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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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第6章 2時限目の校長室――舎中でござる

 本日のラズィーヤは少しばかり忙しかった。今、彼女は校長室にて事務作業に専念しているからである。何しろパートナーの静香が不在なのだ。人手が足りないということもあるし、何より気分転換のための相手がいない。
 とはいえ1日中1人でいたのかといえばそうではない。今日という日に限って、たまたま手伝ってくれる人間が現れてくれたのだ。それは百合園生ではなく、元シャンバラ教導団憲兵科、現在空京大学歴史学科所属&教職課程履修中の宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)であった。
「それにしても『おばさん』ですか……。またえらく強烈な幽霊さんですね」
「本当に色んな意味で腹が立ちますわ。まあ静香さんの手前、全力で攻撃するわけにもいきませんでしたけど」
 などと談笑しながら、2人は所定の作業を進めていく。
 祥子としては今回の幽霊騒動を「微笑ましいものだ」と感じていた。何しろ取り憑かれている本人に何の影響も無いからである。影響があるとすればせいぜい本人から1〜2メートルまでしか離れられないことと、パートナーの方がやきもきしていることくらいであった。
 だが1つ深刻な問題があるとすれば、それは静香やラズィーヤが手がける事務作業的なものの作業効率が悪くなってしまうことだろう。どちらかといえば、実質的な百合園の支配者とも呼べるラズィーヤのこと、普段からして事務的なことは彼女任せになっているところがあるが、やはり静香がいた方がそれなりに効率がいいというものである。その静香がいないというのは、多少なりともラズィーヤにとって精神的ダメージになっているのだ。
 祥子が百合園に来たのは、動機こそ「幽霊騒動があったから」であるが、実際に起こした行動は「ラズィーヤの事務作業手伝い」であった。いくら微笑ましいとはいっても、大変なのには変わりないのだから……。
「しかし20歳でおばさん、となると、実年齢21歳の私はどうなるんでしょうね」
 苦笑する祥子。ラズィーヤの方は、祥子が話し相手になってくれているからか、普段通りの笑みを浮かべている。
「どうも彼女は、いわゆる『不良』に属するタイプの人間のようですわ。ですからきっと『年上』というだけでは反応しないのでしょう」
「あ〜、先生に刃向かいたくなるヤンキーみたいな?」
「そんな感じですわね。……とはいえ、さすがに『おばさん』はカチンと来ますけれども」
「『女』としては、若いだけじゃ出せない色気や魅力で勝負、といったところですか?」
「まさにその通りですわ。あ、祥子さん、そこの書類はもうまとまっていますの?」
 ラズィーヤが数枚まとめになった書類を指差す。
「はい、ほとんど似たり寄ったりなので、1つにまとめておきました」
「ではこちらに」
 祥子が分類しておいた書類の束を受け取り、ラズィーヤがそれにサインを入れていく。
 祥子が手がけているのはほとんど「書類の分類」であった。何しろ直筆の書名や決済が必要なものに関しては、全てラズィーヤに任せるしかないのだ。いくら自分がジャスティシアで守秘義務をわきまえているとはいっても、踏み込んだ作業はできないものである。
 だがそれでもラズィーヤが1人で全てを手がけるよりは楽であるのは間違いない。1日中校長室で缶詰状態になるかと思われたが、祥子のおかげで予定よりも早く仕事を終えられそうだ。
 とはいえ、事務作業をし続けられるわけではなく、途中で体力が落ち、それに比例して作業能率も落ちていくものだ。そこで人は体力回復のために「休憩」をとるのである。
「……一旦休憩にしましょうか」
 ラズィーヤのその言葉を聞き、祥子はその手を止め、座ったまま背伸びをする。
「そういえば、『幽霊』で1つ思い出したんですが……」
 言うなり祥子は携帯電話を操作し、1つの動画ファイルを読み込んだ。
「最近、ちょっとした動画投稿サイトに面白い動画が投稿されましてね」
「ふうん、どういうものですの?」
「こんなのです」
 ラズィーヤが覗き込んだ携帯の画面には、昔の日本の神職者や貴族といった出で立ちの男数人が、歌に合わせて踊っている動画が映っていた。
「……何ですの、これは?」
「『レッツゴー・エクソシスト』と言いましてね」
「え、エクソシスト……?」
「まあこの動画それ自体は、日本のテレビゲームをネタにしたものなんですけども、内容の方はあながちネタと言い切れるものじゃなかったりするんですよね」
「と言いますと?」
「いえね、ヨーロッパとかだと、悪魔祓いや厄払いといったものは『聖職者』の役割なんですが、日本では貴族が行ってる時期があったんですよ」
「貴族……、ですか?」
「そう、貴族」
 祥子のその言葉は間違いというわけではない。俗に言う「陰陽師」と呼ばれる者は、現代においては祈祷や占術を行う神職の一種として扱われるが、古代日本においては官職の1つだったとされているという。
「……世の中、色々あるものですわね」
「まあ、色々あるんですよ」
 そんな時だった。授業中であるため普通なら聞こえるはずの無いノックの音が聞こえたのである。
「お客様でしょうか……?」
 ノックの主は百合園生である可能性はほぼ皆無。ならば急な来客だろうか。ラズィーヤは入室を促した。
 開いた扉から姿を見せたのは、黒を基調とし、所々にフリルをあしらった和服を着た5歳程度の少女だった。
「子供……」
 客にしてはあまりにも幼すぎる。ラズィーヤは眉をひそめるが、少女はそんな彼女の様子など全く気にしていないかのように、ラズィーヤの前にやってくる。そして少女は数秒ほどラズィーヤの顔を見たかと思うと、不意に口を開いた。
「おばさん、としまなの?」
「は!?」
 突然何を言い出すんだこの子は!? ラズィーヤと祥子は同時に驚愕した。いやそれ以前に、なぜこの5歳にしか見えない子供がそのような言葉を知っていて、しかもラズィーヤがそう呼ばれたらしいということを知っているのだろうか。
「あ、あの、そ、その言葉、ど、どこで……?」
 震える声でラズィーヤが訊ねるが、子供の方は純真無垢といった笑顔で答えた。
「だって、おばさんとかとしまとかいってた」
「だ、誰が……?」
「ふぇ? だれがいってたかって? みんなー」
「みんな!?」
 目を見開き、声が裏返るラズィーヤ。全校でそれほどまでに噂になっているものだっただろうか。
 その噂の真偽を確かめる間も無く、次の来訪者がやってきた。
「もー、ひーちゃん、待ってってばー」
 入ってきたのはピンクのツインテールをした14歳ほどに見える少女だった。
「ああ、もう勝手に校長室に入っちゃって……! こらひーちゃん、こんなところで何してるの!」
 入ってきたピンク少女の態度からして、この和服少女の姉か何かだろうか。彼女は和服の少女を叱りつけるが、和服の方は依然笑顔のまま答えた。
「このおばさんとおはなししてたー」
「おばさん、て……?」
 和服少女が指差す方を見ると、そこには呆然とするラズィーヤの顔があった。
「おばさんって、まさかラズィーヤ様のこと!? だ、だ、だめだよ、そんなこと言っちゃ!」
 いかにも不始末をした妹を叱る姉、という構図だが、その姉の方はここでラズィーヤに詫びを入れることはしなかった。
「いい、ひーちゃん? このくらいの年齢のお姉さんは、年のことを言われると激怒するって母様に聞いたことあるわ」
「ふぇ? そーなの?」
「ええ、そうよ。でも……」
「でも?」
「……いや、母様よりも年上に見えるような気がしただけ……。あ、いえいえ! お仕事で頑張られてるんですもの! 仕方ないですよね! それに母様は結婚はとても早かった、って聞いたし……」
 こともあろうに、この姉は無自覚のまま妹に便乗してラズィーヤの年齢部分をからかったのである。一方の妹の方は、姉の言ったことがあまり理解できないらしく、しきりに首をかしげている。
「ふぇ? おばさん、おねえさんなの?」
 その後も「おばさん? おねえさん?」と繰り返す妹。3秒ほど考えた後に、彼女は結論を出した。すなわち「おばさんというなまえのおねえさん」であるとしたのである。
「うん、わかった、おばさん!」
 子供らしい笑顔でラズィーヤにそう言い放つと、妹の方は全速力で校長室を出て行こうとする。
「って、だからおばさんじゃなくお姉さんだって!」
 姉は姉で、妹を捕らえるべく走り出した。
 そして休む暇も無く、次の来訪者が顔を出した。
「あ、こら2人とも、何してるの!」
 3人目はエプロンドレスに身を包み、いかにも「主婦」といった風貌だが、顔立ちや身長から、どこと無く14歳程度に見えた。その主婦に怒られた姉妹は、2人して校長室を全力で脱出し、いずこかへと走り去ってしまった。
「ああ、もう! ダメじゃない、走ったら危ないでしょう!?」
 そこまで怒鳴った後、主婦はラズィーヤに向き直った。
「あ、ラズィーヤ様……。どうもすみません、娘たちがご迷惑をおかけしました」
「……いえ」
「あ、あの、お仕事中だったのですよね……?」
「……一応、休憩中でしたのよ」
 平静を保とうとするラズィーヤだったが、度重なる「おばさん」連呼のせいで、彼女の顔はかなり引きつっていた。
 主婦の方はそんなラズィーヤの表情を窺っているのかいないのか、姉妹が走り去った方向を一瞥し、ため息をついた。
「もう……。すみません、あの2人は後できつく叱っておきますので」
「……いえ、それは構わないのですけれど……」
 声を出すことでどうにか冷静でいられるのか、ラズィーヤは目の前の主婦っぽい女と走り去った2人の関係について質問する。
「あのお2人と、あなたは、どのような関係で?」
「関係、ですか? ……2人とも、私の可愛い娘ですよ」
「む、娘、さん……? それにしては1人はあなたとそう変わらないように見えましたが?」
「あ、あの子は養子なんです。小さい方は私の実の子で……」
「そ、そう……」
「大変なことも多いけど、結婚して子育てもして、今とっても楽しいんです!」
 満面の笑顔で答える主婦。一方のラズィーヤは固まった笑顔を返すことしかできなかった。
「あ、いい加減2人を追いかけないと。それでは私はこれで失礼いたしますね。ふふ、ラズィーヤ様。結婚って、とてもいいものですよ!」
「あ、え、ええ、そのようですわね……。ど、どうぞ、お幸せ、に……」
 そして主婦は校長室から去っていった。
 後には引きつった笑顔のまま全身が硬直したラズィーヤと、突然の事態に対処しきれなかった祥子が残された……。