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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

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 伸し掛っていた重みが消えて、ジゼルは涙でぼやける目を大きく開いた。
「ジゼル……」
 目の前に立っていたアレクの表情は、自分や他の人と居る時どころかミリツァと居る時にすら見た事が無いものだった。状況が分からずに口を開こうとしたジゼルの身体が、痛いくらいに抱きしめられる。しかし目の前で行われた出来事は本当に一瞬のものだったから、ジゼルは場を把握出来ていない。何故アレクがこんなに不安と安堵を綯い交ぜにした――泣きそうな顔で自分を抱きしめているのか、ジゼルには全く分からなかった。
「アレク、どうしたの……?」
 問いかけるが、アレクからの返事は無い。重なった部分から伝わってくる心臓の鼓動は酷く早いもので、それだけ余裕が無かったのだという事だけは理解出来た。
「怖かった。君を、失うのかと――」
 とても簡素に、信じられない言葉を口にしたアレクに、ジゼルは心臓を跳ねさせあわあわと両手を泳がせて、それから彼の背中の上でそれを落ち着かせた。衝撃が多過ぎて誰かに優しくされたら最後――取り乱してしまうかと思ったが、今この瞬間だけは頭の中が凪いでいる。遠くに居ても通じ合えるパートナーの傍は途方も無い安心感を与えてくれた。多分これが、なぎこの言う「これだっ」なんだろう。だがそれに甘え、言葉を口に出さなかったから、亀裂と齟齬が生じたのだと、友人達の言葉を貰った時にジゼルは気づいたのだ。気持ちを言葉で伝えるのは、とても大切な事だった。
 イルミンスールのあの日、迷いを頂いたままついていこうとしたジゼルへアレクから伝えられたのは「君を失いたく無い」という言葉だった。
 ゲーリングの存在と少女と兵器という相反する存在である自分のアイデンティティに悩むジゼルを一番近くで見て、アレクが亡失に怯えていたのはもっと前からなのかもしれない。そういう言葉を貰っては、何度も耳を塞いできたのだ。
 心臓は高鳴ったまま、頭が混乱したままの興奮状態だったが、すぐに伝えたい気持ちから言葉はポロポロと溢れていく。
「大丈夫……ごめんね。ごめんなさい。……私ね、ユピリアに言われたの。
 『バカならバカなりに皆に頼れ』って……。私傲慢だった。皆が私を心配してくれる事を期待して待つだけで、向き合おうとする気持ちを無視してた。
 だからあのイルミンスールの前の日も、ううん、もっと前から、アレクの気持ちにちゃんと応えるべきだった。
 このままの私にあなたが――、皆が一緒にいてくれるから、気持ちを寄せてくれるから、
 私は人間じゃなくたって良い。
 兵器の、セイレーンのままでいい。もう何も怖く無いから、このままのジゼルで、皆と一緒に居たいの……」
 頷いているアレクの肩越しに向こうを見てみれば、ライナーグローブを赤く濡らしたターニャに見下ろされた東雲が壁に凭れながら鼻血をだし荒い息を上げていて、その向こうでは真が水瀬 灯(みなせ・あかり)を、左之助が機晶姫合体した一瀬 瑞樹(いちのせ・みずき)一瀬 真鈴(いちのせ・まりん)を、そして『真』が輝を取り押さえていた。
「えと……それからね。誰か説明しくれると嬉しいんだけど――。どうして真が二人いるの?」
 状況がのめない上に、真が二人居る。説明を求めて皆の顔を順番に見るジゼルが、最後に真の一人と目が合うと、彼はにっこりと微笑んで言うのだ。
「やあ、間に合って良かったよ」

* * *

 それはジゼルがさゆみの歌に誘導されていた時だった。周囲に埋没し、遠くから攻撃を仕掛けていた彼女の姿は、縁ら警戒していたものたちの誰の目にも止まらなかった。
 しかしジゼルがその場を逃げ出した直後。さゆみの歌う微細な動きを、アデリーヌのスキル発動の動きを、真の張り巡らせていた不可視の糸が完全に捉える。こうしてさゆみの歌は心のジゼルの奥深くまで入る事なく、寸での所で止められたのだ。
 上空から様子を見ていたリースと姫星は、東雲がジゼルに襲いかかっているところ見つける。糸によって異変を察知していた真の行動は早く、誰より早く路地裏へ到達した。
 ジゼルの姿を目にとめた真は彼女を助けようと歩みを進めたが、そこへ入ってきたのが輝たちだった。
「そうはさせないよ」
 穏やかな声で立ちはだかる輝。そこへ合体機晶機から発射されるミサイルの一斉射撃。
 しかし真の背中に追いついた左之助がそれを刀で叩き落しながら叫んだ。
「てめぇらどういうつもりだ!」
「東雲さんの敵はボクらの敵だから。
 この前は守れなかった。でも今度こそ……ボクらは東雲さんを守るんだ」
 輝の声に導かれる様に、瑞樹と真鈴は遠距離から反転し真らへ向かってくる。
「この前は大失敗しちゃったので、ここでしっかり挽回しないと……。
 ね、お姉ちゃん」
「今度こそ失敗しない様に、本気出して頑張るのです」
「全力で敵を排除しますッ!!」
 魔導剣の刃が、瑞樹と重なった真鈴の見開いた目が迫るのを左之助は剣ごともぎ取るように受け止める。
「峰打ち……で、どうにかなんねーよなこれ!」
 刀を返し刃でもって横薙ぎに斬り裂くと同時、灯の狙撃が飛んできた。
「チッ!」
 後ろへ飛んでそれを避けると、向こう側で灯が無邪気な笑顔を向けてくる。
「状況よくわからないけど、この邪魔な人達やっつけちゃえばいいんだよね?
 せっかくの初陣だし、気合い入れてガンガン撃ちまくっちゃうよー!」
 キャノンを唸らせる灯に、左之助は野性的に笑って返す。
「おらかかってこい!」
 首を詰まらせるネクタイを指で引いて叫ぶと、スーツの上着を投げ捨てる様に脱いで左之助は走り出した。
 そんな中、路地裏を包んでいく硝煙に結界を展開していた太陽が、全力を出す為に自らの時間の流れを逆行させる。若返ったその姿は、真そのものだった。
「どうした、今更理解したとは言わせないぞ。私は『俺』だということを」
 ぽかんと口を開ける真に向かって、太陽は心底呆れた声で言いながら、灯へと一気に間合いを詰めた。そしてユニットの接続部へ肘や足、拳を打ち付ける。自分を鏡で見ているような闘いぶりに、真は一瞬思考を止めるが、刹那の間に我に帰って輝へと向き直った。
 互いに敵を認識した瞬間、闘いは開始される。先に動いたのは輝だった。
 手にしていた槍を串刺しにしてやろうというより行動不能にするような傷を与えんと何度も突いてくるのを、真は躱していく。身体には幾度か痛みが奔ったが、拳の握りを強くし耐えた。今この場に居るのは糸による反応で動いた自分とパートナーたちだけだ。そして左之助も太陽も別の相手に掛かっているのだ。幸いジゼルの蹴りが極まってしまった為東雲の凶行は止まっていたが、彼が復活すればジゼルはまた襲われるかもしれない。よしんば相手が諦めたとて東雲を助けようとする輝を自由にすればその助力を得て逃走される可能性が高いだろう。それは『二度目の可能性』を作るという意味になる。
 そう考えればこの程度の痛み、構っていられなかった。
 そうして真はタイミングを見計らうと踏み込みつつ屈み、右の拳を輝へ向ける。
 と、しかし同時にそれを察知した輝の盾が、真の視界を奪う様に目の前に立ちはだかった。
(俺はスヴェータさんと約束したんだ――。君を助けるって約束したんだ!)
「だから俺も全力でいかせて貰う!!」
 輝の動きに対し真は瞬時に拳を開きぶつけると、押し留まっている盾を踏み込みと同時に向こう側へ押し込んだ。
 踏み込みと手から発せられるドンッという衝撃音と共に、輝の身体が後ろへと吹っ飛ぶ。
「強いですね。けど……これはどうかなッ!」
 このまま闘っても、不利だ。
 真の重い一発を喰らった事で理解させられた輝は、飛行ユニットを展開し中空へ舞い上がった。 
「ほらほら! この動きについてこれる!?」
 輝はトリッキーな動きを混ぜながら上下左右へと飛び回るが、真の目はそれを捉えていた。そしてまるで空を舞うが如くこの家令は華麗なる動きで、翻弄する輝の動きにピッタリと食いついていく。
「嘘! 何この人!」
 額に脂汗を滲ませた輝は再び盾で真の視界を奪い、横から出した掌から強烈な光りを放った。
「うっ!」
 力を封じるこの攻撃を喰らいかけ、真は地面へ片膝をつけ着地する。その間に輝は隣のビルのてっぺんの高さ迄飛び上がると、腕を頭の上へと引いて反動の力ごと真へ槍を放った。
「これで終わりだあッッ!」
 黄金のように輝く青の刃はは先端を青い炎で燃え上がらせながら、地面へ、真へと向ってぐんぐんとスピードを上げる。輝の槍が突き刺さる――否、叩き付け地面を割る衝撃音が路地裏に鳴り響いた。
「やったか!?」
 輝は勝利の笑みを浮かべ槍の落ちた場所を見るが、そこに真の姿は無い。
「なっ!? 何処に!!」
 輝が地面をくまなく探すが、何処にも居ない。一体何処へ!? そう思った瞬間だった。輝の華奢な身体を、大きな影が覆っていたのだ。
「まさかの上ッ!!?」
 振り返りかけた輝の後ろ頭に、壁と壁を飛び舞い上がっていた真の拳が重力と共に落ちた。

 こうして真が闘う間にアレクが東雲の腹部を横から壁へ蹴り飛ばし叩き付けていたのだ。