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 一階の片隅、応接室として利用している小部屋にも、外の喧騒は届いた。

「ふむ、どうやらこの取引は不成立のようじゃのう」

 マフィアの頭目に逃げることを進言する辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)の見切りは速かった。騒がしいということは、敵は正面突破を選んだのだろうし、つまりそれだけの戦力があると踏んだのだ。頭目は取引を惜しんだが、刹那の言に逆らうことはなかった。こういう時、下手に具体的な話をするよりも、勘や経験上などと説明した方がかえって話が速いというのは、業界でそれなりの実績を持っている故だ。

「ということじゃ。悪いの」

 頭目とそのボディガードを逃がす準備をしながら、刹那はテーブルを挟んでソファに座る相手に形だけの謝罪をした。
 相手は肩を竦めた。

「いえいえ。こうなっては致し方ありません。またのご利用をお待ちしていますよ」
「また、があればいいがの」
「それはその通り」

 声が弾んだ。あるいは笑ったのかもしれないが、面を被っていては判別はつかない。ハートのQ。声や仕草からすると女性のように思える。
 刹那はソファから立ち上がりもしないQを見下ろした。

「逃げぬのか?」

 Qはふるふると首を振った。

「一緒に逃げては、そちらが逃げるにあたって不都合でしょう? これでも、こちらの立場はわきまえていますので」
「殊勝なことだ」

 どれだけ本気で言っているのやら。面で顔を隠していては窺い知ることが難しい。また、のんびりと詮索して時間を浪費するのも面白くない話だった。
 
「では、時間稼ぎの方は任せたぞ」

 Qから視線を切って、刹那は傍らの女魔術師に声をかけた。女魔術師は妖艶に笑った。

「心得ておりますとも」


 リビングらしき広間で待ち構えていたように、一人佇む女魔術師を一目見た時、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、戦力を分散した判断は正しかったと確信した。
 やばい。
 ただ嗤う相手に危機感を憶えて、警告もなしに手にした銃から弾丸を発射した。
 『曙光銃エルドリッジ』から発射された光の弾丸は、女魔術師の周囲に展開される『対消滅魔力結界』によって逸らされ、頬をかすめるだけに終わった。
 間髪入れず、もう一丁を構える。今の一発でフィールドの形も読めた。今度は外さない。
 命中を確信して、引き金を引いた。
 が、弾丸は魔術師の足元から生えてきた植物に風穴を開けて、その勢いを大きく殺された。そのためにフィールドを抜くことができず、女魔術師の笑みを消すことができなかった。
 
「なっ!?」

  ローザマリアの足元にも同じような植物が生えてくる。生えてきた植物が、ローザマリアに襲いかかった。

「やらせんよ!」

 ローザマリアに噛み付く寸前、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)の剣が植物を一刀のもとに斬り捨てた。

「助かったわ」
「今更、礼には及ばん。しかし、これは拙いな……」

 目の前に広がる光景に、グロリアーナは顔をしかめた。
 植物がうねうねもぞもぞ瞬く間に増殖していく。魔術師とローザマリアらの間に無数の植物。これでは銃弾も届かない。

「術者をなんとかできればいいんだろうけど……」

 普段はのんびりした口調の堀河 一寿(ほりかわ・かずひさ)も、この時ばかりは緊迫した様子を隠せない。
 植物を操り敵を襲わせるというところから、『ラブアンドヘイト』がベースとなった魔術なのだと思しいが、見るも不気味アレンジされた植物からは、術者のおぞましさが透けて見えて、常より危険を感じる。
 くつくつくつ、とやけに響く笑い声が届いた。

「残念です。死体でもあれば、より素敵な舞台となったでしょうに」
「そういう客観性を欠いた芸術は、いつの世も埋もれていくだけですよ」

 軽口で応じながらも、ヴォルフラム・エッシェンバッハ(う゛ぉるふらむ・えっしぇんばっは)の顔は険しい。

「面倒な時に、面倒なやつがいたものね」

 ローザマリアが、女魔術師の正体を察して吐き捨てるように言った。
 女魔術師は艷やかな笑みを浮かべながら、涼しげな声を上げる。

「死体がなければ作ればいい。芸術とは、創造でしょう? 幸いにして、材料はあるのですから」

 『擬態皮膚』で女魔術師の姿をしたまま、エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)は夢見るように言った。