空京大学へ

天御柱学院

校長室

蒼空学園へ

イルミンスールの息吹――胎動――

リアクション公開中!

イルミンスールの息吹――胎動――
イルミンスールの息吹――胎動―― イルミンスールの息吹――胎動―― イルミンスールの息吹――胎動――

リアクション



『その時、イルミンスールでは』

●イルミンスール

 相次ぐ騒乱を収束させ、今日も地に根を張る世界樹、イルミンスール。
 そのしっかりとした幹の一本目掛けて、空から飛翔する影があった。

(魔族との共存なんて事が、本当に出来るとでもいうのかしら。この短期間で魔族全体の考えを変えられるはずがない。現に先日、ここで大規模な魔族の反乱があった。
 ザナドゥに行きさえすれば、まだまだ事を起こすことだって可能なはず。……けれどザナドゥに行くには世界樹を経由しなければならない……)
 幹に降り立ち、下に広がるザンスカールを始めとする風景を眺めながら、メニエス・レイン(めにえす・れいん)はこれからのことを思案する。彼女はまだイルミンスール魔法学校の在籍を外されてはいないものの、これほど『目について』しまった存在である。現状の方法でザナドゥに行くのは、到底不可能のように思えた。
(……そもそも、そんなことをして、あたしは何をしようというのだ……?)
 そして当のメニエスが、自分の行動について迷いを覚えていた。……いや、迷いというよりはそれは、既に自分が間違えているという思いだった。こんな自分に声をかけてくれた存在、そして何より『恋人』の存在がメニエスに気付かせ、そして迷わせている。きっと彼女が『今更後戻りができる訳がない』という確信を抱いていなければ、メニエス・レインという人格はとうに崩壊していただろう。

(あれは……)
 そんなメニエスを、たまたま近くを通りかかったルーレン・ザンスカール(るーれん・ざんすかーる)が目の当たりにする。彼女の罪状に関しては把握していたものの、彼女はイルミンスールにとっては罪人ではない。よってこの場を密かに離れ、通報することは憚られた。かといって何も言葉をかけず、ただその場を立ち去ることも出来なかった。

 一方メニエスも、ルーレンの存在に気付いていはいたが、特に興味は示さなかった。これがエリザベートやリンネだったらやかましい事になったことを思うと、むしろ彼女で良かったように思う。
(一時は、彼女と近しい地位をもらったこともあったわね。……そうやってこの学校で地位を得て、あたしは何をしたかったの?)
 風が吹き、メニエスの髪を、心を揺らす。長い、長い思案の末辿り着いた結論は――。

(そうよ、地球人をパラミタから排除する為よ。あたしは何を考えていたの?
 これはやらなきゃいけない事。そうよ、あたしは間違っていないわ……!)


 もう一度、自分に言い聞かせるようにメニエスは、「あたしは間違っていない」と呟く――。

(……やはり、このままにはしておけません。わたくしに何が言えるわけでもありませんが……)
 ルーレンが意思を固め、メニエスへ近付いていく。伺えなかった表情がかろうじて読める所まで来た所で、突然メニエスが振り返る。ハッとして足を止めたルーレンの目は、よくメニエスが浮かべていた邪悪な笑みを捉えていた。
「あたしは間違っていない。次こそはあたしが勝つわ、覚悟しておきなさい!」
 宣戦布告にも聞こえる言葉を吐いて、メニエスが乗ってきた箒にまたがり、空へと飛び去ろうとする。
「待って――」
 ようやく呪縛から解放されたルーレンが声を飛ばすも、もうメニエスには届かなかった。どんどんと小さくなっていく人影を、胸に手を当ててルーレンが見送る。

「……なぜ、あなたはそんなに、寂しそうな顔を見せるの……?」

 答える声はない――。


「掃除って……イルミンスールは勝手に綺麗になってるんじゃないのかね?」
「うーん……確かに放っておけばいつの間にか綺麗になってるけど。それでもほら、よく見ると埃があったり、ゴミが落ちてたりするわけで」
 草原の精 パラサ・パック(そうげんのせい・ぱらさぱっく)の問いに、五月葉 終夏(さつきば・おりが)が机の隅を箒で薙ぐと、確かに埃がかき集められた。
「なるほど、完璧、というわけじゃないみたいだぎゃー」
「それに、アーデルハイト様がもしかしたら戻ってくるかもしれないし。
 アーデルハイト様も、久し振りのイルミンスールが綺麗だと嬉しいかも、って思ったから」
 そう言って、終夏が箒を部屋のあちこちに忍ばせていく。この単純なしかし一度やり出すと結構ハマる作業は、終夏に色々と思わせるに足るものであった。

(……そう。アーデルハイト様が帰って来てくれるのかもしれないのは嬉しい。勿論嬉しい。
 アーデルハイト様の事を恩師だと思っているから)
 
(……けれど、ザナドゥの事や、色々で、考える事も増えた。
 これで良いのか、この先どうなるのか。
 どうしたいのか、どうすればよいのか。
 ……うん。色々増えた)

(私もそろそろ二十歳だ。
 子供っぽい理屈だけで、進んで良い歳じゃなくなる。
 歳だけは大人になって中身の方はなかなか追いつかない。
 ……中身が追いつくのは一体いつになる事やら)

「となりの、となりの。パラサ・パックも手伝うよ。
 パラサ・パックもイルミンスールにはお世話になっているからね」
 思考に一区切りがついた所で、パラサ・パックが雑巾とバケツを持って終夏に手伝う旨を告げる。
「あ、手伝ってくれるんだ、となりの。それじゃあお願いします」
 考え事をしていたのもあるが、なにぶん、イルミンスールの一部屋は広い。それに段差もあって、そういう所に埃は溜まりやすい。
「こういうのは、人目につかない場所も綺麗にするのが筋というものさ」
「そうだね。それじゃあ一緒に、イルミンスールをピッカピカのキラッキラッに掃除しちゃおう」
 それからは共同作業で、隅々まで掃除をしていく。終夏が箒をかけ、パラサ・パックが雑巾で仕上げを行う。乱雑に積まれた本なんかは二人で、あっちかな、こっちかなと思案しながら纏めていく。
(いつ、アーデルハイト様は帰ってくるかな。
 もし掃除が終わる前なら、「おかえりなさい」って笑って挨拶して、「すみません、まだ途中で」、かな。
 終わっていたら「おかえりなさい」。……あんまり変わらない?)
 自分の考えに、おかしくなってふふ、と笑い出す。
「何笑ってるんだぎゃ?」
「ううん、なんでもない」
 こんな掃除なら、毎日だっていいかもしれない。……そんなことをちょっとだけ思いながら、終夏は箒を動かす――。


「……そうですか。順調なようで、何よりです。
 ええ、こちらは特に問題ありません。皆さんと一緒に、無事に帰ってきてください」

 ロイヤルガードとしてエリザベートたちに随伴しているルカルカから連絡を受ける形で、ザカコがイルミンスールの現状を知らせる。イルミンスールの長が席を外しているのを狙って万が一の事が起きても対処出来るよう、控えに回っていた。
(……実の所は、アーデルさんや校長達とザナドゥの都市を見て回りたい気持ちもありますが。
 とはいえ今回のザナドゥ訪問は、アーデルさんがザナドゥで尽力してきた経過を見るためのもの。そちらはきっといい結果になると信じていますが、邪魔をしてはいけませんね。
 きっと大丈夫だと、信じていますので)
 必要になるかもしれない資料を整頓しつつ、ザカコは今日に至るまでを思い返す。……ザナドゥとの戦いの中で感じた、『自分には力がない』という無力感。そして戦いが終わり、アーデルハイトがザナドゥに行ってからの、自己を鍛え上げる日々。
(今でも、自分が何かを守れるか、という自信は正直、ありません。
 でもだからこそ、成長しよう、もっと強くなろうと思える。……アーデルさんもザナドゥで出来る事をしている、なら自分は自分に出来る事をしよう、そう思うことが出来る)
 そうしてザカコは、アーデルハイトの『家』であるイルミンスールを守るために、努力を重ねてきた。……今、アーデルハイトが帰ってくるかもしれない状況で、次にザカコが思うのは、ザナドゥとの共存のこと。
(いち早くイナテミスは、魔族との共存の道を選んだ。次はザンスカールが、同じように共存の道を選ぼうとしている。
 一つが二つ、二つが三つ……そうして他の街にも広がっていく流れを、維持させたい。この前のような争いが起きて、流れが絶たれるような状況にはしたくない)
 そのためには、人間と魔族が分かり合っていかなければ、と思う。……もしかしたら、完全な平和というものは無いのかもしれない。それでも、あれほど大規模な戦いはもう二度と起きてほしくないし、起きないように努めたい。
(色々と考えなければならないことはありますが……まずは、アーデルさんの帰りを待ちましょうか)
 数々の戦いの果てに手に入れた、平和で暖かいイルミンスール。そこにいつでも帰って来れるように、ザカコは自分に出来る事をしよう、そう誓っていた。


(今ザナドゥでは、ハイジ様の処遇が決められようとしている……。
 付いて行きたかったけど、ここを長く留守にするわけには……)
 『ミスティルテイン騎士団イナテミス支部』にて、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)が日々の業務をこなしながらもどこか落ち着かなそうに時計を見たり、立ち上がったかと思えば座ったり、を繰り返していた。
(あぁ、ダメダメ。もっと落ち着かなきゃ)
 自分の振る舞いがおかしなことに気付いて、フレデリカがふぅ、と一息つける。とりあえず別の事を考えよう、そう思うとしかし思い出されるのは、先日の魔族反乱のこと、そしてフィリップ・ベレッタ(ふぃりっぷ・べれった)のこと。

「フリッカさんが背負うと決めたものを、僕にも背負わせてください」

 フィリップの言葉を思い出して、フレデリカがボッ、と顔を赤くする。想いを寄せていた彼が、自分と同じ物を背負うと言ってくれたこと。自分を選んでくれてこちらを見てくれるようになったことは、夢見ていた事でとても嬉しく思う。
(けれど……私はまだ直接、フィル君の気持ちを聞けていない)
 そのことが、もしかしたら思い違いをしているのではないか、勘違いではないかと不安にさせる。あの言葉をかけてくれただけでも喜ぶべきことなのに、もう次の言葉を望んでいるなんて、我侭だな、と思う。
(花音さんとも、また以前のように仲良くしたい。……それもやっぱり私の我侭で、幼稚な考えだけれど)
 同じ相手を巡るライバルとして、付き合いを続けていた花音とは、あの日以来連絡を取れていない。ある意味で『決着が付いた』今、前のような関係には戻れないことは分かっていても、このままでいることに居心地の悪さを感じているのも確かなわけで。
「……あぁもう、どうしたらいいのっ」
 思わず声にしたフレデリカが背もたれに背を預け、天井を仰ぎ見る。動かないといけないような気がしているのに動けない感覚に悶えていると、視界にルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)の顔が映り込む。
「フリッカの気持ち、ある程度は分かるつもりです。……こんな時だからこそ、自分に出来る事をするべきでしょう?」
「私に、出来ること……」
 ルイーザに言われて、フレデリカは思案する。今イナテミスは、ちょっとした困難に直面していた。
「ここ最近、ちょっと異常な温度上昇よね。イルミンスールの大図書館に行けば、何か手がかりがつかめるかしら」
 身を起こし、頭の中で行動をまとめる。イルミンスールには多分、フィル君がいる。彼に「イナテミスの異常な温度上昇の原因を調べたいから、付き合ってほしい」と告げれば、付き合ってくれるだろうか。
(一緒に調べ物をして、そして、あわよくばフィル君の方から気持ちを言ってくれたら……)
 そう思うと、また頭がボーっとして、顔が熱くなる。
「こらこら。深呼吸でもして、もうちょっと落ち着いたらどうですか?
 そんな調子では、上手くいくものも上手くいかなくなりますよ?」
「う……」
 微笑むルイーザに見られていたことが恥ずかしくて、フレデリカは顔を隠す。
(……ふふ。可愛いわね、フリッカ。あなたが少しだけ、羨ましいって思うわ)
 自分がもう持つことの出来ないであろう気持ちを持っているフレデリカが可愛くもあり、ちょっぴり冷やかしてみたい気持ちもありつつ、結局ルイーザは微笑みを浮かべて送り出す。
「フィリップ君だって、いつものフリッカが好きだと思いますよ? あまり気負わず、行ってらっしゃい」
「……そう、よね。自然体、自然体……っと。
 ありがとう、ルイ姉。それじゃ、行ってくるね」
 大分軽くなった気持ちのまま、フレデリカが扉を開け、フィリップの元へ向かう――。

「イナテミスの異常気象について……あっ、ありましたよ、フリッカさん」
 目的の本を見つけたことに喜んでいるフィリップとは対照的に、フレデリカはこうもあっさりと目的が果たされてしまったことに落胆の気持ちを隠せずにいた。
「あっ……う、うん。それじゃ、見てみましょう」
 それでも気持ちを切り替え、二人並んで座り、該当するページを確認する。今より二年程前、イナテミスはかつてない竜巻と寒波に見舞われていた。そしてその時、『ウィール遺跡』には『雷龍』が、『氷雪の洞穴』には『氷龍』が出現していた。
「この雷龍や氷龍って、今のヴァズデルさんとメイルーンさんのことですよね」
「そうね。……じゃあ、イナテミスが今熱波に襲われているのは、新たな『龍』が出現する前触れ?」
 予想を口にするフレデリカ、そうだとすれば新たな疑問、『何故今になって』が浮かんでくる。
(何か手がかりは……あっ)
 本に触れようとしたフレデリカの手と、同じくページを捲ろうとしていたフィリップの手が触れ合う。
「…………」
「…………」
 二人、手を重ねたまま、視線を交差させる。
「……あああの、ごめんなさいっ」
「わ、私こそ、ごめんなさいっ」
 ほぼ同時に、二人がバッ、と手を引っ込める。思いの外大きな声が出てしまったようで、二人は周りの生徒の注目を浴びてしまう。
「……本、借りていきましょうか」
 フィリップの小声に、フレデリカはただ頷くことしか出来なかった。

(あーもう、何やってるんだろう。私のバカっ)
 大図書館を出てすぐ、フレデリカは自分への情けなさで隠れてしまいたい気分になる。
「あの……フリッカさん」
 そんな、穴があったら潜ってしまいそうなフレデリカを、フィリップの言葉が救い出す。
「まだ日も高いですし……よかったら、ザンスカールの街を見て回りませんか?
 復興も進んで、結構賑わってきてるんですよ。イナテミスほどじゃないですけど、楽しい、と思います」
 フィリップからの誘いに、断る理由なんて考えられなかった。私を気遣ってのことかもしれないけど、それならそれで嬉しいから。
「……うん。私、行ってみたい。一緒に行こう?」

 そして二人は、イルミンスールを取り囲むように復興が進む街、ザンスカールへと向かう――。