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リアクション
桃舟に願いを満載して
曲水の宴にひな料理。ひな人形に流し雛。
ホテル『荷葉』の今日は雅やかな風情で溢れている。
「桃の節句というのは話には聞いていたが、変わった行事が多くて色々と学ぶことが多いな」
自分もどれか体験してみたいと思うのだがとジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)はあちこち眺めてみるが、ついつい目移りしてしまう。
ジュレールと共に一通り様子を見て回ったカレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)は遣り水近くで足を止めた。
「ボクは流し雛がしてみたいな」
「流し雛か。罪穢れを落としたり、願をかけたりするようだな」
「罪穢れ落としか願い事か……えーと、このボクに罪穢れなど無い!」
「……案の定、自分の罪穢れには目を瞑ったか。前向きなのはいいが、偶には過去を省みた方がいいぞ」
「う……」
寒い日にイルミンスールの寮のベッドから出たくなくて講義に遅刻したこと等を思い出し、カレンは言葉に詰まった。けれど、細かい罪は取り敢えず反省しておくとして、今日はポジティブシンキング。
「願い事たっくさんあるから、和紙人形にしておくよ」
「それは構わぬが、一体幾つ書くつもりだ?」
何枚も和紙人形を手にしたカレンに、ジュレールが突っ込む。
「たくさん書こうかと思って……駄目?」
「こういうものは1人1つだと相場が決まっておろうに」
「そうなんだ。確かに、1人でたくさん流すとご利益分散しちゃいそうだよね。よし、ここは一番叶えたい願いを1つに絞らないと」
どの願いにするか悩み始めたカレンへのお説教は後でまとめてするとして、とジュレールも和紙人形を手に取った。
ジュレールの願いは決まっている。
『 人になりたい 』
物理的な意味で人間になるのは無理なことだと承知している。故に、精神的な部分で人間に近づきたい。
(これも難しいことと分かってはいるが……)
こうして願いをしたためることが、己への確認にもなる。それと共に日々の努力を怠らぬようにとジュレールは肝に銘じた。
さてカレンはと見れば。
「う〜、1つになんか決められないよ〜」
和紙人形を持ったまま、うろうろとあちこち歩き回っている。
それだけなら良かったのだが、そのうち梅の木の下で地面をごろごろ転がりだした。
「おい、カレン……そのうち不審者として通報されても我は知らぬぞ」
「決められない〜、うわぁ〜どうしよう〜」
「そんなに何を悩んでおるのだ?」
「えーと……まず今よりもっと魔法の技術を高めたい、でしょ。あとは今よりもっとイルミンスールには高くなって欲しいし、趣味と実益を兼ねてやってるハーブショッパももっと大きくしたいなぁ、それからそれから……」
次々浮かんでくる願いと格闘した挙げ句、漸くカレンはむくりと起きあがって願い事を書いた。
『 この先ワクワクする様な冒険がたくさん待っていますように 』
「ちょっと抽象的かな。でも具体的な願いはこの先努力して全部叶うように頑張るよ」
桃舟に和紙人形を載せると、カレンは3回願い事を唱えた。
「それは流れ星を見た時にするまじないだろう」
「あ、そうだっけ?」
「……我は願い事を書き直したくなってきたぞ」
少しはパートナーが落ち着いてくれますように、と。だがそれは和紙人形に託したとて叶えられそうもない。
「あれこれ願い事を考えてたら、お腹がすいちゃった。あっちに美味しそうな食べ物が色々あるみたいだから、つまみ食いしに行こうっと。あれ、つまみ食いしたらまた細かい罪穢れが増えちゃったりして」
そしたら来年は福神社の形代のお世話になればいいからと、カレンは早速つまみ食いに向かうのだった。
去年もホテル荷葉の雛行事には参加したけれど、その時には裏方だった。
今年は手伝いでなく、純粋に参加者としてお祭りを楽しもうとしての参加だ。
雛行事に参加するとは連絡していなかったのに、神和綺人の実家からは和服が人数分送られてきた。それぞれ皆に似合う色柄で仕立てられており、一体どうやってこちらの動きを察知しているのだろうと不思議に思いはしたが、好意は有り難く受け取ることにして今日は皆その和服姿だ。
ホテルの中で着替えた後、庭をぐるりと巡り催し物を見ていた綺人は、流し雛をしている所で足を止めた。
「願い事か……これ書いてみる?」
「いいですね。やってみましょう」
たちまちクリスが乗り気になる。そのクリスに物言いたげな目をやってから、神和 瀬織(かんなぎ・せお)も頷いた。
「そうですね……お願いしたいこともありますし」
「それならやってみようか。ユーリも良い?」
「……ああ、構わない」
「だったらみんなで願い事を流そうよ」
ユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)の同意も得て、綺人は和紙人形を手に取った。
「うーん、願い事か……」
ちょっと考えた後、綺人はさらさらと筆を動かした。
『 四人仲良く いつまでも一緒に過ごせますように 』
「……真面目な内容だな」
綺人の書き上げた願いを見てユーリが言う。
「うん。やっぱりこの願い事かなって思って。でも、『いつまでも』って簡単なようで難しいよね……」
クリスとユーリはヴァルキリーと守護天使。どちらも地球人である綺人より寿命が長い種族だ。そして魔道書である瀬織に至っては寿命らしい寿命は存在しない。だから、いつまでも一緒に、というのは叶うはずのない願い事だと綺人にも分かっている。
それでも、叶ってほしい、と心から願う。
「願い事、願い事……うふふっ」
クリスはやけに楽しそうに願い事を考えている。綺人には聞こえていないだろうが、その隣にいるユーリにはクリスがぶつぶつと呟いているのが聞こえてくる。
「アヤと……がしたい。ああ、それともアヤに……させて……してもらう、とか、きゃっ。そんなこと私困ります〜」
「……」
クリスの妄想は聞かないふりをして、ユーリは自分の願い事を几帳面な文字で書き記した。
『 3人が毎日を元気に過ごせますように 』
振り回されることも多いけれど、それでも皆には元気に過ごして欲しいから。
「私も書けました」
クリスが見せた願い事に一体何を書いたのかはユーリは不安を覚えたが、そこにあった文字は、
『 アヤと結婚したい 』
「こういうのは1つに絞った方が良いですよね」
1番の願いとなるとこれだと、クリスと大切そうに願い事を人形に託した。
ユーリ同様心配そうにクリスの願い事を確認した後、瀬織が書いた願いは、
『 クリスが綺人に色んな意味で酷いことをしませんように 』
「この前、クリスが綺人を泣かせたのです。クリス、もっと良い子だと思っていましたのに、綺人にあんな惨いことをするなんて……」
「……2人に何があったのか聞かせてくれ。後でクリスに説教しておく……」
「はい。よろしくお願いします」
見た目は年下だけれど、実際はこの中では瀬織は最年長。姉のような憂い顔で瀬織は頷いた。
願い事を書く為の真っ白な和紙を前に、緋宿目 槙子(ひおるめ・てんこ)は今更願いと言われても、と呟いた。
あれを書こうかこれにしようか……と考えるのではなく、思いつくままに書いていたら紙全体が墨だらけになってしまった。
「筆なんぞ使うんじゃなかったな……ぐちゃぐちゃになってしまった」
書くものは筆やペン、クレヨン等色々用意されているが、和風の行事だから筆が良いだろうと思ったのが間違いだったようだ。
「師匠……願い事って普通1つだけだと思うんですけど……幾つ書くつもりなんですか」
槙子の紙を見た冴弥 永夜(さえわたり・とおや)は呆れて苦笑した。
「欲を出したら、効果がそれだけ薄くなりそうです」
「そういうものなのか?」
槙子はどこまでが1つの願いなのか判別不可能となった紙を見直した。
たくさんの願い事。けれどもう1つだけ……こっそりと書きたいことが槙子にはあった。
「何度も書いた今なら、米粒に字が書けそうな気がするな」
紙に僅かに空いたスペースに、槙子は小さな文字で願いを記す。
(書くのは米粒じゃないんだから、そな技術発揮しなくて良いだろ……)
苦心してちょこちょこと文字を書いている槙子を横目に、永夜も自分の願いを書いた。
『 今の生活をもっと楽しみたい 』
「案外普通な願いだな」
「怪我で倒れた時に暫く眠っていたりとか、色々ありましたから……。出来なかったことを今からでもやりたいんです」
それを要約して、楽しみたい、という願いとしたのだと永夜は答えた。
書いた文字を読めば普通だけれど、その中には永夜のこれまでの出来事を通しての願いがこめられている。
「師匠は何を書いたんですか?」
永夜の問いかけに、槙子はさっと願い事を書いた紙を畳んで和紙人形に持たせてしまう。
「私も、おまえと同じように普通のことしか書いてないよ」
弟子には言えない内緒の願い。大きな筆文字の間に小さく記した槙子の願いは、
『 弟子が立派な一人前になります様に 』
それぞれの願いを抱かせた和紙人形は、並べて桃舟へと載せる。
「女児の祭事に男児が交じるとは、時代は変化しているのだな」
「そうですね。流し雛……懐かしいな」
恋人がやっていたのを永夜は思い出す。今はもういないけれど……。
その感傷を振り払うように、永夜は槙子に誘いかけた。
「師匠、お酒好きでしょう? 白酒、飲みに行きましょう」
「……そうだな、飲みに行くか」
永夜の表情をじっと観察していた槙子は、何も気づいていないふりで頷いた。
「倒れるまで飲ませるから、覚悟しろよ」
「……倒れるまでは勘弁して下さいよ」
槙子なら本当にやりかねないと危ぶみながら、永夜はこちらですと師匠を雛料理のふるまいをしている部屋へと案内して行った。
流し雛は和紙人形と形代の2種類が用意されている。
両方の流し雛を紹介しようという為なのだが、興味を覚えてやってみようとするホテルの客が2種類ある流し雛に戸惑うことも多い。
ファイリアとウィルヘルミーナは流し雛用に設えた台のすぐ横に控えて、分からない人への対応を行っていた。
2人は接客をするならと、着物の着付けを習い、雛祭りについてのことも頑張って暗記した。付け焼き刃の知識ではあるけれど、質問されることはほぼ同じだから、憶えた知識で大抵は何とかなる。
「流し雛の由来ですか〜? これは中国から伝わった『上巳(じょうし)の節句』だと言われてるのです。その日に、水辺に出て身体を清めて災厄を祓うという風習があったのです〜。それが日本に伝わって、人形(ひとがた)を流す風習と混じり合って、日本ならではの行事になったのですよ〜。えっと、上巳っていうのは……」
思い出せずに焦るファイリアを、ウィルヘルミーナが助ける。
「上巳っていうのは、三月上旬の巳(み)の日のことです。ちょうど桃の開花時期ですので、雛祭りは『桃の節句』とも呼ばれるんですよ」
「そうそう、そうなのです♪」
何とか無事に説明を終えて、厄落としをしてみたいという客にやり方を教えて形代を渡すと、ファイリアはほっと息をついた。
「ありがとうです〜。今日のウィルちゃんはいつもより何だかおしとやかで大人っぽくて、頼りがいがあるですよ〜。その和服のせいでそう見えるのかも知れないですね〜」
「これですか?」
ウィルヘルミーナは自分で着付けた着物を眺めた。確かにファイリアのフォローも、いつもより落ち着いて出来ているような気もするけれど。
「和服って、人を落ち着ける効果でもあるのでしょうか?」
「服装はきっと色々影響があるですよ〜」
そう答えながらファイリアは、客の流れが途切れた今のうちにと、自分も和紙人形を取り上げた。
迷いなく書き上げた願いは、
『 本当のお母さんに会えますように 』
育ててくれた母も大好きだけれど、本当の母がどうして自分から離れていったのか知りたい。
「流し雛さん、ファイのお願いを叶えてくださいですーっ」
和紙人形に思いっきり願をかけて、ファイリアは和紙人形を桃舟に載せた。
「えっと、ボクも和紙人形もらってもいいかな?」
裏方の空き時間を見計らってやってきた真口 悠希(まぐち・ゆき)に声をかけられて、ファイリアはぱっと顔を上げる。
「あ、はいはい、もちろんなのです〜。お願いが叶うといいですね〜」
「ありがと……」
ファイリアから渡された和紙人形を、悠希はしばらくの間、ただ見つめた。
(ボク……愛した人の役にも立てず為にもなれず、理解し合うことも未だにできず……けど、ずっとこのままではいられない……)
いつか立ち直らなくてはならないことが分かっていても、踏み出す勇気がなかなか出ない。だから。
その勇気が湧いてくる様にと、和紙人形に願いを託す。
そっと桃舟に載せたその和紙人形はうつむきがちだったけれど、その姿は大切に願いを抱いているようにも見えた。
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