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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

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 結局羽純が『カップルの定番』と用意してくれた二つのストローがささったジュースを一人で飲み干して何とか蘇ったジゼルは、涼しいプールサイドの椅子の上で水着のまま、既に着替えを終えたアレクに仰がれながら燃えるような体温をさましている。
 気づけば友人達と合流の時間になっていた。
 更に食人を抹殺して戻ってきたミリツァがジゼルがアレクと二人きりになっていた事を知って憤慨しながら「もう二度とこんな事はさせない」と這うような低い声で呟いている。
 歌菜たちに折角提案してもらった作戦は完全に失敗だったし、もうこんな好機が訪れる事は無いのだろう。
 泣いてしまいたい気分だが、泣きたいのはきっとこの作戦に尽力してくれた皆の方だ。どうしようもなく苦い気持ちで俯いていると、ジゼルの座る椅子の前にアレクが膝をつく。
「気持ち悪いのか?」
「へいき……」
 ジゼルは首を振るが何時もと明らかに様子が違うのが分かるから、アレクは引き下がらない。
「でもこのままじゃ良く無い。車乗れそうか?
 乗れるならもう帰ろう、な」
 その声を聞いてミリツァの片目が密かに赤紫に燃える。
(『帰ろう』って何処に? お兄ちゃんはミリツァを置いてジゼルと一緒にあの家へ帰る気なのね!?
 赦せない……私の居ない間にお兄ちゃんにあんなに近付いて……! 皆今迄何をやっていたというの? もう、誰かいないの!?)
 その想いに答えたのは、ミリツァの着用していたドレスだった。
[たーげっと、あれくヲ確認。はーとヲ鷲掴ミデス]
 ドレスが急に喋り出した事にミリツァが戸惑っている間もなく、ドレスはまるで童話のシンデレラのようなものに豪奢なものへ変化し、そこから二本の触手が飛び出してゆく。
 ハデスが開発した機械仕掛けの怪しげな触手はアレクの死角の右側からぎゅんっと伸びて瞬く間に両腕、両足を拘束する。直後から「あーこれが左からきてればなー、なんかこうさー刀とかでさー斬り落としたりして無事だったのになー」と棒読みしたい展開になるので皆様覚悟は宜しいでしょうか。
 ぬるつく触手にはハデスが調合している薬が塗込まれていたのだ。それは触手で捉えたもの獲物を妖しい快楽へと誘う謎のお薬で……って何故男相手に使う為のドレスにそんなものを仕込んだのかハデスに小一時間問いつめたい感じだ。
 そうしている間に肉体の武器として動かせる部分を全て拘束されてしまったアレクのTシャツに、触手が侵入する。ずるっとした感触が胸の上を這って、アレクは気持ち悪さに声を上げた。助けを求める女性のような悲鳴とは違うが、ミリツァもジゼルもアレクが人一倍忍耐強い性格だと知っているから、その兄が声を上げるなんて一大事だと息を止める。
「「お兄ちゃん!」」
 二人の妹は兄に向かって同時に手を伸ばした。が、ミリツァが一歩アレクに近付けば、状況は更に悪化した。ウエストを締めるベルトの存在をものともせずに、触手が下肢へ近付いていく。
「ちょっとミリツァ!! 今お兄ちゃんに近付いちゃダメえ!」
「なんですって!!」
「だってあなたが近付いたらあのヌルヌルが……ヌルヌルがお兄ちゃんの……」
 言いながらアレクへ視線を移したジゼルから言葉が出て来なくなる。遂にジーンズへの中へ侵入を果たした触手がアレクのあらぬ部分を弄(まさぐ)っている……らしい。幸いパンツが見えたりその下の(ご立派ですね)が見えたりしている訳ではなかったが、触手がジーンズのウエストから見えているのに先端が見えていない事――そしてアレクが目の端に屈辱の涙をうっすら浮かべながら謎のお薬の効果によって齎される容赦のない快楽の責め苦に耐えようと唇を噛み締めている様子を見れば一発だ。
「……く……やめ……ッ……」
 喘ぐ兄を見上げながら、ミリツァは溢れた何かを音を立てて飲み下し、ぐるっと首を回してハデスの方を向いた。
「最高の仕事ねハデスッ!!」
「有り難き幸せッ!!」
「ちょっと二人とも何言ってるの!? そんな……そんな……」
 ミリツァとハデスから再び視線をアレクへ戻したジゼルは慌てて両手で真っ赤になった顔を覆うが、絶妙に指と指の隙間が空いていた。見たく無いけど見たい。見ちゃいけないと思う程見たい。乙女心は複雑だ。
「ああもう見ちゃダメ! 目を反らさなきゃ!! おにいちゃんだって恥ずかしい筈だから見ないであげるのがいいのッ!……ああでもでもっ何時も余裕たっぷりなアレクがあんなえっちな顔をして…………ちょっ、ちょっとだけなら…………ダメよジゼルダメダメっ! こんなことしちゃだめッ!! てゆーかおにいちゃん! 何で今軍服眼鏡じゃないのッ!!?
 大興奮する叔母と大発狂する母親の一方、尊敬する父が――男で一つで自分を育ててくれたあの父が触手責めされるのを見せられて、娘は本気のダメージを受けぶつぶつ言いながらプールサイドに座り込む。
パーパが……どんな時でも格好良かった私のパーパが……触手でヌルヌルでエロエーロ…………
「大丈夫だ。これは夢だ。夢なんだ」
 彼女の視界を遮る様に前に座ってやるウルディカだったが、実際は自分もあれを見たく無い一心だった。しかし周囲を興奮と混乱とドン引きの地獄の釜で煮込んでいる料理人だけは、両腕を宙に掲げ叫ぶ。
「素晴らしい! さあアレクよ、もっとミリツァ様を喜ばせるのだ!
 触手ものに有りがちな台詞を!
『ら、らめぇ、ぼくのおぱんつの中はいってこないでぇ!』と叫ぶのだ!!」
「誰がそんな――ッ……ふ、ぅっ……!」
「ええいならばこれだ!
 『いやぁっ! みちゃだめえ!』。こんな姿の俺を見ないでくれとミリツァ様に懇願してみせるのだ!!」
「Don’t fuck with me! Just shut your mouth!!!(ふざけんな黙れ糞野郎)」
「……チッ。謎のお薬を全身に塗りたくられて尚そんな風に抵抗出来るとは流石アレクと言ったところか。仕方ない!」
 ハデスが指をぱちんと鳴らすと、ドレスから再び音声案内が流れる。
[了解シマシタ。命令ヲ実行シマス。必殺――ガラスノ靴アタック(物理)!]
 と、次の瞬間。ミリツァの履いていた靴がガラスに変化してアレクへ目掛けてぶっ飛んだ。
 ガンッ! ガンッ! と二発。
 硝子に顎と側頭部に強打され、アレクの意識は完全に落ちた。
「ふふふ……さあその触手で今のうちに服を脱がすのだ! サーッビスッッ! 我らがミリツァ様の為、更なる女性向けのサービスシーンをッ!!」
 ハデスの白目は血走り黒目はグルグルと渦を巻いている。その科学者特有の狂気的な視線の先では、アレクのTシャツが胸の上までまくれ上がり、ベルトが解かれ、細い触手が器用にジッパーを下ろし始めるという衝撃を超えた状況が、ハデスの発明品によって作り出されていた。
「さ、流石にこれはまずいわね!」
 と言いながらにやつく口元を隠せていないミリツァ。
「それだけはダメえ!」
 と叫びながら、言ってるだけで混乱に何も行動に移せないジゼル。
「そう…………夢……これは夢だ。あははははは」
 現実逃避を始めたターニャと一緒に全力で目を反らすアレクの仲間達。
 最早色んな意味で万事休すの瞬間、ベルクの声の無いツッコミが爆炎となって触手をぶち切った。



 この世のものと思えない美しい歌声に引っ張り上げられて、アレクは重い瞼をこじ開ける。
 目を開いて一番最初に映ったのは、海よりも青い色だった。下を向いているから光りが当たっていないにも関わらず、瞳は宝石のように煌めいている。額に張り付いた髪を退けてくれる指先は冷たく、体温を持たない生き物のようで、アレクは自分の頭の下にあるのが膝ではなく、魚の尾なのだと理解した。
「ベルクが助けてくれたんだけど、そのままプールに落っこちちゃったの。覚えてる?」
 覚えてるも何も脳震盪を起こしていたのだが、そんな事をいちいち突っ込んでいられない程身体が脱力していた。ジゼルがこの姿ということは、恐らく自分は情けない事にプールで溺れ、彼女に助けられたのだろう。現場を確認しようと視線だけ動かすと、向こう側のプールサイドでハデスとペルセポネが頭(かぶり)を振っている。
「俺は何故……触手のついたドレスを作っていたのだ……?」
「ハデス先生、私達一体どうしてこんな場所にきていたんでしょうか」
 行動の原理になっていたミリツァへの妄信がごっそり抜け落ちているようだ。
 壮太から聞いた報告、石を砕いた後に悲鳴をあげたナオとは違い、二人に此れと言った異常は見られない。ただセイレーンの能力はジゼル自身理解しているものでは無いようだから、もう一度やってくれと言って簡単に出来るとは限らないだろう。現にジゼルはハデス達の事が目に入っていないようだった。
 それでもジゼル自身が恐怖しているセイレーンの力に、こんな優しい力もあるのだと彼女に教えてあげたいとアレクは思う。ただそれを伝えるには、少し眠かった。
「ミリツァ、着替えてくるって言ってたわ。もう少しかかると思うから、今は眠ってて」
 再び唄い始めたジゼルの甘い声に導かれる様に、アレクは心地よい微睡みの中に落ちていく。