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●第11章 薔薇よ 夏に舞え

「これは薔薇学に入る千載一遇のチャンスなのだよ」
 リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)は言った。
 リリは呪いを解くため、ロゼ・『薔薇の封印書』断章(ろぜ・ばらのふういんしょだんしょう)は本来の自分に戻るため、魔道書の断片を追い求めているのだ。
 桜舞い散るあの頃、リリたちは薔薇の学舎で{SNM9999019#ルドルフ・メンデルスゾーン}に対峙したのである。
 今日ばかりは、花を愛でるわけにはいかぬ。
 リリはあの日を思い出し、苦笑した。
 我が術式の簡潔にして比類なく精密な有り様に、ルドルフは庭園へ入ることを認めた。それは魔法への敬意であり、また、リリへの敬意の現れであったのだ。喜ばしいあの日を思い出すと、何かを言葉だけで表すのは物足りない気がした。
 リリはララ サーズデイ(らら・さーずでい)を見つめる。
 ララはどうであろう。
 この度の事件は、女人禁制の薔薇学の敷地内に入る一千一遇のチャンスではある。だが、ララは何もなく、ただ対峙したいのではないだろうか。
 己が剣を見つめるララの様子はとても静かだ。静寂の中の闘志が、ララの内にある気高さを引き立たせていた。
 紅挿す白花の下で、あれだけの戦いをしたのだ。ただ魔導書の断片だけ得てイルミンスールに戻ったとしても、ララの中に何も残らないだろう。そう、リリには感じられた。
 運命ならば、また、相対することもあろう。
 リリは得心すると歩き出した。

「微かに感じる。わらわの一部がここにあるのじゃ」
 ロゼは言う。
 薔薇の学舎の図書館に程近い、敷地外の歩道で三人はいた。
 トレジャーセンスでは範囲が広すぎる。自分の一部に対する絆を辿って、ロゼはその存在を僅かながら感じた。しかし、それも非常に弱いものであるし、本当に図書館にあるのかはわからない。
 薔薇学の図書館の中に探しているものがあるのではと思ってのことだったのだが、場所が特定できぬのでは探すのは難しかろう。
「しかたない。歩いて探すほかはないな」
 リリは言った。
 歩道を進み、側道の鉄柵にある瀟洒な門から入ろうと手をかけた瞬間、背後から声が聞こえた。
「我が学舎にようこそ…と言いたいが、その様子では僕は素直に喜べない」
「なに?」
 振り返ると、そこには薔薇のマントを羽織った青年――ルドルフが立っていた。
「校則に則っておるし、わらわ達はここにおっても問題はないでおじゃろう?」
 ロゼは返した。
 リリとロゼは薔薇の学舎の制服を着ている。
 今朝の事件で性別は男になっていた。校舎に入るのは問題が無いはず。そう思っていたが、ルドルフとしては違うようだ。
「残念だが、承服できないな」
「なぜだ?」
 ララは言った。
「事件に乗じ、我が学舎に侵入する者を許しておけるか?」
「確かに、な…しかし、それで引くわけにもいかないのだよ」
「そうか…では、剣を」
 その声にララの背はビクッと反応した。
 戦いたい。でも、この状態は己が心の求むものなのだろうか。そんな逡巡が巡る。しかし、ルドルフと戦うという甘美な瞬間に適うものはない。
 ララは剣を取った。
 彼の前では、真っ直ぐでありたい。天に向かって凛と咲き誇る、高弁咲きの薔薇のように。
「…腕を、上げたなッ…っ!」
「君の、くれた名に……恥じぬだけの努力は、したつもり…だ!!」
 抜かれた剣の行く先は相手の懐。弧を描く切っ先は相手に掠りもしない。飛び込んで打ちつけられる剣を払って一歩下がり突進すれば、余裕で受け止められてしまう。また一歩下がり、己が力を溜めて、跳躍。真っ直ぐに伸ばした腕。突きを繰り出す剣の先を身を捩って避け、体制を戻しながら、今度はこちらが突きを繰り出す。
「だが、私に挑むのは少しばかり早かったようだな」
「そうか?」
 ルドルフは言った。
「そうだ!」
 バックステップ。跳躍。
 それと共に薙ぎ払う。失敗。体制を整え……

 光る何かが――飛んだ。

 ララは信じられなかった。
 手にあるはずのものが無い。
 鉄の弾ける音がする。

 弧を描いて歩道に落ちた物は、ララの剣だった。
 
「あ……」
 呆然とするララは、儚い一音を漏らした。
 一つ、深く息を吐いたルドルフは、歩道に落ちた剣を拾う。そして、剣の先を下にし、高く上げて夏の陽に翳した後、ララの方に柄側を差し出した。
「……」
 その静かな佇まいにララは沈黙する。ルドルフの姿が神に勝利を捧げる騎士のようで、ララは言葉を失ったのだった。
 ルドルフが口を開いた。
「また…花が咲いたら来るといい。今度は…正当な方法で。そうすれば、今日のように君の信条に反する行いをすることもないだろう」
「……わかった」
 ララは言った。
 眩しくも輝かしい勝利は、ルドルフのものだった。


 そして数日後。
 ルドルフからの手紙と共に、小さな包みが届いた。
 額縁のような、アンティーク風の小さな写真立ての中に入っていたのは、ほんの小さな紙の切れ端が数枚。
 
 それは探していた物の、断片だった。