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リアクション
第一章
海京での戦いより数時間後 某所
「……う……ん……」
どこともしれない場所。
瞼ごしに光を感じ、ティー・ティー(てぃー・てぃー)は目を覚ました。
記憶の最後にあるのは海京沖合の風景だ。
めまぐるしく入れ替わる上下の中、かわるがわる視界に飛び込んでくる空と海。
あの時、ティーは中破した機体から放り出されたのだ。
そしてそのまま高空を舞い――。
彼女の記憶はそこで途切れている。
たとえ契約者といえど、落下すれば無事では済まない高さまで舞い上げられたのは間違いない。
だが、いくつか痛みを感じる場所はあるものの、ティーの身体は概ね無事なようだ。
それに、今、彼女が横たわっている場所の感触も海でもなければ、ましてや地面でもない。
ほどよい弾力のある軟らかさと、爽やかな肌触りが心地良いその感触は、ティーは自分がどこに横たわっているのかを薄々理解し始めた。
間もなくしてそれは確信に変わる。
間違いない。
ティーは今、どういった経緯かは不明だが、清潔なベッドに寝かされているのだった。
ひとまず上体を起こしてみるティー。
軽く目を動かして周囲の風景を確認すると、視界に入ってくるのは、それなりに小奇麗な部屋だ。
清潔かつ整然と調えられているが、調度品は必要最低限のものが過不足なく置かれているのみ。
少なくとも、部屋の風景からだけでは、この部屋の主がどんな人物なのかは推し量れそうになかった。
もしかすると、普段は使われていない部屋なのかもしれない。
だとすれば部屋の主の人物像が伺えないのも頷ける。
ただ、ティーにはこの部屋にどことなく雰囲気の似た部屋の見覚えがあった。
――迅竜の私室。
この部屋はそれとどことなく似ている気がするのだ。
ぼんやりとした頭で考えを巡らせるティー。
わかったことはせいぜいそれだけだ。
今、自分がいるのはどこで、どのような状況に置かれているのか?
そういった肝心のことはまだわかりそうにもない。
まだ少し寝ぼけているせいか、ティーの頭はそれを理解しただけで再び思考を停止する。
再び瞼を閉じ、上体をベッドに横たえようとした時だった。
「気が付いたみたいね」
突如としてかけられた声に驚き、ティーは閉じかけた瞼を大きく見開く。
声は若い女性のものだ。
それも少女のものと思える声。
もしかすると、声の主はティーと同じくらいの歳の頃なのかもしれない。
それと同時に身体をびくりと震わせたティーは声がした方向――自分の真後ろを恐る恐る振り返る。
振り返った先にいたのは椅子に座った一人の少女だ。
ティーは彼女を思わずじっと見つめていた。
ショートヘアの髪型とその下にある顔立ちは可愛らしく、それでいてどこか艶やかさも感じさせる。
整った顔立ちは控えめに見ても美人と言うには十分なレベルだろう。
ついじっと見つめてしまったのはそれもある。
だがそれ以上にティーの目をひいたのは彼女の服装だった。
トップスは、もはやノースリーブに近いような短い袖で、バストがかろうじて覆えるほどの丈しかない白いTシャツ。
同じく丈の短い黒色のスカートは光沢を放っているあたり、レザー素材なのかもしれない。
それと同色、同素材と思しき黒のロングブーツに包まれた脚は、組まれている状態で見ても長いことがわかる。
加えて特徴的なのは、Tシャツとスカートそしてブーツがクリップ付のベルト――サスペンダーを思わせるパーツで繋がっていることだ。
Tシャツの裾からスカートのウエスト部に、スカートの裾からブーツの腿部分にベルトが繋がっているおかげで、良く言えば開放的、率直に言えば扇情的な服装がより艶やかに見える。
どうやら彼女はティーが起きるのを待っていたようで、手には雑誌を持ったままだ。
雑誌はアニメ関連のもののようで、表紙には目の大きなデザインの少女がアニメ塗りで描かれている。
ティーが自分をじっと見つめていることに気付くも、それを特に気にした風もなく彼女は読んでいた雑誌を置いた。
そのまま組んでいた脚を解いて立ち上がると、彼女はティーに歩み寄る。
彼女が歩み寄ってきたのに気付き、再び上体を起こそうとするティー。
そんなティーを手で制すると、彼女は再び口を開いた。
「無理に起き上がらなくてもいいわ。あなた、それほど古くない傷があるわね? イコンの手に落下した時、衝撃でそれが開いたみたいだから、しばらく大人しくしておくことね」
彼女が発した『イコンの手』という言葉で、ティーは記憶の欠落していた部分を思い出した。
ティーの頭の中で霞みがかっていた記憶の断片がじょじょに輪郭を取り戻し、鮮明になっていく。
確かにあの時、海京沖合で高空へと放り出されたティーはとあるイコンによって救われた。
そして、ティーを救ったイコンこそ、他ならぬエッシェンバッハ派の擁する漆黒の機体――“フリューゲルbis”だったのだ。
はっきりと思い出したことで、改めてティーはその事実に対する驚きに震える。
驚きゆえに思わず黙り込んでしまったティーに、ゆっくりと説明しながら彼女は掛け布団をそっとまくる。
そのままティーの身体をざっと見ていく彼女。
「あ、あの……」
ティーは少なからず動揺していた。
敵によって助けられた事実を思い出した上、目が覚めるなり『傷が開いた』と聞かされたのでは無理もない。
それを察したのか、彼女は小さな微笑みを浮かべてみせるとともに、僅かに頷く。
「大丈夫。こっちの方で手当てはしておいたわ」
その言葉に驚いたティーはそっと掛け布団をまくって自分の脇腹に目を向ける。
以前、パワードスーツ工場でテロ事件に巻き込まれた際に傷を負った脇腹には真新しい包帯が巻かれていた。
見れば、着ている服も前回の戦闘で迅竜から出撃した時のものではなく、入院患者のような上っ張りだ。
「ありがとう……ございます。でも……どうして……?」
未だ困惑を禁じえないながらも、ひとまず彼女達のおかげで危機を脱したということは理解したティー。
問いかけるティーの顔は、その心境に違わず困ったような顔だ。
それを見てもう一度微笑むと、彼女はティーがまくった掛け布団を戻しつつ答える。
「とあるパイロットからのたっての要望だからよ。って言っても、実際に応急処置をしたのは私じゃないけど」
掛け布団を戻し終えると、彼女はドアへと歩いていく。
最初は彼女の特徴的な外見に目をひかれたティーだが、よくよく考えると、それ以上に彼女の声の方が特徴的だった。
可愛らしいが媚び過ぎでもなく、色気はあるが極端に艶やかでもない。
ニュートラルな声質である一方、特徴や個性といったものがないように思えるが、実際は耳にも記憶にも残る声だ。
そして何より聴き易い声であるとティーは感じていた。
目覚めたばかりでぼんやりとする頭でもすんなりと入ってくる。
横になったまま彼女の背を見送ったティーがそんなことを考えていると、しばらくして再びドアが開く。
開いたドアから先程の彼女が顔を覗かせるが、どうやら今度は彼女だけではないらしい。
まず先程の彼女が入って来たのに続き、二人の女性が入って来る。
一人はピンクのニットワンピースに黒の二ーソックス、そして白いスニーカーという服装だ。
先程の彼女の華美さにともすれば隠れがちだが、彼女も十分に可愛らしい顔立ちをしていると言えるだろう。
他に特徴があるとすれば、コンコルドクリップで後頭部に纏めた長い髪と、丈が胸元までの黒いショートジャケットだろうか。
背中には巨大な歯車とその下で交差する工具をデザインしたエンブレムが描かれている。
もう一人はトップスが黒いタンクトップのみという大胆な格好だ。
そういった格好のおかげか、彼女の豊満な胸や、ポニーテールのおかげでよく見える首筋がより強調されている。
とはいえ、彼女から感じられるのはセクシーな印象よりも逞しい印象の方が強い。
なにせボトムが迷彩色のカーゴパンツにコンバットブーツという組み合わせなのだ。
それ以上に、彼女の体格はとにかく大柄だった。
一緒にいる二人が150から160センチ代くらいであるのに対し、彼女は180cm以上あるかもしれない。
二人とも歳の頃は先程の彼女と同じく、ティーと同世代のようだ。
新たに入って来た二人をまじまじと見つめるティー。
そんな彼女に二人は歩み寄ってくる。
コンコルドクリップの少女は柔らかな笑みを浮かべると、両手で持っていた布をベッドサイドに置く。
「あなたの着ていた服、洗濯しておきました」
彼女の言葉を受けてティーは置かれた布に目をやる。
見れば、確かにその布はティーが着ていた服を畳んだものだ。
服を置き終えた彼女が下がると、入れ替わりに大柄な少女がベッドサイドへと歩み寄る。
「これからその……包帯を変えるので。それに当たって衣服を脱いで……というかその、まくってもらうことになりますけど……我慢してもらえると助かり、ます」
彼女の声は全体的に小声で硬い。
しかも、尻すぼみだ。
もしかすると、ティーを前にして緊張しているのかもしれない。
緊張した声で喋りながら、彼女はベッドサイドの更に横へと目を向ける。
視線の先に置かれていた救急箱を開け、彼女は包帯と鋏を取り出した。
「あの、その……失礼、します……!」
包帯を鋏を片手に持つと、彼女はベッドに横たわるティーを覗き込むように身をかがめる。
そして、その大柄な身体を活かして彼女は、ティーの身体をもう一方の手で軽々と持ち上げた。
「あっ……!」
ひょいと持ち上げられてティーは思わず驚きの声を上げる。
ティーの上げた驚きの声に、逆に驚いた様子を見せながらも彼女は、ティーの包帯を解いていく。
やはり緊張したままの面持ちで彼女はティーの傷口に薬を塗り直す。
そして再び包帯を巻き直すと、彼女はティーの身体をそっと横たえた。
「処置は……しておきましたけど、その……応急、処置なので。一度、ある場所に戻ってから、しっかりとした処置をします、ので」
それだけ言い終えて掛け布団を戻し、彼女もまた下がっていく。
掛け布団の下で手を動かし、ティーは巻き直された包帯にそっと触れてみる。
薬の塗り方も包帯の巻き方も丁寧だ。
先程からの待遇にティーは驚きを隠せなかった。
――自分は今、敵地に捕まっている。
状況としてはそうだ。
だが、ともすればそれを忘れそうになる。
驚きだけでなく、困惑も再び湧きあがってきたティー。
そればかりか、ティーの困惑に拍車をかける出来事が更に訪れた。
控えめかつ上品なノックの音が響いた後、開いたドアからまた新たな人物が部屋へと入って来る。
なんと、その人物の手には盆とそれに乗った茶器があったのだ。
はっとなって茶器を凝視するティーだが、それを持っている人物の方もティーの驚きと困惑を加速させた。
歳の頃は、やはりティーや今まで部屋に入って来た彼女達と同じくらいだろう。
服装は綺麗な柄ではあるが、かと言って派手過ぎない和服。
背中まである黒髪は絹糸のようで、色も烏の濡れ羽色だ。
「お茶に致しましたが、よろしいでしょうか?」
彼女は落ち着いた声音でティーに問いかける。
「よ、よろしいですっ!」
半ば呆気にとられたままのティーが反射的に頷く。
驚きと困惑のあまり、ティーは変な敬語で返事をしてしまったようだ。
和服の彼女は上品な笑みを浮かべてベッドに歩み寄る。
歩く姿もやはり上品で、ぎこちなさを感じさせないあたり、和服を着慣れていることが伺える。
彼女は盆と茶器をベッドサイドにそっと置くと、慣れた手つきで茶を淹れ始める。
ほどなくして茶に湯呑に満たされた湯呑を両手で掴むと、彼女はそっとティーに差し出す。
反射的に上体を起こしてそれを受け取ったティー。
ティーはただ、湯呑を持ったまま困惑するだけだった。
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