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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


4 地上2階

 もうもうと上がった粉塵が地に沈んでようやく下の様子が伺えるようになり。
「大丈夫ですか?」
 アルツールが声をかけた。
「……いったー…っ!
 なんでおまえが落ちてないんだよ!? おまえがしたことだろうっ」
 降り積もった瓦礫片や粉塵を振り払いながら杜守 三月(ともり・みつき)が身を起こす。憤慨しきった様子ですっくと立ち上がり、箒にまたがったアルツールを指差した。
 アルツールの周りには術者の危機に際し現れるという炎の聖霊が浮かんでいたが、すうっと消える。
 スライムの攻撃に対処できたのはそのほか炎使いの透乃たちで、対策をとれなかった者たちは全員下の階へ落ちてしまっていた。それでもまだ崩壊に巻き込まれたからというわけではなく、崩壊後のスライムの攻撃によるものであったため、瓦礫の下敷きにならずにすんだのは幸いか。
「う、うう……」
「はっ、しまった! 柚!」
 大急ぎ三月はうつ伏せになった杜守 柚(ともり・ゆず)の体を抱き起す。背中や肩にへばりついていたスライムを即座にはたき落とした。
「大丈夫? 柚。どこかけがしてない?」
「だ、大丈夫……三月ちゃんは?」
「僕も大丈夫」
 そう答えて、ちらと三月は背後に視線を流した。そこではルーシェリアが気絶したアルトリアを揺さぶっている。片手がルーシェリアに回っているところを見て、おそらく主を庇って自分が下敷きになったのだろう。
「アルトリアちゃん〜〜っ」
「あまり揺すってはいかん。頭を打って気絶しているのだろう」
 上から覗き込んだエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が指示を与える。
「本当ですぅ?」
「ああ、多分な。待っていろ、今俺も降りる――」
 エヴァルトが今しも飛び降りようと膝を立てたときだった。
 闇のなか、どことも知れない場所から低音の犬のうなり声がいくつも起きた。
「…………」
 エヴァルトはできるだけ音をたてないよう着地する。油断なく周囲に視線を走らせるが、うなり声がするだけで姿は見えなかった。ときおり何かの光を反射して、きらりと光るものがある。オルトスの目か。
(ぐるぐる回っているようだな……仲間がそろうのを待っているのか)
「空飛ぶ魔法↑↑をかけてもらおう。1人で連れて上がれるか?」
「はいですぅ」
「じゃあそうしてくれ」
 上の陽子に合図を送り、魔法を飛ばしてもらう。アルトリアを連れたルーシェリアが手の届かない域に達したところでエヴァルトは2人の心配をやめ、あらためてオルトスのひそむ闇を見た。
 オルトスたちは仲間が増えるたびに少しずつ包囲を縮めているようで、だんだんうなり声は近く、激しくなってくる。
「三月ちゃ……」
 と伸ばしかけた手を、柚はあわててひっこめた。三月にすがってしまったら、三月は腕が片方使えなくなってしまう。
(私は、私にできることをしなきゃ…)
 だって、シャムスさんに約束したでしょう? 
 何かない? 何がある? 自分で自分の身を護るのは当然として、ほかに私には何ができる?
 一生懸命考える柚の手に、そのとき何かが触れた。
「これは……フリスビー!? と、ボール?」
 ここはスポーツ用品店の店舗だったのか。
「そうよ! これよ!」
 フリスビーとボールを手に持った瞬間、柚はひらめいた。
 すっくと立ち上がり、姿は見えないけれど、オルトスらしき気配のする方向へ体を向ける。そしておもむろに、体をひねった。
「えーい、とってこーーーーい!!」
 全力でフリスビーをぶん投げる。フリスビーは闇のなかに消えたと思ったら、すぐ何かにガコガコぶつかる音を立て、最後、フロアの床をシュシュシュッとすべっていくような音で遠ざかっていった。
 当然戻ってくる様子も、オルトスが追いかけていく様子もない。
「じゃ、じゃあこれは!?」
 とってこーーーい、とやはりボールを投げ込む。こちらはガシャーーンとガラスの砕ける音を立てたことから、多分ショーケースか鏡かにぶつかったのだろう。
「あれ?」
「……ゆ、柚…?」
 やおら立ち上がったと思ったらいきなり大声を出して両手に持った何かを闇のなかへ投げ込むという柚の行動が理解できず、三月は唖然となる。
「一体何を血迷って……いくら怖いからって、とり乱したら終わりだよ!? 助かるものも助からなくなるよ!? ねえ柚! 分かってる!? ねえってば!」
 ゆっさゆっさ、両肩を持って揺さぶる三月。柚はきょとんとした表情で、三月がなぜそんなことを言い出したのか皆目分からないようだ。そのせいで、どちらかというと三月の方がとり乱しているように見える。
「おかしいなぁ。きっと犬の習性で追いかけると思ったんだけど…」
「あれ犬じゃないからっ! モンスターだからっ!」
 尾がヘビだったり2つ頭があったりする犬っていないでしょー!?
「うーんー…」
 あとほかに試せること、って――――ああ、そうだ。
「わんちゃん、お手!」
「無理!!」
 伸ばした手を速攻三月がはたき落とした。
「三月ちゃん、痛い」
 だがそれが功を奏したのだ。闇から突き出された鼻面が、ガチリと柚の手があった場所で噛み合わされたのだから。まさに紙一重で柚は手を失うことを避けられたのだった。
「きゃあっ!!」
 柚は反射的、氷術で防御の壁を張る。咆哮をあげ、とびかかったオルトスは氷雪の壁に当たってはじき返された。
「始まったか!」
 柚を護ろうと前に出ようとしたエヴァルトだったが、踏み出した足の下で瓦礫が崩れ、そちらの穴に足をとられそうになる。
「駄目だ、ここは足場が悪い。場所替えだ! 行くぞ!」
「分かった!」
 三月は柚の手を引いて、エヴァルトについて走り出した。
「どけどけえっ!!」
 前方をふさごうとするオルトスはバイタルオーラで吹き飛ばし、側面から飛びかかってくるものにはドラゴンアーツで対処した。
 包囲を抜け、距離を稼ごうとするもオルトスは着地した次の瞬間にはもう走り出していて、何のダメージを受けているようにも見えない。また、3階の床が抜けたせいであちこち瓦礫だらけ、壊れた棚やガラス、マネキンの破片などが飛び散っていて足場が悪く、走りづらいことこの上ないのだが、オルトスの方は障害物などものともしていないように見えた。
 むしろ、彼らにとってツルツルの床の方が走りづらいようだ。
「危ない!」
 柚の背中めがけてとびかかったオルトスからかばって、柚に体当たりをかける。彼女を腕に抱き込み、床を転がった三月の上を飛び越えたオルトスはUターンができず、バランスを崩したまま床をすべってそのままショーウィンドーへ突っ込んだ。ふりそそぐガラス片に、ぎゃんっと声を上げ、オルトスは動かなくなる。
「足が速い分直進は得意だがカーブや急な方向転換には対処できないんだな」
 そうと察したエヴァルトは、じりじりと背後から近付いてくる3匹を振り返った。
「ついて来い、犬ども。チキンレースだ」
 オルトスとエヴァルトはほぼ同時にスタートを切った。ダークビジョンが壁までの距離を正確につかんでいた。幸い、この通路に大きな障害物はない。
 あと10メートル……8メートル……5メートル…。オルトスはすぐ真後ろまで迫っていた。息づかい、牙の噛み合う音までが聞こえる。それでも振り返らず、息を詰め、フロアの端まで全力で走る。壁にぶつかる直前、エヴァルトは前方へ跳んだ。壁を駆け、蹴って宙返りをする。床へ着地した彼の前、オルトスは壁に激突死していた。
 しかしそれと確認する間もなく、また別のオルトスが死角から彼に向かってとびかかってくる。
「むっ」
 体勢を低くしてかわし、自分の上を越えていくオルトスの後ろ足をすばやく掴んだエヴァルトはそのままの勢いでブンブンふり回し、遠心力でオルトスの気配のする方へ放り投げた。
 みごとそこにいるオルトスにぶつかった瞬間、パッと天井の電気や間接照明がつく。
「おっ、回復したか。やったな、エールヴァント」
 もっとも、壁や床がこのありさまのため配線はほとんどの箇所で寸断されており、ついていない電灯の方が多いし、明度もかなり落ちていたが。
 そちらに気を奪われていた隙をつくように、オルトスがまたも仕掛ける。今度は三方からの同時攻撃だ。
「ちッ、性懲りもなく」
 バイタルオーラで二方向に対処する。残り一方向に振り返ったとき。そのオルトスは、緑の髪の少女が振り上げた鉄扇によって下腹を突き上げられ、天井高く吹き飛ばされていた。
 腰元で吊るされたたいむちゃんの時計が、チカッと光をはじく。
「やあエヴァルト。危ないところだったな。それともよけいな手出しだったかな? だったら謝るが」
 パチン、と閉じた鉄扇で手のひらを打つ。彼女は若松 未散(わかまつ・みちる)、光条兵器鉄扇【天鈿女命】を操り、戦う落語家アイドルである。
「いや、助かった。ありがとう。おまえも来ていたのか」
「別口からね。ずっと探索に専念してたんだけど、友人の危機はやっぱり見過ごせないからね。
 もしかして、あれもきみの仕業かな?」
 くい、と天井のど真ん中で開いた穴を指す。
「まさか。俺にはあそこまでの技はない」
「またまた。ご謙遜」
 くすりと笑ってあいさつを終えると、未散はあかりのなかに浮かび上がった十数頭のオルトスを一瞥した。新たに現れた未散を強敵と判断したオルトスは今はまだ様子見をしているようだが、じきに焦れて攻撃へ移るのは分かり切っていた。
 牙をむき、うなる獣。
 彼女は不敵に笑うと、自分たちを取り囲んだオルトスに向け、閉じた鉄扇を突きつけた。
「さあ来い、犬っころ!! この私がじきじきに相手をしてやるから光栄に思え!」
 彼女の芝居がかった挑発に乗ったかどうかは不明だが、オルトスは地に伏すほど低く身構えるやいなや、未散とエヴァルト目がけて一斉に飛びかかった。
 己をずたずたに引き裂かんと開かれた無数のあぎと。それらを前に、未散の手の動きに合わせて【天鈿女命】がはらりと開いた。
 彼女の指先ひとつ、わずかな手の返しで鉄扇は優雅に舞い踊る。開き、閉じ、ひらひらと揺れてはパンッと宙を打つ。
 しかしそれは決して舞踏という甘いものではない。鉄扇はただの扇にあらず、兵器なのだから。
 振られるたび、宙に舞うは花びらではなく血しぶき。周囲に満ちるは感嘆のため息にあらず、敵の嘆きの声である。
 戦場にありて彼女がひとさし舞えばそれは死の舞踏にほかならず、足下に降り積もるはただ敵の残骸のみ…。
 しかしそれでも。
 舞う彼女は美しく、それと知りながらも心ある者ならば引きつけられずにはおれない。
「未散ちゃん、今日はいつになく動きが冴えておりますねぇ」
 どこかのんびりとした口調で言う。それは、小銃【火之迦具土】で弾幕を張ることでオルトスの連携攻撃を妨害し、かつ物陰から飛びかかってくるスライムへの対処も一手に引き受けて未散の援護を行っていたハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)だった。
 なんだかんだでもう長いつき合いのハルは、ただぼーっと未散の雄姿に見惚れたりはしない。こんなに積極的になるからには、きっと何か打算があるに違いない、と裏を読む。
 なにしろ、無料奉仕とか滅私奉公とか無私無欲とかいった言葉からは、まあ対極とまではいかないまでもそこそこ距離のある位置にいるのが未散である。
 未散はもっとしたたかで、手ごわくて。到底一筋縄ではいかない女。だからこそ、魅力的なのだ。
「もしやまた何かよからぬことをたくらんでやしませんか?」
 ハルの言葉にニカッと笑う。
「ああ、やっぱりでございましたか」
「んー。だってさあ、カナンで落語家デビューは果たしたし、ミフやカインといった東カナン要人とも渡りがついたわけだしさ。どうせならここはひとつもうひと踏ん張りして、領主の奥さんの救命に尽力した褒美に東カナンに私専用の劇場でも建ててもらう、ってのを目指してもいいかもしれないなー? って」
「ええっ!」
「あ! ついでに領主さまにパトロンになってもらうってーのもアリだな! うん!」
 ここの領主、文化・芸能活動には理解がありそうだし!
「そ、そんなことを考えていたのでございますかっ?」
「……なんだよー? べっつにこのくらい、見返り求めたって罰当たらないだろー?」
 声の感じから、ハルに責められている気がして未散はちょっとほおをふくらませる。
 ハルは、深々とため息を吐き出した。
「かかっているのは人命ですから、真面目にやってくださいませよ?」
「分かってるって。こうして結果も出してるじゃん。
 あ! 今気づいたけど、もしかするとモンスター退治したってことで町の方から褒賞もらえるかもな! おいしいな、これ!」
 喜々として、笑顔でオルトスと戦う未散。
 嗚呼、だれが知るだろう? 年端もいかない少女のような身に宿るこのしたたかさを。
 しかしそれでも…………彼女の舞いは、美しかったのである。(別の意味でハルの涙を誘っているみたいだけど)