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ホスピタル・ナイトメア2

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ホスピタル・ナイトメア2

リアクション



●I want you the return to ・・・


「何よこれええええええーーーーっ!!」

 美羽の絶叫は階下にいる陣たちの元までも届いていた。
「じ、陣……あれ……」
 聞き間違いようのない声だった。絶望的な恐怖しか感じさせない声にユピリアは青ざめ、陣に身を寄せる。このときばかりは陣も彼女を突き放したりはせず、固唾を飲んで4人が消えた階段を見つめた。
「待っていても無駄だ。彼女は死んだ」
 先までと打ってかわった冷静な声でタケシが言う。
「殺されないためならウ○コをつつくと言った本人とは思えないそのしゃべり! おまえ、ルドラかっ!?」
 突きつけられた指の先で、灰色の義眼が赤い人工の光をわずかに強めた。
「……ぬぐえば取れる程度の物に触れるくらいで命が助かるならいくらでも触っていいが、そんなことを取引材料にしようと考えるのはタケシぐらいのものだろうな」
 古王国時代に創られた人工知能ルドラは表情ひとつ変えず、淡々と答える。
「んなこと真面目に返すのもおまえぐらいのモンだろうよ」
 言い返しつつも、陣はほっとしていた。こういうとき、タケシよりルドラの方がずっと頼りになるのは分かり切っていた。
「タケシは?」
「あの悲鳴で気絶した。恐怖に耐えられなかったようだ」
「ああ、なるほど」
 チキンメンタルだな。タケシらしいが。
「んで、死んだってのは?」
「現在上の階に生体反応はない」
「そうか」
「信じるの? 陣!」
 ユピリアは半信半疑の声を出したが、それはセルマたちへの友情からで、彼女もまたそれを信じているのは表情からも読み取れた。
「信じるしかねーだろ」
「でも……っ」
「行くぞ」
「陣!」
「セルマも美羽もダチだ。俺たちがいつまでもここで来ないあいつらを待っているより、ここから逃げようと動くことを望んでるに違いない」
 決意を含んだその言葉、表情に、ユピリアは今にも泣きだしそうになった。
 のどまでこみあげてきた嗚咽(おえつ)をぐっと飲み込み、目じりの涙をこすり落としてデッキブラシを握り直すと陣の後ろに続く。その背中には普段はしまってある光の翼がいつの間にか広がっていて、ほのかに照らして闇を退けていた。
「それで、おまえたちはどう動くつもりだった?」
「この通路の先に緊急搬送スロープがある。そこのドアを破って地上へ出て、夜間・救急門から出る。敵は光を避ける習性があるようだから、まず厨房のある棟から職員駐車場へ行って、門の外灯を頼りに行く手筈になっていた」
「……無謀だな」
「セルマが車の鍵を持って戻ってくるはずだったんだ。ヘッドライトで照らす予定だった」
 ルドラは少し考え込む風な沈黙をしたが、何も言わなかった。
「なんだ? 言えよ」
「いや、ずい分と確率の低い賭けをしたものだと。そもそも警備員が車の鍵を持っている可能性は? 鍵を持っていたとして、駐車場でその1台を見つけるに費やす時間は? わたしなら――」
 前方に動く物を感知して、ルドラは言葉を止めた。一瞬遅れて陣も人影に気づく。
 注射器を手にした看護師が数名、夜間用受付・事務室のドアから出てきた。
「……マジかよ……」
「なによ、あのくらい、私が蹴散らして――」
「違う」
 陣が見ているのは自分の両手だった。手も足も、ぶるぶる震えている。
「やべぇ。足が動かねぇ」
「どうしたのよ!? 陣!!」
「俺にも分かんねーよ。ただあいつらの手にしてるやつ見たら急に体がこんなんなって……。ちくしょう、震えが止まんねえ……」
 全く陣らしくない、その弱々しい声を聞いた瞬間、ユピリアは引っぱたくような動作で乱暴に陣の顔から眼鏡をもぎとった。
「いてっ! 何すんだよこのばか女!!」
「見えてるからそうなるのよ! 眼鏡はずしちゃえば見えないでしょ!! さあごちゃごちゃ言ってないで、走るの!! あいつらは私がなんとかするから!! ――あ、その前に2人のうちどっちかでいいから、ここに火をつけてくんない?」
 ちょいちょい、とデッキブラシの先を指さすユピリアに、陣は複雑な表情で開けていた口を閉じると朱の飛沫を放った。
「サンキュー!
 さあ来なさい! 私の陣には指1本触れさせないわよ!」
「面白い女性だな」
 火のついたデッキブラシを棍(こん)のように持って振り回し、看護師を近づけさせまいとして戦っているユピリアの姿に感心したように言う。
「ありゃおてんばっつーか、とっくにそれ通り越して、無茶苦茶なんだよ」
 陣は見えない目ながらも焦点を結ぼうとしてか、眉間にしわを寄せ、目を眇めて言う。そして頭を振った。
「駄目だ、見えねえ」
 ユピリアのとっさの判断はなかなか良かった。ひどい乱視の陣は注射器の細い先端が見えず、恐怖症に体が動かなくなることもなくなって、走れるようになっている。
 ただし、そのせいで遠近感がつかめず、さらには周囲にあるのが何もない空間なのかはたまた壁なのか、ドアなのかも区別がつかない状態になっていた。そのため自然と走る速度は落ちて、壁に手をつけないと進めなくなる。
「ここは……ドアか?」
「そうだ。5秒待て。ドアロックを解除する」
 事務室へ入ったルドラが何か機器を操作しているかすかな音がしたとき。
 後ろの方で、ユピリアが「あっ」と声を上げた。何か失態をしたときに思わず出てしまう声だ。
「どうした?」
 陣が肩越しに振り返ろうとしたのと、その手元でピーとロックが解除される音が同時にした。一瞬そちらへ反応した陣の肩を、だれかの手がとんっと押す。
「うわ」
 陣はよろめき、ドアにぶつかりながら向こう側へ倒れ込んだ。
 肩越しに見えた人影はルドラに見えた。ルドラはさらに何かを投げ込むような動作をする。それは陣の体に当たって足元へ落ち、カチャリと音をたてた。
「俺の眼鏡か」
 床に手をつき、手探りでそれを探り当てた陣の頭の位置で、ドアがまたもピーと、今度はロックが施錠された音がする。
「ユピリア!? ルドラ!! おいっ!!」
 ドンドンとドアをたたいたが、ドアは揺れるだけで二度と開くことはなかった。
「……あーあ、しくっ……ちゃった」
 陣がドアをたたく音を聞きながら、床に仰向けに転がった状態で、ユピリアはゆっくりとつぶやく。それから痛みに耐えるように顔をゆがませ、のろのろと陣が消えたドアの方へ頭を倒した。
「……まあ、でも、いいか……。陣、だけ、でも……たすけ、られ、たし……。ね……、ルド、ラ……?」
 ユピリアの問いかけにルドラは答えなかった。壁に背をつけて両足を投げ出し、うなだれた格好で座るルドラの顔はもはや人の顔としての原型をとどめておらず、ぶすぶすと酸に浸食されていく音をたてている。
 焼けた肉のにおいはルドラの顔面からだけでなく、ユピリアの体からもしていた。胸に突き立てられた注射器には5分の1ほど透明な液体が残っている。その大部分を注入されたユピリアの右肺はすでに酸によって焼き焦がされていた。
 生きながらにして骨が溶け、肉が溶ける感覚は、これまで一度たりと感じたことのない激痛だった。
 酸はすぐに心臓へ到達するだろう。そうすれば、この体内をじわじわ溶かされる耐えがたい痛みも終わると思えば、ユピリアはいっそ歓迎する思いで目を閉じる。
(そういえば、私、携帯の待受画像の陣に愛を囁いてから寝たんだっけ……。またそうしたら、あの続きに戻れるかしら……)
 震える手で携帯を取り出し、最後の力で携帯を開く。
「……愛、してる、わ……じ、ん……」
 ぱたりと床に落ちた手には、しかし携帯など握られてはいなかった。
 そしてドンドンと鳴りやまない音をたてるドアの向こう側では、デスマスクにヘッドロックをきめられた陣がいた。
 もがき、暴れてなんとかはずそうとするも、がっちりとした岩のような腕はわずかも揺るがない。苦しみに立てた爪のひっかき傷すらもつかない。踏ん張ろうにも両足は宙に浮いて、浮いた足の先がドアにぶつかり、ドンドンと音をたてているのだった。
 やがてゴキリと首の骨がへし折れる音がして、だらりと手足が垂れる。動かなくなった陣の体をぬいぐるみのように放り捨て、デスマスクは闇へと消えて行った。



…※…※…※…




 美羽の悲鳴は集中治療室にいる宵一リイムたちも耳にしていた。
 しかし正直なところ、今の宵一は暗闇のなかで光術によるあかりを生み出すことに必死で、それどころではなかった。
 なぜ暗所恐怖症の宵一がそんな状況に陥っているのか? それは、数分前にさかのぼる。
 廊下の先、受付・事務室へ最初の探索に向かった宵一もそこで酸入りの注射器を持った看護師たちと遭遇していた。だがすばやく消火器を室内に噴射して、それが煙幕の効果を発揮しているうちに一目散に元来た道を戻り、初療室へ飛び込み、緊急検査室、救急処置室とスルーして集中治療室まで行って、ようやく足を止めることができたのだった。
「これで彼女たちをまけただろう」
「そうでふね。
 ところでリーダー、大丈夫なんでふか?」
「え?」
 と我に返った瞬間、宵一は自分が真っ暗闇のなかにいることに気づき、激しい暗所恐怖症の症状に襲われた。
 心臓がこれ以上ないほど打って、その強さは満足に息ができないと思えるほどだった。浅く、不規則な呼吸のせいか、ぐらぐら頭が揺れてめまいがする。
 ああ気分が悪い……集中できない……。
「あかり……あかりだ……あかりがいるんだ、ちくしょおッ!!」
「リーダー、落ち着くでふよ」
 まるで極寒の山にでもいるかのようにガタガタ震える体を縮められるだけ縮めて、宵一は指の先に光を生み出そうと懸命になっていた。それだけが唯一命をつなぎとめられる生命線であるかのように、ただひたすらに意識が集中し、リイムの声が届いている様子はない。
 宵一がつなぎとめようとしていたのは命でなく、もしかすると正気だったかもしれなかったが、リイムの目から見て、今の彼はどう見ても正気とは思えなかった。
「リーダー、大丈夫でふ。大丈夫でふよ」
 こんなとき、自分まで取り乱してはいけない、自分こそしっかりして宵一の助けになるのだと、宵一の様子に泣き出したくなる怖さを感じながらも懸命にそれを隠し、リイムはなるだけ穏やかに声を保ってゆっくりと話しかける。
「リーダー、お願いでふから……」
 そのとき、ドアの向こうの救急処置室のドアが開く音がした。自分たちのいる集中治療室との間を遮る壁の擦りガラスにぼんやりと小さな光が浮かぶ。
 ついにあの看護師たちがやってきたのか。それともまた別の敵か。
 息を殺してドアを見つめる。開きませんように、そのままいなくなってくれますように、と祈るリイムの前、しかしドアノブが回る音がして、ドアは開いた。
 蝋燭のあかりとともに入ってきたのは、同じ蒼空学園生の霜月クコだった。
 よかった……!
 思わず止めていた息を吐き出したリイムのたてた音に、超感覚を発動させていたクコが敏感に気づいた。
「だれ!」
「ぼ、僕は敵じゃないでふっ」
 あわてて顔の前で両手を振って見せる。小さくて愛らしい花妖精の姿にクコもすぐに警戒を解いた。
「あ、あかりだ……!」
 クコが彼らをよく見ようと掲げた蝋燭の火に、宵一の表情が目に見えて輝く。
 小さいながらもあかりはあかりである。宵一は少しずつ理性を取り戻し、光術を生み出そうとする行為をやめて、そちらへ近づこうとする。
「きみたちもここに――」
「それ以上近づかないで!!」
 激しい拒絶に宵一もリイムもびっくりして、ぴたっと足を止めた。
「ああ、ごめんなさい……。あなたたちが悪いんじゃないのよ」
「どうかしたのか?」
「ちょっと、問題が……」
 クコはためらいがちに肩越しに振り返り、自分の影でぶるぶる震えている霜月を、そっと彼らの視界に入れた。


「――そうか、対人恐怖症か」
「ええ。どうしてかは分からないんだけど……。だからなるべくこちらに近づかないでほしいの」
 事情を聞いた宵一は、考え込むようにあごに手をあてる。
「俺もなぜかここへ来て急に暗闇が怖くてしょうがなくなったんだ」
「リーダー! リーダーだけでないってことは、おかしいでふ。これってもしかすると、あの白衣の男が何かしたんじゃないでふかね?」
 勢い込んで言うリイムに、宵一も同意するようにうなずいた。
「やはりあの白衣の男がこの事件の鍵のようだな。なんとか見つけて聞き出さなくては」
「そいつが霜月をこんなふうにしたっていうんなら、私も協力してもいいわ」
 ここにきて、ようやくクコは怒りのはけ口を見つけだせたようだった。表情が生き生きとしたものに変わる。
 同じく宵一もじっと蝋燭のあかりを見つめていることでかなり回復できたらしく、普段の彼に戻ったようである。
「よし。では捜しに行こう」
 上げた腰についた埃をぱたぱた払っていたときだった。
 異変を察知したリイムとクコが同時に振り返って部屋の隅を見つめる。
「どうした」
「リーダー、あれを見るでふ!」
 リイムが指差した場所には、ぼうっと白い光が浮かんでいた。最初、ハンドボールくらいだった光はすぐにバスケットボール大になり、なかに小さな子どもの姿を浮かび上がらせる。
 子どもは4人のいる方に背中を向けて座っていた。
 ――ママ……パパ……どこにいるの……

 子どもは下を向いて小さな肩をふるわせ、しゃくりあげる。泣いているようだ。
 ――ママ……パパ……パパ……パパ……っ。見えないよう……

「り、リーダー。あ、ああ、あれってあれって……」
「言うな、リイム……」
 ぐっと言葉を飲み込んだリイムのかわりのように、クコが言った。
「あれって幽霊なの?」
「ここ、集中治療室だもんなあ! 廊下挟んでとなりが霊安室だからなあ! そりゃ幽霊の1人や2人、出ておかしくないよなあ!!」
 うわああああ!
 頭を抱えてパニックを起こしそうになった宵一は、次の瞬間ぎくりとなった。
 ほんの数秒目を離しただけなのに、子どもの幽霊は距離を詰めて、宵一の体に向かって手を伸ばしていたのだ。
 ――パパ……ここにいたんだね……

 子どもは真っ黒い穴のような両目で宵一を見上げ、にこっと笑う。
「……いや、俺は――」
「リーダー!!」
 リイムの切羽詰まった声に、はっとなって顔を上げる。子どもが最初に現れた位置に複数の光が浮かんで、そこからぞろぞろと幽霊が現れていた。歳は幼い子どもだけに限らず、中学生、高校生、大学生や成人、老人までさまざまだ。それが一様に四つん這いになり、宵一へ這い寄ってきていた。
 ――タスケテ……
 ――熱い……
 ――痛い……熱い……
 ――熱いの……息ができない……
 ――助けて……

「う、うわ……うわ……」
「リーダー逃げるでふよ! リーダー!!」
 しかしすでに遅かった。
 宵一は這い寄る幽霊たちに取り囲まれ、すがりつかれてしまっていた。あとからあとから現れる幽霊たちは先の幽霊を踏台とし、さらに宵一の体を這い登って、「熱い」「助けて」と口々に訴えてくる。あっという間に宵一の腰から下は彼らに埋もれて見えなくなった。
 リイムは彼らに向かって光術を投げようとしたが、思ったような光は現れなかった。現れたのは豆電球のように小さく頼りないあかりで、目くらましにも使えそうにない。
 そうこうしているうちに、宵一は胸元まで這い上がられて、埋もれていた。よじ登ろうとする幽霊の伸ばした手は宵一の顔に触れ、頭を掴んでいる。
「リーダーから離れるでふよ!」
 光術、風術、火術、ライトブリンガーと次々試してみたが、発動しないか、発動してもほとんど役に立たない弱々しいものでしかないことに業を煮やして、リイムはとびかかり、直接宵一から引きはがそうとする。
「リイ、ム……にげ……ろ……」
 ――熱い……熱い……あつぅい……
 ――火が……痛い……
 ――ドアが開かないの……タスケテ、パパ……
 埋もれた宵一の胸元から、そのとき、ボッと炎が吹き出した。炎はあっという間にリイムのもふもふの毛皮に燃え移って、一緒に炎上する。

「うわあああああああああああああああああああああ!!」

「……なんてこと! これ、本物の炎だわ……!」
 肌をあぶられる痛みに、クコはよろよろと後退した。
 彼女の目の前で宵一とリイムは炎を生み出す幽霊たちにしがみつかれ、さながら松明と化している。天井近くまで吹き上がる炎から舞い散る火の粉まで、本物としか思えなかった。
「逃げなきゃ……」
 消し炭となった宵一にしがみついている幽霊たちの目が自分たちの方を向いたことに気づいたクコは、彼らから目が離せないながらも背後の霜月に手を伸ばす。
 彼女に霜月は苦しげな声で告げた。
「逃げてください……クコ、だけでも……」
「何を言うの!?」
 驚愕し、振り返ったクコは、霜月が酸素ガスボンベによりかかっているのを見た。指は開閉バルブにかかっている。
「自分は逃げられません……彼らが、怖くて……足がすくんで、動けないんです……ほら……」
 幽霊も人の部類に入るのかといえば微妙なところだが、恐怖症とは、手や足、頭があって、体がある……人間の姿をしている、という記号的なものに反応するのかもしれない。
「クコだけでも……生きて……」
 そのとき、バルブを握る霜月の手に、クコの手が重なった。それは言葉よりも雄弁な、クコの愛だった。
「生きるときも死ぬときも一緒よ、霜月。私は、楽しいところだけ、おいしいとこだけをいいとこ食いするような女じゃないわ」
 その口元には笑みが浮かんでいる。
 むしろ、死に場所が一緒であることがうれしいように。
「クコ……」
「これならあなたが先とか私が先とかなく、2人同時に死ねるわね。
 愛してるわ、霜月」
 そっと霜月の胸に額を押しつけると、応じるように霜月が肩を抱いて引き寄せた。
 彼の感触とにおいとに満たされて。
 クコと霜月は、同時にバルブを開いた。