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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

リアクション

「ハリール?」
 彼女の見せた反応に全員が驚いた。なにしろこれまで自分こそが対話の巫女と名乗り、一族の者に拒否され殺されかけても意思を曲げずに強気でいたのだから。当然今も率先して「早く行こう!」と言うとだれもが思っていた。
 いぶかしむ目で見つめられ、ハリールは視線をそらしてしまう。ぎゅっとこぶしに握られた手が、かすかに震えていた。
「ハリール、話すべきだよ」
 先に部屋である程度事情を聞いていた託が静かに告げる。
「……そうね」
 うつむいた顔を上げると、決意の表情でハリールは語った。それは、昨日舞香や佳奈子たちが馬車で聞いていたことから始まり、誘拐後、彼女と母親の逃亡を手助けした母親の幼なじみセイファ・サイイェルから聞かされた内容まで。
 いわく、イルルヤンカシュは銀の魔女とつながっていて、対話の儀式というのは彼女の目覚めを妨害しているのだということ。しかもその理由は、アタシュルク一族が東カナンで特権を得、権勢を誇るためという、ある種身勝手な理由によるものだった。
 対話の巫女はこの地の繁栄にイルルヤンカシュを利用し、代々彼女に再封印をほどこしてきていたのだ。
「あたしが……対話の巫女の証明をするっていうことは……そういうことなの」
「そんな…」
 話を聞いた何人かは絶句した。
「唯一無二の特権か。特に目新しい話でもないわね」
 ルカルカが淡々とした声で言う。
「国のために個人を犠牲にすることは、残念だけどどの国でも行われているわ」
「けどよ、ルカ。やつらはべつに国のためにやってるんじゃねーぜ?」カルキノスは眉をしかめて嫌悪を見せる。「自分たちがいい目を見るためだ」
「そうね。でも、必ずしもそれが彼らの強欲にばかりつながっていたとも限らないわ。この地で生きるために必要な手段だったのかもしれない。新風くんが報告してたわね、2年前のネルガルの乱でイナンナの加護が薄れ、魔物たちがはびこったとき、氏族長である対話の巫女がこの地の人々を守ったって。それこそ自らの命を縮めてまでね。そういうことかもしれないわ。憶測だけど」
「だからって犠牲を認めんのか? 俺には理解できねえ」
「理解する必要はないの。ただ、世のなかにはそういうことはよく転がってるって話」
 人柱、生贄。民族の繁栄のためにただ1人が重荷を背負うのは古来地球でもあったことだ。ルカルカは肩をすくめて見せた。
「だけど今はイナンナの統治で国は安定してるし。そんな人が眠っているのであれば、目覚めさせてしまってもいいんじゃない?」
 託が言う。
「ずっとカナンは閉鎖的な鎖国状態だったけど、今はもうシャンバラや各国に開かれてる。もしネルガルの乱みたいなことや、何かこの地に大事が起きても、他国に援助を求めることができるんだしねえ。氏族長1人にどっぷり重荷背負わせる時代でもないでしょ。それしないと国が亡びるってわけでなし、目覚めたがってる人を無理やり眠らせるなんてことしてまでってことでもないよねえ。村おこしって必ずしもイルルヤンカシュがいなくたってできるでしょ、村人の努力やなんやかやで」
 まあここまで言っておいて、結局僕としては目覚めさせたほうが面白くなりそうだから、なんだけれどねぇ。なんてことはさすがに口には出せないので自重して、胸のなかに収めておくとして。でも言っていることは間違ってないと思う。
 口々に話し合っている彼らを見、黙して彼らの話を聞いているだけのハリールに目を移した舞香は、そっと訊いた。
「それで、あなたはどうしたいの? まだあなたの意見を聞いてないわ」
「あたしは…………分からない…」
 ハリールの面には本物の苦悩が浮かんでおり、噛み締められた唇は白い。
「そう。でも、結局はあなたの決めることなのよ。
 あたしたちは地球人で、シャンバラで暮らしているけど、シャンバラ人とだって文化が違えば価値観も、物の考え方だって違う人はいくらだっているわ。それでもめごとだって起きてるもの、体制が違うカナンの人たちならなおさらそうよね。
 あたしは伝統を重んじる生き方を否定はしないし、連綿と続いてきたそれは尊重されるべきものよ。よそからいきなりやってきたあたしたちが「あなたたちがしていることは間違いだ」なんて、軽々しく口にするべきじゃないわ。
でもね、ハリール。あなたはこの国の出身者なんですもの。あなたにはこの国の選択に声を上げる権利があるわ。だからあなたはあなたの思うとおりに、一番やりたいと思うようにやればいいと思う」
「俺もそう思う」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が進み出て、同意を示した。
「これは、他の誰でもない、あなた自身が、自分の責任で決めなければならない。どちらが良いとは言えないし、一族の使命にとらわれてもいけない。
 だが、忘れてはいけないことがある。その選択が、一国の命運を左右するものになる可能性があることを」
「国?」
 ぱちぱちとまばたきをする。
 ハリールはそこまで考えたことはなかった。
「そうだ。あなたは知らないかもしれないが、このことは実は東カナン国にも深く関与していることが分かった」
 エヴァルトは昨夜聞いた、領主の城の図書室に保管されていた始祖の書に記されていた言葉を告げる。
「銀の魔女……そんなすごい人だったの?」
「おそらく歴代の巫女も悩み、苦しんで決断したことだろう。それだけ重い責任があるに違いない。だが今の時代、彼女という犠牲は本当に必要なものなのだろうか?」
「エヴァルト、だけど、それじゃあ母の名誉は!?」
 どん、とエヴァルトの胸をたたいた。
 みんなの言いたいことは分かる。ひどい話だと思う。だけど……それなら母の名誉はどうなるのか? あたしを産んだせいで故郷を追われ、異国の地で1人亡くなった母の無念を晴らすには、あたしが対話の巫女となってイルルヤンカシュを鎮め、一族のみんなに母のしたことは間違いじゃなかったと示すことだとずっと思ってきた。母は間違ってなかった、あたしは忌み子なんかじゃないと。そのために100年以上もの間、ひたすらこの時を待って生きてきたのだ。
 彼らの言うことは正しいのだろう。だけど頭は理解しても、感情が納得してくれない。
「母は、あたしのせいで…っ。母はもう何もできないから、だから、あた、あたしが――」
 寄る辺ない思いでがたがた震え始めた彼女の両肩を引き寄せ、エヴァルトはしっかりと抱きしめてやった。
「早合点しないでくれ。俺たちはべつに、あなたに自分の思いを捨てて魔女を目覚めさせろと言っているわけじゃない。ただそういうこともあると、別の側面も考慮してもらいたいだけだ。一方に耳をふさぎ、一方の意見だけで答えを出そうとすれば、どうしてもゆがみが生まれる。あなたにそんなものを持ってほしくない。
 そして、逆に忘れるべきこともある。見返してやる、という動機だ。その些末な感情が、正しい答えを出すことの妨げになる」
 がっしりとした錨のようなエヴァルトに包まれ、その言葉を聞いて。ハリールはだんだんと自分が落ち着いていくのが分かった。早鐘のようだった心臓の鼓動がだんだんと平常に戻り、動転していた気持ちが静まっていく。
「いくら考えても答えが出ないのは当たり前だ。結局はすべて他人から聞いた知識でしかない。必要だが、決定打にはならないだろう。
 今ここで悩んだってどうにもならん。ちょうどいいことに当の本人がすぐそこにいるんだ、すべての真相を聞き出してから決めるといい。封印された理由、鎮められる理由、目覚めたときにどうなるか…その他諸々すべてを聞いた上で、鎮めるか、目覚めさせるかを決めることだ。
 俺たちは、あなたが間違った答えは出さないと信じている。たとえ俺たちと違う結論に達したとしても、正しいと信じたことを信念を持って決断するならば、それを責めることはない」
 ハリールの動揺が静まったのを確信して己から引き離すと、エヴァルトはあらためて彼女を見つめた。
「あなたは1人じゃない。いつだって俺たち仲間がそばにいる。そして全力であなたの力になろう」
「そうよ、ハリール。そのことだけは忘れないで」
「あのね。私たちは、護衛するくらいしかできないかもだけど、でもハリールのそばにいるよ。絶対」
「エヴァルト、舞香、佳奈子……。
 みんな、ありがとう」
 そこにいる1人ひとりを見返して、ハリールは目じりに残った残滓のような涙を振り払った。
 曇りが取れた赤い目は生来のいきいきとした輝きを取り戻す。
「覚悟が決まったら、揺るがないうちにとっとと行け!」
「ん! あたし、行くわね!」
「お姉ちゃん、こっちだよ!」
 6枚羽の翼を持つ小型の竜のような生き物に乗ったティエン・シア(てぃえん・しあ)が、さっとハリールの前に手を差し出した。
 巨体だが、艶やかな漆黒の長い毛に覆われた深い海のような青の瞳はどこか幼くあどけない生き物が、大きな舌でべろりとハリールをなめる。
「あっ、あのっ、こ、これは味見したわけじゃないからねっ。親愛の情を示しただけでっ。この子、まだ子どもだからっ」
 怖がられないようにとあせりながら釈明するティエンに、ハリールはくすっと笑った。
「かわいい赤ちゃんね」
「よし。それならば大丈夫だ。手を伸ばせ」
 先に後ろに乗っていた義仲が上から補助の手を伸ばす。
 彼の手をとったとき、イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)がおずおずと彼女のとなりまで歩を進めた。
「ハリールさん…。
 あの、日にちがなくなって来てしまいましたけれど……わたくしたち、護衛が終わったら、東カナンのおいしいもの食べたり、ピクニックに行く予定だったのですわ。……鉄心のお金で」
「え? イコ――」
「しっ」
 背後、ティーの手ですばやくふさがれた口で鉄心がもごもご何かを言っていたが、イコナは素知らぬふりで話を続ける。
「そのときはハリールさんも、良かったら一緒に…。
 あ、あの、東カナンでなくてもいいのですわっ。シャンバラに戻られてからでも。そのう…」
 ハリールが何も返さないことに、最後あせってつっかえつっかえしゃべるイコナ。彼女の頭にふんわりとハリールの手が乗った。
「ええ。行きましょう。すべてが終わったら、みんなで。海とか山とか。いろんな所へ行って、思いっきり楽しみましょうね!」
 フラルは彼女が自分の背にまたがったのを感じると、ふわりと浮き上がる。まるで初めて乗る彼女を驚かさないよう気遣っているように。
「きれい」
 太陽に照らされた尾根とその山間を埋め尽くそうとするように緑濃くしげった森を見下ろして、思わずそんな言葉が口をついた。
「うん。東カナンはきれいな所なんだよ。2年前はこうじゃなかったけど……まだ緑が戻ってない場所もあるけど……でも、自然がたくさんあって、きれいな国なの。住む人たちもね、みんないい人ばっかり。領民思いな良い領主さまに治められて、みんなもお兄……領主さまのこと慕ってて」
「ティエン…。
 ちょっと不思議ね。この国で生まれたあたしより、ずっとティエンの方がこの国のことをよく知ってるの」
 いや、不思議でも何でもない。
 それは、この国に対して一切関心を持っていなかったからだ。今までずっと東カナンは自分を拒否した国で、その象徴で。心のどこかで拒んでいた。最初に自分を拒んだのは東カナンの方じゃないかと。だからあたしだってこんな国、知らないと、振り返ることもしなかった……。
 ふと視線に気がついてそちらを向くと、ティエンがじっと見つめていた。様子をうかがう目。――何かを期待してる?
「この国のこと……教えてくれる?」
 おずおずと口にする。その言葉を待っていたように、パッとティエンの表情が輝いた。
「うんっ。あのね――」
 ティエンは少し得意そうな顔つきで東カナン講座を始める。


 3人を乗せたフラルを先頭に、飛空艇やほうき、影に潜むものなどに騎乗した彼らは、一路対話の儀式が行われている場を目指した。