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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第1章 水晶の瞳 1

 ヴァイシャリーはラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)の所有するホテルの一つに、彼女はいた。
 風光明媚なその街を窓から見下ろすと、ゴンドラが見えた。水路をゆったりと流れるゴンドラの姿は、まるで悩みひとつなく泳ぐ一種の生き物のようだ。きゃっきゃと水辺で遊ぶ子供たちの光景も眩しい。
 そう、彼女には、眩しすぎた。
「美那ちゃん?」
 泉 美那は、自分を呼ぶ声にはっとなる。振り返ると、目の前にはきょとんとした顔で彼女を見つめる七瀬 歩(ななせ・あゆむ)がいた。
「どうしたの? ぼーっとしてたみたいだけど?」
「い、いえ、なんでもありません……ただ、いつ見てもこの街は美しいと思いまして」
「あ、やっぱり美那ちゃんもそう思うー? 私もねー、こうやってヴァイシャリーを見てると、百合園に通っててよかったぁって思うんだー」
 歩はにこにこと笑顔になって美那と話し込んだ。
 その屈託のない笑みに、美那も自然と笑顔になっている。彼女と話していると、先ほどまでの悩みなど飛んでいってしまうかのようだった。
 そして、笑う美那の骨格とともに揺れるのは、胸元の巨大な果実。手のひらであってもあり余るような豊満な二つの乳房に、エンデ・フォルモント(えんで・ふぉるもんと)のじとっとした視線が向けられていた。
「エ、エンデさん……?」
「まったく、美緒様といい、美那様といい……大きな胸をしてますね。姉妹揃って……」
「ほんとだー。美緒ねーちゃんと一緒でやっぱり胸おっきいねー」
 エンデの後ろから、ひょこっと顔をのぞかせて七瀬 巡(ななせ・めぐる)も同調する。
「それだけ大きいと肩こらない? 剣とか弓とか使うの大変そうだなぁ……。そういう練習ってしてるのー?」
「む、胸で肩をこらない練習ですか? そういうのはしてませんけど……まあ、弓を中心に武術はたしなむ程度なら」
 巨大な胸について質問されたことは苦笑してさばこうとする美那だったが、どうやらそうもいかないらしかった。女子一同、巨大果実に興味津々である。
「どうしたらそんなに大きくなるの?」
「食べるものでも違うのかなぁ……? ボクは身長も欲しいけど」
「えー、巡はそのままでいいと思うけどなー。かわいいもん」
 巡は歩に笑いかけられると、照れくさそうにしていた。進んで可愛くなろうとは思わないが、どうやら、まんざらでもないようだ。
 それにしても、隣の芝は青いというが、ここまで差をつけられると青いどころかドーピングものであった。繊細と言えば聞こえの良い自分の胸を見て、エンデはため息をつく。
「う、羨ましくなんか無いですからね……!」
 強がりである。
 とはいえ、彼女とて胸はずばぬけて飛び出ていないもの、美少女といって差し支えない容姿をしていた。隣の芝は青い。自分の芝の青さには、総じて気づかぬものだった。
 それはさておき――当初の目的を忘れてはならない。
「美那さん……なるだけ、窓際には立たないほうがいいわ」
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は美那へとそう進言すると、彼女をパートナーの橘 舞(たちばな・まい)が用意したお茶の席へと促した。
 ハーブティーの香り立ちのぼる席で、麗しき黒髪の女性が柔和な微笑みを浮かべている。
「どうぞ。お口に合うと良いんですが……」
 美那たちは彼女の淹れてくれたハーブティーを飲んで、安らぎの時間を得た。
 ハーブティーは、たおやかな彼女の微笑みと同じように、優しく繊細な味をしていた。香りと喉の奥を潤す深みに、思わず全員が感嘆のうなりをあげる。同席する黒崎 天音(くろさき・あまね)もまた、声を漏らしていた。
「……美味いね」
「ありがとうございます」
 微笑んで皆の感嘆の声に応える舞。
 そこに、満を持してとばかりにブリジットが加わった。
「はいはい、和みタイムはそこまで。彼女が観光旅行先で襲撃されたりしてたってこと、忘れないようにね」
「もう、ブリジットったら……」
 しかし、ブリジットの言うとおりであった。
 泉美那は、観光旅行として東西シャンバラに来ているものの、その行く先々で何者かに狙われていた。その正体が何であるのかをブリジットたちは知らぬが、彼女に迫る手が休まったと決まったわけではない。
「私が来たからにはタイタニック号に乗ったつもりでいてくれていいわ。私、勘は鋭いのよ。名探偵には必須のスキルね。……というわけで、さっそくだけどアナタのこと教えてくれる? 最近になって何か見てはいけないものを見たとか、特別なものを手に入れたとか、何かないかしら?」
「ブリジット、そんな一気に質問したら、美那さんも困っちゃいますよ」
 名探偵……もとい、周囲曰く迷探偵であるブリジットはぐいと美那に寄った。舞がフォローを入れてくれたことから苦笑して応える美那であったが、心中は穏やかでなかった。はたして、このままでいることが正しいことなのかどうか。彼女にはわからない。心に決めたことは、同時に誰かを危険にさらす意味も含む。
 美那の瞳は自然と机の上に置かれていた黒水晶へと動いていた。その視線に気づいたのだろうか。席を立った天音が、黒水晶へと近づいていった。
「おや、天然物かな。珍しい物を持ってるね。……見せて貰っても?」
 美那へと顔を動かして聞いてくる天音。ここで断るのは、あまりにも不自然だろう。美那は笑顔で答えた。
「どうぞ」
「ありがとう。こういう珍しいものには興味がそそられるんでね。水晶は降魔鎮邪……邪気を祓うと言うけれど、これは、どうだろうね?」
 天音は黒水晶を覗き込むようにして言った。
 まるで向こう側を見透かすような言いようだ。黒水晶には何も映っていない。しかし、どこか瞳同士がぶつかり合うような、不思議な感覚を美那は受けた。天音のパートナーであるブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)も同じ感覚を受けたのだろうか。低く唸っていた。
「何か嫌な予感がする。ろくでもない事に関わるような……」
 ドラゴニュート特有の厳めしい竜の顔はさらに険しくなっていた。
 ちょうどそのときである。
「なに……!?」
 パリンと窓が割れる音とともに、美那の部屋に何かが飛び込んできた。それは一瞬にして部屋を横切ると、壁に突き刺さってその正体を明らかにする。
 矢だ。それも、敵の心臓をえぐるような殺傷能力を込めた。
「敵だわ!」
 瞬間、ブリジットが叫んでいた。
 エンデや舞、七瀬たち女性陣はすぐに美那を庇うようにして端に寄った。ブリジットの手が、敵の目を防ぐためにカーテンをひっぱる。そのとき、再度矢が射抜かれたが、彼女の影を穿つだけだった。
 カーテンが閉め終わって部屋が薄暗くなると、敵はこちらを目視できないのか矢の攻撃はぴたりと止んだ。
 ひとまずは一安心か? そう心を落ち着けた瞬間、事態は容赦なく彼女たちを襲った。
「なにっ!?」
「ブリジット様、危ない!」
 ブリジットの目の前、影の中から生まれた闇の何かが彼女を襲おうとしたとき、咄嗟にエンデが彼女をかばった。
「い、いったい何が出てきたっていうの……」
「分かりません、これは……」
 それは人ではなかった。
 だが、しかして動物でもない。影の中から生まれたそれは、まさしく闇そのものであり、影が意志ある者かのように直立しているのが最も的確な表現だと言えた。これまでの襲撃とは違った敵の存在に驚愕するメンバー。だが、敵はそんなことお構いなしに攻撃――目的の美那へ向かって闇の手を振りぬいた。
「させませんわ!」
「小夜子様!」
 戸惑いの中で、唯一冷静に敵の攻撃を受け止めたのは、それまで美那の部屋にいなかった冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)であった。正確には、彼女は隣の部屋でずっと戦闘態勢を整えていた。ひとつは数において敵の目を欺くためであり、ひとつは長期にわたって彼女を護衛できるためである。
 無論――パートナーのエンデには美那の傍で身近な護衛を務めることを課し、お互いに役割を担っていた。用意周到ゆえに、こうして遅ればせながらも美那を守ることが出来たのである。
「はっ!」
 影に向かって思い切り力をこめて、小夜子は敵を弾き飛ばした。
 が、しかし。
「効いてない……?」
 もとより、存在自体が怪しい影の四肢体たち。まるでこちらの攻撃にダメージを受けた様子もなく、ゴムのようにうにょうにょと揺れ動いていた。そんな敵の姿を冷静に分析し、天音が呟く。
「どうやら、魔法的な生物のようだね」
「ということは、直接ではダメということですわね?」
「そういうことになるな。……光の弾であれば、あるいは効くか?」
 小夜子は天音たちと目配せし、即座に行動を移した。
 背中から、舞台歌手のように優雅なしぐさで歌いはじめた天音の声が聴こえてくる。声を媒体として、魔力が小夜子たちを包み込んだ。それは、幸福たる象徴である光の力だ。
 すると、どうしたことか。影はなにやら全員が同じように揺れ動いていた。まるで、何かを歌うようなその仕草は……天音の歌い方に似ている。
(黒崎さんのマネをしていますの?)
 怪訝に思いながらも、これは好都合だ。敵は隙だらけということである。
 小夜子は指にはまっていたブリリアントリングを影たちに突き出した。同時に、横からブルーズの構える銃――曙光銃エルドリッジの光の弾が敵を貫いた。
「助かりますわ」
「どうってことはない」
 光の弾に撃ち抜かれて敵が身動きがとれなくなったその瞬間に、小夜子のブリリアントリングが眩く光った。リングの先から放出されるのは、光の渦であった。影を覆い尽くす光は、まるで闇を浄化するかのように敵を打ち消してゆく。
「やりましたね、小夜子様」
「いえ……まだですわ」
 小夜子の言うとおりであった。
 リングの光がどれだけ敵を消し去ったとしても、敵は影から生まれいずるのだった。その証拠に、彼女たちの目の前で影は再び姿を現した。この場は逃げるしかない。そう考えたときには、すでに七瀬たちが行動を起こしていた。
「美那ちゃんも、これで飛べるはず!」
「で、でも、これってつまり……」
 歩の空飛ぶ魔法が、その場にいた護衛者たち、そして美那へと降り注いだ。浮遊の力を得た美那は、少しばかり嫌な予感がする。皆が向うのは、開け放たれた窓だった。
「そ、窓から脱出ってことだよ!」
「でも、でもでも――」
 なぜかちょっと楽しげに言う巡に引っ張られて、美那は仲間たちとともに窓から飛び出した。
「――ここ、6階なんですけど~~~!」
 初めての浮遊体験は、空飛ぶ鳥とのご挨拶だった。