First |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
Next Last
リアクション
第一章
1.
――タシガン北部。
霧が立ちこめる山々のその奥、深い谷底に、それはあった。
かつては人どころか、野生の動物すらも立ち入らぬような山奥であったが、現在はその眠りからも覚め、多くの人々の姿が見受けられる。
とはいえ、大きく口をあけた洞窟の周辺は、ものものしい雰囲気に包まれていた。
切り立った崖の狭い空間は、あれから多少整地され、天幕の布が霧を含んだ風にわずかにはためく。昼だというのに薄暗い空の下、つるされたランタンの灯りが頼りなさげに揺れていた。
(教導団としても、ほっとけないってことか)
そりゃ、相手は未知の新エネルギー。よい子も悪い子も気になって仕方ないわけで。榧守 志保(かやもり・しほ)は内心でそう呟きながら、片手に持ったデジカメのバッテリーを確認した。不審者がいれば、念のため撮影をしておこうという計画だ。
先ほどから、洞窟入り口では、教導団の大熊 丈二(おおぐま・じょうじ)と、月島 悠(つきしま・ゆう)が、侵入者のチェックに余念がない。その様を、光学迷彩でもって身を隠し、志保と骨骨 骨右衛門(こつこつ・ほねえもん)はどちらかといえば一歩退いたところで警戒を続けていた。……別に、彼の場合おそらく幻覚とはお化け関連だろうし、死ぬほどそういった手合いが苦手なため、洞窟内部に入ることに対して二の足を踏んだとかそういうことは……ない。はずだ。
ただ、骨右衛門の場合、そのどう見ても骸骨な外見故、うっかり洞窟内で遭遇すると、モンスターに勘違いされそうだというのは正しい。
「……それにしても、厳しい警備でござるな」
姓名や所属のチェックを繰り返す教導団の姿に、骨右衛門がそう口にした。
「果たして『なんのため』の警戒なのかね」
志保の口調は、若干ぼやきめいている。
これじゃあどちらかといえば、薔薇の学舎に対する警戒、そうとられてもおかしくはない。
とはいえ、それを一概に批判もできないのは、身内ですら疑ってかからなくてはいけない現状というせいもある。
ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)が、その鎧の身体を軋ませ、教導団のチェックを通っていく。イエニチェリでありながら、その裏になにかがあるであろうことは、薔薇学の生徒であればわかることだ。それだけではなく、先日、やはりイエニチェリである黒崎 天音(くろさき・あまね)が、ウゲンに従ったことも記憶に新しい。
「…………各々思惑。ほんとにね」
新たなエネルギー源という蜜に、あらゆる虫が集まってくる様にも、それはどこか似ていた。
「これで以上か」
藤 千夏(とう・ちか)の傍らに設けた検問所で、月島 悠(つきしま・ゆう)は名簿を片手に周囲を見回した。
洞窟へと入った生徒は、薔薇学だけでなく、他校生徒を含めて、49人。なかなかの大人数だ。もっとも、このうち何人が、無事に戻れるかはわからないが……。
悠は、周辺警備というよりも、洞窟に潜入する者の身分と姓名の確認、およびその把握に努めていた。万が一中で事故がおきた場合、誰がいたのかを把握するためと、薔薇学には説明している。それについては、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)だけでなく、イエニチェリであるルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)にも許可を得ていた。
ルドルフ本人が、この場に姿を現さなかったことは、若干意外ではあったが、他にもイエニチェリはいる。そちらに任せるつもりなのだろう。
「悠くん、お疲れ様です」
ひょこりと、千香の後背部にあたるハッチから麻上 翼(まがみ・つばさ)が顔を出す。
「今のところは、静かなものだな」
「ああ」
千香の言葉に、悠は頷いた。
少なくとも、検問所で異を唱え、抵抗する者はいなかった。まぁ、多少不服そうな顔をする者もいたにはいたが、最終的には同意していた。
タシガンというこの地が、現在、領主であるウゲンの行動により、微妙な立場にあるのは事実だ。教導団の監視が強くなることにおいて、強く異を唱えるわけにもいかないのだろう。
「それに、バレなくてよかったですね」
こそっと翼に囁かれ、悠は思わず辺りを見回した。『軍人モード』でなければ、思わず飛び上がっていたかもしれない。
手違いで薔薇学に入学した悠は、翼の「薔薇学では女性とわかると、拘束されてヒドイめにあわされる」という嘘を信じ切っている。そのため、内心では戦々恐々なのだ。
「月島殿!」
大熊 丈二(おおぐま・じょうじ)の声に、悠はぴしりと背筋を伸ばすと、敬礼でもって彼を出迎えた。
「大熊二等兵、どうした?」
「検問は一時終了したようですし、ヒルダ殿と共に、歩哨の任につくであります」
確かに、当分は千香と翼、そして悠でコトは足りそうだ。悠は頷いたものの、ふと思い立ち、丈二へと尋ねた。
「しかし、大熊二等兵は、ここ数日歩哨の任を続けていたのだろう。少し休憩をとったらどうだ?」 千夏の内部には、2〜3人は余裕で入ることのできる空間がある。一時休むには充分のはずだ。しかし、悠の薦めに、丈二は首を振った。
「いえ、ご心配には及びません。お心遣い、感謝であります」
「そうか。では、引き続き歩哨にあたってくれ」
「了解であります」
「わかりました」
ヒルダ・ノーライフ(ひるだ・のーらいふ)もそう答え、悠に敬礼を返した。
二人を見送った後、不意に、ぽつりと冷たいものが悠の頬に当たる。
「……雨ですね」
空を見上げ、翼が呟いた。通り雨で済めばいいが、空は次第に暗くなっていくようだ。
「しばらく、我輩の中より監視にあたるとよいだろう」
「そうだな」
悠は頷き、翼と連れだって、一旦千夏の内部へと潜った。
「降ってきたわね」
ヒルダもまた、そう呟き、ちらりと外を見上げた。しかし、丈二はどこか頑なな眼差しを周囲に向けたままだ。
「まだ気にしてるの?」
「……当然であります」
そう答え、丈二は口元を引き締めた。
昨日のことだ。丈二は今日と同じように、歩哨を努めていた。ラドゥが炎の結界を取り除いてからというもの、近くに天幕を張り、泊まり込みで警戒に当たり続けていたのだ。
暗闇の中、不気味に洞窟はその口を開いている。どうせなら、その奥の探索がしたいものだとはちらと頭を掠めたが、過去に色々とあるヒルダが、『絶対に嫌』と譲らなかったので、仕方がない。
まぁどのみち、この奥にあるものを探るのは薔薇学の仕事だ。必要以上に関わるつもりはなかった。そんなことをつらつらと考えていた矢先のことだ。
「誰でありますか!」
しまった。咄嗟にそう思った。
丈二が発見したのは、洞窟から出て行く二人連れの姿だった。――ナラカから昇ってきた亡霊か? と、ちらと頭を掠める。しかし、向けたライトの先、かいま見えた横顔は、亡霊ではなく、ウゲン側についたともっぱらの噂のイエニチェリ……黒崎 天音(くろさき・あまね)だったのである。
「待つであります!」
しかし、その言葉に従うわけもない。天音とその契約者は、瞬く間に闇夜にその姿を消した。
明らかに、丈二の失態ではあった。だが、それについて、上層部からのおとがめは無かったのが救いといえば救いだ。天音はとくに何かを手にしていた様子もなく、どうやら再奥まではたどり着けなかったようでもある。
彼がタシガンで姿を見せたという情報は教導団にももたらされていたが、この洞窟とは皆目関係のない場所だった。そのため、油断も多少はあったのかもしれないが……。
確保できていれば、色々と情報も手に入ったかもしれない。その後悔が、丈二の胸にはどうしてもつきまとっていた。
そんな丈二を、ヒルダの緑の瞳が、気遣わしげに見つめていたのだった。
雨はまだ、降り続くようだった。
First |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
Next Last