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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

リアクション


●神社で思うエトセトラ。(2)

 レジーヌたちと入れ替わるようにして、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が絵馬を手にしていた。
「絵馬でもやっていくか」
 ところがこれを聞いてノーン・ノート(のーん・のーと)が、かつみのパーカーのフードから顔を出したのである。
「待て。かつみがなにを書こうとしているかはお見通しだ」
「おっといきなりだな」
 気色ばむ彼の目の前、桐のテーブルにノーンは降り立った。ノーンはかつみの手にしたフェルトペンのペン先を手で示して言った。
「『パートナーみんなが幸せになりますように』とか書くつもりだろう」
 なお現在のノーンはいわゆる省エネモードなので、一冊のノートに手足がついたような状態である。すなわち傍目から見れば、ノートがペンを指さしてなにやら物言いしているようにも見えたりする。
「まあ……図星だ」
 かつみは素直に認めた。ここは意地を張っても仕方がないだろう。
 ところがノーンはにべもない。
「ワンパターンだとか非難するつもりはないのだがな。せっかくの新年なんだから新たな気持ちで考えてみろ。はい、もう一回考えなおし」
 とダメ出ししたのである。腕組しての仁王立ち。まあノートブックが仁王立ちしてもあまり迫力はないが、それでも有無を言わせぬものがあった。
「いきなり却下かよ、容赦ねーな」
「そうとも、私は容赦がないぞ」
 ちぇ、と舌打ちするかつみだったが、ノーンの言う通りという気もした。
「……ならちょっと考えさせてくれ」
 言い残すと彼は、絵馬を手にしたままそこから離れたのである。

 赤いコートが翻る。榊 朝斗(さかき・あさと)は神社の境内を歩いていた。
 その右隣にはアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)が歩いており、頭にはちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が「にゃ〜にゃ」と鳴きながら座っている。
 そして左隣には……黒地の振り袖姿したルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)があった。
 例年通りの光景、なにも変わらぬ四人連れ……少なくとも、外見上は。
 だがすべては同じではない。むしろ、例年通りのところのほうが少ないかもしれない。たとえば、アイビスだ。
「残念だったわね、ソノダさんは今日、先約があるんだって」
 本当に残念そうにこう言っている。数年前なら、これほどはっきりと感情をあらわすアイビスの存在など信じられなかっただろう。
 ソノダは先に、エース・ラグランツたちに誘われていたからだ。しかしアイビスのために、後日話をしに来てくれるという。
「ありがたいよね。偉い人だよ、ソノダさんは」
 朝斗は言う。これは本心だ。彼はアイビスの母親……アデット・グラスという人物について、何点か気になるところをソノダ女史に訊いておきたかった。
 ところがそんな事情までルシェンは知らなかった。いや、聞いてはいたのだが情報は心の表層をなぞっただけで、記憶はどこかにしまい込まれてしまっていた。
 逆に、ルシェンの心を占めているのはまったく別の想いであった。
 ジェラシー、というのはストレートすぎるだろうが、要はそういうことだ。
 ――今年はソノダ女史と一緒に初詣しよう、そんなこと朝斗が言うなんて思いもしなかった。
 「有名人のソノダさん。こちら(アイビス)が僕の恋人です。よろしく。そしてサイン下さい」
 という、実際にはなかったはずのシーンすら、現実のように錯覚されてくる。
 ――これって、完全にアイビスと一緒になるってことなのよね?
 どうしてそういう結論になるのか読者も理解できないところだろうが、おそらくルシェン自身もわかっていないに違いない。
 自分のいないところで朝斗がアイビスをソノダに紹介していた。しかも、その様子が楽しげだった……というところから物凄い飛躍があってこうなっているのである。
 だから今日はずっと、ルシェンは不機嫌であった。朝斗とアイビスのことばかり考えてしまう。今のように何気ない会話であろうと、二人が話しているだけで胸が締めつけられそうになる。
 ――せっかく、朝斗がプレゼントしてくれた振り袖を着てきたのに。薄紫の帯しめて、蒔絵のかんざしだってしているのに。
 朝斗はアイビスばかり見ているように思う。彼女に魅了されているように見える。
 ルシェンの胸には、自分とアイビスを比べたい気持ちものたうっていた。
 アイビスも、朝斗から振り袖をプレゼントされていたのである。深いグリーンの地色でやはり古典柄、ルシェンとしては大いに悔しいところだが、和服はアイビスのようなスレンダーな体型のほうが似合って見える。
 アイビスの帯色は鮮やかな赤で、それもまた情熱的な気がして仕方ない。
 さらに彼女の黄色の牡丹のかんざしが、「どう? 朝斗は私のものよ」と挑発してくるように見えたりもしてしまう……ここまでくるとちょっとパラノイアかも。
 ――やっぱり朝斗……アイビスのことが……って?
「ルシェン、ルシェンってば」
 ずっと朝斗が呼んでいることに、今ようやく彼女は気がついた。
「なによ?」
 なるだけ平静を装って顔を向ける。しかし朝斗は難しい顔をしていた。
「ルシェン、隠してるつもりだろうけどさ、明らかに不機嫌そうな顔してるよ?」
「不機嫌じゃないわ。ご機嫌よ! 歌だって唄っちゃうかも〜!」
 朝斗は険しい表情を解いたがそれでも溜息をついた。
「それ、嘘だよね? なんか半年前から思いつめてる様子だし……。これでも十二年以上一緒にいるんだ。大体のことはわかるさ」
 朝斗の頭に乗ったあさにゃんも、「にゃにゃ」としきりとうなずいている。
「嘘じゃないもん! いまだって猫耳を朝斗の頭につけたいと思ってるし!」
 さっと懐に手を入れて、彼女はおなじみネコ耳メイドカチューシャを握りしめていた。どんなときだってルシェンはこれだけは用意している。もはや日常携行品である。
 いつもならここで「なんでここでそうなるのー!」と朝斗が逃げ出してこれをルシェンが追い、アメリカの古典カートゥーンのように擦った揉んだのチェイスを演じたのち最終的にネコ耳メイドと化した彼が「いつもこうなるんだー」と涙目になる……という展開になるところなのだが、今日は違った。
「ルシェン。本心を隠そうと猫耳メイドを突然振っているのも丸わかりだよ」
 またもやちびあさにゃんが「にゃにゃ」とやった。なおアイビスは、ここで口を出すべきではない――という様子で半歩下がって二人を見つめている。
 そんなことを言われても収まりがつくものではない。ルシェンはやぶれかぶれで声を上げた。
「うるさーい! 黙ってネコ耳になりなさーい!」
 しかし飛びかかったルシェンの右手首は朝斗につかまれ、カチューシャを握った状態のままぐいと引っ張られた。思わぬ流れにバランスを崩して、足袋をはいたルシェンの足は石畳の上でたたらを踏む。
 朝斗はルシェンの手首をつかんだ左手を解かず、さらに右の腕を彼女の背に回した。
 すとん、と彼女は、彼の胸に抱きとめられた。
 二人の顔の距離が十数センチ、さらに数センチへと一気に縮まる。
 そして朝斗は、
「ルシェン、ちょっといい?」
 と手短に断って彼女の唇に、自分の唇を重ねたのだった。
 一秒……二秒……永遠のような数秒が、二人の間だけで流れた。
 振り上げたルシェンの手は力なく垂れ下がった。それでもカチューシャを手放さないのは立派である。
 驚きに見開かれていた目が恍惚の半月になり、やがて閉じられた。
 朝斗も男だ。中途半端なキスはしなかった。ぐいと彼女の唇を割るようにして舌を差し入れた。瞬時歯でこれを拒もうとしたルシェンだが果たせず、自分もおずおずと舌で、彼の求めに応じていた。
 甘い――朝斗の口づけは、なによりも甘かった。
 膝がへなへなと崩れそうになる。乳房の先が痛いくらいに張る。切ない声が漏れそうになった。失神するのではないか――そんな予感があった。
 優しく右腕に力を込めると、朝斗はルシェンを支えて唇を離した。唾液が糸を引いてそれでも二人をつなぎとめようとするが、すぐに切れた。
「ごめん、急だったかな……」
 手の甲で口を拭って朝斗は言った。
「でもこうでもしなきゃ聞いてもらえそうもなかったから」
 ルシェンは応じる言葉が出せなかった。ずっと彼に抱かれていたかった。
「一昨年の今頃だったかな、僕はあのとき言ったよね。『憧れのお姉さんというのだったら、僕にとってそれは、ルシェンだよ』って」
 つぎの言葉はすこし勇気が必要だったが、言うべきときだと朝斗は理解していた。
「今では僕にとって一番愛してる女性(ひと)なんだから……ね?」
「あさと……」
 ルシェンは頬にむずがゆいものを感じてようやく、自分の目から、涙の粒がこぼれ落ちたの知った。
「好きだよ。ルシェン。僕は君が好きだ。誰よりも」
「も……も……」
 真っ赤になってルシェンは彼を突き飛ばした。
「もうなによ、いきなりっ! バカっ! 晴れ着濡れちゃう! こんなときに……不意打ちなんて……不意打ちの告白なんて……」
 さすがにこの反応は予想外、朝斗は冷たい石畳に尻餅をついてしまった。
 ところがルシェンはしゃがむと、そんな彼の顔を抱え込むようにして顔を近づけた。
「でもありがとう。嬉しいよ、朝斗……好きだって、愛してるって言ってくれて……あいじで……うううー」
 クールにキメたいところだったが涙腺が崩壊、ボロボロと涙が出てきて、後半はなんだか凄い声になってしまった。
 ここでようやくアイビスが動いた。さっと移動してきたあさにゃんを肩に乗せたまま、しゃがみこんでハンカチをルシェンに差し出した。
「よかったね、ルシェン。これ使って」
「うう……ごめんね……アイビス……私…………」
「いいって。気にしないで。だって私たち、友達でしょう?」
 比較的冷静だったアイビスもさすがに驚いた。この一言がまさか、ますますルシェンを泣きじゃくらせることになるなんて!
 石畳に座り込んだ朝斗、同じくしゃがみ込んでわんわん泣くルシェン、やっぱりしゃがみ込んで動けないアイビス、アイビスの肩で、なにやらもらい泣きしているのか目をウルウルさせているあさにゃん……なんとも麗しく、照れずに書けば青春な構図が、その後しばらく続いた。
「なんか私、まるっきり道化じゃない!」
 ようやく落ち着いて事情を飲み込み、ルシェンが発した言葉がこれである。
 アイビスの母親がおそらく、アデット・グラスという名でソノダ女史の旧友ということ。アデット・グラスの詳しい情報や、以前アイビスが神社で感じたフラッシュバック、ドクター・ミサクラという名前についての調査を行うべく、彼らはソノダ女史と会う予定であること……これらについて、ルシェンは説明を受けてやっと理解したのである。
「なによもー、最初からそう言ってくれればいいじゃない」
 なんだか急に親愛の情が出てきたのか、ルシェンはアイビスの手を握って言った。
「説明したかったんだけど……ちゃんと話せる機会がなかったから……ルシェン、私を避けてたし」
「ごめん! それは本当に、ごめん! 今度からは何でも話してね」
 菩薩っぽく優しい顔のルシェンである。なんだかほわわんと、上気しっぱなしの彼女なのだった。
 ――まあこれで、人間関係は修復ね。
 アイビスとしてもこの結果は満更ではなかった。やっとこれまでのギスギスが氷解したし、あとは自分の謎にだけ注力すればよくなったのだから。
「気を取り直して初詣を再開しようか」
 朝斗が手を伸ばすと、ルシェンは彼の手をしっかりと握った。でもルシェンの反対の手は、アイビスの手を握ったままだった。
 ――温かい。
 アイビスはルシェンの体温を感じて小さな笑みを浮かべた。
 でも、自分とルシェンは普通に手を握っているだけだが、ルシェンは朝斗と指同士をからめあうような握り方……いわゆる恋人握りであることにも気がついた。
 数十センチ先の距離にいるはずなのに、今のアイビスには朝斗が、少し遠い場所にいるように見えた。
 ――どうしてかな?
 アイビスは思った。
 どうして今、この嬉しい気持ちのなかに少しだけ、寂しい気持ちが混じっているのだろう。