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来訪者と襲撃者と通りがかりのあの人と

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第一章 ホテルにて


「産業スパイっていうからには、強いんだろうな。 リリエンスール先生よ?」
 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす))は実に楽しそうに言った。
 拳を握り締めれば、むき出しの腕の筋肉が盛り上がる。
 その部屋から出て行こうとしていたサラディハール・メトセラ=リリエンスールは振り返った。ごく薄いアイスブルーに染めた長い髪が舞う。
「貴方、名前は?」
 サラディハールは言った。
「ラルク・クローディスだ。それより、質問に答えてもらってねえな」
「失礼。何故か、貴方から【先生】と言われると違和感を感じたもので。」
 サラディハールは微笑んだ。
 口角を上げた口元から乱杭歯が覗く。
「サラ・リリと呼んでくださって結構ですよ、貴方は。ソルヴェーグもそう呼びますしね」
「じゃあ、そう呼ばさせてもらうぞ」
「ええ、いいですよ。気に入りました……実に好みですよ。フフッ」
「おいおい、こんなところで誘うなよ。味気ねえ」
「そうですね、口説くのは別の機会にいたしましょう。人の前では、ロマンもへったくれもありませんしね」
 サラディハールは肩を竦めた。
 ここはホテルの一室。
 大人の秘め事には都合のいい場所だが、こうも聴衆が多くては密やかな楽しみも無いというものだ。
「まあ、そうだな」
「えぇ、いずれ……ね? 本当に腹斜筋と腹直筋が良いですね。服の上からでもわかりますよ」
「そいつは後で確認しろ。で、答えは?」
「はいはい。産業スパイについての質問ですけれどね、わからないのですよ」
「はあ?」
「何と言うのですかね、妙に弱いと言いますか。産業スパイとしては、まあ、それなりの人間もいたのですけれど、弱いくせに逃げ足の速い者もいたそうでね。取り逃がしたのもいる状況ですよ」
「別にまだいるのか」
「かもしれませんね」
 サラディハールは言った。
 一息ついたタイミングを見計らって、そっと手を上げる者がいる。清泉 北都(いずみ・ほくと)だ。
「じゃ、じゃあ。これだけの人数が集まってよかった」
 そう言って、北斗は後ろを見た。
 部屋から一緒に出て行こうとしていた仲間の人数は16名。
 これだけいれば、十分に足りるであろう。
 しかし、北都の後ろで、若干一名、震えている者がいた。
 人のことは言えないが、頼りになるのだろうかと、自分に引っ付くように隠れている少年を北都は横目で見る。北都は触られるのが苦手なために、この状況が少々息苦しかった。
 隠れている人間の様子を見るや、サラディハールが言った。
「どうしました?」
「え、あ、はい。何でも……ないです」
 皆川 陽(みなかわ・よう)はリリエンスールの声にビクッと反応した。
(先生の迫力ががががががががが。とっても――怖いです……)
 などと陽は思っているのだが、本心を言えないまま、首を横に振った。
 しかし、わからないことがまだ多い。
 陽は意を決して声を上げた。
「あ、あのっ」
「はい?」
「ルシェール君って、どんな子ですか? 髪の色とか、特徴とか。ボク、わからないことが多くって」
「ああ、説明してませんでしたね。髪は白でしたよ」
「え? 白いの? 銀髪とかじゃなくって」
 陽は驚いて言った。
 名前からして外国人と言うか、日本人ではないと思ってはいたが、髪が金じゃなくて白とか言われるとやはり違和感を感じざるえない。
 平凡な自分には、平凡な人生が似合うと心のどこかで思っていたから、ちょっと変わった、そういう特別っぽいことを聞くと何とも言えない気分になった。
「白髪で財閥の子息かぁ……そうだよね。薔薇の学舎に来る人はみんなそういう人ばっかりだよね……。ボクなんかどうせどうせ、フツーの庶民だよ。……なんでボクは……ここにいるんだろう……」
 何となく寂しい気持ちになった陽の口から、思わずポロリと本音が零れ落ちる。
 それを聞くや、サラディハールは眉を釣り上げ、つかつかと陽の前まで歩いてきた。
 いきなり目の前に来られ、陽は胸の奥が縮み上がったような気がした。
 陽のパートナー、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は背で庇おうとしたが、サラディハールは射殺すかのように睨み上げる。テディは黙るしかなかった。
「貴方、今言ったことをもう一回おっしゃい」
 サラディハールは言った。
「あの、それは……」
「ここにいるんだろうって、どういうことでしょうね」
「だって、ボク」
「だって、なんです? 相応しいからここにいるのです。前に立つ者を見なさい。貴方を庇おうとしている者の姿を」
「テディ……」
 陽は呟くように言った。
「ヨメを守って――何が悪い」
 テディはサラディハールを睨み返す。
「ほう、気概がありそうな子ですね。名前は?」
「テディ・アルタヴィスタ」
「では、テオ。愛しいパートナーの名前をおっしゃい」
 サラディハールの妖艶でからかいを含んだ声で囁いた。
 テディは唇をかみ締めたが、小さな声で答える。
「――皆川 陽だ」
「なるほど、覚えておきましょう。テオ、元気な子は好きですよ。頑張りなさい」
 サラディハールは小さなカップルを見つめ、微笑む。
 やはり、教師にとって、生徒は可愛いものである。
 そして、皆の方に向き直ると一枚の写真を取り出し、必要であろう情報を話し始めた。
 「ルシェールにとって、一番わかりやすい身体的な特徴は、アルビノです」
 サラディハールは続ける。
「いわゆる、ただの色素異常ですよ。日光には弱いみたいですけれど。髪は白、瞳は赤です。髪の長さは腰まで。写真を見ての通りですね。好きなものは、甘いものと可愛いものと、おしゃれ。趣味はウィンドショッピング……」
「って、ちょっと待った!」
「はい、何です?」
「そういうのはネットで調べたらいいんじゃないのか? 財閥の子息なら、外見諸々の資料は即調べられると思うんだけどな」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が意見を言う。
 サラディハールは肩を竦めた。
「財閥総帥本人の写真なら、世界の富豪を集めたムック本などに出ているかもしれませんが、その子供まではさすがに無いと思いますよ」
「え? そうか」
「検索をかけていませんから何とも言えませんが、難しいと思いますよ。まあ、ここに写真がありますから確認できますでしょう?」
 ネット上には家族構成などの情報はプライベートのため、掲載されていない。子息がパラミタ人のパートナーを得たという記事は見つかるかもしれないが、大きな記事にはなっていないだろう。そう指摘すると、サラディハールはエースの目の前に写真を出す。
 エースはじっくり眺めた。
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は近い未来に財閥に君臨する王となるべき少年が、このように線の細い少年で大丈夫かといぶかしんでいた。
「危険に飛び込む勇気があるのなら、心配は無用と思いたいな」
 ヴァルは豪快に笑い、言った。
 その様子をパートナーのキリカ・キリルク(きりか・きりるく)が見ていたが、ヴァルは見た目ほど恐い人間でもないのを知っているため、誤解されるのではないかと感じていた。
「大丈夫ですよ」
 そう言って、キリカは微笑む。
 すると、後ろの方で話を聞いていた泉 椿(いずみ・つばき)が良く見えるようにと顔を出し、写真を見ると突飛な声で叫んだ。
「うっわ、スゲーかわいいぜ!」
 椿は写真を見つめて言った。
 写真の中には、熊のぬいぐるみと花束を抱きしめたルーシェールが写っていた。
 フリルとレースでいっぱいのブラウスに半ズボン、黒いニーソックスを履いた姿の少年は、長い白髪を一本の三つ編みにしている。長い睫に縁取られた瞳は不思議な風合いの赤色だ。
 思わず携帯電話を取り出し、写真を撮ろうと構えた。
 背中を押されたほかの人間からブーイングが飛ぶ。
「いいじゃんかー!」
「押さないで、痛い!」
「こらこら、写真ならメールで送ってさしあげますから」
「マジ? って、先生のケータイからっ?」
 椿は色めき立ち、瞳を輝かせた。
「それはそうでしょう。何を喜んでいるんです? さあ、貴方のメールアドレスを教えなさい」
「はいっ、はいっ、はい! 教える教える、なんでも教えるぜ。ってーか、電話番号もっ!」
「しかたないですね。まあ、捜索には必要ですから」
「やったっ!」
「さあ、番号はこれです」
 サラディハールはもの凄い勢いで食らいついてくる椿に苦笑しつつ、自分のアドレスと電話番号を教えた。
 椿以外にも、単独行動をする予定のラルクや連絡用に居残る予定の桜井 雪華(さくらい・せつか)などにも教えておいた。
「まったく。空京の商業組合も商売をして生計を立ててるって言うのによ。産業スパイが街で暴れたりするようなら、とっちめてやるぜ」
 営利団体で最大規模の人員を誇る冒険屋ギルトを影で操るレン・オズワルド(れん・おずわるど)は、商業組合に影響が出ないかと言い、サラディハールに対してもの問いたげな視線を投げた。
 そのギルドの拠点は空京にあり、当然、空京の商業組合にも加盟しているのである。
 団体自体に影響は無くとも、最低限、店舗自体には影響は出る。
 こっちだって商売人。敵に回したら怖いことを教えてやろう……と、レンは薄く微笑んだ。


 かくして、ラルク・クローディスと桜井雪華以外の者はサラディハールたちと捜索を始めた。