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聖なる夜の、小さな奇跡

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聖なる夜の、小さな奇跡

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聖なる夜の、小さな奇跡


 
 キックベースボールが再開された。審判や監督は職員の人が勤め、孤児院に集まったメンバーはテーブルに集まっていた。


「ママに会いたい」



 メモにはその一言。そして、そのメモを書いたとされる女の子が、皆の近くでぬいぐるみを強く抱きしめたまま座っていた。
「あのね、キミ」
 最初にその子に話しかけたのは高崎 朋美(たかさき・ともみ)だ。
「ママにはいつだって会えるのよ。いつだってあなたの心の中に、ママはいるの」
「そうやで」
 高崎 シメ(たかさき・しめ)が続けた。
「あんたのお母はんはいつもあんたと一緒や。一緒にいる。感じひん?」
 優しくそう言い聞かせるが、女の子はふるふると首を振る。
 聞くところによると……彼女の母親はもうすでに他界している。しかも、かなり小さい頃にこの施設に運ばれてきたらしく、おそらく、母親の思い出、というものもほとんど存在しないということだ。
「思い出の品でもあればな……」
 武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)はそのように口にする。スキルを使って過去の思い出を呼び起こそうともしたが、思い出がない以上はどうしようもない。
「おかあちゃんはさすがに無理やわ、じょうちゃん。けど今日は、おばあちゃんがおかあちゃんの代わりしたろ」
 高崎 トメ(たかさき・とめ)が両手を広げる。が、女の子は「やー」と言って廊下の影に隠れた。
「うーん、どうしたものかねえ……」
 椅子の背もたれに体を預けてセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は呟いた。
「じゃんじゃじゃーん!」
 突然入り口からファンファーレを鳴らしてシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)がやってきた。
「シェヘラを連れてきたぜ!」
 そして後ろにいた人物を無理やり引っ張り出す。
「シェヘラザードさん!」
 泉 美緒(いずみ・みお)が驚きの声を上げた。そこにいたのはシェヘラザード・ラクシー(しぇへらざーど・らくしー)だった。
「シェヘラザードだとう!?」
 ドクター・ハデス(どくたー・はです)が立ち上がって構えた。ペルセポネ・エレウシス(ぺるせぽね・えれうしす)も、一緒に身構える。
「ちょ、なにごと?」
 いきなり連れてこられてシェヘラザードは困惑気味だ。シリウスに連れられて無理やり椅子に座らされる。
「誰か、簡単に説明してやってくれよ」
 シリウスは言う。代表して、朋美と美緒が大体の事情を説明した。
「生き別れの母親ねえ……」
「赫々云々って状況なんだけど、お前の呪術で何とかできねーか?! ほら、ヤポーニャ(日本)の口寄せみたく……霊を呼び出して憑依させるとかさ!」
 シリウスが身を乗り出してそう尋ねる。
「憑依ね……できなくもないけど、そのためにはその人を呼び寄せる力と、憑代とが必要よ」
 シェヘラザードは言う。
「フハハハハ! やはりなシェヘラザード! 貴様、その程度のことであきらめるなどと、このドクター・ハデスの足元にも及ばないということだな!」
「ちょっとあなたは黙ってなさい」
 セレンがハデスを引っ張ってどこかに連れて行った。
「だったら、オレの体を使え!」
 シリウスは言う。「はあ?」とシェヘラザードは表情を変えて言った。
「シリウス、いい、憑依っていうのはね、冗談で口にできるほど簡単なことじゃないのよ? 下手すれば体を乗っ取られたりするんだから!」
「わかってるって! 冗談で言ってるんじゃねーよ!」
 シリウスは真剣なまなざしをシェヘラザードに向ける。
「……オレもこの子と似たような育ちなもんでさ……その子が母親に会いたいって思っているのなら、少しでも会わせてやれないかって思うんだよ」
「シリウス……」
 シェヘラザードはふう、と息を吐く。
「可能かどうか試してみる。シリウス、ここに座って。集中」
 そして席を立ち、シリウスをそこに座らせた。
「【トランスシンパシー】を使って。その子の想いをどうにかして受け取って、【潜在解放】。ちょっとやってみて」
「おう」
 シリウスは席に座り、言われたとおり、スキルを駆使してみる。
 女の子の想いは強い。ママに会いたいという強い想いが、シリウスに伝わってきた。
 だが……それだけだ。強い想い。ただそれだけ。具体的な思い出や情景、言葉、顔立ち。その全てが空白で、暗闇だった。
「もういいわよ」
 シェヘラザードは言う。シリウスも無理だと感じたのか、素直に息を吐いて目を開いた。
「ダメね……主体的な思い出がなさ過ぎる」
 シェヘラザードが言う。
「フハハハハ! 残念でしたねシェヘラザードさん! その程度じゃあ先生を超えることなんて……」
「ペルセポネも。あっちいこうね」
 セレアナがベルセポネを連れてどこかへ行く。
「……やっぱり、その子自身の思い出がないと、無理なのでしょうか?」
 枝々咲 色花(ししざき・しきか)は小さく呟いた。シェヘラザードが「ええ」というと、女の子が握り締めたぬいぐるみにますます力が入った。
「見たかよ、どうせ、母親になんて会えないんだよ!」
 キックベースボールのボールが近くまで転がってきて、それを取りに来た男の子が女の子に向かってそう言っていた。
「こら、キミ!」
 ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)が男の子の前に立つ。
「ダメですよ、そんなこと言っちゃあ」
 高天原 水穂(たかまがはら・みずほ)もそう言うが、男の子はむっとした表情で叫んだ。
「ここがどんなところだと思ってんだよ! おれたちは捨てられたの! 母親が、母親であることを放棄したから、おれたちはここにいるんだよ!」
 男の子は言う。その声が周りにまで響いたのか、周囲の子供たちも沈んだ表情を浮かべた。
「おれは会いたいなんて思わねえよ! おれの母親だった女はな、気がついたらいなくなってて、そのまま帰ってこなかったんだ! おれと妹はずっと帰ってくるって信じて待ってて、腹が減ってても我慢して、ずっと、ずっと待ってたんだ! なのに帰ってこなかったんだよ!」
 男の子は目に涙を浮かべていた。
「会いたいって思っても、向こうがそう思ってくれないと、会えないんだよ! 向こうがそう思ってくれない限りは、もう会うことなんてできないんだよ!」
「そんなことないもん!」
 女の子が立ち上がった。
「そんなことないもん……会えるもん! ママは、わたしのこと覚えてるもん!」
 気がつくと、周りの子供たちはみんなが涙を浮かべていた。
「うわ、ちょっと、泣かないで!」
 朋美やシメ、トメ、そしてネージュ、かつみたちが子供たちの元へ向かう。どこかへ行っていたセレンやペルセポネたちも、子供たちをあやしに行く。女の子はぐずぐずと涙を浮かべ、袖でごしごしと涙を拭っていた。
「捨てられた、か」
 牙竜が息を吐く。
「どうしてもお母様とお会いしたいですか?」
 中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が女の子の肩を掴んで言う。
「会いたい」
 女の子は答えた。
「ママも、会いたいと思っていると思いますか?」
 続けて質問する。
「うん」
 女の子は、涙を浮かべた顔で頷いた。
「そうですか」
 たちまち、バチッ、っと音が響いて女の子が倒れる。綾瀬が【ショックウェーブ】を使った音だった。
「え?」
「ちょ、なにを!?」
 その場にいたメンバーが立ち上がる。しかし、綾瀬の周りにゆらり、と、なにかの影が姿を現した。綾瀬がまとっている漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)が、綾瀬の周りに人を近づけんとしていた。
「今、綾瀬の邪魔をしたら、この子は本当に死んじゃうよ?」
 影が声を放つ。その場にいたメンバーたちはどうすることもできなく、ただ、その光景を見ることしかできない。
「まさか……」
 シェヘラザードが声を上げた。
「仮死状態にして、一時的に冥界に送るつもり!?」
 シェヘラザードの推理に、皆が驚きの声を上げた。
「やめなさい! あまりにも危険すぎる! 冥界にいったって、母親に会えるわけじゃないでしょ!?」
 シェヘラザードが彼女に近づこうとするが、ドレスが彼女の行く手を阻む。
「実際に会えるかどうかは親子の絆次第になると思います」
「それは……」
 シェヘラザードは反論できなかった。確かに、親子の絆が強ければ、会える可能性はゼロではない。限りなくゼロに近いものではあるが……ゼロではない。
 だがそれは、彼女を一時的に冥界もしくはその近くに送るという荒療治あってのことだ。もし一歩間違えれば、彼女は二度と帰ってこない。
「く……シリウス、もう一度【トランスシンパシー】!」
「あいよ!」
 シリウスは言われて目を閉じた。彼女の、女の子の想いを、なんとかして受け取る。


 そこは暗闇だった。真っ黒い暗闇。手にしているぬいぐるみも、いつの間にかなくなっている。
「ママ?」
 ただ、その中にいっそう黒い何かがあるような気がして、女の子は手を伸ばす。
「ママ……そっちにいるの?」
 空中を泳ぐ、不思議な感覚。両手を伸ばし、足を動かして、その黒い一点へと手を伸ばす。
 やがて、そこから発せられる力に吸い寄せられるように彼女の体は動いてゆく。伸ばした手が戻せなくなり、そのまま、一方的に暗闇の中へ。
「ママ……っ」



「今すぐ戻して! これ以上は!」
「っ……」
 シェヘラザードの言葉に、綾瀬は【命のうねり】を使い、半ば強引に彼女を引き戻した。ドレスの影も薄れ、数人が綾瀬に駆け寄る。
「大丈夫。彼女はまだ生きています」
 ラナ・リゼット(らな・りぜっと)が女の子を抱えあげてそう口にした。
「あなた、なんてことを!」
「………………」
 セレンが詰め寄るが、綾瀬はなにも言わない。なにも言わず、ただ目をそらした。
「あー、なんていうのかな」
 そんな緊迫した空気を、シリウスの声が遮る。
「なんか見えた気がしたんだよ、女の人の顔って言うか、そんなものが」
「え……?」
 シリウスの言葉に、皆が顔を見合わせた。
 そしてその瞬間、ばたん、と大きな音を立てて入り口の扉が開いた。
 そこに立っていたのは葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)と……彼女に肩を貸すコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)の姿だ。
「コルセア……あとは任すでありますよ」
 吹雪はそう言って、入り口に寄りかかるように倒れた。コルセアは吹雪を残し、女の子の元へと駆ける。
「これを」
 そして、女の子の手になにかを置いた。それをしっかりと握らせ、そのままぎゅ、っと、彼女の手を握る。
「女の子とシリウスさんに【サイコメトリ】を! 今ならたぶん見える!」
 そしてコルセアは叫んだ。
 牙竜がコルセアに、月崎 羽純(つきざき・はすみ)が女の子に向かって【サイコメトリ】を使う。
「どういうことですか?」
 色花が聞いた。
「死ぬ間際に、」
 シェヘラザードがゆっくりと口を開く。
「過去の映像を見る、という説がある。一般的には、走馬灯と呼ばれているものだけど」
「走馬灯……つまり、母親のことを、思い出したってことですか?」
 色花がさらに聞く。
「わからないわ……でも、思い出はなくとも、母親と過ごした時間は間違いなく存在する。死に近い状態になったことで、『無意識の』意識を呼び起こしたってこと?」
 シェヘラザードはあごに手をやった。
「見える……確かに、誰かの顔が!」
 牙竜が叫んだ。
「こっちもだ」
 羽純が言う。
「歌菜、【アニメイト】を!」
「うん!」
 羽純の言葉に、遠野 歌菜(とおの・かな)が立ち上がる。
 そして、女の子の手を握り、スキル、【アニメイト】を発動した。
「喩え僅かでも、ママに会わせてあげたい。クリスマスの神様、お願いです。力を貸してください!」
 歌菜の体が、光に包まれる。そして伸ばした手を、羽純が握り締めた。
「みんなもだ! ありとあらゆる手を使うぞ!」
 羽純が叫んで、さらに、その手を伸ばす。
「はい!」
 色花が手を取る。【超感覚】で女の子のわずかな思いを受け取る。
「この子のまっすぐな思いを……叶えて!」
 色花の手はコルセアが握り、コルセアの手はセラアナが握る。【潜在解放】を使い、能力を解放させる。同じく【潜在解放】を使ったセレンが、セレアナの手を握った。
「お手伝いを致しますわ」
 綾瀬もその手を取る。
「フハハハ、俺も手を貸そう!」
 ハデス、ペルセポネも手を繋ぐ。
「俺に出来ることの限界……もし、本当のサンタクロースがいるならば、この子供の願いを一度でいいので叶えて欲しい。母親に愛されていると実感できるように……俺の願いだ!」
 そして、牙竜が。
「シェヘラ」
「ん」
 シリウスが、シェヘラザードが。そして、その手を、さらに、朋美が取った。
「叶えたろ。この子の想い」
「せやね。きっとできる」
 トメ、シメ。
「俺たちも手を貸す!」
「見せてあげましょう、お母さんを!」
 かつみ、ナオ、ノート、エドゥアルト。
「届いて……お願い!」
 ネージュに水穂。そして、美緒にラナ。
 いつの間にか子供たちも参加し、皆が手を繋ぎ、大きな一つの輪ができた。
「母さん……」
 先ほど女の子に口を開いた男の子も、手を繋いでいた。
 大きな一つの輪が、光に包まれる。そして、誰のスキルだろうか、誰の想いだろうか。一つの光景が、皆の頭に浮かんできた。
 


 優しく微笑む、一人の女性。そして、その女性を前に立ち尽くす、女の子。
 女の子の口が動く。女性は優しくこくりと頷いて、飛び込んでくる女の子の体を、真正面から受け止めた。
 優しさ、温かさ、嬉しさ。
 その全てが、その場にいた全員の手のひらに、伝わっていた。



「ママっ!」
 光が収まり、女の子が立ち上がった。すでに光は解け、皆が笑みを浮かべながら、女の子を見ていた。
「お母様にお会いすることは出来ましたか?」
 綾瀬がわかりきった質問をする。それは、みんなが見ていたのだから。
「……っ」
 女の子は信じられない、といった表情を浮かべたあと、こくこく、と数度頷いた。
 そして、手の中にある、なにかに気づく。コルセアが持ってきたものは、ロケットだった。
 上部にあるスイッチを押して、開く。そこには……皆が見た光景に出てきた女性と同じ、一枚の写真が入っていた。
「ママ……」
 皆が驚きの表情を浮かべる。
「お母様はいつでも貴方を見守っていますわ。ですので、寂しがる必要はございませんし、お母様に叱られないように生きていかねばなりませんわね?」
 綾瀬は微笑み、そう口にして女の子の頭を軽く撫でた。
「ね、言ったとおりでしょ?」
 朋美も彼女の目線に合わせてしゃがみ、優しく微笑む。
「いつだってあなたの心の中に、ママはいるの。ね?」
 そして、朋美が先ほども口にした言葉に、
「うん!」
 と、元気よく、女の子は素直に頷いたのだった。