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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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     ◆

 坂上 来栖(さかがみ・くるす)は、夜風を全身に受けながら、身に纏う黒のローブを靡かせている。夜中ということもありフードの部分は被っていないため、天に登る月と同じ色に輝く髪が、風の流れを視覚化させていた。
「珍しく夜風に当たりに来れば、何ですかね。これ」
 眼下に控えるは謎の人影。それは病院らしき建物の屋上に何かを設置し、その場を去っていく。どうやら来栖には気付いていないらしく、影はふわりと屋上から飛び降りてその姿を消した。
「こう言うのって、大概において良くない事に発展するんですよね。ま、いいか。様子だけでも――」
 特別、近くに誰がいる訳でもない。訳ではないが、彼女は呟き、背を向ける。今まで見下ろしていた病院に背に向け、彼女は数歩足を運んだ。
「うーん、でも様子見だけってのは、危ない気がしますね。何だろう、嫌な予感、って感じですし、とりあえずは――」
 言いながら、そこで立ち止まり、彼女は懐からそれを取りだして口に咥えると、手元にあるライターの火打石を数回擦り、煙を燻らせる。大きく息を吸う都度、先端が罅ぜて赤く灯った。天へと昇る、細く白い煙をぼんやりと見送った彼は、大きく一度息を吐き出すと、ローブの内側から携帯灰皿を取り出して煙草を押しあてて中へと放る。
「あの面白そうな物、何とかしないと、ですね」
 面白味も無さそうな表情で呟き、左の爪先で地面を数回蹴ると、『ゴッドスピード』を発動させて走り始めた。
「失敗したら痛そうだなぁ………なんて」
 語尾と同時に今まで居た屋上から、漆黒へとその身を投げ出す。暫くの滞空時間の中、来栖は次に『竜鱗化』を発動しながらに落下し、病院の屋上へと着地した。
「ふぅ………滑空に近い、とは言え、こう言う方法もありかも、ですね」
 高いところから低いところへ。簡単に見える、聞こえるそれは、しかして最も危うい移動手段であり、彼女はその方法を使って屋上に到着する。しゃがんだままの姿勢だった来栖は、背負っている今までいたビルに振り返りながら立ち上がり、自嘲気味に笑って一瞥し、前を向いた。
「何かの陣。はぁ…………一般人しかいないような場所で、さっきの人は何を考えているのやら……」
 彼女の声色は変化せず、ただただ平淡に、ただただ平たいままに言葉を放っている。めのまえにある陣を真正面に据え、どこかわざとらしく小首を傾げたままだ。


 案外にも、夜中に腹の虫が鳴く事はままある事だ。この日、このタイミングに置いては草薙 武尊(くさなぎ・たける)もそういった類の一人であり、そして彼は、空腹を満たすために夜食を買って来た帰り道。夜風を頬に受け、小型飛空艇の上で胡座をかいたままに帰路へとつく彼は、そこで何かを見付ける。
「あれは――……?」
 病院の屋上。黒いローブを靡かせる人影がひとつ。更にその前に、不審な結界のようなものがひとつ。彼は乗っていた小型飛空挺から飛び降りると、佇んでいた来栖に声をかけた。
「すまぬが…………これは一体」
「はい? あぁ、多分結界……誰かの『禁猟区』じゃないですか?」
「あぁ、我とてそれはわかっている。問題は、こんなところでそんなものを張って、何をしているのか、といったところか」
「恐らくそれを私に聞いてもわかりませんよ。気になるんなら本人に直接聞いてみたらどうです? この禁猟区を張った張本人に、ね」
 武尊の方へと振り向きもせず、来栖は素っ気なく下を指差した。どうやら目の前の状況を作り出した張本人、武尊が知りたい情報を持っている人物はまだこの建物内部に残っているらしい。暫く考えていた武尊だったが、「わかった」と短く呟くと、彼は屋上を後にする。その後ろ姿に来栖が漸く瞳を向けると、自嘲気味に笑って呟く。
「まぁ、その本人がまだこの病院にいる、って言う保証は、ないですけど」



     ◇

 ――万物は須く流れを持ち、また古来よりそれを読み解くことで世界の流れを詠む者がいた。
    水や、草木や、動物や虫の声を聞き、世界という物語を詠む者がいた。
      彼らは詠み手であり、彼女等は何処までも詠み手であった。ただ、それだけの話だ。



     ◆

 九十九 昴(つくも・すばる)はひたすらに走っていた。理由は不明、目的地は不明。ただのひたすらに走り続け、ただただ何処までも駆け抜ける。
自らの前、懸命に走る九十九 天地(つくも・あまつち)の背を追い、何を言うでもなく、何を尋ねるでもなく、黙して語らず、ただただ走り続ける。
恐らくは自分が聞かずとも、天地が口を開くだろう。自分が尋ねずとも、答えは自ら眼に明瞭な形で映るのだろう。故に彼女は、特にありません立ち入った話をする気は無かったようだ。

「此処は――……………」

 漸く足を止めた天地が何やら見上げているのに倣い、昴も天地の目をやる方へと顔を上げた。目前に聳える、地上三階の横に長い建物。

「星たちの流れ――、黒く濁り、囁く悪夢――。流れは滞り………滞留は汚濁となる………不穏が不穏と顕現し、大河を塞き止め沈澱する……………。恐らく元凶は此処にて在るに御座いましょう」
「天地………嫌な感じは……病院…………。此処からですか?」
「嫌な流れを感じたので御座いますよ。気の所為であれば良いのですが」
「何にせよ………向かった方が賢明、でしょうね」
 二人は簡単に会話を済ませ、互いの顔を見会うと病院へと足を向けた。
「賢狼………暫しの間、此処にてお待ちを…………」
 二人は賢狼を病院の窓に待機させ、辺りを伺う。
「でも、既に施錠され病院内には入れなさそうに御座いますが…………」
 天地の言葉を聞きながら、尚も周囲を伺っていた昴は、そこであるものを見付ける。
「天地、彼処に人が…………倒れてます」
 通用口――煌々と灯る警備室の電気と、扉付近で倒れている人影を見つけた二人は慌てて駆け寄った。どうやら格好からして警備員であることに違いはないらしい。天地は倒れている警備員の首もとにそっと手を置くと、一度小さく首を縦に振る。
「起きるまでの間、此処に寝ていてもらうのも…………忍びないです……」
 どうやら命に別状はないらしい。昴と天地は二人係で懸命に意識を失っている警備員を警備員室へと運び、壁へと立て掛けてやった。
「手前共、この中に用が御座いますので、すぐに起こすこと叶わないですが、御了承を」
 そう言うと、天地は近くにあった毛布を警備員にかけてやり、先に部屋の外へと出ていった昴の後を追う。
「不穏な空気は…………屋上からですね。まずはそちらに向かいましょう」
「昴、………くれぐれも無茶の無いように。良いですね」
「わかって……います」
 一言、二言。言葉を交わした二人は一路、病院の屋上へと向かう。足を進めながら二人はたったの一度、指笛を吹き鳴らして。


「んー、にしても――」
 昴、天地たちが病院への侵入に成功したその頃、明子はややげんなりした顔で廊下を歩いている。
 夜の病院は随分と暗い。灯りは足元に一定間隔に灯っている非常口の案内灯のみであり、故に見張らしは頗る悪かった。その中、彼女は一人呟きながら足を進めている。
「今思い出しただけでも気持ち悪いわぁ……咄嗟に『妹です』なんて、何で言っちゃったんだろ。でもなぁ、まさかそれ以外は誤魔化せないし………」
 面会時間を大幅に過ぎているのにも関わらず病院に残れている明子。『ウォウルの歯切れの悪さ』が、どうにも気にかかった彼女は病院に残った。そして今、彼女は残るために言った『咄嗟の言い訳』に後悔している。と、言う状況。
「だぁ! にしても、にしてもだ明子! あのニヤケ眼鏡と兄妹、っていう設定はないだろ! はぁ…………あの医者も『成る程ね』じゃないわよ………」
 本当に嫌だったらしいのか、呟きながら一層げんなりした表情を浮かべる彼女。
「はぁ………ま、いっか。それは置いとこ、この際。とりあえず、何かマズイもんでもないか、ざっくり調べてみないとね」
 暗闇の中、彼女はあまり足音を立てないように進んで行く。と、そこで反対側からやって来る足音に気づき、思わず壁に張り付いた。
「…………病院の中でデカブツ振り回すわけにもいかないしなぁ……巡回中の看護師さんなら「御手洗いはどこ」みたいな質問で事足りるか………」
 瞬時に思考を廻らせ、拳を握って足音が近付いてくるのを待つ明子。と、そこで足音が止まる。
「………何か」
 聞きなれない声が聞こえ、彼女は再度拳を固めた。
「『殺気看破』………コントラクターか…………?」
 意を決し、彼女は壁から剥がれると足音の方向へと拳を突き出す。その対象は――
「…………奇襲」
 慌てて顔の前で腕を交わらせて明子の拳を受ける姿勢を取った昴。明子が寸前のところでその拳を止めると、二人に声を掛ける。
「病院の関係者じゃないな。誰だ?」
「………」
 答えはない。
「答えられないか。まぁいい。じゃあ次の質問だ。此処に何しに来た。面会時間は終わってるわよ」
「………不穏な空気を感じたので、と言えば、信じていただけますでしょうか」
 変わらず無言のままでいた昴の後ろから、天地が返事を返す。拳を寸前のところで止めたままにしていた明子は、その言葉を聞いて拳を下ろす。
「…………ふぅん。ま、いっか。変な動き見せたら今度は振り抜く。良いわね?」
「……………………」
「それはまだ、話す余地がお在り、という事で御座いましょうか」
「信じるかは、話を聞いてからでも良いかなって、そんだけ」
 明子と昴、天地の三人は近くにあった待合室に場所を代える事にした。「立ち話もあれよねぇ」と言った明子を先頭に、三人は真っ暗な通路を歩いていく。暫くすれば、待合室と称された、シートと自動販売機だけがあるスペースに到着する三人。明子は昴、天地の両名をシートへ促し、どっからともなく小銭を取り出すと、それを自動販売機へと入れ始めた。
「あ、二人は何か飲む?」
「…………私は緑茶を、いた………」
「い、いえ! お構い無く」
 いいかけた昴の言葉を遮る天地。
「遠慮しないで良いわよ。別にこのくらい。私喉乾いちゃったしさ」
 暫くの思案の後、天地は一言、「では緑茶を二つ」と答えることにした。