リアクション
空路 8 雲海の戦い タシガンを抜けてから、一日目は、まったく賊にも魔物にも出会うことはなかった。 飛空艇団の周囲を、常に哨戒する小型艇、ねこ艇、鴉兵等が飛んでいる。 ここは、おばちゃんたちの談笑が聴こえている、教導団旗艦の厨房。 ふ、と翳りがさし、薄暗くなった。 「おや? もう夜かい? さっき、朝食を作ったばかりだけど……」 曖浜少尉は、立ち上がる。 「雲海に入った、か……。マティエ」 すっと、厨房を出て行く曖浜。 マティエも、無言で続く。何かを察しているのか。 「おーい、どこへ行くんだい?」 二人とも、しっかり銃を手に。 「おや、おっかないねえ。ま、教導団の生徒のことだし、慣れてるけどね」 「なんというか……なーんか来そうな気がするんだよねぇ……」 曖浜の言葉に、マティエもこくりと頷く。 雲海に入った。 各自がそれなりに警戒を強めている。 砲座にも、すでに教導団員らが着いている。 「孔中尉」 「曖浜少尉。 雲ばかりで何も見えないのでありますが……こういう所こそ危険な匂いがするのであります……」 夜のような暗さだが、それはコンロンに近付きつつあることを意味する。 来る相手はこの、宵闇の空中戦に手練た者たちということになろう。 艦長室も、やや緊張に包まれていた。 「……小型艇を哨戒に出しているのだけど」 ローザマリア。艦の東側の哨戒の指示を、上杉 菊(うえすぎ・きく)に委ねている。 「若干、音が乱れるわね。大丈夫かしら……」 「……」クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)も、無言で、艦が掻き分けていく暗い雲の波を見つめている。 ノイエ・シュテルンはマーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)が部下に警戒を強めるよう呼びかけ、早見 涼子(はやみ・りょうこ)が艦橋上部で敵の接近を見張り、アクィラの組は舷側で立哨警戒を行っている。 「雲がひどくて、周囲の艦も影にしか見えなくなってきたな。 ちょっと、やばそうな感じ?」 同じく不動 煙(ふどう・けむい)も、パートナーらと船縁にまで出てきている。 ディテクトエビルも幾らかの反応を示し始めた。そのことを皆に告げる。兵らに緊張が募る。 船の付近を飛んで哨戒を行っているカルキノスは、鴉兵らに呼びかけ、船から離れすぎぬよう注意を促した。 「む。あちらを飛んでいた鴉が見えなくなったぞ。 おい! 聞こえるか、戻るのだ……むっ。何だ」 雲の合い間から何かが飛んでくる。「うぉ!」すんでに避ける。「……刃。来たか!」 * 「カルキ? あれ……」 やや後方に位置する、獅子の中型艦。 前方にあったカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)の影が、声がしたあと、ふと見えなくなった。 ルカルカに、不安の表情が。 「鴉たちを呼び戻して! カルキ……?」 「ルカルカ!」 レーゼマンが来る。前方で、かすかに刃の音。空中か。銃声はまだ聴こえない。それから、鴉の、悲鳴? ……何か、迫ってくる。 「お、これは来るな」 淵は弓を大きく構えてみせる。どこから出てくる、どこからでも、来い! ダリルは、指示を出す。 兵らが、にわかに慌しく甲板を行き来し始める。 月島 悠(つきしま・ゆう)も上がってきた。麻上 翼(まがみ・つばさ)も一緒だ。 「どうだ」 「く、見えん。前はどうなっている? この状況で戦いになるのか」 レーゼマンは眼鏡に吹きかかってくる雲を拭ってかけ直す。 「おお!」 「……むぅ」 「発光信号、か」 * 「方々、招かざる客人に御座います」 ――上杉菊(うえすぎ・きく)は、暗い雲の途切れめに不振な船影を見とめた。 発光信号で誰何を行い、返信が見られない場合や、明らかに敵対する意思が感じられた場合は警戒を促すつもり……しかし、 「はっ」 菊は目の前に落下したものを見た。鴉兵の刻まれた死骸だ。すぐに、艦隊全艦に報せる。 「うわっ」 アクィラや煙の周りにも、次々と、周囲を飛んでいた鴉兵が傷付き、落ちてくる。 それからすぐ。 艦橋上部の涼子が小さく叫ぶ。 「ま、真上から……!」 * 前衛を固める湖賊艦は、すでに戦闘に突入していた。 まず、正面の雲間から、やや小型の艦二隻が現れた。 いちばん先頭の小型艦には、黒豹の旗のもとロイ・ギュダン(ろい・ぎゅだん)がいた。このとき、ロイが二班に分けたうちのアデライード・ド・サックス(あでらいーど・どさっくす)が艦に先行しており、すぐさまに警報を発し、ロイはこれをキャッチした。ロイの艦が敵からの奇襲と読んでかなりの速度で高度を調整したため、二隻は転じて横の艦に狙いを定めた。 「チッ。何てやつらだ。攻撃に移るぞ、仲間をやらせるものか」 そのすぐ後ろ、湖賊旗艦である中型艦。 「あっ……!」 雲海に入って警戒を強化していたゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は、小型艦からの敵襲の信号を受け取った。敵が現れるまではと、ぎりぎりのタイミングまで訓練を行っていた最中であった。 天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)は飛行能力をもって艦の上部へ飛び上がり、艦橋からの死角を警戒する。と、幻舟が見たのは、湖賊の艦隊の上を通り抜けていく船影であった。「まずい。後ろをとられる……いや、もしや全隊の旗艦(教導団艦)を狙って……?!」 しかしこちら湖賊の旗艦にも、側面から敵の小型艦が迫ってきているのを確認した。 ……実戦になる。ゴットリープはマーゼンから借り受けている50の兵に指示を出した。 続々、戦闘態勢をとって兵らが甲板を行き来する。 「うっし! んじゃあきっちり働くかな!」 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)。軽身功で身を軽くし、準備運動を始めている。 秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)も打って出る。「おっ敵のお出ましか。来るなら、さっさと来ねぇか!」 空中での実戦に兵らが緊張するなか、傭兵として腕を頼みに乗船した連中は皆、気が漲っているようである。 そんななかに、ショットガンを手にしつつ霧島玖朔(きりしま・くざく)の姿もある。 「ようし。ここで湖賊たちの信用を得ないとな」 樹月刀真(きづき・とうま)も、月夜、玉藻らを連れ出てくると、剣を抜き放つ。 「お嬢ちゃんらも来たか。 おっと、もう、剣は俺には向けなくていいぜ? 戦いが始まれば、わかる」 そう言う霧島のほうを玉藻はちらっと向いたが、刀真らと自分たちの戦う場所を見定めるべく、駆けていった。 「む。……まあ、いい。 ん、あれは……?」 まだ、扉の影に隠れるようにしてキョロキョロと辺りを見回しているナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)。「ヒィーハァ。これはどーも相手は雲賊か? まだ船に近寄ってはきてないな。もうチョット……ウワッ」 「ほら何してるの? 傭兵さん(ピエロさん?)。 戦いが始まるよっ。行こ!」 その後ろから夏野 夢見(なつの・ゆめみ)が艦備え付けの重火器を引きずりながら、出てくる。 セオボルト・フィッツジェラルド(せおぼると・ふぃっつじぇらるど)は、空中戦を演じるべくレッサーワイバーンを引っ張り出しているところ。「うお、ど、どうした。何故出て来ん……! 恐いのか、るねっでかると! おお、み、水月、ちょっとヘルプを……ああっ何故見捨てる!」 * 教導団旗艦大型艦でも、同じく兵らがせわしなく甲板を行ったり来たりしていた。 「叩き落としてやる! 敵は何処だって?」 飛び出てくるクレア配下のエイミー、パティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)。ハンスは、鴉兵に指示を出す。 あちこちで、迎撃に小型艇を出すよう、鴉兵に編隊を組むよう、等指示が飛び交っている。 煙は、光る箒に乗り、鴉兵らと舞い上がる。「早く早く!」 「煙にぃ!」「待つアル! 復活の書は後ろに乗るアル!」 冥利、死者の書。それぞれ、小型艇ヴォルケーノ、アルバトロスへと…… そのとき、 「上、上だ!」 艦橋からの警報があった。上から、中型の敵艦が急降下してきている。 「あ、危ない!」 箒に乗った煙、周囲の鴉たちが舞い散る。 砲撃はない。だが鴉兵らを蹴散らしながら、どんどんと迫ってくる。「ぶつかる……!」 教導団旗艦は、敵艦が接近してくると、クリーゲ・フォン・クラウゼヴィッツ(くりーげふぉん・くらうぜう゛ぃっつ)の策により、奇襲を避けるため雲の上へと高度をとっていたところであった。 打ち合わせでいけば、湖賊の旗艦、中型艦らとV字を描くように左右に展開する予定であったが、湖賊の艦隊はすでに奇襲を受けているらしい。予想以上に、雲と闇も濃い。指揮系統を束ねるのもままならない。かろうじて、後方の獅子の艦と連携を取ろうとしたところだった。 艦隊を展開できれば十分な策はあった。 だが今回敵は、予想外に旗艦を上方から襲ってくる作戦をとった。敵は雲賊か、その操舵は恐ろしく身軽のようであった。 そして、両側にも船影が見えた。後方の艦も、戦闘に入ったらしい。各艦が切り抜けるしかない。 上方からは、艦橋をわしづかみにするように旗艦を捉えた敵艦から、続々と兵が降り立ってきている。 クラウゼヴィッツは、側面に現れた敵影にはすかさず機銃掃射を命じた。 「宜しい、ならば――撃てっ」 「右舷の弾幕はミーにお任せください!!」 「えっ?」 もう一人の【戦争論】 クラウゼヴィッツ(せんそうろん・くらうぜびぃっつ)であった。こちらは黒豹小隊が旗艦に託していった戦争論だ。 「しかし、これも何かの縁。ミーは運命を感じました!」 教導団の掃射が、敵艦を襲う。 一隻は掃射を食らい、黒煙を吹いて高度を下げていく。一隻は退避していったかと思われたが、まだ、来る。 砲撃手たちも必死の応戦である。 「次は……えっと、九時方向、距離120であります!」 双眼鏡を片手にした孔 牙澪(こう・やりん)。自身は敵位置の観測に専念し、 「全部落としてお持ち帰りの景品にしてやるのでパンダ! 孔、次の敵の位置を知らせるのでパンダよ!」 ほわん ぽわん(ほわん・ぽわん)が砲撃。孔はほわんの腕を信頼し、任せている。 「ボクたち二人のコンビプレイというわけでありますね!?」 砲撃が、敵艦の接近を寄せ付けない。 孔の的確な指示に、他の砲手たちも、照準を合わせる。 敵の狙いが略奪であるのならば、実入りが多く小回りの聞かない大型艦への攻撃が集中すると予測します……その孔の予測は当たっていた。 しかし、砲撃ではどうにもできない上方から、敵はまさしく旗艦を占拠すべく降下してきているという。鴉の声がギャアギャアと響き、敵は艦内に入った、との声も聴かれる。 「大丈夫でありましょうか……! しかし今は、ボクたちはボクたちの任務に専心するであります!」 * 最初に襲撃を受けた湖賊小型艦の一隻は、早々雲海に沈められてしまった。その間に残る二隻は、ロイの指示のもと機動力を生かしたヒット&アウェイの戦法に転じた。だが、敵も空中戦に長けた雲賊である。 「ぬうう」ロイは唸った。「経験ではあちらのが上かも知れぬ。しかし、オレとて、だてに士官学校を出てはおらんよ。よいか、聞くのだ」 ――英国式艦隊戦三十ヤード決戦? 「ロイ殿? それは一体」 「三十ヤードとは約二十七メートル、約二十七メートルの砲撃戦だ。 かつての艦隊決戦では波の高さ・潮流の速さ・大砲の命中率の悪さによって、五十メートル以上離れるとまったく当たらなかった。だから、有効弾の命中率を上げるために考えられたのがこの戦法なのだよ」 「二十七メートルまで……」 「いいか! 闇雲に撃つな?! 機動力自体は相手と大差ない筈だ。 ましてオレたちは教導団。武器性能では負けん筈…… 三十ヤードで一斉に射撃せい。それまでは敵の攻撃を交わしつつ堪えろ!」 砲手ら手に汗にぎる。ロイの副官のアデライードも、「ううー、もうお金で解決しましょーよー……」「泣き言を言うな!」 ロイは強く思う。 第四師団唯一の空挺部隊となる、それがこれからの黒豹小隊の目指すところ。「黒乃隊長見ててくれや!」そのために、この最前線で兵どもの腕も根性も共々鍛えてやる! ……三十ヤード。ロイは叫んだ。斉射。「雲賊ども。念仏は唱え終わったのかよ?!」 * 前方で盛大な爆音がした。 「や、やった……? それともまさか」 夏野が、船縁から雲間を覗く。暗い雲の切れ間に、炎の破片が飛び散るのがかすかに見えた。強い風に混じって艦隊が旋回している音が聴こえる。 まだ奇襲を受けてから十分程度か。 最初の奇襲からすぐだった、仲間の一隻が攻撃を受け操舵不可との報を送ってきた。 「前のやつらに、まだ追いつけないか」 援護に出るべく、小型飛空艇やワイバーンが準備されているところ。 湖賊旗艦にも側面からの敵影が牽制を行ってきて、応戦に必死だった。その船影は少し前に姿を消している。手応えはなかった。 「……」 さきの爆音は。また味方なのか。それとも仇を討ったか。シェルダメルダは苦い表情で雲海を見やる。 「!」 何かが、来る。艦の音ではない、細かい羽音のようだ。 暗い雲海を流れてくるもっと濃い黒煙に乗って、見たことのない奇妙な奇形じみた鳥のような飛行物体。教導団、湖賊のものではない。雲賊の小型艇部隊か。 「早く、こっちの小型飛空艇はまだかい! えい、湖賊のものども。ここは水じゃない、空のうえだが同じ船のうえだ。剣を抜け。傭兵どもは、稼ぎどきだよ。さあ存分に腕を振るいな!」 頭目シェルダメルダも剣をとった。 「ようし!」「いつでも来い」 ラルク、闘神の書が船の最前に立つ。 |
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