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リアクション
■ 始皇帝陵を渡る風 ■
夏休みともなれば、地球に帰る生徒たちも多い。
普段なかなか帰れないだけに、たくさんの土産を抱えて帰省する者たちは皆嬉しそうだ。
「黒龍くん、夏休みなのにお母さんの所帰らないの?」
一向に実家に帰る様子の無い天 黒龍(てぃえん・へいろん)に高 漸麗(がお・じえんり)はそう尋ねてみた。
「何が嬉しくて新年の挨拶以外で上海のあの女と顔を合わせねばならない」
上海の義母は黒龍の育ての親だが昔から嫌っている。生みの親は西安にいたが黒龍が物心つく前に他界してしまっている。地球に帰ったとて、会いたい家族などいないのだ。
黒龍のむべもない返事に、漸麗はしょうがないなぁと苦笑した。
「じゃあちょっと僕に付き合ってくれる?」
「そうだな。お前の気まぐれに付き合わされる方がまだましだ。……紀元前の遺跡にでも行くのか?」
英霊である漸麗がまだ生きていた時代。その名残の場所にと問う黒龍に漸麗は頷いた。
「そう、始皇帝……僕にとっては秦王様のお墓に」
そして2人は共に中国の始皇帝陵へとやってきた。
一面の緑。
その中にある小高い丘が始皇帝陵だ。
麓は公園に整備され、頂上の展望台に行く為の石の階段が設置されている。
ゆっくりと階段を上りながら、黒龍は気になっていたことを漸麗に尋ねた。
「しかし、ここの主である始皇帝はお前の仇では無いのか?」
高漸麗をパートナーにしてから、黒龍は文献で彼のことを調べるうちに知った。漸麗の知己は刺客として始皇帝の元に送られ、返り討ちにあったと。だから漸麗の始皇帝への憎しみは如何ばかりか、と思っていたのだ。
見えぬ目で遙か遠くを見通すように漸麗は答える。
「そうだね……秦王様はこの国に500年続いた乱世を終わらせて、始まりの皇帝を名乗った人……僕から最愛の友と、多くのものを奪った人だ。あの時は憎しみより絶望が大きかったかな。生きる意味を……しばらく見失っていた時期もあった」
それだけ言うと、陵墓を登り切るまで漸麗は口を閉ざした。
陵墓の頂上からの眺めは悪くなかった。夏の日差しを受けた緑が輝かんばかりだ。
尤もそれは漸麗には見えないものだが。
頂上の空気を確かめるように深呼吸した後、漸麗は再び始皇帝のことを語り始めた。
「この人は……不思議な人だった。憎んでいい相手だったのに、時が流れる内に、底の見えない孤独と闇に支配されたこの人を……たすけたい、なんて」
「……仇を……助けたかった、と?」
「仇だったけど……僕の音を心から愛してくれた人だったから……」
「情に絆されたとでも? ……理解に苦しむな」
仇が仇であることは変わらないのにと黒龍は思ったが、始皇帝のことを話す漸麗はそれが仇のことだと思えないほどに穏やかな表情をしていた。
「……それで? 今日は始皇帝の墓参りで来たのか?」
聞くと漸麗は首を横に振った。
「ここには……もう何も無いよ。この下に眠っているのは魂の無い入れ物だけ。……ねぇ黒龍くん。僕、あなたが西安に生まれたのは偶然じゃないと思ってるよ。あなたと出会えたことも、僕の音を聞いてくれたことも」
漸麗は微笑んで黒龍を抱きしめた。
「……今度は、あの人のような生を送らないでいいように、あなたが独りにならないように、あなたが迷わないように、筑の音は絶やさずにいるから。ずっと傍にいるから」
それは自分を始皇帝の代わりとして見ているということなのだろうかと訝る黒龍を、漸麗の柔らかな長い袖が包み込む。
(最愛の彼を忘れた訳じゃない。彼のことも、秦王様のことも、傍で見てきたからこそ――全部許すから。今度は大丈夫だから……小皇帝……)
心の中だけで呼びかける漸麗の衣が、黒龍の長い髪が……吹き渡る緑の風を受けてはためいた――。
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