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リアクション
第8章 昼休み
通常なら、百合園女学院の生徒たちはここで食堂へ行き、他校よりも1桁値段の高い料理を注文したり、持ってきた弁当を広げたり、はたまた食堂ではなく教室や外のテーブルにてティータイムに入ったりするものである。
だが今日は少々事情が違った。静香や弓子を含め、いくらかの生徒は調理実習で作られたカレーや洋菓子に舌鼓を打つことになっているのである。
本日のゲスト扱いされている静香、弓子、テスラ、つばめ、案内役の美咲と歩は、ネージュ・フロゥ作のインド風チキンカレーを振る舞われることとなった。
「うわ〜、さすがネージュさん。おいしそう!」
静香のその言葉は、全員の思いを代弁したものだった。
「丹精込めて作らせていただきました。というわけで、召し上がれ」
「いただきま〜す!」
集まった全員の声が重なった。
スパイスがたっぷりしみ込んだ鶏肉とカレールーを、別で用意されたライスと混ぜて口の中に放り込むと、舌に辛さという刺激が強すぎず、また弱すぎない程度にやってくる。口の中がそれに慣れすぎてしまうと味がわからなくなるため、食べる合間に水やラッシー――ヨーグルトをベースに作られるインドの飲み物――を口に含む。そうすることで、またカレーの味を楽しむことができるのだ。
「ん、あれ? 弓子さん、どうかしたの? 全然食べてないみたいだけど……」
そうして静香たちがその辛さを楽しんでいると、近くで座っている弓子の様子がおかしいことに気がついた。食事が始まってから、彼女はスプーンを持ったまま、全く動いていなかったのだ。
「いえ、その、何と言いますか……」
スプーンを持ち、カレーをひとすくいして口元に運ぶが、どうしてもそこで止まってしまう。
「も、もしかして、あんまりおいしくない、とか……?」
自分のカレーが不評だったのか。そうネージュは不安そうな表情を見せるが、弓子の返答は違っていた。
「いえ、どう見てもおいしそうなんです。皆さんの食べっぷりを見てると、それが余計にわかるんです。ですが……」
「ですが?」
「……口に入れるのを本能が拒否してしまうんです」
「はい?」
「どう言えばいいのかわからないんですが、『食べてはいけない』のではなく『食べたくても食べられない』というか……」
弓子本人としてはネージュのカレーも、ヴァーナーのマドレーヌも食べたいと思っているのだ。だが残念ながら、彼女は幽霊である。つまり肉体を持たない以上、食物を取り込むという動作がどうしてもできないのだ。
「あっちゃあ、そんなオチが待っていたなんて」
「す、すみません。せっかくおいしそうなカレーやマドレーヌを作ってもらっておきながら……」
平身低頭の弓子の姿に、ネージュとヴァーナーは当然非難することはできなかった。
「それって、校長先生の体を通じて味わう、ってこともできないの?」
「無理のようです。あくまでも私たちが共有しているのは『距離』だけで、味覚もダメージもすべて別みたいなので……」
少なくともにおいを感じることだけはできるらしいので、ひとまずはそれで我慢してもらうこととなった。
そうしてちょっとした問題を抱えたところで、また別の人間がやってきた。
「やっほー、静香。遊びに来たよ!」
元気な声と共に調理実習室に姿を見せたのは、蒼空学園からやってきた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)と、そのパートナーのベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)である。
「あれ、美羽さん、こんにちは」
「こんにちは静香。食堂にいなかったからちょっと探しちゃった、……って」
静香に声をかけるということは、当然のことながら隣にいる弓子の姿も目に入るということ。
美羽の頭の中で情報が整理される。目の前にいるセーラー服、その体は透けているみたい、つまり幽霊? ということは今、静香は取り憑かれている!
そう感じた美羽の行動は早かった。実習室の出入り口から弓子のいるところまでの約5メートルの距離を、バーストダッシュを発動して一気に距離を詰め、弓子の顔面に蹴りを放ったのだ。
「怨霊退散!」
「うきゃあっ!?」
校門のところでも攻撃されたことはあったが、いくらなんでもバーストダッシュ追加の回し蹴りは無かった。非契約の一般人程度の身体能力しか持たない弓子が、そのミニスカートから伸びる足の一撃を避けられるはずも無く、そのまま数メートルを転がっていった。
だが被害はそれだけで終わらなかった。
「うひゃあ!?」
悲鳴と共に静香が勝手に弓子の方へと引っ張られたのである。
何度か書いたことであるが、弓子は取り憑いた先の静香から1〜2メートルしか離れられない。冒頭でラズィーヤが無理矢理引き離そうとして失敗したように、蹴り飛ばされた弓子から1〜2メートルの距離を保ったまま、静香も飛んでいったのだ。
「げっ!?」
もちろん美羽は驚いた。自分は幽霊だけを蹴り飛ばしたはずなのになぜ静香まで飛んでいくのか。
取り憑いた事情など知らないまま彼女は、近くの椅子を倒しながら、そのまま数メートルを転がる静香と弓子の姿を呆然と見つめていた。
「暴行罪! 暴行罪!」
誰が叫んだかはわからなかったが、美羽はその場にいたテスラや美咲たちの手によって袋叩きにされた。本人はすぐさま謝罪したため、校舎から放り出されることは無かったが……。
「すみません! 美羽さんがご迷惑をおかけしてしまって……!」
「……いえ、一応怪我は無かったので大丈夫です。まあ幽霊ですからまさかもう1回死ぬなんてことは考えにくいですが」
「気持ちはありがたいけどいきなりキックはやめてくれると嬉しいかな……」
美羽の頭を無理矢理下げさせ、ベアトリーチェが平謝りする。
「ご、ゴメンね。てっきり悪い幽霊だと思ったから……」
「……まあ『悪い生徒』だった時期はありますけどね」
ひたすら謝りたおした美羽とベアトリーチェは、その結果なんとか許されることとなったが、彼女たちとしては何かしら「お詫び」をしなければ気が済まない。
そこで美羽は弓子に百合園女学院の制服を、ベアトリーチェは学生食堂の料理をご馳走する、ということで手を打とうとした。
「どうせ学園生活を楽しむなら、やっぱり制服は大事よね。だから後で購買に制服を買いに行こうよ」
「そう、ですね。では後でお願いしますね。ただ……」
「ただ?」
言いよどむ弓子に、美羽が首をかしげる。
「……幽霊って、着替えられるものなんでしょうか」
「…………」
それはその通りだった。いくら弓子が物的影響を受けるといっても、現在霊体である自分のセーラー服を脱いで、手元から離せるかどうかはわからない。
「ま、まあ、できなかったら、その時はその時でまた考えましょ」
制服の件は後にし、次はベアトリーチェが食堂の話を持ちかける。
「お嬢様学校の食堂ということで、他校の食堂よりも値段が1桁高いという話ですが、味はいいらしいんですよ。ぜひとも堪能してもらいたいです」
「あ〜、それなんですけども……」
先ほどの食事の顛末を繰り返し聞かせる弓子。少し考えた後に、ベアトリーチェは1つの提案を持ちかけた。
「では食事中は静香さんに乗り移っておいて、その感覚を利用して味わうというのは?」
「無理です」
きっぱりと弓子は言い切った。
「というのも、今この状態ですでに『取り憑いている』ので、ここから体を乗っ取ったりはできないんです」
「明らかに自由行動ができるその状態で、ですか?」
「明らかに自由行動ができるこの状態で、ですね」
結局「お詫びのしるし」は制服だけでいいということになった。
「幽霊でも食べられるものはあるかもしれませんわよ?」
その場にいた全員の耳に聞き慣れない声が響いた。見るとそこには、いつの間にかエリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)がネージュのチキンカレーを食べる姿があった。
「い、いつの間にそこに?」
気づけなかった人間代表として静香が指を差した。
「さっきの蹴撃、もとい襲撃事件の最中にさりげなく入らせてもらいましたわ。というわけでこれを……」
今現在ツァンダにて療養中の恋人の世話でもしているであろう影野 陽太(かげの・ようた)を放っておいて、1人で出向いてきた彼女は何かを弓子に差し出した。弁当箱のように見えるそれには「ナラカエクスプレス特製弁当」と書かれていた。
「えっと、何ですかこれは?」
「ナラカエクスプレス特製弁当ですわ」
「いやまあ、それは見ればわかりますけど」
「あら、ご存じないんですの? パラミタにおいて死者が行く死後の世界『ナラカ』。そこにある電車で販売されているお弁当ですわ」
「……なんで死後の世界のお弁当を生きてる人間が持ってるんですか?」
「条件付きで生きてる人間も行けるのですわ」
「…………」
一体パラミタの「あの世」はどうなっているんだ。紅白巫女に結界でも壊されたのか、それとも白黒魔法使いのように「オンパッキャマラド」とか言えば通り抜けられる仕様なのか。そんなことを考えながら弓子は弁当を受け取った。
「それで、幽霊でも食べられる、とは?」
「その弁当の材料が理由ですわね。それには高カロリーのおかずが入ってるんですが、原材料は霊体なのですわ。だから結果的にカロリーゼロ。女性に優しい弁当ですけれど、いくら食べてもお腹一杯にならないのが1つ欠点ですわね」
「はぁ……」
高カロリーなのにカロリーゼロとはこれいかに、と思いつつ弓子は弁当箱の蓋を開けてみる。
中には、なるほど確かに見た目はおいしそうなものが入っている。「エクスプレス」というだけあって、どこにでもありそうな駅弁に見えるが、果たしてこれが「幽霊が食べられる」弁当なのかどうか、少しばかり疑問だった。
別のところから箸を持ち出し、弁当の中身を1つ摘んでみる。口元に持ってきても拒絶反応は起こらない。口を開け、それを放り込む……。
「……うん。結構いけますね、これ」
どうやら食べられたらしい。
その後も2口、3口と箸を進め、その中身全てを食べきることに成功した。
「ごちそうさまでした。これなら大丈夫のようです」
「お気に召したようで何よりですわ」
相手が幽霊ならば気に入るのではないかと思って持ってきた特製弁当だったが、どうやらその予想は当たっていたらしい。
(本当なら見晴らしのいい場所で優雅な昼食を、と思っていたのですけれど、前の時間が調理実習では仕方ありませんわね)
エリシアにとってそれが1つ心残りだったが、とりあえず弁当で満足してもらえたようなので、そこを口に出すのはやめておいた。
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