空京

校長室

帰ってきた絆

リアクション公開中!

帰ってきた絆

リアクション


空京の産ぶ声

 遠野 歌菜(とおの・かな)は歩いていた。
 空京の街である。
 なぜそこに彼女がいるのかと言うと、それには一つ訳があった。
(……朱里さん、元気にしてるかなぁ)
 歌菜は朱里・ブラウ(しゅり・ぶらう)の入院している産婦人科院に向かっているのだ。
 朱里は現在、産院で安静中である。彼女はアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)との間に一人の子をもうけたが、さらに二人目をそのお腹に宿し、つい先日、その二人目が産まれたばかりなのであった。
 アインはすでに朱里の隣にいるだろう。それは当然のことだ。
 そして歌菜は――いま、パートナーの月崎 羽純(つきざき・はすみ)と共に産院へ向かっている。
 羽純は歌菜とは違って落ち着き払っており、歌菜に急がないよう進言していた。
「歌菜、もう身体はお前一人だけのものじゃないんだから……無茶するなよ」
「分かってるってば。このお腹にいる二人の子どものためにも、ね」
 歌菜はそう言って、自分のお腹をさすった。
 そこには二人の子どもが宿っている。羽純と、歌菜の。二人の愛の結晶とも呼べる存在だった。
「でもまさか……双子ちゃんだったなんてねぇ。こんな偶然もあるんだね」
「……そうだな」
 羽純は苦笑しながら言った。
「向こうもこっちも、ずいぶんと賑やかな家庭になりそうだ。ま、向こうは養子もいるから、さらにそれは倍増ってところだが」
「ねえ、羽純くん。いつか子どもが産まれて大きくなったら、また朱里ちゃんとこに遊び行こうね。そしたら、二人の子どもたちを遊ばせてあげてさ……」
「ああ……それはいいアイデアだな」
 羽純はいつとも知れない、だが近しい将来であろう自分の未来を思い描いた。
 そう。いつか二人の子どもが大きくなったら……。
 それにはそう長い時間もかからないような気がした。
「楽しみだねぇ、朱里ちゃんの子ども! いったい、どんな顔してるかなぁ……」
「案外、どちらとも似てなかったりしてな」
「うわ、ひどい羽純くん! ひどい男だ!」
 そんなことを言い合いながら、二人は産院へ向かった。
 空京最大の産婦人科院は、いまもすでに二人の視界の中に見えていた。

 二人は産婦人科病院に辿り着いた。
 すでに朱里のもとには他の仲間たちも集まってきていた。
「あ、紅月さんだ! それにアイビスさんも!」
 歌菜が見たのは城 紅月(じょう・こうげつ)アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)だった。
 二人は歌菜と同じく、双子を出産した朱里を祝うべくこの産院までやって来たのだ。
 二人とも、歌菜を見ると彼女に気づき、笑顔で出迎えた。
「久しぶり、歌菜ちゃん。これで3歌姫集結だね」
「歌菜さん、お久しぶりです! また会えて嬉しいです!」
 3歌姫とは朱里、紅月、歌菜の三人の事である。
 アイビスも負けず劣らず三人の歌声に匹敵するが、それでもやはりイルミンスールの歌姫と言えば彼女ら三人を指すことが多い。それには一種の尊敬の念を抱いているアイビスだった。
「お二人とも、どうやってこちらまで来たんですか?」
 アイビスはそう言って羽純と歌菜に尋ねる。
「もちろん、歩いてさ」
 羽純は答えた。
「歌菜はもう妊娠してる身だからな。走らせるわけにもいかないし……」
「ええー、じゃあタクシーとかでも呼べばよかったのに!」
「なに、こいつが歩きたいって言うもんでな。どうせだから空京の景色も赤ちゃんに見せてあげたかったんだそうだ」
「そうなんですか?」
 アイビスは相づちを打ちながらも、どこかぽかんとした様子を崩せなかった。
 まあ、それも仕方あるまい。彼女はまだ子どもを宿すという経験を積んだことはない。
 歌菜や朱里からしてみれば、子どものために色々と手間で大変なこともしてあげるというのも、一種の親心のようなものだった。それに、自分も子との時間を大切にしたいものだ。
 歌菜はお腹の子どもに紅月とアイビスのことを紹介し、それから他の仲間たちのもとへも向かった。
「観月季さん、朝斗さん、お久しぶりです!」
 そう彼女が声をかけたのは、榊 朝斗(さかき・あさと)城 観月季(じょう・みつき)の二人だった。
 観月季は紅月の実の姉である。
 紅月とは見た目にも血の通っていることを感じさせるほどに似ているが、性格はその限りではない。どちらかと言えば観月季はしっかり者で、紅月はやんちゃな方だと言えるだろう。顔は似ていても性格はまるきり違う。それがこの二人の姉弟だった。
「あら、歌菜様。お久しぶりですわね」
 観月季はそう言って笑った。
 実にほれぼれとするような愛情溢れる笑みだった。
「こうしてお二方にお会い出来ましたことを、嬉しく思いますわ。ねえ、朝斗様」
「うん、そうだね」
 朝斗はそう言って、苦笑した。
 どうやら観月季の実に丁寧な仕草に気後れしているようだった。
「二人とも、朱里さんが来てくれるのを楽しみにしてたよ。急いで行ってきなよ」
 と、言う朝斗。歌菜は驚いた。
「本当に? 分かったわ。じゃ、早く行きましょ、羽純くん」
「ちょ、ちょっと待て、歌菜! あまり慌てるな!」
 二人は急いで朱里のいる病室へ向かった。

 そこは、こぢんまりとした印象を受ける個室だった。
 一人部屋ではあるが、窮屈を感じるほどに狭くはない。とはいえ、広すぎるわけでもなかった。
 キャスターや、丸テーブルや、カーテンが引かれ、なんとなく居心地がいいようにセッティングしてある。
 そんな部屋の中央に、彼女はいた。
「あ、歌菜ちゃん! こっち、こっちだよ!」
 朱里は歌菜を見つけると、ぶんぶんと大きな笑顔で手を振った。
「こら、朱里! まだ安静にしてないと駄目だろ! 子どもが産まれたばかりなんだぞ!」
 そう言って朱里をしかりつけるのは、アイン・ブラウだ。
 彼の一言に、朱里はぶぅっと膨れた。
「もう、アインってばそればっかりなんだから。大丈夫よ。ほら、こんなにもう元気なんだから。それに赤ちゃんだって、お父さんが怒ってばかりだと悲しいわよ。ね〜」
 歌菜はすぐそばの揺りかごの中にいる赤ん坊たちに向かって、そう言って微笑んだ。
 しかめっ面をするアイン。父としての気持ちと朱里を思う気持ちとが、半分ぶつせめぎ合っているという表情だった。
 そこに歌菜たちが合流する。
「久しぶり、朱里さん! うわぁ、これが赤ちゃんたち!? かわいい〜!」
 彼女は揺りかごの中の双子の赤ん坊を見て、満面の笑みを浮かべた。
 二人の赤ん坊はまだ眠っていた。どちらも、すうすうと小さな寝息を立てている。その姿に誰もが見ほれ、つい言葉を失ってじっとその様子を観察してしまった。
 くすっと、朱里が笑った。
「みんな、見過ぎだよ」
「ええ〜、だって〜」
 と、子どもみたいに膨れる歌菜。
 その時である。
「――まあ、見つめたくなる気持ちもよく分かりますよね」
 レオン・ラーセレナ(れおん・らーせれな)がそう言って、歌菜のフォローに回った。
「あ、レオンさんもそう思う?」
「ええ、もちろん。なんせ双子の赤ちゃんですから……珍しいのもありますが、やっぱりこの愛くるしさには誰もかないませんよ」
 そう言って、レオンはささやかに微笑んだ。
 彼は城紅月の伴侶となる男である。もちろん、彼らはお互いに同姓だが、ことパラミタにおいては同性同士の結婚はさほど珍しいものではなくなっていた。彼は紅月を愛している。そして紅月もまた彼を愛している。二人にとってはそれだけで十分だった。
「ところで……」
 と、レオンは呟いた。
「この病院では、予定してた演奏は出来るのでしょうか? 病院長とかに許可をもらわないといけないのでは――」
「それについては問題ないよ」
 そう言ってレオンたちの視線を集めたのは、いつの間にか病室の入り口に立っていたアディール・テイェ・カーディフ(あでぃーる・ていえかーでぃふ)だった。
 彼女は観月季のパートナーである。
 その儚い外見と違って、どこか猫っぽい性格をした彼女は、皆に向かってにっと微笑んだ。
「病院側に許可は取ってある。ルゥちゃんたちが手配してくれてたからね」
「まったく――」
 そうため息をつきながら病室に入ってきたのは、ルゥ・ムーンナル(るぅ・むーんなる)だった。
「機材の準備もしないといけないし、紅月たちがどうしてもって言うからね。とりあえず、手配だけは済ませておいたわよ。あとはこっちに機材を搬入して、準備を整えるから……ま、しばしお待ちをってところね」
 そう言いながら肩をすくめるルゥは、紅月や観月季たちにとっては旧知の仲だ。
 この時のために駆けつけてくれたというのだから、ありがたいことである。
 彼女は病室にいる仲間たちに伝えたいことだけ伝えると、あとは搬入にやって来た業者たちの手伝いに出て行った。
 後から、やれこれをこっちだの、あれを向こうだのと、指示を飛ばすルゥの声が聞こえてくる。
 下手に手伝いをしても邪魔になるだけだろうと、アディールは諦めて肩をすくめた。
「まあそんなわけだから……もう少し待っておいてよ。準備が出来たら、みんなを呼ぶね」
 そう言って彼女も出て行く。
 残された歌菜たちはお互いに顔を見合わせ、ぽかんとするだけだった。

 さて、準備というのが一体何のことかと言えば、それは演奏のための機材の搬入だった。
 彼女たちはここで歌のステージを披露しようというのだ。
 もちろん、あまりにも激しい演奏は病院では御法度だ。
 だが、時にはこうした音楽に触れ合うことも、妊婦にとって良い刺激となることだろう。そうして産院の院長先生を説得した歌菜たちは、院内の玄関ホールにステージを設置することになった。病院にいる、赤ん坊や旦那さんと一緒にいるお母さんたちにも、歌を聴かせてあげようというのだった。
 まあ、目的はそれだけではない。
 実際のところ、この話が持ち上がったのはイーダフェルト二号の件があったからだった。
 建造中のイーダフェルト二号はなんでもテロリストにハイジャックされたらしい。さすがにその現場にまで向かうことは朱里たちには出来なかったが、自分たちにも何かやれることはないかと検討した結果、こうした歌という手段が取られたのだった。
 イーダフェルトは人の心が(ひいては、テンションということだが)原動力となっている。
 その為に、歌という手段を用いても、遠く離れたイーダフェルトへエネルギーを注ぐことが出来るのではないかと朱里たちは考えたのであった。
 まあもちろん、確証はないのだが……。
 恐らく、契約者であれば大丈夫であろう。
 そんな適当と言えば適当な、もともと朱里・ブラウの退院日の為に音楽祭は開こうとしていたし――という、結果的に一石二鳥な考えから、彼女らは病院全体を使ってコンサートを開くことを決めたのだった。
 まあ、イーダフェルトには通信衛星で歌声を届けるのだし。
 病院にいる赤ん坊やお母さんたちのみんなの歌声が届けば、それはそれでイーダフェルトの為になるのではないか。
 そんなことから、次々と機材を設置して準備を整えるルゥたち。
 やがて全ての準備が整った頃には、多くの赤ん坊とお母さんたちが集まってきていた。

「わぁ……すごいねぇ……」
 玄関ホールに集まってきた人々を見て、歌菜が感嘆の息をついた。
「まったくだ。こんだけ聖アトラーテ病院に人がいるとは知らなかったな」
 そんなことを言うのは羽純である。
 彼は忙しく立ち回るメルティナ・バーンブレス(めるてぃな・ばーんぶれす)たちに声をかけた。
「メルティナ。準備はどうだ? 用意出来そうか?」
「ええ、もうばっちりですよ」
 そう言って、メルティナはにっこり笑った。
 彼女はルゥのパートナーである。ルゥ同様、ステージの準備を進めていたのだが、どうやらそろそろやるべきことはなくなってきたようである。
 彼女はルゥの隣について、他のメンバーたちが演奏準備に取りかかるのを見つめた。
「そろそろですね」
「ええ。ま、私たちも歌には参加するつもりだけど。どう? メルティナ。あなたも一緒に歌うでしょ?」
「はい、そのつもりです。それに、ルゥ……私、あなたに言いたいことが――」
「……?」
 ルゥが首を傾げる。
 ちょうど、その時であった。
 ――ついに、準備が整って演奏が始まった。
 朱里、紅月、歌菜、アイビスが歌声を響かせ、羽純たちがその後ろで演奏する。
 機材を用意したのは朝斗だった。もちろん――ルゥたちと共に、という意味である。彼は彼女たちの後ろで中継機器を動かしている。中継は繊細な作業であるため、いつ何時も注意を怠れないのだった。
 無論、レオンは同じように彼の横で機材を調整している。
 彼らの歌声を送る先は、イーダフェルト二号のもとで戦っている仲間たちの場所だった。
「ねえ、アディール。もちろんこれは間違ってないですよね?」
「うん、ばっちりだよ」
 そう答えるのはアディールである。
 もちろん彼女は、中継地の指定に余念がない。
 そんな彼女たちの傍で――熱いキスを交わすのはメルティナとルゥだった。
「わぁ……すごいね、二人とも……」
 そう呟くのは、朝斗である。
「まったく……そういうのは見えないところでして欲しいわね」
 観月季が半ば呆れたようにそう言った。
 まあとはいえ、二人は互いに求め合っているのだから仕方がない。
 ルゥにとっては突然のメルティナの告白だったが、それを受け入れたようだった。二人はキスを交わし終わると、お互いを見て微笑んだ。
 そんな彼女らを見て――羨ましそうなレオン。
「……私も紅月から夜のご褒美をもらいましょうかね」
 そんなことをぼそりと呟いた。
 まあ何にせよ、ミニコンサートは上手くいっているようである。
 朱里たちが披露しているのはクラシックの曲だった。
 交響曲第九番――「歓喜の歌」。
 本格的な演奏は無理だが、それをアレンジしたようなものとなっている。
 その間に、歌に聴き入るママさんやその他の観客たちへと観月季がお茶を配る。彼女は自慢の紅茶を配っていて、それは病院長のご機嫌を取るのにも一役買っていた。
 ともあれ――お茶を飲むのも忘れるぐらい、演奏は素晴らしいもので、聞き惚れる者たちが何人も現れた。それは歌の力によるものだ。声には力がある。歌はそれを増幅させるもので、演奏というものがそれに形を成してくれる。
 歌は病院から通信機器を通じて各地へと広がり、彼女たちの仲間のもとへも届けられた。
 そう。それは今ごろ、イーダフェルト二号の暴走を止めるために戦っているであろう、イコンのパイロットたちのもとへも。そこには仲間の涼・フォレストや、マイト・オーバーウェルムたちがいるに違いなかった。
 そんな彼らのことを思いながら、アイビスは、歌を繋ぐ。
(想いよ――そこへ、届け――)
 彼女はそう願いながら、歌い続けた。
 心と心を結ぶように、彼女たちの歌声はどこまでも遠くへ響いた。