涙の粒が落ち始める。
「――ジゼル?」アレクが近付いてくる。
「どうした? 急に……」
 動揺に僅かに眉を顰め伸ばしてきたその手を、ジゼルは乱暴に払い落とした。
「……うるさい
「え?」
「何がお兄ちゃんよ! 私との約束、守るつもりなんて無いくせに!! 傍から離れたくせに!
 本物が居れば私なんか要らないんだ! 私は偽物だから、偽物の妹で、こんな、人間じゃない化け物、好きになる訳ないのに……勘違いさせて、面白かった!? 舞い上がってるの見て、楽しかった!? それとも……同情でもしてたの?
 偽物の家族を本物だと思って、自分を普通の存在だと信じきって騙されて、何も知らなかったから、嘘をついて皆を騙して、私が、嘘つきの癖に友達と一緒に居たい私が、偽物の足で人間の世界に混じって、人を好きになるのが、下らないことだって――私は……こんなに、あなたが好きだったのに!!」
 混乱する感情をそのまま捲し立ててぶつけて、困惑した周囲を見てジゼルは咽の奥で悲鳴を上げる。どうしてこうなってしまったのか、本当に分からないのだ。
 友達を助けようと思ったただそれだけなのに。
 友達が助けてくれたこの場を、どうしてぶちこわしてしまったのか。
「……ぅ……わたし、ごめん、なさ……」
(そうよジゼル! これで止め、全部終わりにしてあげる――!)
 さゆみが口を開いた瞬間だった。
「さゆみッ!!」



 あの時、誰一人飛び出していったジゼルに追いつけなかった。それは皆の反応が遅れたからという理由だけでは無い。
 白の教団の残りのメンバー――プラヴダの精鋭達を引き連れたトーヴァが前に立ちはだかったのだ。
 フレンディスやグラキエス、ルカルカや歌菜、佳奈子や加夜らはそれぞれ別の道へジゼルを探しに走った。この場でトーヴァらと相対したのはターニャとカガチ、追いついてきた薫らだ。そしてその中にアレクが含まれている事を考えれば
「正解はこっちって事ですね!」
 踏み込むターニャの剣圧にトーヴァが間合いの外へ出て不敵に笑う。
「さあ、どうかにゃ?」
 錐揉みするような勢いで、ヴァルキリーは地面スレスレの宙を飛び彼等を襲った。
 だがその瞬間、まるで大輪の花が咲き誇るように氷の盾が開いて行く。剣先ごと弾き返されたトーヴァが向こう側に飛んでいる間に、氷壁を作り出した舞花は早口で連絡する。
「契約者とプラヴダの軍人の皆さん、今迄に解放した人達の人数に加えて今、翠様達からへんたいさ――国頭武尊様を解放したとの連絡が入りました。それからジゼル様をおかしくした綾原さゆみ様も、止めに入ったパートナーの方と一緒に保護しています。
 でも、足りない! それじゃ全員じゃないんです!」
 舞花の言葉の意味を理解して青くなる面々。その中で薫がアレクに振り向いた。
「アレクさん! ジゼルさんが危険なのだ!」
「ここは俺らに任せろ行けアレク!」
 カガチの声に押し出されるようにアレクが踵を返し走り出す。その姿を目の端に止めて、トーヴァの唇が皮肉気に歪む。
 白の教団が劣勢に追い込まれた時の為、トーヴァは彼女の信頼の置ける友人である輝と彼のパートナーの機晶姫に連携を頼んでした。トーヴァが囮になり、輝たちがジゼル襲う。トーヴァの中にあるミリツァの意志はジゼルのことを多少傷つけて構わないとそう言っていた。
「言っても聞かないのなら、身体に言い聞かせてあげればいい」
 これ以上アレクに関わるならこんな怖い目に遭うのだとジゼルに思い知らせる。それが彼女たちの狙いだった。
「ふふっ、大丈夫、少し怖がらせてあげるだけよ。アレクもあんなに慌てていかなくても大丈夫なのに」
 トーヴァの言葉に反応して、壮太は顔が赤く成る程の怒りを見せる。
「そんなもん『少し』だって許せる訳ないだろッ!!」 
 激昂の声を合図にするように、戦いは再び熱を帯びる。
 トーヴァの前に出てきた軍人達は何れも刀や槍といった武器を手にしていた。軍人らしく銃器を扱う隊士が多いプラヴダだったが、今は街中。銃声で人が呼ばれかねないと踏んだのだろう。
 時間を長引かせたいだけの戦闘に、うっかり空京警察の介入でもされれば早急にこの場を去らなければならない。
「思い通りにはさせないッ! すぐに終わらせます!!」
 隊士達の壁をモノともせずに突っ込んでいったのはターニャだった。トーヴァとの実力は五分。
 しかし実力は拮抗していても、ターニャにとって圧倒的に不利な一つ部分があった。
「……誰かに似てるのよね」
 トーヴァの呟きにターニャは密かに舌打ちする。ターニャに刀を教えたのはアレクで、そのアレクと日常的に手合わせしているのがトーヴァだ。向こうはこちらを知っているが、こちらは向こうを知らない。唯でさえ決め手に欠ける状況なのに、これはターニャの体力を削るのに十二分過ぎる理由になっていた。
 そんな状況を波の向こう側からカガチが見て叫ぶ。
「ジジィじゃねえけどそれこそ聞いてねえぞこんな展開!!」
 彼に向かってきた敵の一人目の獲物は刀。位置は一等高い場所から、カガチは鈍色の光りの恐ろしさも気にせずに突っ込み、刃を左に避けつつ膝で隊士の腹を蹴り飛ばす。
「カガチ横!」
 なぎこの声に誘われるように、そのまま左から来る敵の腕を掴み、ぐるりと回ってぶん投げる。
 トーヴァ――そしてターニャまでの距離はまだまだ遠い。
 だがカガチの元へ三人の隊士が同時に切り込んでくる。
 刹那――、鉄の弾ける音をたてて六つの刀が搗ち合った。
「軍人さんたちは我達が引き受けるのだ!」
 振り向いた薫の左の瞳は、草那藝之大刀を使役する影響から白銀に輝いている。その光りに押される様にカガチはトーヴァに向かって切り込んで行く。
 途中彼に飛びかかろうとする徒手空拳の男の拳を腕で受け止めて、舞香は「進んで」と合図を送った。
「邪魔しないで!」
 足を勢い蹴り上げて股間に容赦のない一発を浴びせると、舞香は次の敵へと間合いを詰める。
 その付近では、セレンフィリティがターニャとパラミアンで話していた『あまりしたくなかった』精神へのスキル攻撃をおこない、彼等が暴走する前に詩亜がヒノプシスで眠りへと誘う。
 更にだめ押しのように玲亜のサンダーブラストが道を作り、そこを走るカガチとトーヴァの距離が縮まっていく。
「来たね、アレクのお気に入り」
 カガチが最後の敵を切り伏せ刃を向けるより先に、トーヴァはこちらへ向かっていた。
 日本刀より細い剣先は早さを増した連続の突きを繰り返しカガチを襲う。
「あほか早過ぎんだろ!」
 軽口を叩きながら避けるので精一杯のカガチだったが、一振り『見えた』のだ。
「そこだッ!!」
 振り下ろした手で腕をぐいと掴むと、こちらへ引き寄せつつトーヴァの首へ手を伸ばしかけた。
 だがカガチの手は宙を凪ぐ。
 トーヴァは下へ滑り込む様にカガチの手を躱していたのだ。
「甘いよ!」
 そしてそのまま巴投げでもするように、カガチを身体ごと蹴り上げた。砂埃を舞い上げながら地面に叩き付けられたカガチが起き上がるより早く、首にひやりと冷たい感触を感じた。
「くびおいてけ。だったっけ?」
 死神の鎌が首に掛かったと、カガチの頭に浮かんだ一枚の絵は金属音で打ち消される。
 耀助のクナイがトーヴァの肩を裂いていた。
 と、それに間を置かずに大剣が横薙ぎに攻撃してくるのに、トーヴァは斜め前に飛ぶ。そしてアイスブルーの瞳は異変を察知して大きく見開いた。
「糸使いか!」
 街路樹や電灯に悲哀のリボンが張り巡らされていたのだ。イヤでも視線をひいてしまう深紅の色の番傘に隠されたその動きは複雑で気づかなかった。
「……傷つけたい訳ではありません。投降して頂けませんか?」
「はは、冗談! こんなに楽しいのに終わらせられる訳ないでしょ。
 しかし――まずったな。逃げ場が無いわ」
 足を止めたのを好機とばかりに、立ち上がったカガチとターニャが結託する様に動き出した。
 多対一。
 幾ら実力者であるトーヴァでも、これは圧倒的に不利だ。
「ならこっちから行かせて貰うよ!!」
 トーヴァが攻める。
 カガチとターニャ、二人を一気に裂こうとする横薙ぎの刃を、ターニャは持ち前の柔らかさでもって沈んで避ける。ターニャに避けられても止まらない刃は、カガチがこちらの刀で受け止めた。そうしている間に下に居るターニャの足払いがトーヴァを襲うが、彼女はそれを側宙ぎみに横回転し避けていく。
 しかしトーヴァが相対する敵は二人だ。カガチが首に一発、先程のお返しとばかりに峰打ちの刀を振り下ろした。
「やっぱりそこ狙いね!」
 トーヴァはカガチの刃を回しつつ受け流した。
 そんな数十秒の間に、彼等は一直線を描いていた。
 ターニャの隣にカガチ、そしてトーヴァ。
 振り向き様に攻撃しようとしていたターニャは動きを止めるが、トーヴァはそのまま回転を止めずにカガチの背中を切りに行く。
「うざいんだよ!」
 はっきりとした拒否を口にしながら、ターニャがトーヴァの剣を叩き落すとそのまま勢いで上段右から後ろ回し蹴りを、同時にカガチは振り返りつつ左後ろ回し蹴りを放った。
「「うらあッ!!」」
(流石にヤバイわこれ!)
 重なる咆哮に耳に突っ込まれて咽の奥で息を飲み込みながら、トーヴァは落とされた剣の方へ前回り受け身で首の皮一枚、二本の足が放つ強烈な蹴りを避けた。
 しかし――
「悪いねお姉さん、まだあるんだなこれが!」
 迫ってくる耀助のクナイ。回転を止めずにそれを避けきったものの、目の前に有ったのは蜘蛛の張り巡らせた糸だった。
「……もう逃げられませんよ」
 正面から落ちてきた悲哀の声に振り返った瞬間、トーヴァの胸元の上で、血と闇の色を称えた石が弾けとんだ。
 薫が番えた矢を、そこへ放っていたのだ。