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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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「ここから下りれないかしら?」
 時間をかけてなんとか釘で打ちつけられていた板を半分引きはがすことができたハリール・シュナワは、窓を開けて下を覗き込んでいた。
 張り出しの類いは一切なく、足先をかける場もない。2階だが、高床なのでほぼ3階と同じくらいの高さがあった。しかし下には芝生程度の草が生えていて、少しは弾力性がありそうだ。
 見張りがいないときに、受け身でなんとか……。
「やめた方がいいですよ。足を折るのがせいぜいです」
 突然背後でそんな声がした。
 バッと振り返ると、異国風の服を着た少年が供を連れて立っている。
「アタシュルクの魔女たちのように、魔獣を召喚・使役できるなら別でしょうけれど。ハリールさんはその手の能力が使えないようですからね」
「……何の用?」
 いつからそうしていたのか……いつの間に部屋に入られたのかも、声を聞くまで全く気づけなかった。今こうしていても2人の気配はほとんど感じられない。
 少年に見覚えはあった。2日前の夜の襲撃で彼女を連れ去ろうとして、不意打ちで我が身を蝕む妄執をたたきつけてきた相手。そしてその後ろにいるのは昨日、イコナたちと逃げていた最中突然空から彼女を急襲した男だ。どちらもカナン人ではない。
 カナン人でもない者が、なぜアタシュルクに味方をするのか。
 あからさまにこちらを用心しているハリールを見て、少年高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)はくすりと笑う。
(面白いほど顔に出る女だな)
「なに、他意はありません。お互い待ち人が来るまで暇な者同士、お茶でも飲んで暇つぶしでもどうかと思いまして。――広目天王」
 玄秀の指示に式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)が動いた。玄秀で隠れて見えなかったが、手にはティーセットの乗ったトレイが握られている。それをテーブルまで運び、お茶の準備を始めた。また薬でももられるかとその動きを注視していたハリールだったが、不審な動きは今のところないようである。
「いやですね。ただのお茶ですよ。僕も飲みます」
 それと察した玄秀はさっさと席につき、同じティーポットからそそがれた紅茶を口に含んで見せた。
 そう、薬などは使わない。
 玄秀の目的はほかにあった。だがそのためには疑惑に固まった用心を解きほぐし、揺さぶりをかけ、隙をつくらねばならない。そこからこじ開けて一気に掌握する。
(こういうことが得意な者に頼めたらよかったんだが…)
 あいにく彼の所在は不明で、今どこにいるかも分からない。である以上、自分でやるしかないだろう。その場合、うまくいくかは賭になってしまうが。
「昨夜はセイファ殿と大変有意義な時間を過ごされたようですね」
 警戒しつつも腰かけ、カップに手を伸ばしたハリールの指の動きが止まった。わずかに触れた指先で、カチャッと陶器が音を立てる。さらに重ねて言おうとした直後。突然バーゲストたちが激しく吼え立て始めた。ほぼ同時に玄関ドアに何か固い物がぶつかった音がして、階下が騒がしくなる。バーゲストがうるさくて何を言っているかまで聞き取れないが、いつまでもやまないざわめきに不穏な気配がする。玄秀は立ち上がった。
「主、私が見てまいりましょうか」
「いや、僕が行こう。失礼します、ハリールさん」
 階下に下りてみると全員が玄関を入ってすぐの部屋に集まっていた。ドンネルケーファーが天井近くをブンブン飛び回っているが、雷撃を放つ様子はない。
「どうかしたんですか」
 玄秀が声をかけると男たちが振り返った。開けた隙間から見えたのは短く刈られた赤い髪。南條 託(なんじょう・たく)が、両手を上げて立っていた。敵意はないと言うように手のひらをこちらへ向けている。
「こいつが突然玄関をぶち破って入ってきたんだ」
 男の1人が玄関を指さした。ドアは強烈な一撃を受けたのを物語るようにフレームが割れて、上の蝶番が壊れて傾いている。
「べつに悪意があってやったんじゃないよ」
 全員の視線がそちらに向いたのを見て、託はしれっと弁明した。
「高速で飛んできたせいで、止まるタイミングを間違えてねえ。ぶつかっちゃったんだよ」
 全然悪びれたふうもなく、恥ずかしがる様子もない。すぐ横の男がにこにこと笑う託の胸倉を掴み、引っ張った。
「てめェ、真っ赤なうそつくんじゃねえ!!」
 鼻先数センチのところで怒鳴られる。託の顔から笑みは消えたが、やはりおびえている様子は皆無だ。
「まあまあ」玄秀がとりなすように前に出た。「それよりも、ドアを直した方がいいですよ。仲間が突入してくるかもしれません」
「……チッ」
 玄秀の言うことはもっともだ。託から放り出すように手を離した男は数人に合図をして、一緒にドアの修復へと向かう。ドアはフレームからはずれただけでなく、少しへしゃげてもいるから、交換が必要だろう。
「仲間はいないよ。僕の独断で、勝手に先行してきただけさ」
 かなり酷使したのだろう、彼の背中では彗星・輝がまだ熱を排出していた。
 あっさり口にした託を、半信半疑の目で見上げる。
 広目天王を偵察に向かわせれば、それが真実かどうかはすぐ分かるだろう。
「では何の目的があってこんな無謀な真似をしたんですか?」
「ハリールに会いたい」
 その返答に、納得しかねるというように玄秀は小首を傾げた。
 もっと詳しく、との無言の催促に、託は肩をすくめて見せる。
「あの戦闘のなかで連れ去られちゃったからねえ。彼女が無事か確認したい。それだけだよ」
 その返答を聞いてもまだ疑いの眼差しでじっと見つめてくる玄秀に向かい、託はさらに無邪気に言った。
「会わせてくれるかな?」


 玄秀は託を伴ってハリールの部屋へ戻った。
「あなた」
「やあハリール。脇役が助けに来たよ」
 親しげに笑って近づく彼をハリールも知っていた。口をきいたことはなかったが、馬車での移動生活でたびたび仲間たちと親しく話している彼を目撃していた。
「無事だったんだね、よかった。どこもけがはない?」
 そう言いながら、自ら点検するように彼女の両手をとる。ハリールはまだ驚きから冷め切らない表情で託を見上げていた。
「どうしてここに?」
「きみを1人にしておけないと思ったから」
 肩越しに視線を戸口の壁にもたれて腕組みをしている玄秀へと向ける。
「彼女と2人にはしてもらえないのかな?」
「今の状況で、さすがにそれは高望みしすぎというのはご自分でも分かるでしょう。どうぞ僕のことは壁のしみとでも思ってください」
 皮肉げに片ほおで笑う玄秀。託も期待はしていなかったので、それ以上言うのはやめた。
 きゅっと手のなかのハリールの指にこもった力が強くなるのを感じる。
「ラブは……彼女のこと、知ってる…?」
「うん。無事だよ。元気にコアをしかりつけてた」
「そう」
 なぜそうなるか分からなかったが、想像するのはたやすかった。道中でもラブはいつもそんな感じだったからだ。
 くすっと笑ったハリールに、そっと顔を近づけてささやく。
「大丈夫。ほかの人たちもすぐ来てくれる。そうしたらこんな所、さっさと脱出して、竜を鎮めに行こう」
 それを聞けば安心すると思ったのに、ハリールは思いもよらない反応を見せた。
 すうっと幕を下ろすように表情が消える。かすかに震えているのが手から伝わってきたが、怖がっているようでもなさそうだ。
「何かあったの?」
「――あたし…」
「気にしなくてもいいんですよ、ハリールさん」玄秀が言う。「どうせあなたに選択権はないんです。このままここにいればいい。それで自分ではどうすることもできなかったという恰好の言い訳が手に入ります」
 目にもあきらかにハリールの体がビクっと揺れた。蒼白している。
「それはどういう意味?」
「やめて」
 ハリールをこんなふうにした玄秀をにらみつけた託を、ほかならぬハリールが止めた。
「何かあったんだね。何を聞いたの」
「…………」
 言いたくないのか。
「ねえ。僕もここにいていいかな? その方が部屋を別にして2部屋見張る手間がはぶけるでしょ?」
 託の提案に玄秀が答えようと口を開いたとき、かちゃりとドアノブが回って毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)が中に入ってきた。
「侵入者が現れたと聞いたが……どうした? 話の邪魔をしてしまったか?」
「僕もハリールと一緒にこの部屋にいていいか訊いていたところ」
「ああ、なるほど」
 大佐はうなずくと、あっさり応諾した。
「かまわないだろう? 私がここで見張っているからな」
 椅子を引き出し、どかっと座った大佐を見て玄秀は眉を寄せたものの、反対しようとはしなかった。
「そうですか。では僕はこれで失礼します」
「お茶の交換を頼んでくれ。もう冷めているようだ」
「……分かりました。3人分ですね」
 あっさり出て行き、部屋には大佐と託、ハリールの3人だけになる。
「大丈夫、僕もいるから」
 ハリールの手を握り、託は力づけるようにそう言った。