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曲水の宴とひいなの祭り

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曲水の宴とひいなの祭り

リアクション

 
 
 
 形代は遣り水にゆすがれて
 
 
 
 桃の節句は女の子のお祭り。
「えへへ、どうかな? この着物似合ってる? 香住姉とお揃いなんだよ♪」
 ほら、と着物がよく見えるように、祠堂 朱音(しどう・あかね)がその場で回って見せた。
 赤の地に薄桃色の花をあしらった着物に金の帯。髪には桃の生花を飾っている。
「うん、その着物、朱音ちゃんにとっても似合ってるよ!」
 水鏡 和葉(みかがみ・かずは)は心からそう褒めた。着物姿の女の子は可愛くて、見ているだけでも幸せな気分になってくる。
「こんな可愛い朱音ちゃんをエスコート出来るなんて光栄だよっ!」
 そう言う和葉の着物は黒にピンクのラインがアクセントになっている、大きめチェック柄の着流しで帯は黒無地だ。
「和葉ちゃんも着物カッコいいよー」
 朱音は満足そうに和葉の着物姿を眺めたけれど、葉月 可憐(はづき・かれん)はちょっと残念そうだ。
「和葉ちゃんも女の子の着物着ればよかったのに……何なら今からでも用意しますよっ♪ 私とお揃いなんてどうでしょうか?」
 裾に真紅の蝶をあしらった薄桃色の着物に菫色の帯、と可憐のチョイスは大人っぽい。今日一緒に出かける皆の中では比較的年長だということで、少しだけお姉さん気分で選んだ着物だ。髪もアップに結い上げて、簪で留めてある。
「……あの、可憐ちゃんが話しかけてるよ?」
 反応を返さない和葉を心配して、朱音が教えたけれど。
「うん……でも何だか振り向いちゃいけないような気がするんだ」
 何も聞こえない、何も気づいてない、と和葉は自分に言い聞かせた。
 その様子に神楽坂 緋翠(かぐらざか・ひすい)も、折角だから、と言い出す。
「俺も和葉には可愛らしい着物を着てもらいたいと思うんですが」
「緋翠まで……。ボクは女物よりこっちがいいんだよ」
 跡取り息子が欲しかった父の意向で、和葉はずっと男の子として育てられてきた。なので今更女物の着物を着たりしたら落ち着かない。
「何と言われても着ないからね」
「全く……頑固ですね」
 仕方の無い人だと緋翠は苦笑した。
 そんな緋翠と和葉のやりとりを聞いていた朱音が、にこにこと口を挟む。
「でも、みんな着物姿似合ってるよねっ。緋翠くんの着物も大人っぽくていいなー」
「そうですか?」
 落ち着いた紫の着流しに銀の帯、という姿の緋翠は朱音の言葉を微笑で受けた。
 和風の催しだからと、今日は皆着物で出かけようと示し合わせている。それぞれが選んだ着物はどれもその人らしさが出ていて、見ていて楽しい。
 アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)が着ているのは、淡いオレンジ色の着物と少し濃い目のオレンジの帯。普段は肩にかからせているセミロングの髪は、頭の左右でシニヨンに纏めている。
 須藤 香住(すどう・かすみ)は朱音と色違いのお揃いで、紫の着物に薄桃色の花の柄、帯は銀。
「着物を着るなんて久しぶり……歩き方、大丈夫かな」
 おかしくないかと心配そうに、香住は草履を履いた足を運んでいる。
「みんな素敵な着物姿だけど、シャルルくんの着物はおまけね。みんなでお揃いにしようっていったらいやがるんだもん」
 朱音に言われ、シャルル・メモワール(しゃるる・めもわーる)はあたり前だろうと声を上げた。
「僕が女物なんてありえんだろうが!」
 紺色の男物着物に銀の帯を締めたシャルルは猛然と抗議した。こんな時までおもちゃにされたらたまらない。
「絶対に似合うのにー」
 朱音はふふっと笑うと、待ちきれないように和葉の手を引いた。
「和葉ちゃん、あっち。ほら、面白そうなのやってる」
「はいはい。朱音ちゃん、お祭りは逃げていかないから、そんなに急がなくても大丈夫だよ」
 そう言いながらも和葉は素直に、朱音に手を引かれて歩いた。
「あ、向こうは何かな?」
「……と、朱音ちゃん、危な……」
「とと……あっ!」
「って……危ないっ!」
 つい足下がおろそかになって、転びかけた朱音を慌ててシャルルが抱き留める。
「たく、いつもの服装と違うんだから、気をつけろよな」
「シャ、シャルル? あ、ありがとう……」
「な、なんだよ、そのちょっと意外だって顔は。俺だって男だからお前くらい助けられるさ」
 照れもあってシャルルはむきになって言う。
「ふふ、シャルルくんは結構気が利くいい子……と」
「何メモしてるんだ可憐、やめろってー!」
 可憐からメモを取り上げようとするシャルルと、取り上げられまいとする可憐。それを目を丸くして眺めている朱音。
 そんな微笑ましい光景に、これがデバガメーズの楽しさかと和葉は頷く。
「人が多いですから騒がずに、それからはぐれない様にして下さいね……って、緋翠さんと香住さんは? もしかして早速はぐれてます?」
 振り返って注意したアリスは、きょろきょろと周囲を見渡して2人の姿を探した。
 
「あれ? 朱音……ど、どこにいるの?」
 花に見とれているうにち皆を見失い、香住は慌てていた。
 ほんの少し目を離しただけのつもりだったのに、どこを見回しても皆の姿を見つけられない。
「……どこにいるの……?」
 不安いっぱいの目で香住が皆を捜していると。
「大丈夫ですか?」
 目の前に差し出されたのは、緋翠の手だった。
「あ……あの……そ、その……ご、ごめんなさい……ワタシ……」
 その手を取ろうとするのに、香住はどうしても手を伸ばせない。
 手を宙に浮かせてほんの少し考えた後、緋翠はそっと着物の袖を差し出した。
「よければ、こちらを……。あの子たちのところまで、ご一緒させて貰えませんか?」
「はい……」
 緋翠の優しさを嬉しく感じつつ、香住はその袖の端を掴んだ。
 そこに朱音の呼ぶ声が聞こえてくる。
「緋翠くん、香住姉、ここだよー」
「行きましょうか」
 その声を頼りに、2人は皆の所に戻った。
「あれ? 香住姉どーしたの? なんか……複雑な顔してるけど」
「……何でもないわ……」
 香住が答えないので、朱音はこっそりと緋翠に尋ねてみる。
「緋翠くん、何かあった?」
「いえ……香住さん、随分と可愛らしい方ですね」
「緋翠、なんだか機嫌がいいねっ」
 和葉に言われて緋翠は、実家に居着いた子猫を思い出しました、と微笑した。
「あらあらあら、うふふふふ……なかなかお熱いようでっ♪」
 眼福とばかりにそんな様子を眺めた後、可憐は皆を今回出かけてきたメイン行事、流し雛へと誘った。
 
「流し雛というのは雛流しとも言うんですよ。雛形に厄を移し川へ流す行事、一年間女の子の想い育んだ雛人形に願いを込めて川へ流す行事。どちらもきちんとした神事ですが……今日は厄流しの方をしてみますか? 天学はよく厄災に見舞われてますし……」
 可憐は白い形代を手にして、そうだっ、といかにも良いことを思いついたように提案する。
「どうせだから皆でそれぞれ形代で撫であいません? 各々の穢れをすべて取り除くよう祈りを込めて」
 ちら、と可憐が緋翠に視線をやりながら言うと、空気を読んだアリスが同意する。
「そういうのも楽しそうだねぇ」
「という訳で」
 可憐はシャルルに向き直った。
「私はシャルルくんを撫でてあげるねっ♪」
「ってえ? あ、頭撫でるとか却下だ!」
「大丈夫、怖くないよー。お姉さんに全部任せてくださいね……♪」
「俺はお断り……って……」
 にこ、と若干黒い笑みを浮かべる可憐に、シャルルは逃走の構えに入ったが、
「シャルルくん、ダメだよ逃げちゃ。しっかり厄は祓わなきゃ……ねっ?」
 背後に回り込んでいたアリスがシャルルを羽交い締めにして、無邪気に笑う。
「おおおおおおおおいいいいいまてえええええ、やめろー!」
 外見はさておき、実年齢はたぶん自分が最年長のはず。なのに頭を撫で撫でされるのはたまらない。
「ふふ、シャルル楽しそうだなー。ねえねえ、僕もまぜてよ♪」
 皆があまり楽しそうだからと、朱音も形代を持ってくる。
「朱音、笑ってないで助けないか〜」
「……ふふ、頑張ってね♪」
「この〜〜っ!」
 抵抗むなしく、シャルルは皆に撫でくり回された。
「シャルルくんはこれで終わりね。次はアリスの厄を祓ってあげる」
 可憐はアリスの厄を祓うと、今度は和葉に自分の厄を祓ってくれるようにと頼んだ。
「それなら和葉ちゃんは後で私が祓ってあげるねー」
「う、ん……」
 アリスの申し出に頷くと、和葉は恐る恐る可憐を撫でる。
「なんか嫌そうですね」
「ううん、別に嫌いとかじゃなくて……」
 和葉は慌てて首を振る。可憐は実家にいる姉たちに似ていて、何をされるか分からない恐怖感のようなものがあるというか。
「ちょっと、に、苦手なだけで……」
「ええ、嫌いじゃないというのはわかってますよ?」
 そう言って笑う顔がやはり実家の姉たちを思わせて、和葉はごくりと唾を飲み込んだ。
 形代でお互いを撫でて、撫でられて。
 厄を移した形代は清らかな遣り水の流れに次々と放される。
 すいすいと水を泳いでゆく形代、要領悪く石に引っかかっている形代。
 あれは誰のだと指さす声も笑っている。
 こんな綺麗な春の日だから――ちょっと普段とは違ったことがあってもきっといい。
 皆の楽しそうな様子を見て、朱音はそう思うのだった。
 
 
 
 昔はあちこちで行われていた流し雛も、今では川に流すのもままならないらしい。伝統と未来の環境を天秤にかければ、しぶしぶであってもそれはこれからの方へと傾くのだろう。環境云々を気にしてしまう時点で、俗世の穢れが心にこびり付いているのだろうと思いつつ、牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)はパートナーたちを流し雛へと誘った。
 庭の遣り水へと歩いて行くその上流では、まだ曲水の宴が続けられている。
 曲水の宴に目を留めて、アコナイト・アノニマス(あこないと・あのにます)はそう言えばとシーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)から預かった紙を取り出した。
 奈落人であるアコナイトに身体を貸したシーマは、もし曲水の宴に参加することがあれば、と俳句を託していたのだ。代わりに詠むべきか、と書かれた文字に目を走らせ……いきなりビリビリと細かく裂いた。シーマが知ったら怒るかも知れないけれど、これを詠めというのは無理な話というものだ。
 そもそもシーマのセンスは壊滅的だ。子猫の名前を考えれば『ゴンザレス斉藤』と答え、服を買いに行かせれば、金色の文字で『芸能人 スーパースター』と書かれた、バフォメットがハエタタキを振りかざしているイラスト入りシャツを選んできた。誰が考えたのかと思うほどレアなそれを見つけ出し、チョイスしてくるのはある意味才能と言ってもいい。
 アコナイトが何を破っているのかを察したアルコリアは、
「その厄流してしまいなさいよ」
 と流し雛をしている遣り水を指さした。
 そこでは厄落としに身体にこすりつけた形代を、皆が楽しそうに水の流れに浮かべていた。
 白い形代は水にくるくる遊ばれながら、清らかな遣り水を流れてゆく。
「これが地上の催しですか……」
 アコナイトが物珍しそうに流れゆく形代を見やった。
「アコにゃんはこういう風流な催しは珍しいでしょ。だってほら、ナラカって一面毒の沼地で、ラジオ体操とかも音速でしないといけないような場所らしいから」
「もしかしてナラカ出身者を蛮族か何かと思ってませんよね……?」
「まさか。蛮族とラジオ体操なんて似合わないですよ」
 ふふふと笑うアルコリアに、アコナイトはちょっと困った表情で空を見上げた。
 所々に薄雲を刷いた空はふんわりと柔らかな光を帯びている。
「反吐の出るような戦場にいて、地獄のような場所で生まれましたけど、綺麗なものは綺麗って言いますよ」
 地上の空気は身体にあわないから、こうしてシーマの身体を借りないと行動することもままならないけれど、頭上に広がる青い空が嫌いなわけではないし、天にかかる虹、陽光を浴びる花園、どれも好きだし、綺麗だと思う。
「雛行事も綺麗です。私は好きですよ流し雛」
「アコにゃんはこういうの好きそうよねぇ」
 自分と同じように、ヴァイシャリーの景色を綺麗だと言った子だから、とアルコリアはアコナイトを見た後、その視線をラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)に移す。
 ラズンの方はアコナイトほどこの場所を気に入ってはいないようで、これ何の意味があるの、と退屈そうに流し雛を指してアルコリアに聞く。
「そこにある紙の人形で身体をこすって自分の罪穢れを移して、それを遣り水に流す……という行事ですよ」
「ふぅん……ラズンたちみたいなのを流刑に処す儀式なんだ。いらない子を捨てる催しなんだ」
 ラズンは納得したけれど、アコナイトはえっと声をあげて形代を見直す。
「それは……私たちのことでしょーか。穢れは忌といい、鬼などの姿で描かれたりするんですよね。奈落人、私たちみたいなのじゃなくて、鬼とかも居ますよ……?」
 自分まで流されたら大変だと、アコナイトは後ずさりして遣り水と距離をおいた。
「罪? 穢れ? それはみんなの一部だよ。それを切り捨てて、あー良かった? きゃはは」
 ラズンは逆に、楽しそうに形代をつまみあげる。
「ねぇ、汚い自分を捨てた人は綺麗な人? それとも、汚い自分を受け入れず汚れ穢れ災いと他人様のせいにする醜い人? ねぇねぇねぇ、誰か答え……」
 振り返って見たアルコリアは笑っているけど笑っていない。だからラズンは言葉の途中で黙った。
(最近のアルコリアはちょっとつまんないー)
 恋人が出来たせいなのか、無茶も控えめだし、たまに妙に優しい目をする。
(なんかヤダな)
 だから形代で身体をこすらずに、アルコリアがもっと凶暴で暴力的で血を好むようになりますように、と願いをかけて遣り水に放り込んだ。
「アルコリアは流し雛しないの?」
「私は見るだけで十分ですよ。綺麗じゃないですか。人の罪や穢れ。反吐のように吐き捨てたそれら、それらが好きなんですよ」
 ラズンの考えも他の皆の考えも否定しない、とアルコリアはラズンの流した形代の行方に視線を向けると、誰にともなく話し出す。
「よく、漫画なんかで『愛など反吐が出る』っておっしゃる敵役居るじゃないですか。とても純真で可愛らしいですよね。それを否定する主役側も純真です」
 本当に愛情を反吐のようなものだと思っているのならば、好んでその反吐を啜る人がいる、そう解釈すれば両者共に並び立つのに。
 愛は尊いものである、愛は汚らわしいものである、その主張が意味するのは一見逆に見えるけれど、そうではない。
 片や綺麗でなければ嫌と。片や綺麗でないから嫌と。
「どちらも綺麗を好んでいることに代わりはないのに……おかしくてたまりません。私みたいに頭のネジが捻じ切れた人間はどこに立ったらいいんでしょうね、ふふふ」
 アルコリアはそう言って笑うと、流し雛にうっとりとした目を向けた。
「ああ、本当に綺麗ですね流し雛。逢瀬の船のようで、流刑の船のようで……とても素敵……」
 真っ白な形代が負うものは罪か穢れかそれとも別のものか。
 遣り水を流れてゆく白を、アルコリアは飽きず眺めるのだった。