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リアクション
第一章
1.
「ハル、そっちの書類を取ってくれないか?」
シャギーの入った黒髪を揺らし、上月 凛(こうづき・りん)は視線を向けないままにハールイン・ジュナ(はーるいん・じゅな)へと手を伸ばした。
「どうぞ」
細い指先に束ねた書類を載せ、ハールインはそっと凜の横顔を伺う。
今回の件に関して、裏方で飛び回るほうを選んだ凜の選択は、「あの子らしい」とハールインは思っていた。ウゲンの正体や色々な謎について、その小さな頭の中では考えているらしいが、こうして動く人間も必要なのは事実だ。
実際、彼ら二人は、ディヤーブ・マフムード(でぃやーぶ・まふむーど)と共に、準備の段階からてんてこ舞いの忙しさだった。
御前試合に出場する選手への連絡、試合の組み合わせと順序の決定、生徒たちの宿泊先、観光案内の手配、周辺への根回しや招待状の発送……と、やるべきことは尽きない。
勿論、他の数名の生徒たちも手助けをしてくれていたが、中心となっている三名は、このところゆくり休む暇もないほどだった。
『実行委員会室』と看板の掲げられた部屋のドアが、静かに開き、ディヤーブが入ってきた。凜とハールインは、微かに会釈をして彼を出迎える。
「……宿泊先は、ジェイダス様のお屋敷で良いそうだ」
短く言うと、ディヤーブはあいていた椅子に腰掛け、留守の間にすすんでいた書類に目を通しはじめる。
「そうですか。では、助かりますね」
ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)は、元は王族の一人だ。パラミタに移住したとはいえ、手持ちの屋敷はいまも地球に残されていた。そのうちの一つを使うことになったらしい。
「……対戦は、ご指示の通りくじで決定。タイムテーブルはこの予定。……けど、審判は誰が?」
対戦組み合わせの表と、タイムテーブルをまとめた書類をディヤーブへと差し出しながら、凜がそう尋ねる。
「ラドゥだ。最終的には、ジェイダス様がなさる」
「ああ……」
なるほど、と凜は思う。ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)であれば、多少強引な決定であろうと、生徒たちは納得せざるをえないだろう。
凜のとりまとめた文面を一読すると、頷きながらも、ディヤーブはふと沈痛な面持ちでため息をついた。
「なにか……」
不足でもあったろうか。凜がそう思い、尋ねると、ディヤーブは「問題ない」というように片手を振った。しかし。
「警備態勢は、常にAランクを保持だ」
短く告げられた言葉に、凜とハールインは、微かに目配せをした。
――不安は、最初からあった。
鏖殺寺院が、なんらかの妨害を試みてくるであろうこと。それはもはや、ほぼ確定事項に近いのだろう。
(出場者には、周囲の地形やなんかを一応知らせておいたほうがいいのかな。王族達にはそれぞれ護衛がついてくるだろうけど、イコン戦となると……)
凜の脳裏に微かにちらつくのは、鏖殺寺院の黒いイコンだ。
ウゲンが目覚めたあの黒薔薇の森の一件以来、あきらかに接触してくることはないが、彼がまたその姿を現さないという保証もない。
しかし今は、不安に振り回されている時間の余裕はない。
様々な謎も、イエニチェリが決まれば、いつかはわかることなのだろう。
今はとにかく、この御前試合が無事に終わるよう。凜は作業へと意識を戻した。
それから数日後。
一行は、ひとまずは無事に、目的地であるドバイへと辿り着いた。
湿度はあるものの、この時期はそれほど気温が高くないせいもあり、どこか爽やかだ。
上空から見た砂漠の景色とはうってかわって、移動中に通った都市部は、近代的な高層ビルが建ち並ぶ大都会でもある。その激しい二面性が、この都市の魅力でもあるのだろう。
宿泊先は、予定通り、ジェイダスが所有する屋敷だった。……いや、屋敷というだけではない。この屋敷がたつ人工島そのものが、彼の所有物だからだ。300以上の人工島が集まる地域は、ザ・ワールドと通称呼ばれている。交通手段は、ヘリコプター、水上バイク、ボート以外にはない。ある意味、完全なプライベートアイランドだ。
その中央に建てられたジェイダスの屋敷は、アラブ風というより、ほぼ完全な和風御殿だった。瓦屋根に、木造の柱。棟同士は板張りの渡り廊下で繋がり、中庭や小川がその間に配置されている。ジェイダスらしい趣味ではあるが、南国の島に鎮座する和風建築は、やや違和感もある。
こちらはこちらで、準備を調えていたらしい。数年使われていなかったとは思えないほどに、どこも美しく清掃され、荘厳さと同時にどこか暖かみのある空気が生徒たちを歓迎した。
そして、なによりも彼らを歓迎したのは。
「お久しぶりです、お兄様。そして、ようこそいらしてくださいました、皆様」
そう、微笑んで出迎えた、ヤシュブという少年だった。
どうやらこの屋敷に関することは、彼がすべて手配をしてくれていたらしい。
「久しいな。……元気そうで、なによりだ」
「お兄様もお変わりなく!」
差し出された手に、頬を赤らめ、幸福そうにヤシュブは微笑む。背が低いため、ジェイダスを見上げる黒い瞳は、憧れと喜びに輝いていた。
浅黒い肌と、やや癖のある黒髪という以外、あまりジェイダスには似ていない。彼は、ジェイダスの母違いの弟にあたる。今年で十五歳になるが、身体が弱く、滅多に外出すらしない。こうして出迎えに直接彼が来たのは、それだけでも大変な歓迎の証拠でもあった。
「来てくださって、本当に嬉しいです!」
「あまりはしゃぐな。身体に障るぞ」
そう窘めはするものの、ジェイダスの口元にも柔らかな笑みが浮かんでいた。……後方で、小さくラドゥが舌打ちをしたようだったが、あえてそれを指摘する者はさすがにいない。
「御夕食の支度は調えております。今日はゆっくりお休みになってくださいね」
明日は観光や準備をし、御前試合は明後日というスケジュールになっている。
生徒たちは、用意された夕食を堪能し、それぞれに与えられた部屋へと戻ると、ひとときの休息を楽しんだのだった。
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