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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第3回/全3回)

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第13章 森の東

 激戦が繰り広げられている西の地と対照の位置にある東の地でも、ひそかに戦いが繰り広げられていた。
「ついに馬脚を現しおったたな! シャンバラ人め!」
 エルシャイド・レアルサ・アズィールはいまいましげに弓を引き絞る。その先にいる富永 佐那(とみなが・さな)に向けて放たれた矢は、佐那に当たるはるか手前で見えない何かによってはじき飛ばされた。
「むっ!?」
 くるくると回転し、地に突き刺さった矢にエルシャイドは眉をひそめる。さらに数本の矢を彼女に向かって射たが、すべて彼女の周囲を取り巻く風によって阻まれ、地に落ちた。
「無駄ですわ。あなたの矢は私には届きません。あなたはお気づきではないかもしれませんが、私の周囲には常に風が取り巻いているのです」
「く……、用意済みというわけか。
 おのれ。きさま、はじめからこれが目的であってわたしたちへ近付いたのだな」
 ぎり、と歯をきしらせるエルシャイドを見て、佐那はフッと口の端に笑みを浮かべる。
「私とエレナ、対照的な2人を演じ、会話を行うことでどちらか1人を無碍にできない程度の好印象を与える……疲れましたよ、“ 敢えてわざと ”はしたない座り方をするのも、大股過ぎる歩き方で歩くのも、距離を詰めて男の方と話すのも、大口を開けて笑うのも」
 本当に? と言いたげな目をしてエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)が後方から見つめたが、賢明にも何も口にはしなかった。
「これもすべて私がかつてコスプレイヤーだったからこそできたこと。ですが、昔取った杵柄を活かしても、普段の自分と違う演技をするのは肩が凝るものでした」
「コス…? なんだ、それは」
「ああ、古き良き時代を愛するおじさまには理解不能な単語でしたわね。失礼しました」
 その物言いが、さらにエルシャイドの怒りをあおった。
「ええい。風が何だというのだ! 矢をそらすことはできても、剣はできまい!」
 エルシャイドの合図で剣を持つ騎士たちが前に出た。アズィール家のみならずエスタハ家の騎士たちもいるのは、前もってエルシャイドとイェクタネアの間で話がついていたからだろう。彼らは道中をともにし、食事を囲んだ女性を敵として剣を向けることにややためらっているような素振りを見せたが、主君に逆らってまでそれを貫くという気はなさそうだった。
 向かってくる彼らに佐那が身を固くしたときだった。
「いでよ、リヴァイアサン!」
 エレナの克肖槍【Борга】を持つ手が高々と上がり、その先の空間に巨大な海蛇型の海獣が現れる。
 リヴァイアサンはあっけにとられている人間たちに水を飛ばして押し流した。
「お許しくださいませ、エルシャイドさま」
 エレナは両手を胸の前で組み、心の底からそう思っているような視線をエルシャイドに向ける。
「人を傷つけるようなことはしたくないのですが、どうしても佐那を傷つけさせるわけにはいかないのです」
「あなたまでもか…。
 ええい、われらに弓引く行為は東カナンへ弓引くのと同じこと! いかなシャンバラ人とて許すわけにはいかぬ!!」
 苛烈な声とともに矢が飛んだ。
「また同じ――」
 そこで佐那は気づく。全く同一のラインで複数の矢が飛んでいる。前をいく矢が空を裂き、風を裂いて後矢を進ませている。
「まさかそんな」
 神技的な連射に目を奪われつつも、肉迫したそれらを後方へ高く宙返りすることでかわす。
「1点斉射だ! 面でなく点で狙え! 両名討ち取れ!!」
 エルシャイドの檄が飛び、宙の佐那に向けて一斉に弓が引かれた。押し流されていた騎士たちも、ずぶ濡れになりながらも戻ってくる。
 騎士たちと佐那たちの間で戦いが始まる。
 さらにエルシャイドは後方を振り返り、そこで岩に腰かけて見物に徹しているイェクタネア・ザイテミル・エスタハをしかりつけた。
「きさまもそこで悠長にかまえてないで、手伝わんか!!」
「え? 手を出してよかったの?」
 てっきり怒られると思ってたと頭を掻いて、笑いながら立ち上がる。
「だってホラ、レアルってばボクが何かするとすぐ怒るしー。でもまあ、参加していいんだったら――」
「ネアさん」
 腰の剣に手をかけ、いそいそと近寄りかけたイェクタネアを呼び止める声がした。そちらを向くと七刀 切(しちとう・きり)が立っている。
「やあ切。どうしたの?」
 切は妙に歯切れの悪い、冴えない表情をしてる。普段はコートの留め金に吊るしてある刀が手に握られていた。
「きみもなの?」とたん、破顔する。「ああ。うれしいなあ。キミを連れてきたかいがあるってものだよー」
「もしかしてネアさん、こうなるの期待してた?」
「もちろん。キミとは前から一度やりあってみたいと思ってたからねー。ただ、キミは領主の友達だから、難しいとは思ってたけど。ここへ連れてくればきっとキミはこう動くと思ってた」
「ネア、きさままたか!!」耳ざとく聞きつけたエルシャイドが鬼の形相で雷を落とす。「なぜ気付いていたならわたしに言わない!」
「えー。だって言うとレアル怒るじゃん」
「あたりまえだ!! そういうことばかり考えていないで、ほかのことに頭を使えといつもあれほど口を酸っぱくして言っているだろうが!」
 怒り心頭。顔を真っ赤にし、つばを飛ばしてしかりつける。イェクタネアは肩をすくめた。
「おー、怖い怖い。だからレアルは苦手なんだよー。いっつもボクにキライなことさせようとするんだもん」
 すくめていた首を伸ばすと同時に糸のような目が細く開き、青灰色の小さな瞳が切を見る。鋭い眼光だ。相手を委縮させるような氷の目。声、口元は子どものように無邪気な笑顔で笑っていても、無感動な瞳がそれらすべてを消し飛ばしてしまうほど、彼の性根の冷酷さを物語る。
「ねえ、切? キミはそんなこと言わないよねえ?」
「……ははっ、そりゃいいや。実は、ちょっとばかし楽しみだったんだ。ネアさん強そうだからさ、ワイも戦ってみたかったんだよねぇ」
 切は刀を抜き、かまえをとった。
 これまでの言動に惑わされてはいけない、イェクタネアは強敵だと肌で感じ取る。
「あーよかった。本当にうれしいよ、切。キミの方から剣を抜いてくれて。これでキミを切り刻める理由ができた」
 イェクタネアが剣を鞘走らせた。細身の長剣。アガデで、何か細工がありそうだと感じたのを切は思い出した。だがそれがどういったものかは、実際剣をまじえてみないと分からないだろう。それに、そういう意味では自分が今握っている剣も大差ない。
「じゃあ、行くよ、ネアさん」
 高く鋼の音を響かせて、2人は切り結んだ。
 最初は様子見だ。1手2手と左右に振りつつ刃を合わせる。振り下ろし、斬り上げ、横なぎ、刺突。そこから徐々に踏み込みを深く、早くしながら探り合いをさらに深化させていく。2人の動きは安定しており、まるで呼吸を合わせているかのごとく危なげない。
 だが当然ながらこれは試合ではない、殺し合いだ。半歩誤れば死に直結するなかでの、ぎりぎりの間合いの読み。切やイェクタネアほどの使い手となれば、その間合いの差は紙一重となる。当然ながら読み違いも何度か出て、しばしば肌をかすめて刃が入り、鮮血が散った。
「!!」
 突如イェクタネアの突き出した剣の切っ先が、手前でぐんと伸びた。錯覚ではない。その証拠のように、からくも距離をとった先で髪の毛がひと房風に舞う。
「うーん、惜しい。もう1歩入ってたら逃げられなかったねー」
「……蛇腹かぁ」
「うん。そろそろただ斬り合うのも飽きてきたかなー? と思って。変化をつけていくよ」
 にこにこ笑って追撃をかけてきたイェクタネアの剣をすり流す。イェクタネアは宣言どおり、攻撃の合間に剣を伸ばしてきた。しなる切っ先は打ち返しも有効とは言えず、間合いがとりづらくてさばきにくい。
(けど、それならこっちだって)
「はっ!」
 気合いとともに踏み込んだ先で、切の刀がビュッと風を切って伸びた。彼が手にしているのは自在刀、こちらもまた刀身を変化させることができる刀だ。
 肩を貫くと思われた切っ先は、しかし幻影を貫いたにすぎなかった。高速の動き。これは――バァルの!?
「領主家と12騎士は縁戚関係なんだよ?」
 切の表情から思考を読み取って、イェクタネアはこともなげに言う。
「5000年の間ね。当然始祖の血はボクにも流れてる。もっとも、こういったことができるのは今の代だとボクとカインだけみたいだけど!」
 言い終えるより先に、イェクタネアは高速攻撃を開始した。残像を残す斬撃。まるで複数の者に一度に斬りかかられるようなその速さに切は動揺し、すべてを受け止めきれない。隙を突いて、次の瞬間イェクタネアの伸びた剣が切の腹部に深々と突き刺さった。
「ああ、倒れちゃ駄目だよ。そんなの駄目だ、切。この程度で終わるなんて、ちっとも面白くないじゃない」
 後ろに押されるように一歩よろめいた切から剣をひねって引き抜くイェクタネア。その際に彼の服でぬぐいとったのか、刀身には血の一滴もついていない。
「急所ははずしてあるよ。さあ、続けよう、切」
「……は!」
 燃えるような腹部に手をあて、そこにべったりとついた血を見下ろして、切は息を吐き出した。汗が玉となってこめかみから吹き出しながらも、にやりと不敵に笑う。
「おかげで喝が入ったよ。どうもねえ、ネアさん」
 まだどこかで甘さがあった。目のくらむ痛みがそれに気づかせた。
 刀をかまえ、できる限り息を整える。
 イェクタネアはたしかに速い。だけどバァルほどじゃない。その速さは何度も目にしてきた。彼のとなりで、ともに戦ってきたのだから。
「はあっ!」
 すれ違いの一閃。イェクタネアの伸びた剣を同じく伸びた自在刀で弾き飛ばす。そのまま下をくぐって背後に回ろうというのだろう。イェクタネアはもう片方の手で背中の短剣を抜き、身をかがめた切の背中を切り裂こうとする。だが短剣はほとんどが空を切り、わずかにホワイトコートを切り裂いたにすぎなかった。イェクタネアの読みははずれた。深く身を沈めた切は刀をくるりと回して持ち手を変えるとロケットスタートを切るように足に力を込めて地を蹴り、縮めた自在刀を振り切る。
 断たれたイェクタネアの脇腹から、鮮血が噴き出した。
「……は。ははっ…」
 吐血しながら笑い、イェクタネアは両ひざをつく。そのまま、糸の切れた人形のように力なくその場に仰向けになった。
「いいなあ……思ったとおりだ、切。やっぱり、キミとの斬り合いは、楽しいねー…」
 またしようね。
 唇の先でつぶやく。それきり、イェクタネアは動かなくなった。
 いくら互いに了承の上とはいえ、さすがに東カナンの要人を殺すのはまずい。バァルに顔見せできなくなる。
 死んではいないはずだが、今の切にもそれをたしかめにいくだけの力は残っていなかった。気力のすべて、体力のすべてを使い果たした思いで大きく息を吐き出すと後ろの岩に崩れるように腰かける。
「大丈夫ですか、切さん。今治療します」
 駆けつけたエレナが彼の腹部に手をあて、命のうねりをかける。そそぎ込まれる熱いエネルギーに顔をしかめながら、切は「ネアさんを」と言った。彼が何を言いたいか理解したエレナは、心得ているというふうにうなずいて、イェクタネアの元へ向かう。
「佐那さんは…?」
「彼女なら大丈夫ですわ」
 イェクタネアを診るためひざまずいたエレナの向こう、佐那の戦いも終盤を迎えていた。8人いた騎士たちは全員折り重なるように倒れ伏し、残すはエルシャイドだけだ。
「これで終わりです!」
 矢の雨を降らせて佐那の接近を阻むエルシャイドに向け高らかと宣言する。展開していた特殊力場【небесный】が光を強め、四角錐型に佐那の片足へと集束する。その状態で、佐那は超高高度へ跳んだ。
 背にした太陽がエルシャイドの目をくらませる。佐那の元いた位置で嵐の使い手により発生した竜巻が天高く湧き上がり、まるで鎌首をもたげたヘビのようにエルシャイドを頭から飲み込んだ。
「うわあああああっ!」
 悲鳴を上げるエルシャイドに、錐揉み状に回転しながら下りてきた佐那の超高度キックが炸裂する。
「エレナ、こちらもお願いします」
 地に下り立ち、乱れた髪を払いながら淑女然と言う佐那に、エレナはそっと口元を隠しつつ従ったのだった。