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リアクション
第11章 6時限目――嫉妬混じりの社交ダンス
授業見学にラズィーヤたちを加え――エレンにも授業はあるはずなのだが、彼女はラズィーヤによって今日の分は出席扱いとなった――、12人(内、幽霊が1人)という大所帯となった静香たちは、6時間目の授業を見学に向かっていた。
「け、結局5時間目の授業の見学はできなかった、ね……」
「まああれはあれで私は楽しめましたけどね。ちょうど制服もいただけましたし」
百合園女学院制服を上から着込んだ弓子が、ご満悦といった表情で笑う。スカートの裾や袖は折り込んでいないので、制服の下からセーラー服が見えるという珍妙な格好になっていたが、百合園制服を着ているという気分だけは味わうことができた。
「え〜、途中で少々脱線がありましたが、ただ今向かっておりますのは、社交ダンス実習室でございますー。そこでさっき別れた歩さんと合流しまーす」
橘美咲の先導に従い、一行は社交ダンス実習室へと足を進めた……。
社交ダンスの歴史は古く、少なくとも12世紀頃が始まりだと言われている。その種類もワルツ、タンゴ、チャチャチャ、サンバと約10種類存在し、現代の日本では主に審査員がその動きを評価する「競技ダンス」が主流で、中世ヨーロッパ等で行われているような「パーティーダンス」の類はあまり行われていないという。
百合園女学院では、そのパーティーダンスの方が授業として教えられていた。地球・パラミタを問わず、世界各国の令嬢が通うこの学校と、学校が存在するヴァイシャリーにおいて、社交界への進出はほぼ必須事項であり、当然ながら儀礼として社交ダンスを踊る必要が出てくる。そのための訓練の場としての授業である。
レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)も校長に取り憑いた幽霊に協力することを考えている生徒の1人だった。自分の得意分野は体育。だが普通に運動をするだけではきっと面白くないだろう。ならば、今日はたまたま社交ダンスの授業があるので、それに全力で取り組もう。レキは柔軟体操を行いながら表情を軽く引き締める。今日の授業で行うのは簡単なスローワルツだが、それでも万が一ということはある。念には念を入れておくことだ。
「大丈夫。体の柔らかさには自信あるんだし、ゆっくり慎重にやればうまくいく、はず」
1人気合を入れ、レキはワルツに臨んだ。
社交ダンスというものは、一般には男女が1組のペアとなり、楽曲に合わせて踊るものである。その定義には、相手が変わっても踊れること、即興の振り付け・どんな曲でも踊れること、服装を問わないことがある。百合園女学院では「男性」という存在はいない――ということになっている――ため、女生徒でも男性パートを踊ることがある。レキはパートナーのミア・マハ(みあ・まは)を相手に男性パートでステップを踏んでいた。171cmのレキは、139cmのミアと組むとなると、どうしても男性パートを担当することになるのだ。2人の身長差は実に32cmである。
「いやまあ、別にダンスは嫌いではないぞ? 無いんじゃが……」
「?」
ゆったりとしたステップを踏みながらミアは渋い顔をしていたが、レキにはなぜ彼女がそのような顔をするのかわからなかった。
ミアが不機嫌な理由は、レキの「胸元」にあった。今のレキは男性パートで踊っているというのに、その胸元は非常に「揺れていた」。
(男パートで踊ってるくせに、何なんじゃその揺れる乳は! 体の小さいわらわへのあてつけか何かか!? うぐぐ、わらわの方が圧倒的に年上だというのに……!)
体型を妬んでいるというだけの、単純な嫉妬だった……。
「あっと」
慎重に踏んでいたステップだったが、レキが思わず踏み間違えてしまう。ミアの足を踏むということは無かったが、踏み外した衝撃でその胸が揺れる。
「…………」
「あはは、ゴメンゴメ――って、うわ」
またしても踏み外す。衝撃で揺れる。
「…………」
「大丈夫、この後は大丈夫のは、ず!?」
さらに踏み外した。そしてもちろん……。
「って、いい加減にせんかー!」
揺れに揺れる胸を目の当たりにし、ついにブチキレたミアは、パートナーチェンジのついでにレキを思い切り投げ飛ばした……。
「あはは、ゴメンゴメン、ついお見苦しい場面を見せちゃったみたいで」
「いえ、結構面白く見させていただきました……」
一旦休憩に入り、レキとミアは見学していた弓子のところに来ていた。弓子や静香に見学の感想を聞くためである。
(にしても、何ですかこの胸は……。明らかに私よりもでかいですよね、一体何をどれだけ食べたらこうなるんですか。それとも詰め物ですか? PADですか? まあ目の前のこの人は全然メイドに見えないから『○○長』なんて冗談言えないのが厳しいところ……、いやそうじゃなくてですね)
などとレキの胸を見ながら弓子は静かな怒りを燃やすのだった。
その様子を見ていたミアが手を差し伸べてくる。そちらも同じ気持ちなのか……。2人は目の幅ほどの涙を流しながら硬い握手を交わした――一応弓子の名誉のために言っておくが、彼女の胸は小さすぎることはない。
「それにしても、校長先生が授業を見に来るなんて初めてだよね」
「うん、そうだね。もう完全に想定外の出来事って感じ」
「白百合団」の特殊班に所属するレキではあるが、実は静香とは用事以外では話したことが無い。そのためこの機会を利用して静香と話したいと思っていた。もちろん、弓子が気分を悪くするのであれば、途中で話を切り上げるつもりでいる。
「それで、見学しててどんな感じだった?」
「そうだね……。普段みんなが授業を受けてる姿を見るのって、僕も初めてだったからね。何て言うか、凄く新鮮って感じかな」
「今まではどっちかといえばイベントとか依頼とか、そういうのでしか会わないしね」
「うん、本当にそう。事件か用事でもないとみんなと話すことも無いし」
それはその通りである。静香が百合園生と話す機会があるとすれば、主に何かしらの事件に巻き込まれた時ばかりである。しかもその場面は、今のような「教室」ではなく、例えば事件の現場であることが多い。このような「日常」において生徒と交流することなど稀なのだ。そういう意味では、もしかしたら弓子の存在は非常にありがたいものかもしれなかった。
「幽霊さんの方はどう? どんな感じ?」
「私ですか?」
話を振られ、弓子は今日の出来事を思い返す。
「そうですね……。やっぱり『お嬢様』と一口に言っても、色んな人がいるというところでしょうか」
事実そうであった。いわゆるお嬢様然としている者がいれば、かなり俗な者もいる。静かにしているのがいれば大暴れする者もいる。いい言い方をすれば「お嬢様」というものに対して抱いていた堅苦しさが抜け、悪い言い方をすれば弓子が抱いていたお嬢様学校のイメージがかなり崩れ去った、といったところだろうか。
「何せ攻撃までされましたしね……。陰湿な嫌がらせなんてレベルじゃありませんよあれは」
「は、は、は……」
その場に居合わせた静香及び見学者の内数人、そしてその光景を容易に想像できたその他数名が揃って乾いた笑いをこぼした。
そうして軽い談笑に花を咲かせていると、担当の教師から休憩終了の合図が出された。
「……あ、もう終わっちゃったか。じゃーねー、幽霊さん」
「はい、頑張ってくださいね」
もう少し時間があれば学生食堂のメニューや、ヴァイシャリーの町にある美味しいケーキ屋の話もしたかったが、さすがに今は授業中だ。それ以上の雑談を諦めたレキとミアを送り出し、弓子は再び見学に集中した。
「……む〜、つまらん、つまらん。これではあまりにも普通すぎるではないか。社交ダンスといえば、相手の足を踏んづけてその拍子にスッ転ぶのが『つきもの』のはずであろう? っていうかそれ以前に授業体験とかしないのか?」
扉の影から内部の様子を撮影していた大佐が不満げな声をあげる。もちろん小声であったが。
(……待てよ? 1時間目の華道はボケさせる空気ではなかった。2時間目の日本史もそう。3〜4時間目の家庭科はハプニングを起こさせると火事になる可能性があったから断念。5時間目は、別の事情によりハプニングどころではなかった……)
そういえば今日の自分は撮影だけしかやっていないではないか。そもそも大佐は撮影だけではなく、テレビ番組のADが行うような「スケッチブックによるカンペ指示」もやろうと思っていたのだ。「ここでボケて」「その回答は〜〜」「(笑)」等といった文章を、手持ちのパラミタがくしゅうちょうにあらかじめ書き込んでおき、こっそりそれを使おうと思っていたのに、このままでは使われないまま終わってしまう。
ふと、中の様子を窺う。ちょうど実習室の出入り口のところには都合よくラズィーヤと神倶鎚エレンがいる。この2人のどちらかにノートを見せて、軽いハプニングを起こさせれば、あるいは……。
そう思った大佐は少しばかり行動に出た。まずノートにとある文章を書き、そのノートでエレンを突く。
「……?」
何かで背中を突かれたのを感じたエレンが振り向く。見るとそこには、デジタルビデオカメラを構え、ノートを広げて見せる毒島大佐がいた。
「……何ですの?」
エレンがそのノートを覗き込む。そこにはこう書かれてあった。
「静香・弓子ペアで踊らせて」
その意図をエレンは了解した。大佐にニヤリと笑いを浮かべて頷くと、すぐさま彼女はラズィーヤに耳打ちする。
「ラズィーヤさん、せっかくですから、ここで静香さんと弓子さんを踊らせてみては?」
「どうしてそのようなことを?」
「社交ダンスといえば、相手の足を踏んづけてその拍子にスッ転ぶのが『つきもの』ですわ」
「……なるほど」
ラズィーヤも理解した。あの幽霊と静香が踊るというのは少々気に入らないが、それは確かに面白そうだ。
今度はラズィーヤが静香に囁く番だった。
「静香さん、せっかくですから、そのえせ百合園生と、少しばかり踊ってきてはいかが?」
「へ?」
「百合園女学院の雰囲気を体験したいと言ってきているのですよ? でしたら、社交ダンスにお誘いするのが紳士というものですわ」
「え、えっと、それは……」
突然の提案に静香は焦りを隠せなかった。多少は社交ダンスの経験があるため踊ること自体に問題は無いのだが、相手となる弓子のことがある。
「えっと、弓子さんは……?」
「……いいんですか?」
「……弓子さんが大丈夫なら、華道のように、いっそ体験してみない?」
立ち上がり、静香は弓子に手を差し伸べる。弓子は考える。見学だけで十分だったが、なるほど、先ほどは華道の授業を体験することとなった。そして社交ダンスは、いわば「お嬢様」の必須スキルとも言うべきもの。体験できるのなら、やってみてもいいかもしれない。弓子としては「ラズィーヤがそれを勧めてきた」というのが少々気に入らないところではあったが。
「……では、お願いします」
「はい、喜んで」
静香から差し出された片手の上に、弓子が自身の手を乗せる。そのまま弓子は立ち上がり、静香と社交ダンスの授業を体験することとなった。
「スローワルツだから、本当にゆっくりで大丈夫だよ。軽く足を出して、右回り、1、2、3……」
「い、1、2、3……」
「そうそう、そんな感じ。とりあえず今は音楽がかかってるけど、あんまり気にしない方向で」
「は、はい……」
静香はともかく、弓子は全くの素人であった。運動神経はそれなりにいい方であったため、体のバランスを崩すとかそういったことは無かったが、それでも動きはぎこちない。
約10cm、静香の方が背は低いがそれでも男性パートを軽々とこなす。弓子はそれに合わせてゆっくりとステップを踏む……。
「なんなのだ。一体どういうことなのだ。全然こっちが望んでた展開にならないではないか……。どうして足を踏まない、どうしてバランスを崩してスッ転ばない。この場にいる誰もが望むハプニングはどうしたのだよ……」
結論から言えば、大佐たちが望んだハプニングは起こらなかった。弓子は確かに社交ダンス未経験者ではあったが「近づきすぎると相手の足を踏んでしまう」という法則だけは知っていたため、逆に静香から離れながらステップを踏んでいたのだ。また厳密には「踏んで」いない。弓子は静香の足を踏みかねないという恐怖のあまり、ステップのすべてを極端な「すり足」で行っていたのである。これでは踏みようが無い。しかもゆっくりである。
こうして大佐たち一部の生徒やラズィーヤを落胆させたまま、弓子の社交ダンス体験は終了した。
ただ、この静香と弓子のダンスを見て「校長が幽霊と浮気か?」と勘違いした生徒が現れたらしいが、それらの事情はすぐさま闇に葬り去られたとか――誤解の無いように願いたいが、もちろんその生徒が何かをされたというわけではない。念のため。