リアクション
09.まみかる絵師の部屋 「いたネ」 隣の部屋でもぞろぞろと鹿が群れているのに気づいて、アリス・ドロワーズがその中心を指さした。 「いや、あれはクロセルじゃなくて、雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)だろ」 日本庭園の池の畔に腰をおろして、集まってくる鹿たちに鹿せんべいを配っている雪国ベアを見て、アキラ・セイルーンが訂正する。 「それにしても、鹿の群れの中に白熊ってなんか異様な光景だなぁ……てか、よく鹿たちベア殿を怖がらないなぁ」 「せんべいが欲しいんじゃナクテ、単にベアが珍しくて集まってきてるみたいネ」 ちょっと感心するアキラ・セイルーンに、アリス・ドロワーズが的確に状況を分析した。 「ふはははは。あの時の鹿はパラミタには連れてこられなかったが、今度は失敗しないぜ。おらおらおら、鹿せんべい食べろ。食べたら、全員俺様の部下だあ」 『【2019修学旅行】奈良に白クマ現る!』の絵の前で、雪国ベアが高笑いをあげた。 思い出の絵画展というので、自分が一番ワイルドで格好いいと思っている絵を出展したのだった。 今日は、意気込んでそれを観客に説明してやろうと思っていたというわけである。ところが、面白いことに、絵の中から次々に鹿が飛び出してくるではないか。 さすがパラミタ。 雪国ベアとしても、この程度ではまったく動じたりはしない。むしろ、この状況を利用しなくてどうすると張り切ったのであった。 「もう、ベアったら、自慢の絵を展示するから見てくれっていうから来たっていうのに、なんで絵と同じ状況まで作って悦に入ってるの」 展示室に入ってきたソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)が、唖然と現状を見つめた。 とにかくも、鹿に鹿せんべいを配っている雪国ベアの方はともかく、その背後に飾ってある絵自体は素晴らしい。 ベアの姿もよく性格が出ているし、鹿たちはとってもかわいい。そのうえ、紅葉や、池に反射する風景など、修学旅行でいった奈良公園の独自の繊細な美しさもよく描けている。これを描いたという、日本のまみかる絵師には、感謝しなければいけないだろう。 もちろん、一番感謝しなければいけないのは雪国ベア自身だ。 ところが、雪国ベアといえば、自分の世界に没頭してしまっている。そのため、自慢のマフラーの端を鹿に食べられていることにすら気づいてはいないようだ。 「やっぱり、あっちこっちで、絵のイメージが具現化している。やっぱり、これは、描いてもらった者や見ている者のイメージなのか」 悠久ノカナタとともに鹿を追いかけてやってきた緋桜ケイが、展示室内の様子を見て言った。 「ああ、ケイさん。いいところへ。これって、何が起こっているのか分かっているんですか?」 どう対処していいか困っていたソア・ウェンボリスが、助かったとばかりに緋桜ケイたちに訊ねた。 「状況から察するに、犯人はタシガンの古城で遭遇した霧のようだな。オプシディアンたちが、イコン博覧会で事件を起こしたときに、あの霧で幻影を作って囮にしていたと西シャンバラのロイヤルガードたちが騒いでいたようだからな」 悠久ノカナタが断定した。 東のロイヤルガードである緋桜ケイとソア・ウェンボリスたちは模擬戦を行っていたので直接関与はしなかったが、自主的に会場警備を行っていた西のロイヤルガードであるラルク・クローディスや樹月 刀真(きづき・とうま)たちは、それらと接触して戦闘も行っている。シャレード・ムーン(しゃれーど・むーん)の中継車からの指示は、後に一部には公開されていたはずだ。 オプシディアンたちがイコンを強奪した事件で、彼らは明らかに以前タシガンの古城で見かけた霧と同じ物を使っていた。おそらくは、事件後に放置されたその霧がこの美術館に集まってこの現象を引き起こしているのではないだろうか。 かつてゴチメイたちを虜囚としたストゥ伯爵の正体は、この人々の意識を具体化した形をとる生きた霧、あるいは、本物のストゥ伯爵の残留思念を宿して一体化した一つの意識体だった。 黒蓮の花の持つ魔法力を取り込んで増殖したこの霧は、それ自体は善悪など持たない単純な生き物である。いや、逆に自己の意識を持たない単純生物であったがゆえに、他の生物の強い意識に過剰に反応して同化する性質を持っていた。そのため、近づいた人間の意識が強かったり、その場所に残る残留思念が強いと、それを取り込んで独自の個体まで進化するやっかいな生物だ。 もっとも、そこまで成長するには時間と強い意志を必要とする。たいていは、短時間だけ、近くにいる者の意識を再現するだけの比較的無害な生物だ。 それも、ゴチメイたちと海賊たちによってほとんど駆除されたはずであったのだが。どのようにして、オプシディアンたちがそれを手に入れて増殖したのかはまだ謎であった。 ただ、当時、ココ・カンパーニュの姿をとった霧の一部が石化された後に城から運び出されてはいる。その行方は不明のままだ。また、海賊たちとオプシディアンたちは浮遊島への物資輸送で接点もある。ただ、それらがどう繋がっているのかは分からなかった。 「とにかく、また何かが起こりそうではあるがな。そういえば、修学旅行の前にも、いろいろと仕掛けられて酷い目には遭ったが、今度は何を企んでいることやら」 イコンを強奪していったオプシディアンたちのことを考えて、悠久ノカナタが言った。 ちょうど修学旅行の前には、オプシディアンにおびきだされて、結界ごと吹き飛ばされかけたのだから、あの夜のことはなかなか忘れようとしても忘れられない。 「今年の修学旅行の時期までには、いろいろなことが片づいているといいんだが」 現在の世界情勢を鑑みて緋桜ケイが言った。 「そうですね。またみんなで日本に旅行に行けたら楽しそうです。ううん、ぜひ行きましょう」 もう一度、こんな楽しい絵を描いてみたいなと、ソア・ウェンボリスが緋桜ケイに言った。 「それにしても、後ろの絵の雪国ベアは多少男前ではあるな。バージョン違いかな。それとも、脱皮して中から新しい着ぐるみでも出てきたのか」 ずいぶんとマフラーが短くなったことにまだ気づいていない雪国ベアと、背後の絵の中の雪国ベアを見比べながら、悠久ノカナタが言った。 「もう、ベアはマトリョーシカじゃないです」 ちょっと嫌なことを思い出して、ソア・ウェンボリスが悠久ノカナタに言った。 |
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