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シルバーソーン(第2回/全2回)

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シルバーソーン(第2回/全2回)

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序章 闇夜の魔女

 カナンは1000年ごとに〈災厄〉に見舞われる。
 それは、宿命づけられたものだ。
 未来の出来事であって、必然の理であって、免れられぬもの。人はそれを運命と呼ぶ。
 表があれば裏があるように。天があれば地があるように。光あるものにも、影がある。
 それは《魔》と呼ばれるものだった。魔は時として人間に牙を剥く。
 魔物(モンスター)として、獣として、闇の眷属として、魔族として――そして、災厄として。
 《魔》の本質は、奪うことであり、破壊することであり、支配することであった。
 すなわちそれは、混沌と呼ばれるもの。
 混沌よ、生まれよ。生まれてそして、我らに祝杯をあげたまえ。
 さすれば災厄は光を奪う。やがては闇だけが世界を支配する。
 〈災厄〉は――永久(とこしえ)となる。



 闇に満ちた部屋だった。
 明かりと言えるものは、城の中を巡回する人間の魂の幻想的な光のみ。
 それは見ようによっては美しいと形容することも可能だったかもしれないが、果たしてどうだろうか。人間ならば、一瞬でも気を緩めばすすり泣くような幻聴が聞こえてるかもしれない、魂の回廊。そんなものを美しいと言うのは、魔物か、気の狂った酔狂な者か、あるいは――魔族だけだった。
「エクセレント! 人の魂にこぉんな有効手段があったとは驚天動地! モート殿の素晴らしき発想にスパァァキング!」
「うるせぇよ、ちったぁ黙ってろゼブル」
 壁をのぼっていく魂を見ながら興奮冷めやらぬ様子のゼブル・ナウレィージ(ぜぶる・なうれぃーじ)に、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)が吐き捨てるようにいった。
 鮮血に血塗られた特攻服が目立つ、いかにも暴虐を好みそうな契約者だ。
 そんな彼に、白髪で丸眼鏡をかけた酔狂なマッドサイエンティストの悪魔はケタケタと笑った。
「なぁにを仰るのですか竜造! モート殿の芸術的作品! 完全な形で拝見したぁいとは思わないのですか!」
「あー、そうかよ。好きにしてくれや」
 ゼブルは魂の原理がどうなっているとか、ザナドゥとはどう繋がっているとか、色々と講釈をのたまっていたが、竜造はそれを話半分で聞き流していた。
 するとそこにカツンと足音が聞こえる。
 振り向くと、ゼブルと同じく竜造のパートナーであるアユナ・レッケス(あゆな・れっけす)がどこかから帰ってきたところだった。
「おう、おかえり。どうだった、アバドンは?」
「う、うん、聞いてきましたよ」
 アユナは人なつっこそうな笑みを浮かべて答えた。
 一見すればなんとも普通の少女だ。しかし彼女は魔鎧であり、しかもその心の奥に言いようのない闇のようなものを抱えていた。血に濡れたナタを握っているのはその表れだろうか。
 彼女はたどたどしく話し始めた。
「ザナドゥの戦争のときは……その……準備をしてたんだそうです……。えっと、黒夢……城の……」
「へぇ、準備ねぇ」
「な、なんでも……その……ザナドゥで必要なものも、あったからって……」
 アユナが言うと、ぴくりと竜造は眉を動かした。
 必要なもの? と、訝しげにその意図を思う。しかし、アユナを見ても彼女はアバドンが話してくれたのはそれまでだったというように首を振った。
 そして彼女は話を終えると、禍々しい純白の外套となって竜造の身に纏われる。
「ちっ……まったく、趣味悪いぜ。人間の魂集めるなんざよ」
 くり抜かれた壁の中を伝う魂を見て、吐き捨てるように竜造は言った。
「そうですか? 僕には面白い作品に見えますけど……」
 と、竜造の傍で笑みを浮かべながら言うのは、音無 終(おとなし・しゅう)だった。
 常に微笑を浮かべているような能面の顔の少年に、竜造は怪訝そうな視線を送った。
「けっ、こんなもんを面白いっていうてめぇの気が知れねぇな。おまえ、実はそうとうヤベー奴だろ?」
「あ、分かります? そーなんですよ。僕ってどうやら他人よりちょっと変わってるみたいで」
 竜造の視線を軽く受け止めて、終はあははと軽薄そうに笑った。
(ふん……まあ、せいぜい楽しんでくれや)
 終の仮面の下に隠されている素顔など、竜造はさほど興味はない。
 どちらかと言えば重要なのは、いかに自分が暴れられるかということだ。最高の舞台を用意するということを聞いていたから、わざわざこの黒夢城への誘いにも乗ってやった。
 あとはその重要な舞台とやらを聞かないことには、何も始まらないのだった。
「おい、モート」
「はいはい……なんでしょうか?」
 竜造が呼びかけた先――部屋の奥にあった祭壇のような場所から、薄汚いローブを纏った男が降りてきた。
 名は、モート。
 1000年ごとにカナンに降り注ぐと言われている〈災厄〉の一つで、かつてはザナドゥにいたとされている魔族だった。詳しいことは分からないが、どうやら体を失っているらしい。だからこそ、斬っても貫いても、死ぬことはない。闇の魔力だけが、奴を構成する力なのだった。
「そろそろ聞かせてくれるんだろうな? 獲物のことを」
「ええ――もちろん。すでに準備は整っておりますよ」
 モートはそう言うと、後ろに振り返った。
 そして、その薄汚いローブの懐から禍々しい闇の水晶玉を取り出す。かつて、アバドンがネルガルを裏で操りカナンを混乱に陥れていたときに使っていたものと似ているような気がしたが、どうやら違うらしい。それは、モートが自分自身の力を溜め込んだ一種の媒体のようだった。
 その水晶級の中に、闇の炎のようなものが生まれる。
 揺らめくそれが一瞬だけゴッと燃えさかったと思ったとき、水晶球から空中に投影されたのは、ある場所の光景だった。
「これは……」
「ニヌア……?」
 竜造と終は、両名とも不安げにそう漏らした。
 モートはそれに満足げに頷く。
「そう……そして……」
「シャムス……!」
 続いて投影されている光景に現れた人物に、竜造が驚きの声をあげていた。
 そう。それはシャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)。南カナンを治める領主にして、全軍を指揮する勇敢なる黒騎士の姿だった。
 投影されている光景の中で、シャムスはどうやら一部の軍隊を引き連れてニヌアを出発したようだった。そこには当然、彼女の力になろうと集まった契約者たちの姿もあった。
 いまさら言わずとも、彼女たちがどこに向かおうとしているのかは分かるだろう。
 竜造は自分でも思わず愉快げな笑みを浮かべていた。
「ハハッ……いいぜ。奴らが来るってわけか。そりゃあ、確かに最高の舞台だな」
「あなた方には、彼らの足止めをしてもらおうと思っています」
「俺たちだけか? それとも、他にも呼んでるやつが?」
「現段階では、あなた方だけですよ。アバドン様の傍に六黒さんがいらっしゃったと思いますが……残念ながら私とは無関係です。ああ、あとは――伊吹綾乃さんぐらいですか」
 モートの告げた最後の名前に、竜造の顔が強ばった。
「伊吹がいやがるのか?」
「いる――というよりは野に放たれているというべきでしょうかね? 恐らく、彼女もここに来ることだろうと予想しているわけです。……見境なき殺戮者として、ね」
「ふん……あいつまで利用しようってのか。ったく、てめぇのやり方は反吐が出て仕方ねえぜ」
「ひゃひゃ……ありがとうございます」
 別に竜造は誉めたつもりはなかったが、モートにとってはそう受け止められるものだったらしい。
 そんな元魔族の〈災厄〉を見ていると、つくづく竜造はこいつとは合わないと思わざる得なかった。
「それで? どうなさるおつもりですか? すぐにでも乗り込んでくるかと思いますけど」
 すでに闇の水晶球からの投影は終わっているが、終はシャムスたちが真っ直ぐにこちらに向かってくるだろうと思っていた。
 もちろん、モートたちも。
 モートは目深く被ったフードの奥から、血のような紅い瞳をニタリとするようにのぞかせた。
「そのためのあなた方ですよ。私が何のためにお声がけしたのかは、もうご承知でしょう?」
「はっ……てめぇの駒になるのは気に食わねぇが……確かにこれなら思う存分暴れられそうだ」
 人間の魂を集めていることは自分の趣向とは合わないようだが、暴力と殺戮は願ったりらしい。その濁った瞳には、獰猛な獣の輝きが満ちていた。
「だけどな……言っとくが、俺はてめぇの配下になったつもりはねぇぞ。好きなときに好きなだけ、好きな相手とやらせてもらう。てめぇのケツはてめぇで拭きやがれ」
「ひゃひゃ……分かっていますよ」
 モートの下卑た笑い声を背後にして、竜造は部屋を出て行った。
 その背中を見届けた後で、モートは再び軽い笑い声をあげる。
「ひゃは……まったく、まるで鎖を引きちぎる虎か狼か。自由奔放なお人ですねぇ」
 そしてそれすらも楽しむかのように、愉快げにそう呟いた。
 と――
「僕はそんなことないですよ、モートさん」
 そんな薄汚い〈災厄〉に、終は微笑みかけた。
「あなたのために、全力で戦いましょう。《心喰いの魔物》のためにね――」
 まるで忠誠でも誓うかのような言葉を残して、終もまた部屋を出て行った。
 二人の契約者の姿がなくなり、モートは一人、闇の中に残される。
 居心地が良いその場所で、彼はふと頭上を見上げた。
 壁を伝う魂たちが、ゆらゆらと幻想的な光を散らして最上階へ昇る。まるでその光景は天へ向かう階段のようだ。そこには光も、そして闇もある。表があれば裏があるように。光と闇は混ざり合って解けていった。