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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第2章 始まりへの前奏曲 2

「ニヌア騎士団……“漆黒の翼”……」
「オレの地に存在したニヌアを護る最強の騎士団だ。同様に、歩兵の養成機関も兼ねている」
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)はシャムスの話を聞いて、感嘆したような声を漏らした。まさか、そのような騎士団があるとは思ってもいなかった。南カナンの地が歩兵軍事力に優れているという噂を聞いての話題だったが、どうやらそれは噂だけにとどまった話ではないらしい。
 道は全く同じでなけれど、『騎士』を目指す彼としては興味の尽きぬ話であった。しかし……シャムスの顔は浮かばれない。
「だが……それも前までの話だ」
 彼は哀しみを帯びた声で続けた。
「今は、“漆黒の翼”はまるで機能していない。ネルガルとの抵抗戦で、数多くの兵士を失ってしまった。養成どころか……いまはお前たちの力を借りねば動き出すことすらできないのが現状。誇り高い騎士であっても、地に伏してしまえばただの兵と同じ。そして、兵ですらなくなった騎士は、生きる意味すら失うのだ」
「生きる意味すら……」
 その言葉は、“漆黒の翼”を指揮していた黒騎士――シャムスだからこそ力強く込めることのできる言霊を宿している。彼は、戦うことすらできなくなった兵をたくさん見てきたのだろう。
「お前は騎士らしいな……。南カナンは大地の起伏が激しい土地だ。騎士と言えども、隠密と情報と土地勘を生かした……影の戦い方が要求される。ましていまは砂漠の地……余計にな」
「ああ……心得てるさ。ここにはここの戦い方がある。オレはそれに従うまでだ。あんたたちの思いには、応えてみせる」
「ふ……頼もしいな」
 騎士の険しい顔となった尋人を見やって、シャムスは笑った。
「あ、あの……シャムスさんは……そ、その……どうして……いま動き出そうとしたんですか?」
 会話に加わったのは、恥ずかしげに口を開いたレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)だった。大人しそうな彼女が話を切り出したのをきっかけに、シャムスと仲間たちとが砂丘の影で対話を繰り返す。
「どうして……か。マルドゥークの動きに感化され、市民の声もそれを機に高まりはじめたということが理由の一つにあるが……なにより……オレはこの自分の土地を取り戻したい。民の生活を、緑豊かだった土地を、かつてのカナンの姿を。それを取り戻すことが、領主たるオレの願いだ」
「勇敢で立派な方ですなあ、シャムスさんは……俺なんて途中で諦めちゃいそうです」
 シャムスの語る理由に、海豹村 海豹仮面(あざらしむら・あざらしかめん)が深く頷いて感嘆の声をあげた。仮面の男の自分を卑下した姿に、シャムスが苦笑で応える。
「なに……オレだって、一度は諦めたんだ。その証拠に、オレの地はこうして荒れたまま月日が経ってしまった。だが……な。民のためならば、立ち上がるしかいかないときがあるだろう。それは、お前の村だって同じではないのか?」
「…………」
 海豹仮面はしばらく何かを考え込むようにしていたが。おそらくは、過疎の進む自分の村――海豹村のことを思い起こしていたのだろう。やがて、彼は口を開いた。
「……そうですな。村人達のためなら、俺も諦めないかもしれないですな。シャムスさんも、そうなんですねぇ」
「……それが、地を治める者の役目だ」
「是非取り戻したいですな、緑の大地とカナンに住む人々の平和を。俺もできる限り協力したいです」
 決意を胸に刻む海豹仮面。その横で、日傘をさした砂色の服を着た少女――美鷺 潮(みさぎ・うしお)がぼそりと声をあげた。
「それにしても……これまで動けなかったのは……何があったから?」
 一部の者は、潮の質問の意味が分からずに首をかしげていた。もちろん、シャムスがこれまで動けなかったのは兵力が奪われていたからに他ならない。だが、彼女はそれだけが理由でないことをどこか見透かしていたのであった。
 なにより……砦に動かされた石像の話は、怪しむべき情報であった。
「……人質?」
 潮の質問に、黙っていたシャムスは静かに頷いた。
 なるほど。だとすれば納得できる。となれば、家族か民か兵か……可能性の高いところでは家族か。血のつながりは何より尊い。誰が人質となっているのかまで聞こうかと潮は思ったが、ここで聞くのは無粋だろう。
「取り戻せるか、ではなく取り戻す……のね」
 潮の呟きに応える声はなかったが、それは誰しもの心の中にある決意だった。
「シャムスさんは……その……ずっと……鎧を身につけてるんです……か?」
 レジーヌがシャムスに聞いた。黒騎士の鎧を纏うシャムスは、ガチャ……と鎧の音を鳴らして彼女に目をやる。
「そうだな。これはオレがオレであるための証だ」
「ワタシも……故郷では……鎧で過ごしているんです」
 レジーヌはそう言うと、苦笑してみせた。まるで、故郷の自分を笑うように。
「剣士の家系に生まれたことで……ずっと、両親からもそう育てられてきました。おかしいですよね……女の子なのに」
 どうしてだろう?
 レジーヌは、苦手な男性のはずなのに、シャムス相手であればすんなりと言葉を交わすことができた。もちろん、恥ずかしさが全くないわけではない。しかし、兜が彼の顔を隠しているせいか、それとも優しげな声で話してくれるせいか……レジーヌは自分の心を彼に素直にさらけ出していた。そして、シャムスもまた、そんな彼女の言葉の思いを、真摯に受け止めてくれていた。
「おかしいはずはない」
「え……」
 シャムスが突然口を挟んだことで、レジーヌは思わず呆けた声をあげた。
「オレは男だからこうして自らの意思で鎧を着るが、たとえそれが女であろうと、おかしいことはない。性別が何であろうか。戦う者に性別は関係ない。まして……女だからこうあるべきなど、そんなことはくだらない」
 シャムスはレジーヌに語りながらも、自らに言い聞かせるようだった。それにレジーヌが気づいたかどうかは、定かでない。ただ、彼が自分のためを思って語ってくれているのだということは、レジーヌにとて理解できた。そして、それはとても嬉しくもある。
「お前はお前のままであればいい。貫いていれば、格好など関係なくなる」
「……ありがとうございます」
 レジーヌは微笑んだ。
 同じ全身鎧を身につける者の言葉だからだろうか。シャムスの声は、彼女の心に絡まる蔦を、優しくほどいてくれるようだった。
「シャムスさん……優しいんですね」
「優しい?」
 レジーヌの心が解きほぐされたのを見ていた八日市 あうら(ようかいち・あうら)は、シャムスにそんなことを口にした。
「優しいですよー。だって、レジーヌさんのことを思って言ったんでしょ?」
「優しい……か。ふん……オレはただ思ったことを言っただけだ。それで傷ついていたとしても、知らん」
 あうらのわずかにからかうような声に、シャムスは顔をそむけて言い返した。子どもがいじけるようなその仕草に、あうらが頬をふくらます。
「あー、そんなこと言っちゃうんですか? いいですか、シャムスさん……接し方っていうのかな、仲良くっていうか、そういう心を許しあえる関係が、ビジネスでもそれ以外でも大切だって、私のママが言ってました」
「だからなんだ?」
「もー、だから、シャムスさんも私ともそれ以外とも、心を許しあえる関係でノーフレンズノーライフを満喫しましょうよー! 友達をなくしたら生きていけないんですよ?」
「そんなのオレの知ったことか。ていうかそれを言うなら、ノーミュージックノーライフだろ? 地球の言葉で聞いたことがある」
「あれ……でしたっけ?」
 うに、と首をかしげるあうらに、シャムスは呆れた目をむけた。
 いやいや、ここで諦めてはいけないと、あうらは首をぶんぶん振って仕切り直しをはかる。いずれにせよ、だ。
「とにかく、私はシャムスさんと仲良くなりたいんです」
 力強く、彼女は言った。
 そのあまりにストレートな物言いに、シャムスはしばらく唖然としていたが、やがて氷が溶けたような頬笑みを浮かべて声を漏らした。
「……おまえは、面白い奴だな」
「えへへ……そうですか?」
 差しのべられたシャムスの手を握り返して、あうらは照れ臭そうに笑った。と、ふと彼女を見つめる顔に気づく。
「あっ、ヴェルさん変な顔してますよ? 私がこういうこと言うのは変ですか?」
「……いや、変とかではない。しっかりしてくれた方が俺は助かる」
 ハトが豆鉄砲でも食らったような顔をしていたパートナーのヴェル・ガーディアナ(う゛ぇる・がーでぃあな)は、そう言うと苦笑してみせた。
「一応ママの後ろ姿見て育ってきたんだもん。やる時はやるよ〜」
「……その意気だな。お前はお前でやればいい。ほら、これは砂除けのマフラーだ。……巻いとけ」
 必要以上のことは語らず、ヴェルはあうらの首にマフラーを巻きつけてやった。あうらには少し大きめのマフラーは、ばふっと彼女の口まで覆って砂が入らないように守ってくれる。
「砂は厄介ですねえ。うー……口の中がざらざらします」
 尋人とともにいた西条 霧神(さいじょう・きりがみ)は、ぺっぺと口の中の砂を吐き出して、水筒を取り出した。中身のお茶を飲みながら、ふと気づいたようにシャムスへも勧める。
「シャムスさんもいかがですか? 特性ハーブティーなので落ち着きますよ」
「ああ……そうだな」
 同じようにレジーヌたちにも勧めて、ひと時の休憩時間を過ごす面々。
 そんな頃だった。
「あれは……」
 霧神の目が、砂漠の向こうから駆けてくる一筋の影を捉えた。それは、動物の素早い身のこなしで砂地を駆けると、やがてシャムスたちのほうに近づいてくる。
「雷號……戻ったんだな」
 尋人がささやくように名を呼んだ。
 砂漠を駆けるその雪豹――呀 雷號(が・らいごう)は、シャムスたちの目の前までやってくるとその姿を変貌させた。獣人特有の身体変化である。人の姿へと変化した雷號は、引き締まった肉つきの精悍な男であった。
「ただいま、戻りました」
 任務ということもあって、堅苦しい口調で彼は言った。それに、シャムスが頷く。
「状況はどうだ?」
「見張りは砂漠を点々と巡回しているようです。普段よりも警戒が強く、こちらが動き始めていることには気づいているのでは……」
 雷號は不安を顔に出して進言した。
 それに不穏な空気が流れ始めた頃、再び砂漠の向こうから影が近づいてくる。
「あれは……」
 それは小型の飛空挺であった。砂が舞いあがらない程度に速度と浮力を抑えた飛空挺は、迷彩色にカラーリングされて砂地に同化している。やがてそれは、シャムスたちの隠れる砂丘に自らの体躯を隠して停止した。
ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)、ただいま戻りました」
 飛空挺の中から出てきたのは、金髪の美しい一人の地球人だった。雷號同様、偵察に行っていたローザマリアだ。かつてバージニア州のリトルクリーク海軍基地にて特殊訓練を受けていた異例の経歴を持つ彼女は、軍人らしい洗練された動きでシャムスたちの前に敬礼した。
「それで……首尾は?」
「微妙……といったところね。見張りの数もそうだけど、この砂漠でしょ? 動きだって制限されているもの。先行して哨戒してたエリシュカやエシクの報告では、彼女たちのいた場所……ここからそう離れてないわ。そこから先は難しいみたい。夜になれば、人の動きは見えずらいし、また違ってくるだろうけど」
 とかく、共通しているのは下手に動くのは危険ということか。
「戦闘は……できるだけ避けなければならない。……今までと出会った事が無い相手であればなおさら……」
「今は、事を荒立てるときではないようですね」
 雷號と霧神がそう静かに呟いた。
 それには、異見を論じる者はいない。しかし、ローザマリアの提示する問題は、それだけではなかった。
「砂漠で移動も困難だし、もしものことを考慮すれば度に多くの人員を輸送可能な代替の移動手段が必要だわ……。本当ならルミナスヴァルキリーを頼りたいところだけど……それもいまは使えない。ねぇ、シャムス……何か方法はないかしら?」
「多くの人員を運ぶ移動手段か……」
 ローザマリアの心配に、シャムスは額をゆがめて俯いた。
 ない……と言いきらないところを見ると、何か方法でもあるのだろうか? しかし、シャムスの顔は何かを考え込むようで、決して浮かばれたものではなかった。彼の言葉を待つものの、それ以上は何も語られず。
「とにかく……これ以上の進軍は危険だな。一度戻ろう」
 そう言った彼の言葉に従って、仲間たちは拠点に戻ろうとした。と、それをローザマリアが引きとめる。
「ちょっと待って。その前に、紹介しておきたい人がいるの」
 振り向いたシャムスたちの前に、ローザマリアの小型飛空挺から、一人の少女が現われた。土色のローブを纏ったその少女に風が吹きつけると、顔を隠していたフードがはためいた。
「あなたは……」
 どこかで見たことがあるような……そんな擬視感に捉われたシャムスの茫然とした声が響いた。それに応えて、少女が名を告げる。その名は――シャムスの目を見開かせるのに十分なものだった。
「あたしはイナンナ。豊穣と戦の女神――イナンナよ」