空京

リアクション

年を忘れる宴５

　アルクラント・ジェニアス（あるくらんと・じぇにあす）はのんびりと、忘年会場の外れで酒をちびちび飲んでいた。
　今日は気分がいい。素晴らしい季節だった。
　彼はちらと横にいるパートナーのシルフィア・ジェニアス（しるふぃあ・じぇにあす）に目をやった。
　彼女は静かに年忘れの大騒ぎに浮かれる人々を眺めながら、じっと座っていた。その手には飲み物のグラスが握られている。もちろん――お酒ではない。みずみずしいオレンジジュースで、身体には何の害もないものだった。
　お酒を飲まないのには、理由がある。シルフィアのお腹には子どもが宿っているのだ。
　アルクラントとの子ども。彼との、愛の結晶。
　それが彼女の少しだけ大きくなったお腹の中にあって、もぞもぞと動いている。その手足のかすかな動きを感じたシルフィアは、はっと顔をあげてアルクラントを見た。
「いま……動いた――」
「なに？　本当か!?」
　アルクラントはがばっと顔をあげた。
　シルフィアのお腹にそっと手をやり、その鼓動を感じる。彼にもどことなく、その胎内で動く小さな命の息吹を感じられた。自然と、頬が緩んだ。
「……そうか……もう、そんな時期に来てるのか……」
　最初は、子どもが出来たなんて信じられなかった。
　しかし、今ではそれは全く違っている。今となっては、むしろ自分たちの子どもが産まれるのがいつだろうかと待ち遠しい。アルクラントは、シルフィアと顔を見合わせて微笑んだ。
「小さな命――ねえ、あなた……ううん、アル君……これって、すごいことよね」
「すごいこと？」
「うん。だって……こうして私たちは、小さな命を繋いでいくんだもの。それがどれだけ素敵なことか、いまの私たちなら分かる。きっと、みんなこうして、新しい命を繋いでいくのね」
　そう呟くシルフィアの顔には、今ではもう母性の輝きのようなものが浮かんでいる。
　それを見て、アルクラントは誇らしくなった。そうだ。こうしていま生きている自分たちも、また新しい生命と向き合い、誕生していく。それがどれだけ素晴らしいことか――
「……そうだな……すごいことだな」
　アルクラントは呟いた。
　――シルフィアは笑った。
　少しずつ、季節と時代は移り変わっていく。

　エネルギーがテンション……。
　それが、今回、イーダフェルトが忘年会を開いた主な理由であった。
「…………いや、俺はツッコまんぞ！」
　そう言って叫んだのは、何やらイーダフェルトの駆動システムに疑問を禁じ得ない匿名　某（とくな・なにがし）だった。
　もちろん、彼の言うことは十分に理解出来る。
　彼の言う通り、確かに古代技術を用いた超機晶科学物体がエネルギーにテンションなどという実に抽象的な概念を用いるのはいかがなものかと突っ込みたくはなるが――そこはそれ、ポムクルさんたちにはそんな理論は通用しないのである。
　大体、彼ら自体がどのようにして生まれているかが謎な存在だ。
　そもそもが謎なだけに、謎が謎を呼んだところでもはや仕方がないことだろう。
　鶏が先か、卵が先かといった問題にまで発展しそうで、某は諦めてため息をついた。
「はぁ……無茶苦茶だ」
「まあまあ、いいじゃないですか〜、某さん。このお料理もジュースも美味しいですし〜」
　そう言って某にテーブルの上の料理を示してみせたのは彼のパートナーの結崎　綾耶（ゆうざき・あや）である。――しかし彼女はどこか頬が赤くなっていて、ジュースを持つ両手もゆらゆらとおぼつかなかった。
「――ってお前！　綾耶！　もしかしてお前は酒飲んだな!?」
「……………………ほえ？」
　そう首を傾げる綾耶の顔は、どう見てもぽやぽやしている。
　その姿は完全にほろ酔い状態のそれで、某は頭を抱えた。
「のあああぁぁぁ、だからここのジュースには気をつけろって言ったのにいぃぃ」
「なはは〜、いいじゃないですか〜、たまには〜。こういう機会ですし〜」
　そんなことを言いながら、そこらにいた柔らかいポムクルさんを抱いてこてんっと寝る綾耶。そのままポムクルさんを枕にするように、すうすうと寝息を立て始めた。
「もがががっ……つ、つぶされるのだ〜っ」
　ポムクルさんは哀れにも綾耶の顔の下でジタバタしている。
　某はそれを見て、ため息をつき、やれやれと思い、綾耶の身体を抱き起こしてやった。
「……まったく……余計な気苦労を……」
　そうは言いながらも、彼は綾耶の身体を横にして、自分の膝枕で寝かせてやる。
　そのすやすやと眠る頬につんつんと指先を当てて、彼は微笑んだ。
「……ま、こういうのも悪くないか」
　たまには、彼女の寝てる姿を見るというのも実にオツなものである。
　某は意外と良いものが見れたなという気になりながら、酒の入ったグラスを傾けた。



　――そんな、某と綾耶たちの近くで。
「あれ〜……玲亜〜、どこに行ったの〜？」
　迷子を捜す、川村　詩亜（かわむら・しあ）である。
　彼女は大忘年会があると聞いて会場にやって来たのだ。しかしなぜか、いつの間にやらパートナーの川村　玲亜（かわむら・れあ）が迷子になってしまっていた。
　まあ、いつも通りと言えばいつも通りである。
　玲亜はある種の典型的な方向音痴で、目を離すとすぐにいなくなる。
　好奇心が抑えきれず、ふらふらと何処かに彷徨ってしまうのだった。
　で、その当の本人の玲亜は――
「あれ？　お姉ちゃ〜ん？　どこ〜？」
　自分が迷子になっているとも知らずに、ぽかーんと大衆のど真ん中に立っていた。
　ちなみにその手には駄菓子だのジュースのコップだのが握られている。どうやらかなり遊び回ったらしく、完全にお祭り騒ぎの子供だった。
「ううっ……一人はやだよぉ……」
　これまで散々に遊び歩いておいて、何を言うかである。
　しかしそんな彼女の願いを叶えるがごとく。
「――もうっ！　こんなところにいた！」
「ああっ！　お姉ちゃん！」
　わたげうさぎを手に持つ詩亜が、玲亜を見てぷんすか怒っていた。
　ちなみにわたげうさぎは試作量産型のＨＣである。見た目はほとんど普通のわたげうさぎと変わらず、もふもふされてはふわ〜と寝息をあげていた。
「ううっ……お姉ちゃん、さびしかったよぉ……」
　涙ぐむ玲亜である。
　それならそれで最初から気をつけるべきだと思わなくはないが、それはそれ――迷子とはそういうものである。大体、本人が気をつけて治るのであれば最初から苦労はしない。
「だから一人で歩いちゃ駄目って言ったでしょ？　ほら、手を繋いで」
「……うんっ！」
　きゅっと手を繋ぐ玲亜。
　そんな彼女の手のひらのぬくもりを感じながら、詩亜は見つかってよかったとほっと胸を撫で下ろした。

　ちなみにそんな忘年会のまっただ中。
　イーダフェルト二号のほうで、夏季ろくりんピックなるものを開催しようとか考えている一団がいた。
　それを忘年会会場の者たちは噂で聞いて、白目でしらーっと見たりしている。
　そもそも年末なのに、夏季？　何故に？
「大晦日……だよね？」
「ハワイでも冬だと思うけど……夏季？」
　そんなことを呟く、蚊帳の外の集団であった。



「ポムクルさんたちも……とんでもないことを考えたものね」
　そう呟いて、アイシス・ゴーヴィンダ（あいしす・ごーう゛ぃんだ）は忘年会の会場のほうを見やった。
　そこにはたくさんの契約者たちの姿がある。ある者は歌い、ある者は酒の飲み比べをし、またある者は泥酔してぐがーっと地面に寝入ってしまっている。
　そんな……大盛り上がりな会場。
　アイシスは柔らかな笑みを浮かべた。
（今ごろ……彼は何してるのかしらね）
　そんなことを考える。
　彼とは、彼女の契約相手であるシルヴィオ・アンセルミ（しるう゛ぃお・あんせるみ）のことであった。
　シルヴィオは今、パラミタ最古の地である――シボラにいる。
　シボラは現地民族や原生林がいまなお残る古代の土地である。そこには数々の考古学的見地から重要な遺物が残っていて、彼はそれを調査しに向かったのだった。
　たまに、便りは寄越してくれる。
　寄越してくれるが……それも、滅多にない。時々、アイシスは何をしているのかと催促したくなるが……まあきっと忙しいのだろうと、それも諦めていた。
（……まったく……少しはこちらの心配もしてくれればいいのに）
　そんなことも思うが、まあ致し方ないのかもしれない。
　なんせシルヴィオは元からそうした性格だ。
　無頓着というか大胆というか、とにかく大雑把なのである。しかしそれでも、紳士たる態度は振る舞うのだから質が悪い。彼の笑顔に勘違いした女性も少なくなかった。
（まあ……それが良いところなのかもしれないけれど）
　誰にでも優しいシルヴィオ。
　しかしそろそろ、いい大人なのだから真面目にきちんとしてもらいたいものだ。
　特に……手紙とか。
「……まあ、いいわ」
　アイシスはため息を吐きながら、考えるのを止めた。
「とにかく今日は飲みましょう。……あら？　あなたたちも一緒に飲む？」
「なのだー？」
　いつの間にかアイシスの隣に腰を落ち着けていたポムクルさんが言う。
　彼はごろんごろんごろんごろんと寝転がって、無気力な声を連発していた。
「あらあら……」
　それを見ながらアイシスは笑う。
　彼女はそして、リュートを取り出した。それは彼女が愛用しているものである。リュートをつま弾き、歌を口ずさみながら……彼女は遠い地にいる者に向けて囁いた。
「……この声、届きますように」



「やれやれ……あんまりはしゃぎ過ぎるのもどうかと思うがな」
　そう言って、歌えや飲めやと騒ぐ連中をじろりと見やるのはジェイコブ・バウアー（じぇいこぶ・ばうあー）だった。
　その彼の横で、テーブル席に着いている少女が一人。
「もう、ジェイコブったら……そんなこと言わないの」
　ジェイコブの妻にしてパートナーであるフィリシア・バウアー（ふぃりしあ・ばうあー）だった。
　なぜ彼女がテーブルに腰を落ち着けているかと言うと、それは安静にしなければならない身体だからである。
　つまり――赤子を身ごもってるということだ。
　一方でジェイコブは逆にそれで神経を高ぶらせているらしい。赤ん坊とフィリシアの身に何かあってはいけないと、常に警戒を怠らずにいた。
「ねえ、あなた……少しは落ち着いてくださいな。せっかくみんなで楽しんでるんだから」
「いや、しかしだな……羽目を外しすぎるのも良くないかと……」
「そんなこと言って……赤ちゃんだって、きっとピリピリしてるよりかは和やかな雰囲気のほうが楽しいわよ。ねー？」
　そう言ってフィリシアが声をかけるのは、自分のお腹にいる赤子である。
　それはまだはっきりとした意思と呼べるものなど何もないだろうが、それでも家族の一員には違いない。ジェイコブは唸るような声をこぼして、自分の席に座った。
「まあ……仕方がないか。確かにお前の言うことも一理ある」
「そうでしょう？　だから、ね……」
　フィリシアはもたれかかるようにジェイコブの肩に寄り添った。
　心なしか、彼の顔は赤くなっているようである。フィリシアは笑った。
「あなたと一緒に居られるだけで、それだけで……幸せです」
「オレもだ」
「このままこの平和な時間が、いつまでも続きますように」
　そう願いながら、フィリシアはそっと目を閉じた。
　まるでその願いに応えるように、彼女のお腹の中で小さな命が動いたような気がした。