空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

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【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
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リアクション


カナンを覆う闇(2)

「ふむ。なるほど。猛毒を持つ蛇のように美しい天女とは、よく言ったものだ」
 鷹揚に頷きつつ、姫神 司(ひめがみ・つかさ)が会話に割って入った。
 ゆっくりとアバドンがそちらへ向き直る。
「それは褒め言葉ととってもよろしいのでしょうか。少し前半に頷きがたい言葉が付随していたようですが」
 司はどうとでもとれと言いたげに肩をすくめて見せた。
「先ほどから聞いている限りでは、北カナンやネルガルにこだわっているわけではないのだな。そしてネルガルを操った黒幕というわけだ」
「操ったなど、人聞きの悪い。そんなだいそれたことはいたしておりません。ネルガルの目的が私の目的とほぼ同じだったというだけです。ですので私は彼の副官として、できる限りお手伝いをさせていただきました」
「だがこうなった今、そのネルガルを切り捨てようというのか。たいした副官だな」
「ええ。ですが、仕方ないでしょう? ネルガルの副官である前に、わたしはカナンの神官です。彼と出会う前からそうでした。カナン全土を回り、人々に教えを説いていたのです。ですから、目的のために場所にこだわることはいたしません。北でも南でも、西でも東でもよいのです」
「カナンの神官、か…」
 とぼけたことを、と司は眉を寄せる。
 ただの神官が、あれほどの災厄たちを支配下におけるわけがない。そんなことは子どもでも分かることだ。だが彼女はあくまでしらを切り、しっぽを掴ませないつもりなのだろう。物的証拠がなければ、まだなんとかなると考えている。
「では訊くが、きさまはカナンの神官でありながらこんなにもカナンを混乱させて、一体何がしたいのだ?」
 その質問に、アバドンはにっこり笑んだ。
「もちろん民衆の解放です。カナンの人々は、イナンナへの依存心から解放され、自らの頭で考え、自らの足で立つ必要があるのですす。だれ1人として、飼いならされた羊として生きるべきではありません」
「だがその目覚めさせるべきカナン人を、きさまは虐殺しているではないか。カナンを荒廃させ、民を殺すことが民のためになるというのは少々矛盾してはいないか?」
 思い出せ、とばかりに指を立てる。
「たしかに少し荒療治ではありますが、今のカナンには最適なのです。妙薬は劇薬でもあります。毒は、使い方次第で薬になると言いますでしょう。ネルガルの用いた毒は劇薬ではありましたが、昔の恵まれたカナンにあって言葉で説くよりも確実に、そして最短で、彼らは学んでいます。「生きる」という本当の意味を。
 そして、これは少々悲しいことではありますが、どんなことであっても、だれもができること・できないことというのは必ず存在するのです。
 毒を薬とするのはさじ加減次第。ですが、どんな薬であっても、合わない人はいます。そして合わないのであれば、毒に苦しみ続けるよりも、すべからく慈悲を与えるのが神官としての務めだと私は思います」
 残念そうに首を振る。そのいかにも芝居じみた姿を見て、司は声を荒げた。
「そんなのはただの詭弁だ! 薬だと!? 笑わせるな!! 自らの足で立てなければ殺す……つまり、きさまたちの考えに同調せず、逆らえば殺すという行為のどこに解放がある? 自由を伴わない解放などあり得ない!!」
「――あなたが、本当にカナンの女神官さんであったら、ですけれど」
 おずおずとオルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)が前に出て、爆弾発言をした。
 その両手には携帯が握り込まれ、胸に押しつけられている。
 心臓が凍りつくようなアバドンの視線にさらされつつも、彼女は勇気をふるって言葉を続けた。
「あなたは……本当に「アバドン」さんですか?」
 ずっと、考えてきたのだ。これまで人々に慈愛の心で接していたはずの神官では無茶と思えることも、そうでないとすれば納得できる。
「先ほど私たちの仲間が、あなたのお部屋で、ある物を見つけたのです。それは、ずっと放置されていたナップサックの中に入っていた、ある女性の日記で……その日記が、教えてくれたそうなのです。彼女は、だれかに体をのっとられそうになっているとおびえていたと…。
 もしかして、あなたは……本物のアバドンさんと入れ替わったのではないですか…?」
「って、まさか奈落人!?」
 とたん、彼らの中にざわめきが広がった。
 それを見るアバドンの目が眇められ、初めて面から笑みが消える。
「――人間というやつは」
 アバドンの口調ががらりと変わった。口調だけではない、声のトーンまでも低く、そして冷たく変化した。
 これまで何もかも完璧にしてきた。今も言いくるめられる寸前だった。それなのに、最後の最後で、日記が教えただの、妙な技を用いただけの証拠もない憶測で、全てをひっくり返してしまおうとする。
 否定しても無駄だろう。一度耳にした言葉は疑いとして胸に巣食う。ここで否定し、ごまかせたとしても、また何かの折りに吹き出すのは目に見えていた。そのときはここにいるより大勢の人間たちに広まっているかもしれない。
 アバドンはもう一度オルフェリアを見た。彼女が視線を向けただけでびくつく小娘。あの小娘は自分が何をしたか、本当に理解しているのか。自分のひと言が、ここにいる人間の運命を決したのだということを。
「まったく、シャンバラ人というのはどこまでもいまいましいやつらだ」
 独り言のようにつぶやく、彼女の前に、見覚えのある1人の青年が進み出た。
「アバドン……確認を取りたいのですが、あなたは本当に「アバドン」でしょうか」
「そうだ。最初からそう言っている。アバドンは俺の名だ」
「ではアバドンとお呼びしましょう。
 アバドン、裏で全てを操っていたのはあなたかもしれない、違うかもしれない。あなたは本当にカナンの女神官で、ネルガルが全ての原因なのかもしれない。
 僕はもう、あなたが何者なのかを詮索しようとは思いません。あなたの正体が何であれ、カナンともわれわれとも決して相容れることのない、否定すべき存在であることに変わりはありませんから」
(ようやく見定めることができた。ネルガルは敵で、アバドンは悪だ、と…)
「僕たちはあなたを倒す! あなたが何者であろうと、必ず!」
 ゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は指を突きつけ、敢然と言い放った。
(やれやれ。ここにきて、ようやっと腰が定まったか。相変わらず、世話の焼ける奴じゃな)
 ゴットリープをちらりと見て、天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)は人知れずふうと息を吐く。
 彼の言葉を聞いたアバドンの口元に、再び笑みが戻った。
 先までよりもっと酷薄で、もっと残忍さをたたえた微笑が。
「――ふん。たかが人間の分際で、この俺に向かって大層な口をきくものだ。そこまで言うのであれば、相応の覚悟はあるのだろうな?
 かかってこい、人間ども」
 彼女は神官着を脱ぎ捨てた。肌もあらわなボンテージ姿となり、腰に手を添える。
「この姿を見たからには、きさまたちだれ1人としてここから生かして帰すつもりはないからそう思え!」



 アバドンは、次々とイナンナの加護を発動させる彼らを一瞥した。その後ろに、あの数千年来に渡って立ちふさがるいまいましい女の姿が見える気がして、不快だった。
 石版に封じ込め、セフィロトから引き離してやった。今度こそ始末できたと思っていたのに。
 だが今、あの女はここにはこれない。ここには石版があり、近づこうとしただけで絡めとられてしまう。
(おのれの無力さに歯噛みして見ているがいい、イナンナ。きさまの大切な人間たちを、俺が1人残らず始末してやる)
 そしてその血であの石版を真っ赤に染めてやろう。
 くつくつと笑う彼女の上に、さっと影が落ちた。バァルがその驚異的な瞬発力で一気に間合いを詰めたのだ。殺意に染まった瞳はまばたきもせず冷然とアバドンを見下ろす。稲妻のように振り下ろされたバスタードソードを、しかしアバドンは余裕で横に引いて避けた。
 お返しとばかりに手首に仕込まれた小弓からサイドワインダーが放たれる。近接距離から放たれた2本の矢は、常人であれば避けきれないものだったが、バァルはかろうじて1本を剣で防いだ。
「く…!」
 二の腕に受けた1本を引き抜きながら距離を取る。再び仕掛けようとした彼の前に、それを阻むように葛葉 翔(くずのは・しょう)の持つグレートソードが突き出された。
「やめた方がいい。あいつはまだあんたを諦めちゃいないようだ」
「なんだと?」
「殺す気なら、もっと確実な技を使っただろうさ。
 あんたが捕まればいろいろと厄介なことになる。ここは俺たちに任せてくれ」
 自分の言葉が正しくバァルに伝わったのを確認したあと、翔は視線をアバドンに移した。
「やれやれ、女性に剣を向けるのは好きじゃないんだけどな。だけどあんたは完全に女性というわけでもなさそうだし」
 そう、ひとりごちたあと。油断なくグレートソードで構えをとり、声を張った。
「一応名乗っておくか。俺は葛葉 翔だ。よろしくな、アバドン」
 肩越しにちらりと後ろのアリア・フォンブラウン(ありあ・ふぉんぶらうん)を見た。それを合図と見て、アリアは翔にパワーブレスをかける。
 冥府の瘴気をまとい、特に構えらしい構えもせず悠然と立つ彼女は、おいそれと近づけない雰囲気を醸している。桁はずれのレベルの持ち主だ。相手は素手で自分は剣だというのに、厄介な相手だという意識を振り払えない。肌で感じるそれを翔は事実として受け止め、それでも打って出た。
 経験から、こういう相手に小手先技が効かないのは分かっていた。真っ向勝負しかない。
「はあっ…!」
 バーストダッシュで一気に距離を詰め、スタンクラッシュを叩き込もうとする。その剣を、アバドンは素手で止めた。
 捕まれる前に剣を引き、横薙ぎする。だが剣がとらえたのはアバドンの残像にすぎなかった。
「なにっ?」
 次の瞬間、翔の右肩で熱い痛みが炸裂した。
 悲鳴を上げる暇もなく吹き飛ばされ、床を転がる。
「翔クンっ!!」
 水路に転がり落ちる一歩手前でアリアが支えた。
「何があった」
「蹴り飛ばされたんです」
「蹴り? 嘘だろ…」
 アリアにヒールを受けている自分の右肩を見た。肩だけじゃない。衝撃に鎖骨まで折れている。
「あれがただの蹴りだって?」
「翔クン、次の攻撃は、必ずワタシが防いでみせます」
 目でとらえることすらできなかった攻撃に、思わず背筋をぞっとふるわせた翔に、アリアが決然と言った。
「いけますか?」
 アリアがこんな目をしているのに、俺がぶるってたまるか。
「――ああ。いつでもいいぜ」
 2人はバーストダッシュで別々の方向から仕掛けた。どちらも攻撃を目的としているかのように見せるために。
「性懲りもなく」
 冷笑するアバドンの手から、2人に向かって次々とバニッシュが放たれる。
「くそっ早い…!」
 連発するのであれば、出力を絞ったものであるのが通常だった。だが彼女の用いるバニッシュはむしろ、並の神官が用いるバニッシュよりも激しく強い光を放っている。
 アリアと二等分されていること、そしてスウェー、護国の聖域、女王の加護……防御と回避を上げていたおかげでこの猛攻をしのいだ翔は、再び間合いにアバドンの姿をとらえることができた。
「まったく、かわいい顔して、やることがアグレッシブすぎんだよ!」
「それはどうも失礼したね」
 肉迫する翔に向け、アバドンの手が光を放つ。
「させません!」
 アリアが彼の身代わりとなるべくライチャスシールドを手にその進路に飛び込んだ。ライチャスプレートもあり、スキルでも防御を固めている。どんな相手であれ、一撃なら防げるはず、との算段が彼女にはあった。しかしアバドンの力は彼女のその予想すらあざけった。
「……ッ!!」
 光の閃刃が紙のようにアリアの左胴を割り、突き抜けた先の天井を割った。彼女の飛び込む速度がもう少し早ければ……アバドンの攻撃を真正面から受けていれば、完全に上半身と下半身を切り離されていただろう。
「アリア!?」
 シャワーのように鮮血を吹き出して倒れたパートナーに、翔は目を奪われた。
 その一瞬に、アバドンの蹴りがグレートソードに入った。加減された蹴りだった。方向をそらすためだけの。なぜそうしたかは後に分かる。
 アバドンはその蹴りでさらに上空に上がると翔の後ろに下り立ち、彼の首をホールドして投げ落とした。
「うわっ…!」
 床に転がった彼の胸を踏みつける。
「剣を手放せ。さもなくば折る」
「なにを…――うわあああっ!!」
 胸にかかった圧力に、翔は悲鳴を上げた。肋骨がぎしぎしと音をたててきしみ、ひびを入れる。とっさに片手で足を握り、はずそうとするが、金剛力を持ってしても彼女の足はびくともしなかった。
「さっさとしろ。手を切り落とされたいか」
「……ぁ……く…っ…」
 痛みにしびれた手が、翔の意思とは関係なく開き始める。
 そのとき、空を切って飛来する矢をアバドンは感知した。後方に跳んで避けた彼女の着地点を狙って、さらに白刃が迫る。幻舟のなぎ払いだ。自身の繰り出したその技を追うように、幻舟は飛んだ。
 なぎ払いは上に跳んで避けられるのは承知の上。そこに斬りつけようという攻撃だ。そしてその目論見通り、アバドンは上に逃げた。
「くらえい!!」
 煉獄斬をまとった炎の剣が、横一文字に振り切られる。腕で防ぐか、足で防ぐか。どちらにしても、その部位を炎が襲う。
 しかし予想に反して、幻舟の繰り出した剣は鋼鉄の響きでもって受け止められた。
 アバドンの手には、いつの間にかグレートソードが握られている。翔の剣だ。
「なにっ!?」
「状況把握が甘いな」
 アバドンに呼応するようにグレートソードが輝く。触れ合った箇所からアルティマ・トゥーレの冷気が幻舟の剣を侵食し、煉獄斬の炎を押しやった。
「そんなばかな!? アルティマ・トゥーレにこのようなことができるわけが――」
「ない? それは、きさまたちの導くアルティマ・トゥーレだからだ」
 地力が違う。まざまざとそれを見せつけられた思いだった。
 バニッシュも、我は射す光の閃刃も、アルティマ・トゥーレですら、レベルがはるかに上だ。もちろんそれを導けるだけの肉体的な素地がいる。アバドンは奈落人で、肉体は人間のものだ。
「……ようは、あの肉体の本来の持ち主は天才的な潜在能力の持ち主じゃったということか…」
 だから宿主として選ばれたのかもしれない。苦々しく思いながら、いったん距離をとろうとしたのだが。
「逃すか!」
 アバドンの嘲笑が上がった。
 踏み込みとともにグレートソードが片手で振り切られる。
「ばかなっ…!?」
 幻舟は信じがたいものを見る目で、己の胸がえぐられるのを見つめた。
「幻舟ーーっ!!」
 目の前、血を吹き出しながら弧を描いて落ちる幻舟に、ゴットリープがパニックの悲鳴を上げた。
「ルクレーシャ! やるのですっ」
「分かりました!」
 オルフェリアの指示に従い、ルクレーシャがアシッドミストの濃霧を放ってアバドンの周囲を包む。
「今のうちなのです!」
 オルフェリアは走り込み、ほかの者たちと一緒に気絶したアリアと翔、幻舟を安全な壁際まで引っ張り出した。
「……ぅ……ぁ…」
 意識の浮上とともに胸に突き刺さる牙のような痛みを感じて、翔がうめき声を上げた。
「ごめんなさい。痛いですか? もう少しで完了しますから、じっとしていていただけますか」
 ルクレーシャがそっと胸に手をあてがっていた。そのてのひらから、ヒールの光が発せられている。枕元の方では、青い髪の少女がハーモニウムを用いて驚きの歌を歌っているのが聞こえた。
「アリ、アは…?」
「お隣で治療を受けていますわ」
「アリア…」
 首を傾けて隣を見る。そこではアリアと幻舟が、回復チームのノアやミシェルたちによる手当てを受けていた。
「治療の間、ヒプノシスで眠ってもらっています。その方がいいんです。彼女たちの傷は深いですから」
「そうか…」
 ほうっと息をつき、そして思い出してはっとなった。
「戦況は!? アバドンは……ううっ」
 思わず身を起こそうとした翔の腕に激痛が走る。
「落ち着いてください! まだ治療は終わっていません!」
 強引にグレートソードを奪われる際、折られた腕はまだ手つかずだった。
「彼女ならあそこです。まだ戦っていますわ」
 ルクレーシャの指し示す先、霧に腰まで包まれた状態で、アバドンは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)と真っ向から打ち合っていた。