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夏休みの大事件

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夏休みの大事件

リアクション

   七

 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)は、以前と同じように明倫館の書庫で文献を調べることにした。
「ミシャグジ事件」の際に調べたことは、既にデータベース化してあるが、それ以外はまだ手をつけていないという。専門の係がいない以上、仕方のないことだった。
 それでも、前回の記憶を頼りにいくつかの文献を引っ張り出してぱらぱらとめくってみた。
「覚書」とおざなりのタイトルがつけられた紐綴じの書物は、前回も役立った情報源だ。これも、ミシャグジに関わらない箇所はまだ手を付けられていないらしい。詩穂はその前の部分を中心に読んでみた。キーワードは「喋る犬」「黒い犬」「眼」だ。しかし、筆者が達筆なのか悪筆なのか、読みにくいことこの上ない。【博識】があって助かった、と詩穂は思った。
 五千年前は、ミシャグジ復活の前兆として各地で植物が枯れ、地震が頻発し、魚が取れなくなった。「あるお方」がそれを憂い、協力者を募ってミシャグジを封じたというのが顛末だ。その協力者の中に、カタルたち「梟の一族」の始祖イカシもいた。
 では、「顛末」の前と後は?
 何度もページを捲っている内に――古い書物なので丁寧に扱う分、時間がかかった――、ようやく目指すべき単語を見つけた。
「ええっと、――『昨日の敵は今日の友とも言う。我が主は――』」
 どうやら筆者は、「あるお方」の部下か従者であったようだ。
『――遂にその化け物と出会った。近隣を荒らし、人々を苦しめるそれは黒い獣であった。犬か狼かは定かではない。驚いたことに、獣は人語を解した。否、正確には頭に直接語りかけてくるらしかった。』
「――テレパシー?」
『主は獣を追って山中へ入った。三日三晩の後、ようやく出てこられたときには、驚いたことにその獣を伴っていた。二人とも、傷だらけだったことから戦いが生じたことは間違いない。その後、話し合い、手を貸す――』
 ここでページが破られていた。微かに血の跡らしきものを見つけ、詩穂は眉を顰めた。
「それにしても、『黒い犬』って言うのも変だから、名前つけたいよね♪」
 まさか吉井 ゲルバッキー(よしい・げるばっきー)じゃないよね、と少し不安を抱きつつ、詩穂は先に進んだ。ミシャグジの件の後、再び「黒い獣」の文字を見つける。
『案の定、奴は離れて行った。奴は度々私に言っていた。己のことは書くな、記録に残すなと。まるで自分の痕跡を消すかのように。なぜだ? 「眼の女」を教えたのは奴ではないか。利用すればよいと進言したのは奴ではないか。』
『「我々は利害の一致ゆえに手を結んだ。不一致となれば、また敵に回ることもある」と主は仰せだが、奴が何を考えているか、私はそれが恐ろしい。』
 そこで、色の変わったページを何枚か残して「覚書」は終わっていた。この筆者は、この後どうなったのか――それを考え、詩穂はぶるりと震えた。


 次に<漁火の欠片>を調べたのは、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)ミア・マハ(みあ・まは)だ。
「借りるね」
 レキはベルナデットから欠片を受け取ると、ぎゅっと握りしめ、ミアの顔を見つめた。
「ねぇ、ミア。昨日冷蔵庫の奥にあったもの、どこに行ったか知らない?」
「知らん」
 レキは小さな変化すらも見逃すまいとした。目の色が変わる、オーラが変わる、額に文字が出れば楽だけど――。だが、目に見える変化はなかった。ただ直感的に、「あ、嘘ついてるな」と思った。
 理由は分からない。理屈も分からない。だが何となく、ミアが嘘をついているのは分かった。
「……ミア。食べた分の杏仁豆腐は、ちゃんと新しいの補充しておくように。食べるなとは言わないけど、風呂上りに食べようとしたら無かったときの絶望感、ハンパないから」
「なぜ分かった!?」
 ミアは目を丸くした。
「やっぱり」
 どうやら欠片には、嘘を見抜く力があるようだ。
「今はそんな小さな事に構っている暇はないじゃろ。さて、次はわらわの実験じゃが」
「あ、誤魔化した」
 ミアはレキから欠片を受け取った。
「漁火はヤハルに化けていたこともあったじゃろう? この欠片は姿を変化させるものかもしれん。試しに――」
 欠片を握り締め、その人物を思い描く。
「あ」
と声を上げたのはベルナデットだ。
 ミアの周囲が歪んだかと思うと、たちまち見覚えのある人物――ハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)に変わってしまったからだ。ただし、着ているものはそのまま、魔女の短衣だ。
「凄い……」
 ベルナデットとレキの呟きを聞いて、ミアはいそいそと鏡に己を映してみた。
「ほうっ、見事じゃ! 見事なまでのボンッ! キュッ! バーン! じゃな」
 レキはミアの体に触れてみた。
「……うん、本物だ。少なくとも、そう感じる。幻じゃないよ」
「部分的に変えることは出来んかな?」
「どこか一ヶ所ってこと?」
「そうじゃ。胸だけ大きくするとか……」
「……」
「こ、これもテストじゃ」
 だが、どうすれば一部分だけ変えられるのか、分からなかった。ハイナに変化したのも、彼女の姿かたちを思い浮かべただけだ。
「取り敢えず、記念撮影しておこうか」
「何で?」
「役に立つかもしれんじゃろ?」
「何の?」
「何かの」
 何の役に立つかは分からなかったが、本物と比べる際の資料にはなるだろうと判断し、レキは携帯電話を取り出した。レンズを向けると、ミアは左手を腰に、右手を頭の後ろに持って行き、体を捻っている。
「……何してるの?」
「ポーズじゃ。早く撮れ。ベルナデットが見ておる」
「恥ずかしいならやらなきゃいいのに」
 レキは苦笑しながら、シャッターを何度も切った。写真は二十枚ほどになり、ミアは後で自分の携帯電話に転送するよう、何度も念をしたのだった。